トドの戯れ言

今日も元気だ!10-4 10-10!

今日の放言

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久々である。

東京で、オリンピックが開催されず、喜んでいる1人だ。

だから、素直に、リオでの開催を祝福している。

そもそも、都民の何割が、オリンピック開催に賛成だったのか?

そんな事を、聞かれた記憶がない。

もしかして、都民の代表である都議が賛成したからか?

その都議から、都民一人一人へ説明はあったのか?

私には記憶がない。

この先も、勝手に公職の者共だけで進めるならば、私は引き続き反対の立場である。

6割が賛成だから、4割の反対は忘れよう。

そんな態度では、協力する気にもなれない。

4割も反対しているのか、それならせめて、あと2割の人が賛成するまで、招致もさることながら、
理解も求めよう。

そう考えて貰わない限り、この先も協力はあり得ないだろう。

内閣不信任は否決。
総裁は交替?

意味が良く判らない。
と言うより、信じられない。

総理は良くて、総裁はダメ。
どう考えても、国はどうでも良く、党が第一、としか聞こえない。
連日、苦しい言い訳を続けているが、言い訳にもなっていない。
これは最早、政治家ではなく政治屋だ。
商売と考えれば、国家の事より目先の選挙。党が大事の論理だけは理解出来る。
しかし、政治をする人が、その程度の思考では困る。
商売人としても、最悪の腕だろう。

書くのも虚しい。

爆笑問題の勉強不足

昨日、NHKの「爆笑問題の日本の教養」と言う番組を見た。
結構好きで、時々見ている。
昨日は、裁判員制度についての話だったので、見逃せないと思っていた。
しかし、内容には失望した。
今まで繰り返されて来たような、おざなりな話だった。
個人的には、前回のアメリカの時のような、バトルトークを期待したのだが、完全に肩すかし。

司法の馴れ合いを是正する?
今更、ボケた事を言うな。
裁判官が有罪判決を出すのは、馴れ合いや経験則からではない。
検察側に悪い印象を与えないためだろう。
無罪判決は、裁判官の出世に響く。
これが一番の理由だ。
この辺を、問いただして欲しかった。

それともう1つ。
前にも書いたが、多数決の結果、裁判官3名が有罪、裁判員6名が無罪、となった場合、過半数とはならないと言う事だ。これは例えば、裁判官が恣意的に誘導した判決を、裁判員が拒否した結果としても、採用されないと言う事になる。極論ではあるが、可能性はある。
この辺の事を、突っ込んで欲しかった。

昨日の話では、全く説得されない。説得される材料が皆無だった。
もう1つ言うと、例えば、自分は無罪と思っても、多数決の結果有罪となった。この場合は、自分は無罪を確信していたのだから、責任は果たした、と思えるでしょ?と言うような話をしていたが、それを知っているのは、参加した人達と自分だけだ。それが世間的に公になることはない。自分の心の中では納得出来るかもしれないが、世間的には非難される事になる場合もある。それを一人で乗り越えろと言うのは、あまりにも慈悲がなさ過ぎる。アメリカの陪審員制度の様に、投票の公開を法廷内で可能とするのだろうか?陪審員制度では、弁護側からの要求(だけではないかも)で、投票の公開が行える場合もあるようだ。そうすれば、自分は無罪に投票した、と言う事が、少なくとも傍聴している人々には判る訳だから、少しは救われるかもしれない。反対に苦しむ場合もあるだろうが。

いずれにしても、一般の人々に法律は自分を守るツールだと理解してもらう事、司法に参加し社会的な責任を担う事、そんな事を教える為だけに、この制度を使おうとする事には、抵抗がある。

裁判員制度 続き

いよいよ21日から、制度は実施される。
しかし今更だが、性急と言うか、国民にもう少しアピールして欲しかった。

この間、テレビで初めて知った事がある。
判決については、裁判官3名+裁判員6名が、納得するまで話し合う。
これが基本と言う事は知っている。
基本ではあるが、裁判の高速化も望まれているため、最終的に意見が割れた場合は多数決。
これも聞いていたので、特に問題はない。
ここで、前から気になっていた事を、テレビで聞く事になった。
多数決だから、裁判官3対裁判員6となる場合もあるだろう。稀だとは思うが。
この時の対処法は、過半数可決とはならないと言う事だった。
少なくとも裁判官1名が、裁判員と意見の一致を見ないと、過半数可決とは見なさいとの事。
これは、ちょっとおかしいような気がする。
このケースは、言わば司法の閉じた常識が、世間の開けた常識に負けた結果と受け取り、
裁判員6名で過半数として判決すべきではないのか?
そうしないと、裁判員制度を始めた意味がない。
司法に参画している方々の思惑など、はっきり言って、私には関係がない。
国民を司法に参画させようとしたのならば、国民を信じて貰わなければならない。
そうでなければ、結局は形骸化してしまう。
押し付けられた格好ではあるが、国民は覚悟せざるを得なくなっている。
それならば、裁判官、検察官、弁護士、その他司法に関わる人々には、覚悟を持って貰いたい。
とりわけ、法務大臣には。

裁判員制度について

制度としては、賛成だ。
一般国民が司法に参加する事は、意味があると思う。
しかし昨今聞く様な、司法の人達と一般の人の意識のずれを是正する、と言うのは違うと思う。
国民の司法参加の意味は、正しい法解釈だと考える。
勘違いして欲しくないのは、今でも正しく法は執行されているだろう。
しかし、それはただ単に、法律書通りに執行されているという事だけに他ならない。
国民が司法参加した場合、そこにはある種の情が反映されなければ、意味は無いと思う。
厳しく裁く時は厳しくせざるをえないが、あえて厳しくしなくても良い場合もあるだろう。
そのような時、国民の常識や一般的な許しの情が反映される事が、望まれる事だと考えたい。
報道では、一般的な感情を付与して、より重い刑罰を与えられる、というような事が考えられているようだが、それは少しちがうと思う。そんな重荷を背負わされるのはごめんだ。
そんな重大事犯は、職業として任に就いている人達が行うべきだ。

今のままでは、制度には賛成だが、参加はしたくない。
それは、国の司法制度が歪んでいるからだ。
前提として、刑が確定するまでは無罪である。
犯罪の立証責任は検察側にあって、弁護側は罪を犯していない事を立証する義務は無い。
そう、前提に罪が確定するまでは無罪となっている訳だから、検察が立証できなければ、無罪となる。それがたとえ、誰が見ても有罪であったとしてもである。立証するには、物的証拠は不可欠だと思うが、日本の司法では状況証拠と自白だけでも、起訴される事もある。これがおかしい。状況証拠や自白など、いくらでもねじ曲げられる。だから物的な証拠が必要な訳だ。それが必要ないとは、いくら何でも乱暴だろう。中には必要ではないケースもあるかもしれない。それでも、状況だけを立証して、それで犯罪立証と言われても納得いかないと思うのだが?
個人的には、何らかの物的証拠がない限り、裁判に持ち込めない様にするか、よしんば持ち込んだとして、裁判員が納得しなければ、その案件は棄却となるような仕組みにして貰いたい。
これが是正されない限り、参加は見送りたいと思っている。

関連→http://www.whatpercent.com/opinion/society/law/%E4%BB%8A%E3%81%AE%E7%8A%B6%E6%85%8B%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%82%84%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%84%EF%BC%81%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%93%A1%E3%80%82/196

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