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制度としては、賛成だ。
一般国民が司法に参加する事は、意味があると思う。
しかし昨今聞く様な、司法の人達と一般の人の意識のずれを是正する、と言うのは違うと思う。
国民の司法参加の意味は、正しい法解釈だと考える。
勘違いして欲しくないのは、今でも正しく法は執行されているだろう。
しかし、それはただ単に、法律書通りに執行されているという事だけに他ならない。
国民が司法参加した場合、そこにはある種の情が反映されなければ、意味は無いと思う。
厳しく裁く時は厳しくせざるをえないが、あえて厳しくしなくても良い場合もあるだろう。
そのような時、国民の常識や一般的な許しの情が反映される事が、望まれる事だと考えたい。
報道では、一般的な感情を付与して、より重い刑罰を与えられる、というような事が考えられているようだが、それは少しちがうと思う。そんな重荷を背負わされるのはごめんだ。
そんな重大事犯は、職業として任に就いている人達が行うべきだ。
今のままでは、制度には賛成だが、参加はしたくない。
それは、国の司法制度が歪んでいるからだ。
前提として、刑が確定するまでは無罪である。
犯罪の立証責任は検察側にあって、弁護側は罪を犯していない事を立証する義務は無い。
そう、前提に罪が確定するまでは無罪となっている訳だから、検察が立証できなければ、無罪となる。それがたとえ、誰が見ても有罪であったとしてもである。立証するには、物的証拠は不可欠だと思うが、日本の司法では状況証拠と自白だけでも、起訴される事もある。これがおかしい。状況証拠や自白など、いくらでもねじ曲げられる。だから物的な証拠が必要な訳だ。それが必要ないとは、いくら何でも乱暴だろう。中には必要ではないケースもあるかもしれない。それでも、状況だけを立証して、それで犯罪立証と言われても納得いかないと思うのだが?
個人的には、何らかの物的証拠がない限り、裁判に持ち込めない様にするか、よしんば持ち込んだとして、裁判員が納得しなければ、その案件は棄却となるような仕組みにして貰いたい。
これが是正されない限り、参加は見送りたいと思っている。
関連→http://www.whatpercent.com/opinion/society/law/%E4%BB%8A%E3%81%AE%E7%8A%B6%E6%85%8B%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%82%84%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%84%EF%BC%81%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%93%A1%E3%80%82/196
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