ここから本文です
『何か、ヘン じゃないですか?今の日本』昔がすべて良かったというつもりは無い。でも、今より、日本人と呼べる人間がいた筈である。

書庫無題

記事検索
検索

目覚めよ!

つくづく・・・今の日本は、どうなってしまったんだっ。

下手な小理屈ばかり・・・

政界(既存のすべての政党)をはじめ

実業界(日本で、いや世界のトップクラスに上り詰めた感のあるトヨタ)

角界(特に、今、騒ぎが目立ってきてるので)

マスゴミ(特にTV界)

霞が関は、言うに及ばず・・・

人間が言葉を持ったことは、これまでの人類の発展に大きく寄与してきたこと

は間違いないことであろう。

しかし・・・

言葉がすべてでは無いと思うのである。

(ことば)は重要なれど、言葉だけで明かせない部分が、人間にはあると思う

のだが・・・。

すべての人が満場一致で賛同出来る案件なぞありえない。

ある事項に対して、二つ以上の想い・利益・しがらみ、は必ず存在する。

そこでは、それぞれの立場に於いて最もだと言わせる主張が展開され行く。

言い方(小理屈)なんぞ、どのようにも構築出来るのである。

大事なのは、我が身に仏として存在する筈の己の『こころ』

世界のあらゆる人種・民族に関しては通じて無い私だが、

少なくとも、日本人の想いには、仏の『こころ』がある筈。

(あった筈と表現しなければいけないのかもしれないが・・・昨今は。)

その想いは決して、小理屈で顕すものでは無い。

気もちが、もっと尊重されるべきであろう。

ニュースとして報ぜられるところは、全てが小理屈の陳列会。

65年のうちに、こんな国になってしまった・・・・のか。

つくづく・・・嘆かわしいこと。

『こころ』を失った民が、これ以上増え続ければ、日本の存在が危うい。

ただ、自分には、それをどうにかするチカラは無い

【ひと】は[ことば]を用いて想いを語り[文字]を用いてそれを留(とど) める。
               想いを思い、
      
       【ひと】は我なりの[おもひ]をめぐらせる。

 この円(まる)き地に幾多の血の滾(たぎ)りが現われ来て、やがては幾多の[しかばね]が累々と刻まれて行く。

      今、この地にありて、この地をわがもの顔に闊歩し
          『うごめく・・・【ひと】』 

 【人】は、生まれ来てそのままにては【人間】として在るものならず。言葉と文字を用いて脳の皺(し わ)を増やし続けて【人間】となってゆく。

 
 しかして、その言葉と文字の用い様は【生】を授けられた時点にて、おのずから備わっているものでは無い事は、明らかなること。

 そう、古(いにしえ)より[先人]が遺して下さり蓄積されつづけた[英知の記録]を己の糧とし、そ れらを[基]として、初めて、自らの想いを構築出来得るようになるものである。

 さて、さればこそ、そこに於いて注視せねばならぬ大きな要素が潜んでいることに気づかねばならぬ。

 そう、それは、何れを糧とし己の基とするかによって、己の想いが決定されて行くという事である。

    小難しき言葉の羅列にて、終の主張として記してきた事
    これまでにも、この場にて記してきた根元の[ところ]
   
         つまりは【教育の重要性】
        すべてはこれに尽きるものである。

 『日教組は教育のガンだ』という言葉といくつかの独自の想いを述べられて

辞任に追い込まれた中山国交相であるが、この言葉に対して安易に賛同するだ

けで終わってはいけないのでは無いかと思うものである。
 
 
【教育のガン】・・・そんな生易しい言葉にて済ませていい筈が無いのでは  無かろうか。

      改めてここに書き記したい『日教組は日本のガンである』

昭和22年6月8日・GHQによる日本人弱体化政策の一環としてその政策方

針に基づき、日本国文部省による教育への影響力を遮断させんがために、労働

組合の育成を促すところにて育てあげられたという経緯を経て今の日教組は存

在しているものである。昭和30年〜50年ぐらいまでか、高い組織率を誇っ

ていた彼等も組織率という面に於いてはかなりの低下を招いたものの、いまだ

に教育現場の前線に於いて、教育委員会の事務局に於いて、果ては中央の文部

省にまで、その影響力を駆使しながら現代教育を惑わせんが為、愚かな国民を

量産せんが為、ひとえに、てめえ達の楽して安穏とした生活を確保せんが為、

日夜その陰謀術策の限りを尽くし、うごめくモンスター集団。

 この場にて彼奴らの非道の事実はこと細かく記すまでもなく、広く世間に知 れ渡っていることである。

 前述したように【人】は教育によって、その成長過程に於いて、己の想いと

いうものを構築するようになるものであり、この60年の間、己が暮らす国を

愛しく誇れないような考えを植え付けられ、ひたすら、自国を卑下するような

歴史を刷り込まれてきてしまった人々が、国の舵取りをする世代となってしま

った現代に於いては、国が乱れ果つり行くのも当然の成り行きと言うほかは無

いのであろう。

 自国の国旗を蔑(さげす)み国歌を蔑(ないがしろ)にする様にと子弟の想

いを操り、権利を求めることのみ教え込み[義務を果たし、責任をとることを

放棄するように教育し〕・自由の主張が重要なのだと嘘ぶき〔誤った平等を美

辞麗句で飾り付け、現実の厳しさに対する術を、ひた隠し〕己の保身を第一と

した姿を若者に見せつけて来る(きたる)結果が、現況の有様を呈させている

ところに、他ならない。

 
  【小賢しい理屈はどうとでもつくのである、過去の歴史も評論もっ】

 
 かの悪名高き、元委員長の槇枝元文氏が、今や、誰の目にも明らかとなり、

世界最悪のならず者国家であることを全世界に曝け出した北朝鮮を『理想国家

と絶賛し、世界の中で真っ先に尊敬する人物は金日成である』と公言したこと

は紛れも無い事実である。

 かような輩が君臨していた組織が正しかるべき道を歩むべくも無く、正しき教育を為せぬ事は、【自明の理】と言う他は無いであろう。


   今、ここにもう一度、繰り返す。 【日教組は日本のガンである】

  
 国を正す為には、日教組を解体して、自虐史感を持たぬ良民の育成に勤める以外に道は無い。

                   
 【日教組解体  教育の正常化  自治労組是正  マスゴミの立て直し】 

 
 これ等の実現には、日教組による誤った教育に汚染されていない・誤洗脳の

呪縛から解き放たれた人物を、政治家として起てる以外に光明を見出す術(す

べ)は無いのである。


 小賢しい理屈を並べ截てれば、述べ出せば、限(きり)が無い。

 いかようにも、反する屁理屈など作文(造り出す)することなぞ、わけも無い。


 現実が厳しき世界であることを見据えたとき、耳触りの良い美辞麗句を撒き

散らす者達が、似非集団であることは見違うべく筈も無い。やれ『自由だの・

平等だの・平和だの・差別の撤廃・権利の希求だの』


         今一度!【日教組は日本のガンである】!

出でよ

さても、おそろしや、情けなや

嘆いたからといって、どうにもならず

我にどうする術も無く、どうするべきかの知恵も、うかばず

どうにかする質(ちから<能力)も無い。

ならば、そうして、負け犬の如く、ほざいてるだけなのか。

己自身(おまえ)がほざいたとても、なんになる。

そうやわな、わいがほざいてもどないもならん。

己自身(おまえ)が、今、できる事

己の分をわきまえて、はいずりまわって日々を過ごすだけ。

そうだよな、わいにできることは、日々の流れの中で、はいずりまわるのみ、、、、

わかってるって。

そやけども、思うんや。

なにかがずれてる、って、おもうんや。

そうやろう、理屈に長けた我侭人(あやつら)が

のさばっている現実(いま)の様(さま)

知識とバッジを誇示する、ひけらかす、ふりまわす

道を指し示す本分を

遥か彼方に捨て去って、、、、、

あかんやろう、このまま、いってしもうたら、

出でよ、真に、国想う意思(ひと)

出でさせよ、八百万(やおよろず)の 【 ち  か  ら 】よ。

      やっぱり、この国の国民は、お馬鹿なんだろうな〜。

          やっぱり、この国のマスゴミは、
      所詮、ほとんどが、ゴミでしか、ありえないんだな〜。

          さて、この国は、この地球は、
    この先、どのような、姿を形を現わしていくのであろうか?

         
           【 ある 意 思 】の基、
   
    宇宙のなかにて誕生した、ひとつの【生命体・地球】において、
    
     連綿と営まれてきた、その“ ながれ ”が行き着くさきは、

      いかなる顛末が、用意されているのであろうか?

 
    
    未来の姿を推し量ることなど叶わないことは承知なのだが、

    知能という余計な【ハタラキ】を与えられてしまっている故、

    否応なく、想いをめぐらせてしまうことから、逃れられずに、
     
      つい、想い描かずには、いられない、、、、、、。


      アインシュタインさんが、賛美もした、この国、日本。

 
 僕は、地球の営みに於いて、この、日本の存在というものが、とてつもな

く、重要な意味を持っていると思っている故、今回の選挙結果をみたとき、冒

頭に記した、想いを抱かずには、おれなかった。


 今、この国は、大切な何かを、失い続けているように思えてしかたがない。

   
      それは、日本国が在り続けていく為の礎となるもの
        『 ひ と、としての【情】』である。

          そして、日本国を存続させる為に
     『 何が、大切であるのかを、認識する【想い】』である。


 戦後、半世紀以上の刻を経済の発展を中心に【国】の歩みを進めてくること

により、それは、日米安保条約により『 自分自身は、己自身で護る 』とい

う、国としての基本を放棄して“為し”てきたことにより、おざなりにしてき

た【 も の 】と想う。

          結果、国民の〈 一人、ひとり 〉が、
     それは、強いていえば、霞ヶ関・永田町の面々に誤導されて、
           注視してこなかったことにより、
    国をあげて(この表現が適した表現で無いことを承知しているが)         【 こころ 】を置き去りにしてきたのであろう。

              
         ‖ 武士道は死ぬことと見つけたり ‖


          『この世に絶対と言えることは、
  いずれ、人間には確実に死が訪れるという事を除いては何一つない』

           
          “ ひと ”が生きていくうえで、
     
       【死】というものを『 自覚 』すること無しに
   『 充足 』した【生】を真摯に営んでいくことなど出来はしない。

  
         安全の確保を二の次にしていては
   真剣な生活の営みにぼけてしまうのも当然ということが出来る。

 
 この地球上に於いて、基本的に《世界平和》というものを希求し続ける姿は、極く一部の(気違い)を除いては万人の【想い】とするところであろう。

 だが、いかんせん、あらゆる風土・歴史・感性においてさまざまな歩みをそれぞれに重ねてきた住民が暮らす各々の国が、完全に同じ価値基準を持ち得る事は現実としては実現不可能と言わざるを得ない。

 
    〔地球上の全ての国が一つにまとまる事があるとすれば、
        地球人と同じような脳力を持った生命体
      (俗に言う宇宙人という者が存在していた場合)
     が地球に対して侵略してきた場合のみでなかろうか。〕

 
 現実には、殆どの国々は自国の利益を先ず第一として行動しているのであって、為にお互いが利権をめぐって衝突を引き起こし、世界の中で実際の現象として現代においても武力紛争が勃発しているのである。

           武力衝突を起こさないまでも
   外交と言う争いは常に全世界の国々の間で展開されているのである。

 外交が(国同士の仲良し関係を築く為のものである)などと言っているのはそれこそ日本の能無し・根性無しの我が国外務省と、本心とかけ離れた奇麗事を並べ立てているだけの大嘘つきの社民党と共産党に他ならない。

 『自国民が気違いのリーダーが独裁している野蛮国に拉致されても長きに亘って何等問題視も行動もしなかった外務省と、拉致なんかあの国が行う筈が無いと言い張っていた社会党・又この政党はかの国をパラダイスなどと喧伝したこともあるのだからなんとも情けない限りである。』

 
   こうして自国の安全を確保することから長きに亘り遠ざかり、
           経済的に恵まれるようになり、
  食べる事、つまり生きる為の最低限の行為に苦慮する必要の無くなった
  日本人が次第に平和ボケてきたのも無理からぬことなのかもしれない。

               しかもその間、
         精神的支えを維持する為の教育面においても
 日本人が従来もっていた良き部分も全て蔑ろにしてきてしまったのだから。
 (これは内、外 両因に依る結果として引き起こされてしまった訳だが)

       このような日本に、今、必要とされるものは、
             
             確かな精神的【礎】
        
         そして長く日本人に受け継がれてきた
      日本人の『 こ こ ろ 』を見直すことだと思う。

人は何故人間たる存在としてありえるのか。地球上に存在する生命体の種類の正確な数量を把握しているものではないが、その無数の存在のなかでおそらく【 ひ と 】だけが 「 理屈 」を構築出来る生命体であろうと思う。

 それを可能にしているのは脳の活動によるところであり、この脳を充分に活動させるには、放ったらかしにしていて叶うものではない。脳を活用させていく為には訓練がいる。その訓練の仕方しだいでいろんな思考を行なうようになる。
        ここがすばらしくもあり、怖ろしくもある。

        ひとえに教育が重要となる所以であろう。

 
      話が、若干それてしまった感もあるが、そうではない。

 今回の参議院選挙に於いて、本来、問われなければならなかったことが提起されたとは思えない。本来ならば『 国 の 在 り 方 』が、争点にされるべきであった筈である。少なくとも安倍さんの想いはそこにあったことと思う。

 然るに、民主党の思惑(策略ともいう)に、まんまと乗せられてしまった結果、自民党の、己等の保身のみにしか思いを巡らせることしか出来ない、およそ、政治家をかたる資格の無い呆けた年寄りどもに寄り切られ、それに、抗することの出来なかった安倍さんの責任は逃れられないところであろう。

 敗戦にもめげず、政権維持を主張したことは良しとするも、一人を除いた全閣僚が靖国参拝を拒んだことも、本来の王道に在らずの感が否めない。

 確かに、年金問題は大切な案件ではあろう。しかし、その、不真面目な運営の責任をこの安倍政権に問うことも間違いであり、五千万件問題は、民主党支持母体である労組と、それら組合の管理放棄に明け暮れた官僚の責任以外の何者でもないことは、明白なところである。いわば、今回の年金問題は民主党のマッチポンプに他ならない。

 それにもまして、大事なことは、マスゴミがそしてそれに煽られた国民が【 国 の 在 り 方 】を考えることよりも、目先の【 営利 】にしか思いを至らすことが出来なかったことである。

 現在の経済情勢のなかで、目先の生活に困窮している人がそう多いとは思えない。
(勿論、本当に救われねばならない方達へのセーフティーネットの整備が為される必要は当然のことであるが、逆に、その点をおざなりにしている、という、矛盾が現実なのではないだろうか)

 
          日本国を取り巻く、世界情勢は、
     刻々と厳しいものが突きつけられ続けているのである。

  そのような中に於いては【 正常な国の在り方 】を固めることこそ、
       今、必要なことである筈ではないだろうか。

       
      今のままに、日本国が、済し崩されることは、
             とりもなおさず、
   確実に地球の損失に繋がるということに括目すべきなのである。

 日本国の役割は、世界にとって、非常に重要とされるところなのである。


                日本人には
 恥を知るこころ・思いやる な さ け ・潔さ・自然に対する畏敬の念

          元来、これらが備わっている筈である。

幸せ、って?

  “しあわせ〜って、なんだあ〜っけ〜?なんだあ〜っけ?
                  ポン酢醤油のあることさ〜〜♪”

      『私、彼と結婚できて、とっても幸せです^^』

         《今宵ひと時の幸せを貴方と感じたい》

      [OOハウスは、幸せ溢れる家族生活を提供致します]

  巷では、いろんな、幸せの定義がさまざまな立場から、流布されていて

          【いったい、幸せって、なんだっけ?】

これら、世間に流れている定義は、勿論、商業ベースに則ったものであるから、人間の【衣・食・住・性】における【欲望】を叶えることを念頭に於いて、アピールされている訳であり、
             [ ひ と ]は、
多くの人が、かなりの部分でそのメッセージの影響を受けながら暮らしていることを考えると
   【幸せ】って、[ ひ と ]の欲望が満たされる時に、感じるもの、
             と、言えるのだろうか?

 でも、欲望が満たされれば、幸せかというと、人間の欲望には限りというものがないから、これだけ(欲望の充足)では、いつまでたっても、不幸せ感が、消えることはないように思える。

       【僕は、今、幸せである。ひとつのことを除けば】

 決して、僕の世代の平均年収を超えた稼ぎがあるわけでもなければ、社会的ステータスを保持しているという事も無い。

 たまに、ポケットの中の小銭が、ぴったり、555円になったり、仕事が、自分の予定通りに進むことがあったり、街中で、綺麗な女性をみかけたり、、、みたいなことで、喜びを感じたりして生きている。

       普通に、平和な国で【生を営む】ことが、出来ていて、
        僕の血を受け継いだ子供も、人並みに生きている。

 
              この日本に於いて、
       過去に、20歳前後で、絶対的な【死】を覚悟して
          【生】を営まれた方々がおられた。

 あの方々は自分の人生を不幸なものと認識しながら【死】に相対されていたのだろうか?            
                 否

             あの方々の心根を、
      僕なんかが推し量ることなど、到底、叶わないけれど、
          遺書や、家族への手紙を拝読すると、
                
                決して、
         全ての特攻された方々(海・空)が、
自分の人生を不幸な人生であるとして嘆かれていたとは、僕には、思えない。
(【終わりを覚悟されていた】のであるから、正に、自分自身の一生として捉えられていたのであろうと思います)   
        
          [ ひ と ]には【意思】があり、
               時として、
その【意思】は、とてつもない【はたらき】をすることができるものと思う。


      生きているものとして、必ず迎えることになる【死】。

その、【死】というものを自分の【想い】の中に呑みこまれた方々の【意思】

を推し測れるほどの度量を備えていない僕としては、ただただ、こうべをたれ

ることしか出来ない。

                巷では、
 毎日、さまざまな、出来事が報じられ、数多くの生き様が展開されている。
       無数の命(人間ばかりのみならず)が営まれている。
          いろんな【想い】のもとに、、、。
        
          その営みの目的が何であるのか?
     何故、死を迎えることが決定付けられている【生の営み】が、
       この地球に於いて、連綿と綴られ続けているのか?

       人類誕生の時から、問い続けられてきたのだろうが、
     おそらくは、【本当の理由】にいきつくことはないのであろう。

 
   【僕はひとつのことを除いて、今は、幸せである】と先に記した。
          
            その“ひとつ”がこれである。

         ‖ 生の営みの真の目的を理解すること ‖

     
       単純に、生きていられることが、幸せなのだと思う。
         
            “死を迎えるまでの生である。”

    
   免れることが出来ないことは解っていても、
           叶えられるものなら、【死】を迎えたくは無い。
 
            誰もが、そう思っている。

       しかし、確実に、間違いなく【終わり】は訪れる。

  さすれば、納得するしかない、『受け入れるしかない』のではないか。

      【いかにして、自分の想いで、己の死を受け入れるか】

               最近は
      この年齢になって、やっと、単純に考えるべきなんだ、
           と思えるようになってきた。

       生まれてきて、生きているから、死が訪れるんだ、

          ならば、死ぬまでは、生きていこう

        【人間として】     【日本人として】  

     当たり前のことが、なかなか、理解出来なかったのだが、
           
             これで、いいんだ、、、と。

 
 毎日の生活に於いて、おつりが、555円になって、ニヤっとしたり、街中で綺麗な女性を見かけてみとれたり、仕事が思い通りに進んで得意気になったり、夕食にその日食べたいなと思っていたものが用意されていて、お腹いっぱい食べることができたり、干されたふかふかな布団でぐっすり眠れたり、、。

   先に記したが、望みだしたら、キリがない、欲望に関することは。

      
      今、与えられている生活に【感謝】しよう、と、思う。

 
               
          『武士道は、死ぬこととみつけたり』

            そうなのではないだろうか。
 
 【 ひ と 】は、いかにして、【己の死】を自分のなかに受け入れて、
        いかにして【己が生】の【終わり】を迎えるか。
             
            それだけしかないのだと思う。

         
 
 ‖ 限りない欲求に引きずられて、欲望の虜になって、うごめいている ‖
     昨今の日本人は、平和な中で暮らせることに安心しきって、
     【死】を考える事も無く、故に、【生】を考える事も無い。

         つまり、[ボケている]のだと思う。

       確かに平和に生きることは、大切なことである。

    いかんせん、人間というものは、慣れてしまうものだと思う。
         平和な世に暮らせていることに、、、。

             
     【死】をまのあたりにして、初めて、
     【生】に真剣に取り組むようになるのでは、なかろうか。

    その【生の営み】のなかに於いて、幸せを感ずるということは、
         【感謝出来る気持ち】なのだと思う。

  尽きない欲望にとりつかれ、どこまでも欲望の実現のみに右往左往し
       【有難さを感ずる気持ちが無い】ままでは、
      いつまで経っても【幸】を得ることなど、在り得ない。

     今、【生きられていること】に
          “こうべ”をたれることが出来ている[ ひ と ]

                そして

    【死】を受け入れることが出来ている[ ひ と ]こそ、
         【真の幸せ】を生きているのであろう。


      幸せな人生を送るのも、不幸せな人生を送るのも、

       全ては、【己の思い】以外には無いのであろう。

情け
情け
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

最新のコメント最新のコメント

すべて表示

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン

みんなの更新記事