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『何か、ヘン じゃないですか?今の日本』昔がすべて良かったというつもりは無い。でも、今より、日本人と呼べる人間がいた筈である。

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 今から25年前、昭和60年6月にひとつの法律が公布された。【男女雇用機会均等法】この年の前後ぐらいに【亭主元気で留守がいい】なるCMがブラウン管に登場するようになった。25年前ということは、その年に生まれた子供は成人式も終えて、中には親となっている者もいることだろう。

    福島瑞穂・辻本清美・田島よう子・阿部知子、僕は彼女達が嫌いである
何故僕は彼女達が嫌いなのだろう。容姿が自分の好みでないから、、、いいやそうではない。どちらかと言えば福島瑞穂(捨民倒党首就任前の)なんかは容姿においては好みのほうである。(就任後はどんどん醜くなってきているが。)

       脈絡のない文節を羅列して僕はなにを書きたいのか

 上記の方々は一般に言われるジェンダーフリー論者やらフェミニスト論者やらという肩書きをひけらかし、いっけん正論のような戯言をのたまいながら、やれ権利だの、やれ自由だの、女性の立場向上だのと声高に主張し続けてきた人達である。これらのはしりといえるのか【中ピ連】なぞも存在していた。これらは俗に言う革新系といわれる勢力より派生し、いまもちょっと見には耳障りのいい【自由・平等・権利・平和】という馬鹿の一つ覚えを唱え続けている。

 かのじょら(かれら もいるだろうが)のたゆまない努力・研鑽が身を結び、(正常な国民であれば誰しも望みなどしていないことではあるが)結果としてもたらされたものは何であったか?

 [何かへんじゃないですか?今の日本]これは僕のブログにおけるテーマである。昨今、おそらく大多数の平均的日本人はこの思いを抱いているのではないだろうか。ならばそうなってしまった原因はいったい何なのであろうか。

       そう、今回僕が書きたいのはこれである。

非難の嵐を浴び、罵倒の渦に呑み込まれることを怖れずに、誤解されること覚悟して、極端な物言いではあると知りつつも、ひとつの結論を記したい。『このような崩れつつある日本を生み出したのは  おんなたち  である。』(これは女性だけに責任の矛先を向けようと言うのではない。勿論、おとこども にもおおきな責任があることは当然であり、その責めから逃れられるものではないことは承知している。)

 決して女性を非難し、敵対しようということではない。当たり前に僕は女の人が好きだし、むしろ、女の人の偉大さを熟知したうえでの発言である。女の人無しに人類が存続出来得る筈もないことは、人が死から逃れられないことと同じように、この地球上に於いては絶対的と言える真実である。これらのことが解かっていながら、道理として踏まえていながら、何故『このような崩れつつある日本を生み出したのは  おんなたち  である。』という物言いをしたのか。

 女性には育児・教育に対して、男よりもはるかにおおきな影響力が存在すると思うのである。こう言うと「育児・教育は女だけの責任ではない。男もおおいに育児・教育に係わらねばならない。」というご指摘を受けることが多い。勿論である、子供を育てると言うことに対して両親がその責任を負うのは当然である。只、それは何もかも均等であるということでは無い筈である。特に幼少時に於いての子供には、絶大な母親の【影響力】が存在すると思うのである。かの神風特攻隊として散っていかれた方々のなかには、その瞬間に於いて「お母さん」と叫ばれたひとが多かったとお聞きしている。ことさら母親の存在というものが大きいことを明かしているところであると思う。

 その母親が、訳の解からない  やからども  に影響され、幼少時の子供に対して【自由・平等・権利・平和】という馬鹿の一つ覚えに基づいて【責任と我慢と義務と安全】の存在を示さずに(やからどもはこの【責任と我慢と義務と安全】を意図的に無視しようとする故。)接した結果、子供は偏りを持って成長してしまうこととなる。事実こうして成長した子供が大人に成り切れない親となり、さらに  やからども  の影響を受けやすくなった子供が成長して、なおさら大人に成り切れない親として子供を育てていくという繰り返しが為されてきた結果が、昨今の日本を創り出してしまったと言えると思うのである。又この記事の冒頭に記した(亭主元気で留守が良い)みたいな風潮に踊らされ(マスゴミどもが面白おかしく、そのことが時代に合っているんだみたいな風潮をいろんな記事・番組等で流布させてきた事実は否めないと思う。)夫の存在を否定・無視して父親の威厳を無くするような家庭を営むようになった場合は最悪であり、母親が反抗期になった子供に敵わなくなったとき(腕力的な面とこどもを溺愛しすぎてしまうという感情面の影響により。)子供を制する存在を自らが消し去ってしまったが為に、己を苦しめる結果に陥ってきたのではなかろうか。〈家庭内に強い(こわい)父親を存在させなくしてしまった為〉その結果、親でありながら親としての責任と義務をはたせない両親のもとで我儘放題の子供を創りだすことになってしまったのだと思う。

 家庭において母親は【子供が第一】という位置づけを絶対にするべきではない、【夫婦が第一】であるべきである。あまりにも父親を放ったらかしにして、子供に係り過ぎた母親が多く存在してしまったと言えるのではないだろうか。俗に言われる【過保護状態】に嵌まり込み過ぎたのだと言えるのではないだろうか。親の保護下にあり自立していない子供に対して、むやみやたらとお金をかけ過ぎた母親が増えすぎたのではなかろうか。決して子供は母親の所有物ではないのである。自分の趣味で子供の衣服や所持品にお金をかけ過ぎることはその子供を我慢のきかない人間にするだけではないか。(ガキの分際でブランド品をねだり与えられてしまう、或いは手軽にバイトでものにするなどという現象には疑問を持つべきだと思う。)

 僕達が小学校低学年頃には、生まれ育ったところがかなりの田舎であったということもあったのであろうが、まだまだ充分な食事に恵まれない家庭がかなり存在していたのだが、徐々に所得倍増計画などの流れのなかで、1960年から1980年あたりの20有余年の間にめざましく豊かな生活を供することが出来るようになった。そのようななかで今振り返って考えたとき、女性の地位向上とか社会進出が叫ばれ出したことや同級生の女子達の大学進学率が高まっていったのが僕達の世代前後からぐらいであったと思われる。高等知識を身につけることは望ましいことではあるが、そこにはあのいわゆる人権派といわれる やから がつけ入るチャンスが増えるというデメリットが潜んでいた。かれらの思想はいっけん耳障りが良く理想論のように聞こえることもあり、矛盾だらけを包括しながら進んでいる現実というものを考慮して把握出来ていない、いわゆる理屈だけで物事を判断してしまう世代に強い影響力を行使することとなった。

 おかげで同級生のなかに、人権派・男女同権派を名乗る やから  がほざいているようなことを得意げに主張する女子達が、僕に向かって討論をふっかけてくるということがたびたびあった。時が経ち、30半ば長男が2歳ぐらいの頃同窓会の席で彼女らと話した時、彼女らは得意げに自分がどれだけ子供に係っているかをとうとうと話していた。僕は『じぶんら(関西弁で話し相手のことをこのように呼称する)母親がそこまで子供に係りきって世話をやき過ぎることは子供にとって良いことやないんちゃうか?子供が甘うなるで。』と言ったのですが、『あんたんとこはまだ子供が小さいし、子供に必要なことが解かってないんよ、子供が小学校に入ってから解かるわよ。』と言われたが、勿論、今現在まで彼女らの言葉を理解することは無い。

 1970年あたり以降の日本では、経済面に於いての成長を確かなものとしながら(オイルショックやバブル崩壊などがあったとはいえ、ほとんどの国民が充分に満たされた生活をおくれるようになってきたことは事実であると思う。僕のようなものでも普通に働いて充分に普通の生活をすることができている。欲を言えばきりがない。僕が子供であった時代と違って、今日・明日食うものに困っている家庭はそう多くない状態であろう。)そのなかで子供達は与えられることが普通になりすぎて、《あって当たり前》になってしまい、【我慢という躾け】の抜け落ちた子供となり、精神面においても自分をコントロールできない人間を数多く生み出すことになってしまった。

 1980年頃であったろうか、中山美穂が男言葉で喋り捲る〔まいどお騒がせします〕という番組や〔金曜日の妻達〕(番組名は若干性格ではないかもしれない)というドラマが人気をはくしていたように思う。これらが世相に与えた悪影響{【女性のあり方】【家庭のあり方】を覆してしまった}と、前述したいわゆる〈左系ども〉の先導によってどんどん【おとことおんなの垣根】を粉砕し続け、前述したような【家庭と子供】の誕生が促されたことと思う。

 記事の冒頭に記した連中や(左系のやつら)銭の為なら何でも在りのTVを初めとするマスゴミどもが、日本に強い影響力を持つ米国の文化の一部だけを巧妙に利用しながら、日本人の女性を巧みにミスリードしつづけてきた結果、国を担って立つ子供達の成長に大きな影響力のある【日本人としての母親の在り方】を変えてしまったことと、やはり左系の日教組と文部省等が【日本における正しい学校教育】を歪めてしまったことで、【日本において在り得てはいけない家庭と学校の二大教育環境】が誕生し、これらの教育環境の下に育った子供達は当然大人に成り切れないまま成長して子供をつくり、さらに大人に成り切れない人間を育て上げてしまうという悪循環が今の【在りえてはいけない日本】を創りだしてしまったのだと思う。

 しかし、ここで一番反省しなければいけないのは  おとこ  であろう。日米安保の下【国を守り、育てる】という一番大事なことに注視せず、ただ経済の繁栄・拡大のみに突っ走り、【家庭における日本人としての父親】を放置し続けてきたことが全ての原因である。

 家庭内において、堅実でしっかりした、そしてなによりもお父さんを第一に考えるお母さんが【父親】を操りながら、お父さんは操られていることを解かりながらお母さんに感謝しながらも【母親】に迎合してしまうことなく、父親と母親が互いに【仲良く】それぞれの【役割】(おとことおんなは違うのである。何もかも同じにしようなどというのは、明らかに自然の摂理に則ったものでは無い。)を果たしながら家庭を営むことが本道ではないか。

 いまこそ、【日本男児・大和撫子としての目覚め】のもとに日本の建て直しを計らねば、やがて中国の思惑通りに東アジア・西太平洋域は覇権国家(共産一党独裁の下に於いては、たとえ今は自由主義経済を取り入れ民主化を装おうとはしていても、その求めるところは決して人民が尊重される国家像に行き着くものではない。)中国の治めるところとなり、それこそ中国がさきにほざいていたごとく日本国を取り込んで、日本国消滅ということになりかねない。

 万が一そうなってしまっては、大東亜戦争で日本国の未来を信じて亡くなられた方々の意に背くこととなってしまうのではないか。

目覚めよ!

つくづく・・・今の日本は、どうなってしまったんだっ。

下手な小理屈ばかり・・・

政界(既存のすべての政党)をはじめ

実業界(日本で、いや世界のトップクラスに上り詰めた感のあるトヨタ)

角界(特に、今、騒ぎが目立ってきてるので)

マスゴミ(特にTV界)

霞が関は、言うに及ばず・・・

人間が言葉を持ったことは、これまでの人類の発展に大きく寄与してきたこと

は間違いないことであろう。

しかし・・・

言葉がすべてでは無いと思うのである。

(ことば)は重要なれど、言葉だけで明かせない部分が、人間にはあると思う

のだが・・・。

すべての人が満場一致で賛同出来る案件なぞありえない。

ある事項に対して、二つ以上の想い・利益・しがらみ、は必ず存在する。

そこでは、それぞれの立場に於いて最もだと言わせる主張が展開され行く。

言い方(小理屈)なんぞ、どのようにも構築出来るのである。

大事なのは、我が身に仏として存在する筈の己の『こころ』

世界のあらゆる人種・民族に関しては通じて無い私だが、

少なくとも、日本人の想いには、仏の『こころ』がある筈。

(あった筈と表現しなければいけないのかもしれないが・・・昨今は。)

その想いは決して、小理屈で顕すものでは無い。

気もちが、もっと尊重されるべきであろう。

ニュースとして報ぜられるところは、全てが小理屈の陳列会。

65年のうちに、こんな国になってしまった・・・・のか。

つくづく・・・嘆かわしいこと。

『こころ』を失った民が、これ以上増え続ければ、日本の存在が危うい。

ただ、自分には、それをどうにかするチカラは無い

【ひと】は[ことば]を用いて想いを語り[文字]を用いてそれを留(とど) める。
               想いを思い、
      
       【ひと】は我なりの[おもひ]をめぐらせる。

 この円(まる)き地に幾多の血の滾(たぎ)りが現われ来て、やがては幾多の[しかばね]が累々と刻まれて行く。

      今、この地にありて、この地をわがもの顔に闊歩し
          『うごめく・・・【ひと】』 

 【人】は、生まれ来てそのままにては【人間】として在るものならず。言葉と文字を用いて脳の皺(し わ)を増やし続けて【人間】となってゆく。

 
 しかして、その言葉と文字の用い様は【生】を授けられた時点にて、おのずから備わっているものでは無い事は、明らかなること。

 そう、古(いにしえ)より[先人]が遺して下さり蓄積されつづけた[英知の記録]を己の糧とし、そ れらを[基]として、初めて、自らの想いを構築出来得るようになるものである。

 さて、さればこそ、そこに於いて注視せねばならぬ大きな要素が潜んでいることに気づかねばならぬ。

 そう、それは、何れを糧とし己の基とするかによって、己の想いが決定されて行くという事である。

    小難しき言葉の羅列にて、終の主張として記してきた事
    これまでにも、この場にて記してきた根元の[ところ]
   
         つまりは【教育の重要性】
        すべてはこれに尽きるものである。

 『日教組は教育のガンだ』という言葉といくつかの独自の想いを述べられて

辞任に追い込まれた中山国交相であるが、この言葉に対して安易に賛同するだ

けで終わってはいけないのでは無いかと思うものである。
 
 
【教育のガン】・・・そんな生易しい言葉にて済ませていい筈が無いのでは  無かろうか。

      改めてここに書き記したい『日教組は日本のガンである』

昭和22年6月8日・GHQによる日本人弱体化政策の一環としてその政策方

針に基づき、日本国文部省による教育への影響力を遮断させんがために、労働

組合の育成を促すところにて育てあげられたという経緯を経て今の日教組は存

在しているものである。昭和30年〜50年ぐらいまでか、高い組織率を誇っ

ていた彼等も組織率という面に於いてはかなりの低下を招いたものの、いまだ

に教育現場の前線に於いて、教育委員会の事務局に於いて、果ては中央の文部

省にまで、その影響力を駆使しながら現代教育を惑わせんが為、愚かな国民を

量産せんが為、ひとえに、てめえ達の楽して安穏とした生活を確保せんが為、

日夜その陰謀術策の限りを尽くし、うごめくモンスター集団。

 この場にて彼奴らの非道の事実はこと細かく記すまでもなく、広く世間に知 れ渡っていることである。

 前述したように【人】は教育によって、その成長過程に於いて、己の想いと

いうものを構築するようになるものであり、この60年の間、己が暮らす国を

愛しく誇れないような考えを植え付けられ、ひたすら、自国を卑下するような

歴史を刷り込まれてきてしまった人々が、国の舵取りをする世代となってしま

った現代に於いては、国が乱れ果つり行くのも当然の成り行きと言うほかは無

いのであろう。

 自国の国旗を蔑(さげす)み国歌を蔑(ないがしろ)にする様にと子弟の想

いを操り、権利を求めることのみ教え込み[義務を果たし、責任をとることを

放棄するように教育し〕・自由の主張が重要なのだと嘘ぶき〔誤った平等を美

辞麗句で飾り付け、現実の厳しさに対する術を、ひた隠し〕己の保身を第一と

した姿を若者に見せつけて来る(きたる)結果が、現況の有様を呈させている

ところに、他ならない。

 
  【小賢しい理屈はどうとでもつくのである、過去の歴史も評論もっ】

 
 かの悪名高き、元委員長の槇枝元文氏が、今や、誰の目にも明らかとなり、

世界最悪のならず者国家であることを全世界に曝け出した北朝鮮を『理想国家

と絶賛し、世界の中で真っ先に尊敬する人物は金日成である』と公言したこと

は紛れも無い事実である。

 かような輩が君臨していた組織が正しかるべき道を歩むべくも無く、正しき教育を為せぬ事は、【自明の理】と言う他は無いであろう。


   今、ここにもう一度、繰り返す。 【日教組は日本のガンである】

  
 国を正す為には、日教組を解体して、自虐史感を持たぬ良民の育成に勤める以外に道は無い。

                   
 【日教組解体  教育の正常化  自治労組是正  マスゴミの立て直し】 

 
 これ等の実現には、日教組による誤った教育に汚染されていない・誤洗脳の

呪縛から解き放たれた人物を、政治家として起てる以外に光明を見出す術(す

べ)は無いのである。


 小賢しい理屈を並べ截てれば、述べ出せば、限(きり)が無い。

 いかようにも、反する屁理屈など作文(造り出す)することなぞ、わけも無い。


 現実が厳しき世界であることを見据えたとき、耳触りの良い美辞麗句を撒き

散らす者達が、似非集団であることは見違うべく筈も無い。やれ『自由だの・

平等だの・平和だの・差別の撤廃・権利の希求だの』


         今一度!【日教組は日本のガンである】!

出でよ

さても、おそろしや、情けなや

嘆いたからといって、どうにもならず

我にどうする術も無く、どうするべきかの知恵も、うかばず

どうにかする質(ちから<能力)も無い。

ならば、そうして、負け犬の如く、ほざいてるだけなのか。

己自身(おまえ)がほざいたとても、なんになる。

そうやわな、わいがほざいてもどないもならん。

己自身(おまえ)が、今、できる事

己の分をわきまえて、はいずりまわって日々を過ごすだけ。

そうだよな、わいにできることは、日々の流れの中で、はいずりまわるのみ、、、、

わかってるって。

そやけども、思うんや。

なにかがずれてる、って、おもうんや。

そうやろう、理屈に長けた我侭人(あやつら)が

のさばっている現実(いま)の様(さま)

知識とバッジを誇示する、ひけらかす、ふりまわす

道を指し示す本分を

遥か彼方に捨て去って、、、、、

あかんやろう、このまま、いってしもうたら、

出でよ、真に、国想う意思(ひと)

出でさせよ、八百万(やおよろず)の 【 ち  か  ら 】よ。

      やっぱり、この国の国民は、お馬鹿なんだろうな〜。

          やっぱり、この国のマスゴミは、
      所詮、ほとんどが、ゴミでしか、ありえないんだな〜。

          さて、この国は、この地球は、
    この先、どのような、姿を形を現わしていくのであろうか?

         
           【 ある 意 思 】の基、
   
    宇宙のなかにて誕生した、ひとつの【生命体・地球】において、
    
     連綿と営まれてきた、その“ ながれ ”が行き着くさきは、

      いかなる顛末が、用意されているのであろうか?

 
    
    未来の姿を推し量ることなど叶わないことは承知なのだが、

    知能という余計な【ハタラキ】を与えられてしまっている故、

    否応なく、想いをめぐらせてしまうことから、逃れられずに、
     
      つい、想い描かずには、いられない、、、、、、。


      アインシュタインさんが、賛美もした、この国、日本。

 
 僕は、地球の営みに於いて、この、日本の存在というものが、とてつもな

く、重要な意味を持っていると思っている故、今回の選挙結果をみたとき、冒

頭に記した、想いを抱かずには、おれなかった。


 今、この国は、大切な何かを、失い続けているように思えてしかたがない。

   
      それは、日本国が在り続けていく為の礎となるもの
        『 ひ と、としての【情】』である。

          そして、日本国を存続させる為に
     『 何が、大切であるのかを、認識する【想い】』である。


 戦後、半世紀以上の刻を経済の発展を中心に【国】の歩みを進めてくること

により、それは、日米安保条約により『 自分自身は、己自身で護る 』とい

う、国としての基本を放棄して“為し”てきたことにより、おざなりにしてき

た【 も の 】と想う。

          結果、国民の〈 一人、ひとり 〉が、
     それは、強いていえば、霞ヶ関・永田町の面々に誤導されて、
           注視してこなかったことにより、
    国をあげて(この表現が適した表現で無いことを承知しているが)         【 こころ 】を置き去りにしてきたのであろう。

              
         ‖ 武士道は死ぬことと見つけたり ‖


          『この世に絶対と言えることは、
  いずれ、人間には確実に死が訪れるという事を除いては何一つない』

           
          “ ひと ”が生きていくうえで、
     
       【死】というものを『 自覚 』すること無しに
   『 充足 』した【生】を真摯に営んでいくことなど出来はしない。

  
         安全の確保を二の次にしていては
   真剣な生活の営みにぼけてしまうのも当然ということが出来る。

 
 この地球上に於いて、基本的に《世界平和》というものを希求し続ける姿は、極く一部の(気違い)を除いては万人の【想い】とするところであろう。

 だが、いかんせん、あらゆる風土・歴史・感性においてさまざまな歩みをそれぞれに重ねてきた住民が暮らす各々の国が、完全に同じ価値基準を持ち得る事は現実としては実現不可能と言わざるを得ない。

 
    〔地球上の全ての国が一つにまとまる事があるとすれば、
        地球人と同じような脳力を持った生命体
      (俗に言う宇宙人という者が存在していた場合)
     が地球に対して侵略してきた場合のみでなかろうか。〕

 
 現実には、殆どの国々は自国の利益を先ず第一として行動しているのであって、為にお互いが利権をめぐって衝突を引き起こし、世界の中で実際の現象として現代においても武力紛争が勃発しているのである。

           武力衝突を起こさないまでも
   外交と言う争いは常に全世界の国々の間で展開されているのである。

 外交が(国同士の仲良し関係を築く為のものである)などと言っているのはそれこそ日本の能無し・根性無しの我が国外務省と、本心とかけ離れた奇麗事を並べ立てているだけの大嘘つきの社民党と共産党に他ならない。

 『自国民が気違いのリーダーが独裁している野蛮国に拉致されても長きに亘って何等問題視も行動もしなかった外務省と、拉致なんかあの国が行う筈が無いと言い張っていた社会党・又この政党はかの国をパラダイスなどと喧伝したこともあるのだからなんとも情けない限りである。』

 
   こうして自国の安全を確保することから長きに亘り遠ざかり、
           経済的に恵まれるようになり、
  食べる事、つまり生きる為の最低限の行為に苦慮する必要の無くなった
  日本人が次第に平和ボケてきたのも無理からぬことなのかもしれない。

               しかもその間、
         精神的支えを維持する為の教育面においても
 日本人が従来もっていた良き部分も全て蔑ろにしてきてしまったのだから。
 (これは内、外 両因に依る結果として引き起こされてしまった訳だが)

       このような日本に、今、必要とされるものは、
             
             確かな精神的【礎】
        
         そして長く日本人に受け継がれてきた
      日本人の『 こ こ ろ 』を見直すことだと思う。

人は何故人間たる存在としてありえるのか。地球上に存在する生命体の種類の正確な数量を把握しているものではないが、その無数の存在のなかでおそらく【 ひ と 】だけが 「 理屈 」を構築出来る生命体であろうと思う。

 それを可能にしているのは脳の活動によるところであり、この脳を充分に活動させるには、放ったらかしにしていて叶うものではない。脳を活用させていく為には訓練がいる。その訓練の仕方しだいでいろんな思考を行なうようになる。
        ここがすばらしくもあり、怖ろしくもある。

        ひとえに教育が重要となる所以であろう。

 
      話が、若干それてしまった感もあるが、そうではない。

 今回の参議院選挙に於いて、本来、問われなければならなかったことが提起されたとは思えない。本来ならば『 国 の 在 り 方 』が、争点にされるべきであった筈である。少なくとも安倍さんの想いはそこにあったことと思う。

 然るに、民主党の思惑(策略ともいう)に、まんまと乗せられてしまった結果、自民党の、己等の保身のみにしか思いを巡らせることしか出来ない、およそ、政治家をかたる資格の無い呆けた年寄りどもに寄り切られ、それに、抗することの出来なかった安倍さんの責任は逃れられないところであろう。

 敗戦にもめげず、政権維持を主張したことは良しとするも、一人を除いた全閣僚が靖国参拝を拒んだことも、本来の王道に在らずの感が否めない。

 確かに、年金問題は大切な案件ではあろう。しかし、その、不真面目な運営の責任をこの安倍政権に問うことも間違いであり、五千万件問題は、民主党支持母体である労組と、それら組合の管理放棄に明け暮れた官僚の責任以外の何者でもないことは、明白なところである。いわば、今回の年金問題は民主党のマッチポンプに他ならない。

 それにもまして、大事なことは、マスゴミがそしてそれに煽られた国民が【 国 の 在 り 方 】を考えることよりも、目先の【 営利 】にしか思いを至らすことが出来なかったことである。

 現在の経済情勢のなかで、目先の生活に困窮している人がそう多いとは思えない。
(勿論、本当に救われねばならない方達へのセーフティーネットの整備が為される必要は当然のことであるが、逆に、その点をおざなりにしている、という、矛盾が現実なのではないだろうか)

 
          日本国を取り巻く、世界情勢は、
     刻々と厳しいものが突きつけられ続けているのである。

  そのような中に於いては【 正常な国の在り方 】を固めることこそ、
       今、必要なことである筈ではないだろうか。

       
      今のままに、日本国が、済し崩されることは、
             とりもなおさず、
   確実に地球の損失に繋がるということに括目すべきなのである。

 日本国の役割は、世界にとって、非常に重要とされるところなのである。


                日本人には
 恥を知るこころ・思いやる な さ け ・潔さ・自然に対する畏敬の念

          元来、これらが備わっている筈である。

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