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コトバとは、まことに不思議なモノだと思う。
人は言葉を用いて考える。
文化といわれるものも
言葉あってこそである
人が人として
存在出来るのも
言葉あってこそである
想いを抱くことが出来るのも
言葉ありてこそではある
言葉を操るということは
勉学の結果によるものであろう
今、
私がこうして綴っている行いも
言葉の組み合わせ
それならば、
言葉を操る術に長けた者が
人の世界に於いて
上位に位置出来るモノとなるのであろう
たしかに
いかなる分野に於いても
弁の立つモノが
弁によって優れた思考を構築出来るモノが
優位な立ち位置に居ることは
否定されるトコロでは無い
人は、
この地上に於いて
あらゆる生命体のなかにて
最上位に位置しているように思っているであろうし
実際、
そのような行為・振る舞いにあけくれている
しかし
それ以上に
何も無いのであろうか
本当に・・・・・・。
人間は、
地球・・・そして、その星を在らしめている宇宙のなかに
なにかのチカラによって
存在しているにすぎない愚かな生命体である
それだから、その、あるチカラによって
為してはならぬことを、思うことが出来る術【能力(良心と表現するべきだろうか)】を
与えられたのだと思う
考え方というものは
人それぞれに、さまざまに描かれる
さまざまな想いが在ることで
ヒトは愚かな行為を繰り返す生き物となる 元来、
人は生まれながらにして
矛盾を抱えて産まれ
矛盾の中にて、生きている それ故に
これまでも幾多の在りえては為らぬことを
在らしめてきた そこに現れるコトガラ(事象)は奇麗ごとだけに留まるものでは無い。
人間が存在し続けるということは、常に対する想いの衝突に曝される
人類が誕生してからこれまでに
さまざまな愚かな行為が繰り返され続けてきた
善き心の幅を広げる為
為してはならぬことを、思うことが出来る術を、
コトバにて
伝え、教えていくべきである
真実を・・・事実を
奇麗ごとだけを並べ立てても
所詮、それは絵空事
人は愚かだが、
可能性を与えられた存在であると思う
だからこそ
教える事が
説くことが要される事となる
人間界の事実を・・・真実を
間違いを繰り返す生き物だということを・・・
日本人が、日本人としてどうあるべきなのかを。
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