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久米歌(来目歌)1
うたのたかきに しぎわなはる わがまつや
しぎはさやらず いすくはし くぢらさやり
こなみが なこはさば たちそばのみの なけくを こきしひえね
うはなりが なこはさば いちさかきみの おほけくを こきたひえね
『日本書紀』の「久米歌」はここで終わり、『古事記』はさらに次のように続きます。
ええ しやごしや
こはいのごふぞ
ああ しやごしや
こはあざわらふぞ
久米歌(来目歌)2
かむかせの いせのうみの おほいしにや いはひもとへる しただみの しただみの
あごよ あごよ しただみの いはひもとへり うちてしやまむ うちたしやまむ
日本書紀より、神武東征のなかで歌われている久米歌(来目歌)・・・
現代語訳で、一つを簡単にご紹介しますと〜
1 宇陀の高城に鴫(しぎ)をとるワナを張って、俺が待っていると、鴫(しぎ)はかからず、鷹(たか)がかかった。これは、大漁だ。
古女房が獲物をくれといったら、ヤセそばの実のないところを、うんとやれ。
若女房が、獲物をくれといったら、斎賢木(いちさかき)のような実の多いところを、うんとやれ。
2 伊勢の海の大石に這いまわる 細螺(しただみ きしゃご)のように わが軍勢よ わが軍勢よ 細螺(しただみ)のように這いまわって 必ず敵を討ち負かしてしまおう。
3 忍坂の大きい室屋に 人が大勢はいっているが、はいっていても 御稜威(みいつ)を負った 来目部の軍勢の頭椎(くぶつつ 柄頭が椎の形をした剣) 石椎(柄頭を石で作った剣)で、敵を討ち敗かそう。
4 今はもう 今はもう ああしゃを(敵をすっかりやっつけた)今だけでも、今だけでも、わが軍よ わが軍よ。
5 夷を、1人で100人に当たる強い兵だと人はいうけれど、抵抗もせず負けてしまった。
6 伊那瑳の山の木の間から、敵をじっと見つめて戦ったので、我らは、腹が空いた。
鵜飼をする仲間たちよ。今、助けに来てくれよ。
7 天皇の御稜威(みいつ)を負った来目部の軍勢の その家の垣の本に 粟が生え その中に韮(にら)が一本まじっている。
その韮の根本から芽までつないで、抜き取るように、敵の軍勢をすっかり撃ち破ろう。
8 天皇の御稜威(みいつ)を負った来目部の軍勢の その家の垣の元に植えた山椒(さんしょ) 口にいれると口中がヒリヒリするが、そのような敵の軍勢の手痛さは、今も忘れない。今度こそ、必ず撃ち破ってやろう。
いろいろな解釈が存在しているので、ここで注目したいのが、「来目歌」という言葉です。
原文は万葉仮名で書かれ、によって、音を第一に考えるべきだと思われます。「来目」を「来るべき目の星」と解釈すると、あらためて「久米歌」を考え直す必要があるのではないかと思います。
「八咫烏」や「伊勢」との密接的な関係から考えても、その可能性が否定できません。
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