ひさびさのリドレー

「ハンドメイドバイシクル展」というイベントに、モンキーが出展するというので、最終日の2月24日(日)に行ってきた。

場所は大田区平和島の「東京流通センター」
自宅から約10キロなので自転車で行く予定だったが、いろいろ用事を済ませていたら午後3時。
開場は4時半までなので、あわててアドべで向かった。

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バイク置き場は無料なのがありがたい(クルマは駐車料金がけっこう高いらしい)。

4時前に到着。
沢山の人が来ていた。

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モンキーのブースを探して会場を一周。
国産ビルダーやパーツメーカーが数十社、出展しているらしいが、知っているのは「ケルビム」くらいしかない。

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モンキーと仲良しタカハシさんのサンライズサイクルも。

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一番奥にモンキー発見。
マニアックなお客さんとモンキー総裁の、マニアックなハナシが弾んでいる。

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今年もラリークランキングでご一緒したドMなランドナー、ハギワラサンも昨日来られたらしい。
私にはチンプンカンプンな世界だが、30年前の「トーエイ」が愛車のハギワラサンにとっては、ワクワクドキドキのイベントなのだろう。

今回モンキーの出品のなかで、ちょっと異色のオリジナルがこの「B-4」
通常のモンキーフレームより「担ぎやすさ」を重視したフレームワークに、ドロップっぽいハンドル。
フロントサスもついているし、これなら荒れたダートも走れるのかな?
と思ったが、総裁曰く
「無理だね」
って....
どちらかというとシクロクロスやクロカンMTBなど、ガレ場でなくグラベル路面を走る用らしい。

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先日のラリークランキングでランドナーハギワラサンが、ガレガレの荒れた林道をかなりハイペースで走るのを見て、
「ランドナーもいいなぁ」
なんてちょっと思ってたら、総裁から
「オリジナルランドナーなんてどう?」
と紹介された。

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いやいや、もうこれ以上増車できませんてば,,,,。


自転車雑誌やネットでは、海外の最新型ロードレーサーばかり取り上げられるが、日本にも頑張っているビルダーや、メーカーがあることを知った。

なにより地味なイベントゆえ、派手なジャージ&レーパンのヤカラがいなかったのが、よかった。


翌週は毎年「さいたまクリテリウム」のVIPチケットを届けてくれる、ヤヒロサンがやってきた。
地元企業でイベントに協賛「させられている」ヤヒロサン。
イベント後のアンケートに応募したら、参加選手のサインをもらったので、届けてくれた。
といっても私はツールドフランスになんの興味もなく、娘と行ったときも有名選手がわからず、ずっと食べ放題ビュッフェでバクバク食べていた。

「いやいや、自転車乗りのヤマハラサンかワダケンさんに、あげてください」
とのこと。

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「マルセル・キッテル」という選手のサイン。
ヤマハラサンはペーターサガン好きなので、ワダケンに取りに来てもらった。

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そういえば去年も来ていたのかな?
たぶん有名な人なんだろう。

「額に入れて飾るよ」
とのことなので、無駄にならずによかった。

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そして先週土曜。
ラリークランキングでロードのトレーニングも必要なことを知り、ずっと壁のオブジェと化していた、リドレーを引っ張り出し、葛飾に移転したマックスフリッツまで、今日は所用でツーリング。

自宅から20km。天気も良くて最高の自転車日和。

ひさびさのロードレーサーは
「こんなに軽かったの!?」
「こんなに速かったの!!??」
と、驚くことばかり。

今まで重たいMTBを「大リーグボール養成ギプス」と称して、無理して乗っていたので、軽いカーボンレーサーのありがたみを、身に染みて感じた。

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マックスまで1時間半。
平日はトラックなどで大混雑の国道6号線も、週末はクルマも少なくて走りやすい。

とはいえ競輪選手のように、巡行スピード60km/hでクルマと並走できるならいいが、へなちょこな私にはせまい路肩を走るしかない。
トラックに追い抜かれるたび、風圧でビビりまくる。

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新店舗は店の前が桜並木で、道が広いわりに交通量も少ない。
翌日曜に地元町会のイベントがあるようで、大勢のひとがテントを立てたりして、準備に追われていた。

マックスサトーサンに
「町会入ってないの?」
と聞くと
「ん、入ってない」
「せっかくこんなに住人がいるんだから、町会に入ればウェアも売れるんじゃ?」
「年寄ばっかりだからねエ」
って、たしかに老人ばかりだなぁ。

お店を出てひと回りして、浅草の吉野家で昼食。

牛丼だかショーガ丼だかわからないなぁ。
このあとさらにショーガ追加したし。
でも自転車で大汗かいたあと、ショーガの酸っぱさがたまらないのね。

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そしてモンキーに立ち寄り。
もとは実業団相手のロード自転車屋さんだったモンキー。
リドレーのオーバーホールもいずれお願いしたい。

おっ!MTB日和が!

モンキー総裁とナカザワジムさんとの対談コーナー、「MTB温故知新」が毎回載っているので、あまり読むところのない本だが、毎号買っている。

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今月号はなんと「クロモリ特集」
モンキー総裁もインタビューされている。
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先日の「ハンドメイド展」に展示した
「山サルを引退したら街サルへ」のコンセプトで、組みなおしたお客さんへの引き渡し。
カーボンやアルミと違い一生付き合えるクロモリが、やっぱりいい。

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帰宅して近所の本屋さんで、MTB日和を購入。
今月号は「悪夢のラリークランキング」も、掲載されている。

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パンク修理もしっかり撮られてるし....

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取材に来たライターさんとは、以前「サルの穴」でお会いしているので、

「ぶっちゃけ{MTB日和}って、読むとこ無いんですよね」

なんて失礼なことも、ラリークランキングのときに申し上げた。
1年履いたシューズをそろそろ買い替えたいが、「日和」で紹介されるシューズはシマノばかり。
いくら大口スポンサーだからと言っても、海外メーカーも取り上げて欲しい。

乗れば乗るほどライディングに悩むので、ライテクの特集もしてほしいし、国内外のMTBレース情報も知りたいが、ライターさん曰く
「購読層が違う」とのこと。

女性タレントがほほ笑む表紙で分かる通り、ターゲットは「趣味以上レース未満」の読者。
ゴリゴリのコンペ志向に振ると、あっというまに廃刊になるので、「なんとなく」中間層を取り込むのが、長生きの秘訣なのだろう。

モンキー&ナカザワジムの連載があるので買っているが、薄い内容からすれば税込1200円は、かなりお高いと思うのだが.....

先日のラリークランキングは真っ暗な朝5時スタート。
なのでヘッドランプをタイラップで固定した。
終わってから掃除しようとランプとバイザーを外したら、ヘルメットにヒビが入っていた。

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今回のRCでなくサルのお山で前転したとき、割れたんだろう。

で、おなじBELLのヘルメットをモンキーで購入。

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前回購入したフルフェイスのBELLを含め、最近の自転車用やスキーヘルメットは、アウターとインナーが独立して、衝撃からアタマを守る「MIPS」がスタンダードになっている。
これはMIPSは付いていないが、まぁ大丈夫だろう。

今日一日で70km
国道でトラックや足立ナンバーにあおられて、ビビりながら走っていたので、気分的には150kmくらい走った気がするが....

近所の図書館でスキーグラフィックと、サイクルスポーツを借りている。
「MTB日和」も置いてほしいが、書店で買わないと廃刊になってしまうので、仕方ない(GARRRも廃刊になったし)

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サイクルスポーツにはMTBネタはほとんど無いが、ロードの速くなるメソッドは参考になる。

そのなかで気になったのが「グラベルバイク」特集

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重たいランドナーとは違う、シクロクロスをツーリング仕様にしたものらしい。

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ランドナーハギワラサンも、DOA主宰のヤマハラサンも、みんな昔は「サイクル野郎」だったらしい

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前後に大きなバッグを付けて、野宿しながら日本中を走り回っていたとか。

さすがにそこまではできないが、グラベルバイクで250km先の長野の実家くらいは、旅してみたいと思う今日この頃なのね。

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√?

宅配便が届いた

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これはじ〜じの地元、小樽の水産業者さんから、毎年スポンサーや協賛各社へ送られるお礼の品。


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おおきなホッケは家族3人でも食べ応えがある。

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知り合いが来て
「菅原さんを紹介して欲しい」
と頼まれて電話したら、
「家にいるよ」
というのでさっそくお邪魔した。

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3月後半に開催の「湯布院ラリー」にバイクで参加
九州から飛行機で羽田に着いたその数時間後、今度はフランスへ出発。

春休みの孫を連れて、キャンピングカーで一週間、フランスを旅するそう。

ハンドルを握るじ〜じと、隣に座る孫のK君。
フランスの片田舎を走る光景を想像するだけで、こっちまでホンワカしてくる。

それにしても77歳にしてこのバイタリティ、ほんとうにアタマが下がる。
じ〜じ、ごちそうさまでした。


これが今年のダカールのコマ図
表示はフランス語。
それにしても細かい。

これを時速100km/hオーバーで、荒れたダートを走りながら読むのは、本当に大変だろう。

右下に書かれたWPSは「ウェイポイント」のこと。
別になにか目印があるわけではなく、WPSを通過するとGPSが「ピッ」と鳴るだけ。

300kmのSS中には120か所のWPSがあり、不通過はペナルティーが科せられる。
通常のWPS不通過は20分のペナルティだが、重要なWPSは1時間も課せられるので、ハイスピードレースながら、一瞬たりとも気が抜けない。

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これはどう読むのか?
「√」ってまさか平方根?

じ〜じに聞くと
「オレはわかんないから、ナビさん任せ」
って(パリダカノテツジンヂャナカッタッケ......)

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TBIやDOA程度のやさしいコマ図が、わからないとボヤいてるようじゃ、ダカールは100kmも走れないよん。


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自宅リビングの壁に貼ってあった写真。

30年ほど前の若々しいじ〜じと一緒に写っているのは、本家パリダカ事務局「TSO」の面々(現在のASOではない)

そのなかでもサングラスの男性を見て、「おっ!?」と思った。

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彼はパリダカ創始者の、故ティエリーサビーヌのお父さん、ジルベール・サビーヌ。

パリダカ中ヘリの事故で不慮の死を遂げた、ティエリーの遺志を継いで、パリダカのオーガナイザーになったジルベールお父さん

このとき初代パリダカ日本事務局だった、日本レーシングマネジメントへ表敬訪問に来た時の一枚らしい。

「手前のきれいな女性はじ〜じのカノジョ?」
と聞くと
「フランス語の通訳さんだよ」
とのこと。

今回のダカールでパワステのホースが破れ、200kmをパワステ無しの「重ステ」で走ったじ〜じ。
「フツーのクルマだってパワステ無しじゃハンドルが重いけど、7トン超のレンジャーはほんとうに重かったよ」
って。
200kmすべてダートって、想像するだけでおそろしいが、「それもこれもラリー」なのだから、仕方ない。

ほんとうにおつかれさまでした。
湯布院ラリー、去年のTBIみたいに転んでアシ、折らないでね〜💛






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初スキー

「悪夢の」ラリークランキングもやっと終わり、ずっとお預けになっていたスキーに、娘と行くことに。
物置からスキーを出しワックスがけ

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長野県北部の山に囲まれた町で育った私は、小学校の授業でスキーがあるほど、スキーは身近な存在だった。

朝起きて天気が良ければ、母におにぎりを握ってもらいスキーに行くのが当たり前。

都会の人が吹雪のなかスキーするのを見て、
「なんでこんな天気で滑るのかなぁ?」
と不思議だったが、自分が東京に住んでみて、宿を予約したら吹雪でも行かないとならないことを知った。

始めて履いたスキーは、姉のおさがりの「木」のスキーだった。
姉もたぶん誰かのおさがりだったろう、もうボロボロでエッジが無いうえに、身長130cmなのに170cmと長すぎた
(洋服や自転車と同じで{長く使えるように}と、昔はなんでも大きめだった)。

ブーツは長靴でストックは「竹」製、
学校の裏山に担いで登り滑っていたが、みんながちゃんと止まれるところで、エッジのない私だけ止まれず、何度もがけ落ちした。

そのうち近所のお兄さんがオガサカの工場で働くようになり、塗装が失敗した不良品のスキーを、格安で譲ってもらった。

ブーツも長靴から、真っ黒な編み上げヒモの革製ブーツになり、週末は友達とスキーに行った。

家から一番近いスキー場は「山田温泉スキー場」。
クルマのなかった我が家は、バスでふもとの山田温泉まで行き、そこからスキー場までの登山道を、親の「準備運動だから」という言葉を信じて、30分ほど担いで登った。
帰りも担いで下りるので、滑って転んだりがけ落ちする人が続出。
それでもみんな笑いながら登っていた。

ある日、やっとスキー場に着くと同級生がいた。

「どうやってきたの?」
と聞くと
「親とクルマで来た」
って。
そこにはスキー客用の駐車場があり、クルマだと山を登らなくていいことを知った....

それに比べたら今は本当にいい時代。
娘のスキーは中古のセットで3000円だが、ちゃんとエッジもあるしブーツもプラスチック。
長さも身長130cmに対し130cmで、身長が伸びたら下取りに出して、いくらでも安く買い替えられる。

むかしはフリースもゴアテックスも、ヒートテックも無くて、子供用のババシャツに毛玉だらけのセーター、そのうえにアノラック(というかヤッケ?)、ペンキ屋さんがよく着ているナイロン製のペラペラのジャンパー。
それでも寒いなんてだれも言わず、みんな元気に滑っていた。


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しっかりワックスもかけて準備完了

日帰りだがせっかく早起きしても、最近は休日朝の高速が事故渋滞している。
なのでスキー場近くの道の駅で、車中泊することにした。

今回は東京から一番近い、関越道「沼田インター」にある「たんばらスキーパーク」

「子供と行く日帰りスキー場」で検索して、近くの「川場スキー場」と迷ったが、たんばらのほうが初心者向けらしい。

車中泊は沼田インター近くの「道の駅 白沢」
ネットで車中泊の評価が高かった。
温泉もあるが夜9時まで。
土曜夕方のバレエ教室が終わってからでは、間に合わない。
なのでバレエから帰宅して夕食を食べて、風呂に入って8時半に出発。

高速も空いていて道の駅に11時到着。
すでに車中泊のクルマが10台ほど停まっていた。

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外気温は0℃、これからもっと冷え込むだろう。
車中でも爆睡していた娘には、0℃まで対応のシュラフにゴアカバー、毛布とシートもかける

私は25年前に買った、3シーズン用シュラフ+ゴアカバーだが、さすがに寒さで目が覚めた。
娘が生きているか心配になって、ほっぺに手を当てると冷たい(!?)

と思ったらいびきをかいて、あいかわらず爆睡中でホッとした。

トイレに行こうと外に出ると、雪が降っている(どおりで寒いわけだ)。

フリースとジャケットを着込み、靴下を2枚重ねにしてもう一度寝る。

いつからかマミー型の足先が狭いシュラフは、息苦しく感じるようになったので、
封筒型に買い替えたい。

クルマも以前のVは広かったので、「浅間ファンライド」に行ったときなど、車中泊は楽だったが、レヴォーグは天井も低いし、やはり狭い。

今年4年目のレヴォーグ。
キャンプ道具がたくさんあると、載せるのに苦労するくらいで、他に不満はないが、次はミニバンも考えようか。

けっきょくウトウトしながら寝て、6時に目が覚めた。
ふだんは寝坊助の娘も、珍しくパッとお目覚め。

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「早くいかないと駐車場が混雑する」
とネットに書かれていたので、近所のコンビニでおにぎりを買い、スキー場へ向かう。
山道を登ると道路には雪があり、「4年目のスタッドレスで大丈夫か?」と、ちょっと不安になる。
雪のうえでブレーキをかけたら、ちゃんと止まるので安心した。

8時すぎに到着。
すでにたくさんの日帰り客が来ていた。
吹雪まではいかないが天気は雪
準備してリフト券を並んで買い、9時前に滑り出す。

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スキーは去年の4月、ふたりで奥志賀高原に行って以来だが、あいかわらずボーゲンでガンガン滑っていく。


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「こっち(初級)とあっち(上級)、どっちがむずかしいの?」
「あっちだよ」
「じゃあ あっちいく〜」
初級コースだと後半が緩斜面になるところがあるので、自力で漕ぐのが面倒らしい。
上級コースもボーゲンで、ガンガン降りていく。

ターンの手前でひざを曲げ、回るとき伸びあがるよう教えると、なんとなく両足が揃って、シュテムターンぽくなってきた。

子供でもボーゲンをずっと続けていると、かなり疲れるもの。
「ターンのときボーゲンするシュテム」から、両足をそろえて曲がるパラレルができるようになれば、格段にスキーが楽しくなるはず。

そしてお昼は定番のラーメン
私は名物らしい地元群馬の豚肉を使った、カツカレー

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去年、義母がスノーボーダーとぶつかり、軽い脳震盪になったのを見て、ヘルメットの重要性を実感した。
今日はMTBで使っているBELLの、ヘルメットのバイザーを取って即席ヘルメットにしてみたが、これも最新の「MIPS」なので、良しとしよう。

ここは90%がスノーボーダーで、斜面のそこらじゅうで止まっていて危険。
「私をスキーに連れてって」のころは、リフト待ち1時間なんてこともあったが、スキースノボ人口は減り続けている反面、「4人乗り高速リフト」などハード面は進化しているので、5分も待たずに乗れるのがありがたい。

午後もめいっぱい滑ったので、
「そろそろ帰ろうか」
というと
「もっとすべる〜」
って。

そう言いながらもリフトに乗ると、疲れて居眠りしそうなので、ちょっと休憩することに。

この一年間、マウンテンバイクでガシガシお山を走り回ったので、さぞ足腰が丈夫になって、むかしのように華麗に滑れるかと思ったが、20代のころに比べて体重は増えているので、現実はちょっと違っていた......。


「休むときはブーツもソックスも脱いで休むのよ」

と、むかし三浦雄一郎の弟子の、ドルフィンズのおねえさんに教わった。
なので我が家はレストハウスで動きやすいよう、折りたたみのスリッパを持参している。

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そして足をマッサージしてあげる、まさにセレブ待遇

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渋滞する前に帰りたかったが、結局3時半までガッツリ滑り、帰りは渋滞&娘は後ろで爆睡中


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それでも都内に入ったら首都高は空いていて、7時半には帰宅できた。

今回も「ドラぷらウィンターパス」を申し込んだが、割り引きで往復6000円のところ、練馬〜沼田は正規料金でも3000円以下なので、かえって割高だった。

湯沢くらいまで行かないと割引の恩恵は薄いようだが、この時期は沼田でも雪質はいいし、むかし苗場スキー場の帰りが大渋滞して、10時間以上かかったトラウマがアタマをよぎるので、遠いところは気が引ける。

でも50歳以上はシニア割引があるので、まあよしとしよう。

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ほんとうは毎週でも連れて行ってやりたいが、ピアノとバレエに加えて、2月から学習塾も始まったので、私より娘のほうが忙しい。

私が娘くらいのときは、青っ洟たらして野山を駆け回っていたが、今の子供は可哀そう。
そんなに勉強しなくてもと思うが、それを言うと家庭不和の元になりそうなので、娘のスケジュールが空いているときに、また連れて行ってやりたい。


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まだ母親の喪中なのに、2月10日(日)は第2回ラリークランキング。

前回の第1回は街乗りのクロスバイクで参加したが、
折り返しの鴨川70kmでタイムオーバーリタイア。

こんなつらい思いは、今まで経験したことがなかった。

どんなに砂に埋まっても、アクセル開ければ脱出できるラリーに比べ、自力が頼りの自転車はハードのひとこと。

自分のなかの「なにか」に火がついて、モンキーでMTBを作り、毎週お山を走ってきた。

マップホルダーを作るのが面倒なので、むかし使っていたアルミのツアラテック(手巻き)をハンドルに、タイラップとステン針金で固定。

距離の計測はサイクルコンピュータと、「T2ラリーコンピューター」という携帯アプリを購入した。
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マップホルダーの下に厚めのスポンジゴムを貼り、緩衝材に。
アルミは重いが自転車でも、ラリーマシンぽくてかっこいいね〜

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携帯ホルダーを付けたら、ハンドルにライトをつける場所がない。
モンキー総裁にいただいた延長ステーに、ライトを固定(フロント回りがどんどん重くなる.....)。

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朝5時のスタートからしばらくは真っ暗で、なにも見えない。
なので手持ちのジェントスの、強力ヘッドランプをタイラップで固定。


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これは2007年ファラオラリーのマップ
200.81kmには「!!!」のトリプルコーションが。
どくろマークのおまけもついて、高さ100m以上の山というよりガケの、文字通り「DANGER」な激下りだった。

去年のラリークランキングも、両側がガケで狭い尾根を自転車を担いで下りたが、今年はどんな「!!!」が待ち受けているのか?

前回は13時間ずっと自転車をこいで、さすがにケツが痛かった。
ワダケンに
「サイクルパッドはどこのがいい?」
と聞くと
「アソス」
と即答。
「シマノとかいろいろ出てるけど、アソスが一番いい」
とのこと。

実業団のロードレースで走っている彼が言うんだから、間違いないんだろう
ネットで調べたら家から自転車で30分くらいの、三宿に直営店があるので行ってみた。

サイクリストがジャージの下に着る、冬用のロングのビブショーツ(フレディマーキュリーがステージ衣装みたいなやつ↓)は、背中が出なくていいが、約4万円とかなり高額。
転んだり岩にぶつかるMTBでは、すぐ穴があいてもったいない。

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お店の人に
「MTBで履く」
と話すと、シクロクロス用のアンダーパンツを勧めてくれた。

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股のパッドもしっかり

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以前ロードレーサーを買ったとき、防寒用にレッグウォーマーも買ったが、ゴムが伸びて使えない。
なのでこれも新調した。


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履いてみたらなんかいい感じ

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少しでも軽量化のため、モンキーで下のペダル(クランクブラザース)をお借りした。
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前日の土曜は雪。
こんな天気でやるのか?と思ったが、中止のアナウンスはない(ちょっと期待したが)
小学校が休みの娘には悪いが、お弁当をもって学童保育に行ってもらう。

小学校まで送る道は吹雪状態で、娘は大喜び(ゴメンネ)


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長野の母の葬儀でスタッドレスは履いたままだが、アクアラインが通行止めになると大変。
なので午後2時に、スタート地点の富津へ向けて出発した。
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アクアラインでサイクルパンツを忘れたことに気づく

もう戻れないので、ユニクロかどこかでショートパンツを買うことに。
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君津のマルカワに寄ってみたが、さすがに真冬に短パンは売っていなかった。
最悪パジャマ代わりのスウェットパンツを切って、履くしかない。

今回誘った千葉のホリウチさんに、履かないパンツがあれば貸してほしいとメールしたら、貸してもらえることに(ありがと〜)。

去年はドロ詰まりがひどくて、ギアやチェーンが回らなくなったので、ホームセンターでCRC5ー56と、泥落とし用に小さいブラシも購入。

そして5時前にスタート地点のハーバー津浜に到着。
前回はここから5km離れた市営の駐車場に前泊したが、朝4時から受付なので、自走なら3時半に出ないと間に合わない。
なので素泊まりで前泊させていただいた。

スタッフのムラカミさん、オオクボさん、ハシモトさん、ササキさんらと再会。
去年5月にキャンプだけさせてもらった、マザー牧場のDOA以来。

すでに数人のエントラントが到着して準備中(なかにはすでに入浴を済ませた人も)
去年唯一の完走者ウエタさんにもお会いできた。

このイベントはオートバイのDOAと違い、人力が頼り。
朝3時には起きなければならないので、前夜祭で飲んで盛り上がることもなく、イベント終了後は表彰式も打ち上げもなく、流れ解散になる。

なので前回参加の20人のうち、一緒に走ったヒラサワさん以外は誰も知らず。

完走者のウエタさんに、マップホルダーなど装備について聞きたかったが、面識がない人にフェイスブックで、友達申請するのは気が引けた(基本「人見知り」なのよ)。

去年10月のDOAで、ウエタさんが完走したファットバイクを展示すると聞いた。

私は同日開催の「鳥海山MTB」に参加予定だった。
MTBはモンキー総裁のクルマで運んでもらえることになり、アドべでソロツーしながらDOAに立ち寄ろうと思ったが、鳥海山は台風で中止に.....。

アメオトコ確定なので主宰者のヤマハラサンから
「お願いだから来ないで」
と懇願され、結局ウエタさんとは会えなかった......


いろいろ話すと90年代に、ファラオラリーやモンゴルにも参戦していたそうで
、いっきに親近感が湧いてくる。

そしてホリウチサンも到着しtanode,二人で早めの夕飯に向かう。

前回はカレーハウス「あさると」だったが、富津まで来たなら刺身が食べたい。

前回満員で入れなかった「山の上の下」という、不思議な名前の居酒屋へ。

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刺身定食を頼んだら、これが美味かった。
親切な女将さんもステキ(店名の由来、聞くの忘れた)

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そして宿に戻ると今回ホリウチさんが誘った、イトウ女史と栃木のストウさんがやってきて、プチ前夜祭。

このイベントに出ないかと、たくさんの人に声をかけたが、どんなイベントか説明するほど「ゲテモノ」感いっぱいで、ひかれてしまった。

「おもしろそうですね〜」
と二つ返事で参加表明したのは、ホリウチさんだけ。

そのホリウチサンもフェイスブックの友達数百人に声をかけたらしいが、ドMでヘンタイのクロカンライダーたちは、翌11日(月)に福島で開催される「スノーライド1時間」という、こちらもドMレースに参加する人が多かった。
(興味があっても「コマ地図」がわからず、参加を見送った人も多かったそう)

イトウさんはSL230で、マザー牧場のDOAにも参加したことがあり、自転車版DOAに
「たのしそう」
と参加を決めたらしい(それもある意味すごいが....)。


ストウさんはMTBとシクロクロス、トレイルランもやっているとか。
ヘンタイはヘンタイを呼ぶのだろう。

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みんなが見入っているのは、事前に発表されたチャートを見て、イトウさんが
「CPがこの標高ならこの辺を走るのでは?」
と地図をコピーしてきたもの。

イトウさんは最初から
「CP1でやめて折り返します」
と言っていたが、主催者のヤマハラサン曰く
「CP1を折り返して同じルートを戻るのは、かなり厳しいんじゃないか」
と言っていた(あとでこの意味が「よ〜く」わかった)

9時過ぎに就寝。
翌朝は3時起床、
朝食と準備を済ませて4時にロビーに行くと、受付が始まっていた。

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今回のエントリーは48名。
去年の20人に比べれば2.5倍。
この調子で人気が出れば、5年後には数百人規模のイベントになるかも?

CPのチェックやリタイア届けは、QRコードで済ますらしい。
アナログおやぢには面倒な世界になってきた。

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以前モンキーの「サルの穴」でお会いした、MTB雑誌「MTB日和」のライター、ムラセさんにも再会。

今日はモンキーで借りたE-バイク、ミヤタ・リッジランナーで走りながら取材するそう。

そしてコマ図を切り貼りしてマップホルダーにつけて、あわただしく5時スタート

漆黒の闇のなか、前を走る自転車のテールライトだけが光っている。

そして山道へ。
かなりの急傾斜だが、このくらいはいつものモンキールートと同じ。
ヘッドランプが明るくてコマ図もよく見えるし、道を照らす「URBAN1000」もかなり明るい。
そして暗黒のダートの登りへ突入。

すでに自転車を降りて、押している人も数台。

130kmを12時間なので、平均時速11km/h以上で走らないと、完走できない。
押し歩きでは時速5km/h以下になるので、ゆっくりでも漕いで登ることに専念する。

朝のブリーフィングで主宰者のヤマハラさんが、
「前回は登りが多すぎると苦情があったので、ことしは{ちょっと}少なくしました」
と言っていたが、全然多いじゃねーか!!!!
とツッコミを入れたくなるほどの、激登りが続く。

やっと登り切り、
「さあ下りだ!遅れたぶんを挽回しよう」
と思ったが、山の上のほうは雪が残っているし、舗装の下りは路面凍結していて、ペースが上がらない。

やっと日が昇ってきた。
山はすっかり冬化粧

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倒木だらけの尾根道を、自転車を担いで登ったり下りたり。
マップホルダーにつけたサイクルメーターは、倒木にぶつかってもげ、あとは携帯アプリのT2だけ。
これがけっこう電気を食うので、充電器をつなぎっぱなし。
後半までもつのか心配になる。

雪解けで路面はグチャグチャ、何度も谷に滑り落ちそうになる。

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12.8kmは登山道の下り。
自転車を落としたくないので、担いでトラロープを伝って下りるが、滑って自転車と一緒に落下。

イノシシ除けの電柵のコマ図がまぎらわしく、数人が迷っている。
あとで
電柵に触れて「ビリビリした〜」
とMTB日和のムラセさんが言っていた
(重たい電動自転車を何度も担いで、ヘロヘロ状態)

ここは去年も通った尾根道。
鉄柵と木のあいだを担いで降りるが、路面が乾いているぶん、まだ歩きやすい。
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そしてやっとCP1に到着
スタッフのムラカミサンが待っていた。
40台中18番手、このペースなら65km先の鴨川折り返しに、間に合いそう。

ここまでミスコースは無いが、去年も通った荒れた登山道は、さすがに歩いて押し上げた(トップはここも漕ぎあげたらしい、ってバケモノか)

もう少しでCP2のところでパンク。
急いで修理して再スタートしたら、もう一度パンク。
寒いなかあわてて交換して、チューブを噛んだらしい。
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スペアチューブは1本だけなので、お守り代わりに持っていたパッチで補修。

そうこうしているうちに1時間以上をロス。
CP2に着いたときは11時で、鴨川折り返しの制限時間11時には、もう間に合わない。


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日陰はまだ雪が残っていて、路面も凍っている。



こちらは今回のトップ
鴨川を10時に折り返したとか(!)

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鴨川まであと20kmくらいの眺望のいいところで、去年も参加していたハギワラサンとエガワサンに遭遇。
「もう間に合わないのでランチ食べてます」
って。
ハギワラサンは重たいランドナー
エガワサンもチタン製らしいけど、思いロードバイク
それでもこれで去年はCP4までたどり着いた、ヘンタ...もとい猛者。

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オジサンたちのこの笑顔。
私もあきらめて一緒に休憩する。
荒れたダートの登りをカーボンの、ロードレーサーで折り返してくる猛者もいて、ビックリ。

このあともう一人、55歳の男性も合流し、おじさん4人で鴨川へ向かう。
と、目の前に土砂崩れの現場が。

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高さ5mくらいの崩落現場を、自転車を担いで超える。

ここでホリウチさんも無事折り返して来た。
毎週のように山のなかをゴリゴリ走り回っている、彼でさえこのペースなのだから、走り込んでいない私など、完走はハナから無理だった。

そして鴨川に到着

朝のスタートが5分遅れたのと、前半の悪コンディションを考慮して、11時30分まで制限時間を伸ばしたらしいが、それでもぜんぜん間に合わなかった......

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去年も見た光景

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ハギワラサンと愛車のトーエイ・ランドナー
髪の毛は真っ白だし、見るからにおぢさんなので、私より年上だと思っていたら、
「わたし、まだ49です」
って(エー!!)
今回のイベントでこれが一番ショックだった
(じつは私もまわりから、こう見られているのかな〜)。

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いや〜どう見ても60代にしか見えない.....

こちらはエガワサンのマシン
新車らしいがクロモリやチタンは、新しさがよくわからない。

「BIG OFFROAD CLUB」のステッカーを貼っていたので、
「バイクも乗るんですか?」
と聞くと、DR800に25年乗っていて、つい最近100GSに乗り換えたとか。
BIGの会長でカジバ遣いのツチヤサンや、100GS乗りのマツダサンも旧知の仲。
100GSはこちらも昔から知り合いの、シノチャンのを買ったらしい。

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ハギワラサンとエガワサンは、当然のようにサイクリングしながら、ゴールを目指すという。
私は完走するつもりだったので、リタイアしたときの輪行バッグは持ってこなかった。

コンビニか100均で自転車カバーを買って、「自転車を包めば」電車に乗れると、昨日ヤマハラサンに言われたのを思い出し、スタッフのハシモトサンに
「100均かコンビニありますかね?」
と聞くと
「あと2台来たら終わりだから、一緒にクルマで帰りましょう」
って、ハシモトサンの背中に天使の羽が見えた。

前回は20人中15人がここでリタイア。
輪行バッグを持っている人は少なく、スタッフのハイエース1台で、ゴールまで何度もピストン輸送した。
一緒にリタイアしたヒラサワサンと、
「いつ帰れるかわからないなら、自走で帰ろう」
と走りだしたが、平らだと思っていた県道は、金谷までずっと登り。

けっきょく往復13時間かかってゴール。
せっかく房総半島まで来たのに、ずっとスニッカーズばかりかじっていた。

MTB日和のムラセサンも、ハシモトサンのクルマで一緒に帰ることに。

と、いくら待っても最後の二人がなかなか来ない。

おなかも空いたので、ムラセサンと食事に行くが、2時過ぎだとどこも準備中。
ボロボロでトタンぶき平屋の、あやしい食堂があったので、怖いもの見たさに入ってみた。
二人が頼んだのは「なめろう定食」
千葉に来たらやっぱりアジでしょう。
意外に美味かった
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最後の二人のうち一人は、折り返しをスッ飛ばしてCP3に行ってしまったらしく、
最後の一人もエスケープルートを、自走でゴールを目指すという。
この人こそ私より年上だと信じたいが、自転車はロードレーサーだった。

ゴールに着くとすでにほとんどの人が到着していた。

CP2で会ったトップは、10時間30分の新記録。
あのコンディションのなかどんな走りをすれば、こんなタイムが出るのか。

これはウエタさんのファットタイヤ
普通のオフロードバイクのタイヤと変わらない。
「さすがに今回は担ぎが多くて大変でした」
というが、しっかり時間内完走するのは、さすがの一言。

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メーターはRC7のラリーコンピューター
バッテリーは9ボルトが使えたらしく、フレームにつけたポーチに電池が入っていた。

制限時間の5時35分前に、ホリウチサン、ストウさん、ミカミサンが到着。
SDA大滝も鳥海山160kmMTBも、完走しているホリウチサンだが、
「これはきつかった」
とか。
唯一の女性完走者もいて、とっくに「ひとっ風呂」浴びていた。

主催者が事前発表した獲得標高は1500mくらいだったのに、ホリウチサンのガーミンは「3400m」って、富士山を登ったくらいの標高を走ったことになる。
ほんとうにおつかれさまでした。

イトウ女史は予定通りCP1でリタイアし、県道を走って無事帰ったらしい。
こちらもおつかれさまでした。
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冷え切ったカラダに展望風呂のお湯が気持ちいい(半分しか走ってないけど)

最後の一人がなかなか帰ってこない。
遅れること19時。
さんざんミスコースしながら、カトウサンが無事ゴール。

「トライアスリートで体力は有り余っているのに、ナビゲーション能力がね〜」
とは主宰者ヤマハラサンの弁。

こちらも寒いなかお疲れさまでした。

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アクアラインが渋滞中なので、帰り道の台湾料理屋でホリウチサンと晩ご飯。
これがボリュームたっぷりで安くて美味しかった。

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参加賞でもらったTシャツ

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たとえ半分でも70キロ走り切った充実感でいっぱい
(コマ図は65kmだけど、都合5キロくらいミスコースした)。

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前回はサス無しのクロスバイクだから完走できなかったと、MTBで挑んだが、やはりラリークランキングは甘くなかった。

ヤマハラサンも
「今回もたぶん鴨川でリタイア続出だろうから、{オタノシミ}は全部、前半に持ってきました」
と言っていたが、悪天候も見方して「これでもか!」と、盛りだくさんな内容。

ホリウチさんがヤマハラサンに
「あの後半の激坂連発の登りは、イジメですか?」
と聞いたら
「そうです、ただのいやがらせです」
って.....

私はパンクが無くても、時間外でも完走はできなかった。

トップを含め完走者はみなさん、クロカンMTBやシクロクロス、トライアスロンなどをやっていて、「苦しい」という字を「楽しい」と読む、ヘンタイさんばかり。
(きっと彼らはミュータントのXメンに違いない)。

第1回ラリークランキングは往年のパリダカのように、冒険心にあふれていたが、今回は今のダカールと同じ、「スプリントレース」の様相を呈してきた。

「来年こそリベンジでしょ」とか周りは言うが、毎週ホリウチサンにくっついて、休憩なしにゴリゴリお山を走り回れる、体力と気力が無いと完走は無理。

できれば来年の第3回は、「鴨川70kmハーフクラス」を作ってほしいが、
やりすぎると知り合いのトライアスリートのように、
「カラダか家庭、どちらかを壊す」
のは本末転倒。

今年はロードバイクにも乗って、心肺機能を高めるトレーニングもやりたいし、70km7時間走ってみて、下半身より広背筋や背筋が痛むので、これらも鍛えたい。

コマ図が初めての人はバインダーやジップロックが多かったが、これも雨が降れば大変なことになったはず。
1枚づつコマ図をめくらなくてもいいし、雨でも水漏れしないマップホルダーは、悪天候のとき優位になるはず。

それにしてもCPごとに大福やどら焼き、ようかんなどなど、カロリー補給と称して甘いものをバクバク食べまくっていたら、大量にカロリー消費したはずが、体重が増えていた......

アクアラインも首都高もガラガラで、9時半に帰宅。
もう一度風呂に入りながら、汚れたウェアやシューズを洗うと、お風呂場の床がドロでジャリジャリする.....。

そうか、後半は海が見えるのか.......。
BGMが爽やかすぎて、ゲテモノ感ゼロだけど、雰囲気だけでもお判りいただければ.....。


そして翌月曜日。
今日はモンキーズとナカザワジムの交流ライドへ、朝6時起きで娘と向かった。

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近所のコンビニで朝ご飯を買い、出発

9時集合のところ高速が事故渋滞で、9時半に到着

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ここは地主さんが好意で貸してくれた50mほどの斜面に、モンキーズの有志がコースを作ったプライベートコース。

総勢50人ほどで落ち葉を掃いたり、倒木や枝を取り除いて、コース整備中。

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ナカザワジムはキッズライダーもたくさんいて、こちらもみんな元気に走り回っている。

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娘はMTBよりロビンと遊ぶのが目的
コースの外を元気に走り回っていた。

あっというまにお昼。
モンキーズ有志が作ったトン汁と、地主さん差し入れのイノシシ汁とシカ汁が、振る舞われた。

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今日の目的は娘のMTBデビュー。
モンキーサンタさんから娘に、中古のMTBをプレゼントしてもらった。


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おっかなびっくりコースをゆっくり下る。
転んでも土と枯葉のクッションなので、痛くないことを知り、
「たのし〜」
って。

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昨日のラリークランキングで足が上がらない.....

なので自分で押して上がらせたが、後半は私が押し上げることに。
50mほどの登りを10回あげたら、もうパンパン。

でも娘がよろこぶ姿を見られて良かった。

心配だったのは
「娘がMTBにハマったらどうしよう」
だった。
オフロードバイクも子供がハマると、親は面倒を見るのが忙しくて、走れなくなる。

でもそれほどハマらなかったようで、娘には申し訳ないがちょっとホッとした。

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昨日のゲテモノイベントと、今日のお気楽ファンライド
ほんとうに「天国と地獄」くらい真逆のイベントだけど、どちらも楽しい。

でもMTBに乗り始めたころに比べて、最近はコーナリングなど考えすぎて、乗るたびに下手になっているような.....。

家庭とカラダを壊さない程度に、これからも精進しますので、皆さん宜しくお願いいたします。







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さようなら


1月28日月曜に母親が亡くなり、葬儀のため長野に帰省した。

5年前に脳こうそくで倒れた母だが、その翌週に心筋こうそくで父が急死。
意識はあるが寝たきりになった母は介護施設に入所したが、父が亡くなったことを言うとショックで、母も死んでしまうと思い、麻痺してしゃべれないことを幸いに、5年間ずっと内緒にしていた。

とはいえ母も
「お父さんはなんで来ないのか?」
と不思議に思ったはず。

見舞いに行くと私の手を握り、じっと見つめられるのが
「お父さんはどうした?」
と言われているようで本当につらかった。

11月に肺炎にかかり、市内の病院に搬送されたが、89歳という高齢もあり、延命
治療はせず、終末医療専門の病院に転院。
「年は越せないだろう」
という医師の診断をくつがえし、点滴だけで2か月半も生き永らえた。

地元の姉夫婦が去年のうちに、葬儀会社の手配を済ませていたので、亡くなってすぐ病院から自宅へ、母の遺体を運んでもらっていた。

私は火曜日から仕事を休み帰省。
仕事を休めない妻は水曜朝、新幹線で来ることにして、娘と二人クルマで帰った。

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この日は夕方5時から通夜。
2時に葬儀場へ遺体を運ぶので、それまでに帰りたかったが、関越自動車道は事故渋滞で間に合いそうにない。

ちょうど昼なので途中の上里SAでランチ。

前回三好SAのラーメンが不味かったが、娘はとにかくラーメン。
ホールは昼で混んでいたので、レストランに入るとこちらはガラガラ。
しょうゆラーメンを食べたらこちらは美味しかった。

そして2時半に実家に到着
いつ呼ばれてもいいようにスタッドレスに換えていたが、ここまで道路に雪は無かった。
実家の庭にはおととい降ったという雪が残っていて、今シーズン初めて雪を見た娘は大興奮。
甥っ子のカズちゃんを無理やり誘って、雪合戦中

長男で神奈川に住むタケシ君は、つい先週、息子(第一子)が生まれたばかり。

姉は初孫の誕生と母の葬儀の準備、そして義兄の手術と、年末年始は心配の種が尽きなかった。

母ももう少し頑張れば、ひ孫が見られたのに残念。

でももう天国でお父さんには会えたかな。

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そして実家から歩いて5分の斎場へ
ここは5年前、父の葬儀でもお世話になった。
いつのまにか隣の敷地に、家族葬専用のホールができていて、今回はこちら。

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身内だけの家族葬なので、10人ちょっとのこじんまりした通夜。

通夜のあとはお斎(おとき)

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姉夫婦が住むのは志賀高原のふもとで、昨日も大雪で車庫にクルマが入れられない。
ここは和室に泊ることができるそうで、ふとんも風呂もあり、姉夫婦と甥っ子二人は、今夜は泊まるという。

甥っ子が大好きな娘は
「いっしょに泊りたい〜」
と駄々をこねたが、ふとんが4組しかないのであきらめた。

雪は無くても長野の夜は寒い。
父は3月の寒い夜、寝室からトイレへ行った帰りに心筋梗塞になり、そのままベッドで亡くなっていたが、ガスヒーターをガンガン点けた茶の間から、一歩廊下に出るだけで、まるで「ハワイから南極」、
ヒートショックにならないか心配になるほど、本当に寒い。

翌水曜日は朝11時から納棺
地元の駅に到着するママを迎えに行き、納棺の儀が始まった。

親戚一同で棺に花や、母が生前好きだったものを入れる。

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そして火葬して葬式を済ませ、またお斎が始まった。

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いとこのおじさんは今年91歳。
「つぎはオレの番だから、よろしくな」
って言うが、まだまだ大丈夫そう。

私は地元にはいないが長男なので、いちおう喪主。
5年前の父のときと同じく、通夜と葬式で喪主のあいさつ。

18で田舎を離れ約40年。
親には心配ばかりかけて、何一つ親孝行はできなかったと話すと、菩提寺の住職が
「さいごに孫を見せられたんだから、それが一番の親孝行だよ」
と言ってもらったが.....。

でも私と甥っ子のタケシ君以外は、地元で親と一緒に暮らす人ばかり。

長男のタケシ君には
「若いうちなら仕事を辞めて、田舎に戻ってもなんとかなるぞ」
と言い続けてきたが、
「田舎には自分のやりたい仕事がない」
と大学の工学部を卒業後、神奈川の自動車部品の設計会社に就職、
3年前に地元の女性と結婚し、今は奥さんの実家の近くで暮らしている。

いずれは実家の近くに家を買い、「あちら側」の人間になるのだろうが、歳をとって望郷の念に駆られても、もう戻れない。

次男は地元の青果卸の会社に就職したが、転勤が多いうえに市場で働くので朝が早い。
「もし長野の会社に戻れても、実家だと朝が間に合わない」
らしい。

義兄は二人の息子に
「家のことは気にせずに、お前たちがやりたいことをやれ」
と言い続けてきたので、いまさら帰ってこいとは言えないらしいが、この10年でがんになったり、去年も気管支に腫瘍が見つかって、切除したら声が出なくなり、大学病院で再手術をした。

「このまま声が出なかったら.......」
と姉曰く、かなり心細い日々を送っていたとか。

私は姉がいてくれたおかげで、両親の面倒はずっと見てもらえたが、彼らはどうか?
もらった奥さんが実家と折り合いが悪ければ、自然と足は遠のいてしまうもの。

去年、姉から
「お母さんが亡くなったら、ふたりで実家に引っ越そうと思うがいいか?」
と聞かれた。
義兄の実家は志賀高原のふもとで、お世辞にも新しいと言えない、築60年のボロ家。
冬は寒いうえに大雪で、毎日の雪かきが大変だと、痛めた腰に湿布を貼りながら、義兄がこぼしていた。

姉夫婦が住んでくれれば、実家は無くならないので快諾したが、姉の家になれば妻は遠慮して、今までのように気軽に帰れなくなる。

とはいえ両親の面倒をずっと見てくれた姉夫婦に、40年前に家を捨てた私は、なにも言う権利はない。

甥っ子たちもあと10年後には、同じ問題が起きるはず。
私の実家なら次男がもし長野勤務になっても、朝の早い市場に間に合うらしいので、甥っ子が継いでくれるのもいいかもしれない
(ただ33歳の次男には、なかなか彼女ができないのだが)

今夜会は家族葬でだれにも知らせていなかったが、母の死を聞いた同級生が友達に連絡して、数人が葬儀に来てくれた。

仕事で来れなかったMくんも、出勤前の8時に寄ってくれた。

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航空自衛隊でヘリの整備をしていた彼は、長野か松本の勤務を希望していたが、なかなか空きが出なかった。
最後の勤務地の北海道で本格的にスキーを覚え、指導員の資格を取って除隊。
夏はバイトをしながら、冬は志賀高原でインストラクターをやっていた。
結婚することになり定職に着こうと、地元の工場に勤務。
もともと頭が良かったので、中途採用ながら順調に出世して、双子の娘のうちのひとりが、19歳でデキ婚、今ではふたりの孫がいるおじいちゃんになった。

大きな変化はないが、穏やかな彼の暮らしを見ていると、うらやましくなる。

最後の日は菩提寺へ挨拶。

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父に続いて母も永代供養をお願いした。

この日は午後から雪の予報だったが、昼前にパラパラ降ってきた。
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そのあとは墓参り。
母はもう父や祖母、ご先祖様に会えただろうか。

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娘が3歳のときおじいちゃんが亡くなり、母も寝たきりになったので、娘の記憶には元気な両親の姿はないらしい。

それでも最後の最後に孫を見せてあげられたことが、唯一の親孝行だったと信じたい。

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