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こんにちぱ〜
今日も雨の東京。
雪が降ってきた、というウワサもあり、
けっこう寒いです。
みなさま、楽しい週末をおすごしでしょうか。
昨日予告いたしましたとおり、今日は震災関連のお話をば。
忘れないためにも、まずはあの日のことから書き出そうと思います。
※長いです。
明日であの震災から1年。
あの日、あたくしは友人とランチをしたあと
有楽町の街を歩いていて震災にあいました。
地下鉄と地下道が張り巡らされ、
ビルに囲まれた場所。
どこに逃げても助からないのでは、と思い、
また高層ビルがまるでゴムのように
しなって揺れているのを見て
とてもとても恐ろしかったのを覚えています。
JRの高架線には新幹線が止まっています。
地面が揺れるからだけでなく、
足がすくんでしばらく友人と抱き合ったまま
動揺してなにか変なことを言っていました。
ビルから続々と人が出てきて、
我々も歩き出しました。
まずは日比谷公園に避難しようと思い
その方面へ向かいます。
携帯電話で何度か家族に連絡をとりますが、
つながらない。
通りかかったペニンシュラホテルの1階の宝石店では
展示ケースが割れたのか、従業員がドアに鍵をかけたり
ばたばたと動き回っています。
この時点で、東京といえどもその被害の大きさを感じ、
すぐに近くにあった公衆電話に飛び込んで母に電話しました。
そのときはまだ誰も公衆電話に並んでいる人はおらず、
自宅の固定電話で母と娘の安否を確認。ひと安心です。
この日、娘は熱を出して保育園を休み、
友人と出かける約束があったため
母に留守と娘の世話を頼んでいたのでした。
母がいてくれてよかった。
娘が自宅にいてよかった。
とはいえ、ウチは液状化現象が起こりやすいと
いわれている土地にあるため
あまり安心してはいられません。
日比谷公園に避難、というのはやめて
家に帰ることにしました。
でも地下鉄はコワい。
というわけで、東京駅まで歩いて
そこからバスに乗ることに。
歩いて東京駅まで向かう途中、
また大きな余震がありました。
このときはどきっとしましたが
とにかく早く帰らなくては、という気持ちに。
ハイヒールをはいているため、気持ちがあせっても
歩く速度が遅い。
あせりながらもバス停に着くと、
ちょうどウチの隣の駅まで行くバスに乗ることができました。
友人も家の近所まで行くバスがあったようです。
バスに乗り込むと、ぎゅうぎゅうの満員。
優先席にはおじいさんが腰かけており、
iPadを見ながら「こりゃ〜全滅だなぁ、地下鉄全部止まってるよ」
と興奮ぎみに話していらっしゃいました。
すごいなぁ、おじいさん。
今でこそiPhoneを持っているあたくしですが、
当時は持っていなかったので、インターネットがふつうに
使えるということ、そしてこんなおじいさんがiPadを操っていることに
驚きをおぼえたものです。
バスが発車し、東京駅から永代通りへ、
次の停留所に着く前に車内アナウンスが。
「この先の橋に亀裂があるらしいと情報が入りました。
安全確認のため、このバスは運行を中止します。
次の停留所で降車してください」
工エエエエェェ(;゚Д゚)ェェエエエエ工
橋に亀裂!?
これ、実は誤情報だったようですが、
そのときは安全確認がきちんととれていない状況ですから
やむを得ません。
バスの中は騒然となり、後ろの方に座っていたおばさんが
支払った乗車賃を返してくれと叫んでいます。
運転手さんが「緊急事態ですので対応できません」と返すと
おばさんは怒って「200円も払ったのに!」と食い下がります。
次の停留所に着くまで怒鳴り散らしていましたが、
その方に同調する人はおらず車内はむしろ落ち着きを取り戻したような気がします。
さて、日本橋で降りたあたくし、まだのんきだったというか、
タクシーを止めようと一生懸命道路を眺めていました。
しかし行き過ぎるタクシーはみんな人が乗っている。
ほとんどがビジネスマン風の男性が一人で乗っている。
ふだんならそんなの当たり前なのだけど、
せめて同じ方向ならシェアできれば。。。と切に思いました。
浦安まで帰るという女性に、「同じ方向ならご一緒に」と
声をかけられたのですが「なかなかタクシーがこなくて」と
言いますと、彼女はあっさりあきらめ「歩きます」と。
ウチは都内なので彼女ほど遠くないのに
まだタクシーをあきらめきれないあたくし。
まぁ、タクシーの運転手さんも早くお家に帰りたいでしょうから
台数も減っていたのかな。
やむを得ずときおり後ろを振り向きながらも
家に向かって歩き出すあたくし。
姉に連絡がとれず、公衆電話を見つけるたびに
立ち止まって電話をします。
そのころには公衆電話はどこでも列ができていました。
ウチまでの道にはいくつかの橋がありますが、
最初の地震から1時間以上経った頃と思います。
通行人が水面を指さして言いました。
「こんなに水位が下がっているのを初めて見たわ!」
あたくしは普段の水位がどのくらいなのかわかりませんが、
その方はどうやら障がい者の方々を自宅まで送っている
途中だったようで、毎日ここを通る人のようです。
興奮ぎみに携帯電話で川の写真を撮っていました。
そのときとっさに、プーケットの津波のことを思いだしました。
でも「まさかね。ここは海から2キロとかあるし」とも思いました。
今思えば、東京はそこまでの被害ではなかったとはいえ
津波があったといいますし、その「まさかね」が大災害に
つながったわけですから、危険な考えだったなと思います。
とはいえ、歩調を早めとにかく自宅に急ぎます。
ハイヒールだったこともありますが、
そのときは歩いて家に帰ろうとする人で歩道はいっぱい。
急いでも急いでも、人が多くて動きがにぶい。
人の間をすり抜けて歩きますが、ところどころで
ビルのガラスが落下して割れているところなどもあり
とにかく気持ちがあせる。
途中、靴屋さんがあいていたので立ち寄り、
長靴を買ってはきかえました。
なぜスニーカーでなくて長靴?
やっぱり津波のことが頭にあったのかもしれませんね。
歩きやすくなり、ちょっとスピードアップしたあたくし。
家まであと少し、このころにはタクシーはあきらめて
ひたすら前を向いて歩いていました。
ウチの隣の駅まで着くと、バスが運転を再開しており、
ウチのすぐ近くを通るバスが止まっていました。
ハイヒールで急いで歩いたせいか足がいたかったので
それに飛び乗り、家の近所まで。
バスの中で、海外の友人から続々と携帯にメールが届きました。
やっと通じるようになったのか?
と思いましたが、国内のメールはどうだったのだろう。
やっとウチについたのは17時くらいだったかな。
2時間半くらいで帰れたということですね。
家では花瓶や香炉が割れたくらいで
大きな被害はありませんでした。
ただ、母は娘と猫を抱きかかえてテーブルの下に避難したものの、
なにかあったら二人を抱いて逃げるのは無理かも、と
青ざめていたようです。
夜、姉にも連絡がとれました。
姉のいた千代田区内の事務所では
それほどの揺れを感じなかったらしく、
落ち着いたものでした。
場所によってだいぶ感じ方が違うと思いました。
家では海外の友人に無事を知らせたり
東北の友人の安否を確認したりしていました。
ニュースで津波のことも知りました。
東京でもだいぶ余震があったので、
眠るのがこわくて懐中電灯を枕元におき、
洋服を着て、コートも手の届くところにおいたまま
床に就きました。
災害規模や被害の大きさなどは
翌日以降に次第に明らかになっていくわけですが、
もともと地震や雷が大嫌いなあたくしゆえ、
けっこうショックを受け、怖がっていたのを覚えています。
長くなったので、また。
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あなたのやさしさ、忘れないわ
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