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『何か、ヘン じゃないですか?今の日本』昔がすべて良かったというつもりは無い。でも、今より、日本人と呼べる人間がいた筈である。

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美しさ ・ 真実

 「直線を書いて下さい。」と言われて紙の上に線を引く。この線には、初めと終わりがある。つまり、  直線ではなく、線分である。直線は、永遠に続いている。

        生命は、この地球上に誕生してから、延々と今日まで続いている。
 
 人は、生まれたからには、やがて死を迎える。【いのち】の営みが始まり、やがて、終わりを迎える。

 ひとりの【生】には、始まりと終わりがある。でも、其の【生命活動】は、子々孫々へと受け継がせ、続けていくことが出来る。いったい、どこまで、ずっと続けていくことが出来るものだろう。この【生命活動】は、直線のように続けていけるものなのだろうか。そうだとすれば、個々人の人生は、線分ということになるのだろうか。

 数学者というのは、【美しさ】を求め続けるそうである。数字には、いろんな【法則・美しいきまり】が、定められているそうだ。数学者は、その法則を、美しいきまりを捜し続ける。ふと、思ったのだが、その【きまり】は【真実】といっていいのかもしれないな、、と。

 命の仕組みにも【美しいきまり】があるような気がする。DNAの配列には、正しい規則が、あるそうだし、あの、螺旋は、たしかに、美しいと感ずる。この我々人間の体の仕組みも、実に良く出来た法則に則って、構成されているようだ。人の誕生を、進化論にて論ずる説はある。でも、本当に、そうなのだろうか?医学的・人文科学的知識は何もないが、進化論にて、述べられるような誕生が成された訳ではないような、気がしてしまう。この、複雑さ・精密さ・美しさ。

 数学者は、その定理を発見する為に、勿論、日々積み重ねの研究、計算式の展開・追求・演算をされているのだろうが、常に、観て・捜して・求め続けているなかで、偶然のように真理の【数式】に巡り合う、閃きつくということがあるらしい。かれらは【こころ】で【みる】そうだ。また、【神様の手帳】を覗き見て、自分なりに書き連ねる作業であるとも表現する。

 数字は、この地球上に於いて、殆どの人類が、ほぼ、同一な認識を持っているのではないだろうか。
 言葉は、非常に、さまざまであり、雑多のごとく存在し、いろんな、表現法が、用いられている。
 また、使用法によっても、いろんな解釈が可能となっている。

 言葉で、真実をどこまで表現出来るのだろう。言い回し次第で、いろんな解釈が存在し、これまでの歴史上に於いては、さまざまな真実であろうと、おもわれることが、いろんな人の言葉で、語られてきたのであろうが、いまだに、全人類共通の認識を、ひとつでも、持つまでには至っていないように思われる。

    数字が表す真実は、美しいという。では、言葉で現せる、美しい真実は、あるのだろうか。

 ある人の科白で『物事は、先ず、行うことが大切なのであり、それに対する説明は、いかようにも、付記することが出来るものだ』という内容を耳にしたことがあるが、人間社会に於いては、まさに、其のとおりである、と思えることが、あらゆるところで、垣間見ることが出来るように思う。

 ある人が、ひとつの主張を掲げて行動したときに、そのことについて、賛成するものと、反対する立場に、殆ど、必ずと言っていいほど分離することとなる。殊更、絶対的な、真実が語られるということは、確認しにくいことであろう。

 人類を正しく導く為に【神の言葉】として、語られて綴られたとされる、その【教義】さえ、現在の状況としては、乱立しているのが現状であり、それぞれが、又、対立の図式さえ呈している現実が、認められるところである。

 人間、自分自身でさえ、そうであろう。自分のなかには、ある物事に対して、大概にして二つの、想いが交錯することは、稀なことではない。其のときに、どれが、真実であるのかなど、なかなか明確に断言出来ないことも多々あると思う。

 真実、それも、この人類が生存している地球、其の地球が、存在している、宇宙に於いて、それは、所詮、人間が断定出来るものではないと思う。過去に、聖人と言われた人の言葉として、伝えられてきた教えも、そう考えると、絶対的に真実である、と言い切ることは出来ないのではないか。

 この、ブログに於ける記事も、言葉でもって表現しているのであって、その内容に対しては、〈ひと〉によっては、さまざまな想いを持たれることであろう。

 日本では、八百万の神を崇めながら、人々が紡いできたとされている歴史が存在する。(勿論、長い歴史の中に於いて、多種多様な、思想・宗教・文化の影響も計り知れないほど、取り入れられて、それらを併せ持ちながら昇華させ、今日に至っているが、日本国の基本はこの神道が基であろう。)

 この八百万の神々は、いわゆる、自然のなかに在る。勿論、自然とは、人間が創り出したものではない。人間が、いくら、叡智を振り絞って、暮らしを為してきたとは言え、自然のまえには、おそろしく無力であることは、誰も、異議をとなえられるところではない。

    古くより、日本人は、自然を【畏れ、敬い、感謝】して、生を営んできた訳である。
    このことは、非常に、理に適ったことではないだろうか。

 今、人間が、見失っているもの、それは、自分たちが驕っているということではないだろうか。

 人間なんて、所詮、大した生き物ではない(以前は、とてつもない、意義を携えているのだと、思っていたが)ように、思う。ある、意思(大いなる意思)によって、在らせられ、其の【生】を営み続けるだけの、単なる、生命体ではないのか、自らの信ずる想いの儘に。

     やがて、その先に、なにかが、在るのかもしれないし、無いのかもしれない。
     解らないのだから【在るが儘】でいいのだと想う。

 事故により、脳に障害を負った数学者は、80分しか、記憶を留めることが出来ない。でも、数字に対する認識だけは、見失うことが無い。言葉を駆使して暮らすには不都合、不具合を覚えているが、その数字に向けられた目は、真実の探求へと向かい、純粋な想いを持ち続けながら、日々を送る。

 
 今、自らを省みた時、日々の生活に於いて、さまざまな迷いを抱えながら、暮らしている自分がいる。

 その中で、おりにふれ【感動】することが出来る自分に、気づくことがある。

 己のこころを揺さぶる【人の情け】に触れたとき、わけなく沸き起こる感情の昂ぶりを感じる。

 まさに、それは美しい【数式】に出会ったときの喜びの想いに近いのかもしれない。
 

このブログの記事は、転載記事以外では、一般的にはあまり面白みのないものだろうなと思う。

      僕がこの場所で書き込む内容は、ほぼ、一貫しているつもりである。

           人間の存在意義と、自分の住む日本国への想いである。 

 

 僕は、時事ネタについて、このブログでは殆ど記事を書かないようにしている。最近の

日本における事件について、一つ一つ書き出せばきりがないことと、これら、事件の殆ど

の根幹にあるものがある事実に起因していると考えられるからだ。

 今日、あるニュース番組のトピックスコーナーで、今年を含め、ここ数年の新入社員の

問題点について取り上げていたのだが、調査結果において、上司から見て許せない問題行

為として一位にランク付けされていたのが、【タメ口】という結果になったと報じていた

のだが、この事実と放送局の姿勢にあきれてしまい、つい、キーボードを叩いてしまっ

た。このとき、同席していたコメンテーターというのか、評論家というのか知らないが、

そやつらが、言っていた内容(たいがいの在京TV局は、これらコメンテーターには、発

言して欲しい内容を台本に明記するとのことである)が一様に【子供が悪いというよりも

大人が悪いのであり、責任は大人にある】ということであった。勿論、それは、否定され

るところではないと思う。

 しかし、そのコメントだけで済ますべきものでは無いのではないだろうか。そのような

子供が育った原因について言及するべきであると思うのである。又、そのようなことを弁

えていない子供には、その誤りを、その場に於いて、厳しく正していくべきであろう。決

して『大人が悪いんだ』で片付けるだけで済まされるものでは無い。



 では、原因は何なのか、一言で言えば、【戦後教育の間違い】ということに尽きると思

う。そして、その教育を誤らせたのは【誰なのか?】

 それは、大東亜戦争のあとに、日本に駐留してから始めた占領政策に始まり今日まで続

いているアメリカの戦略と、それに便乗してきた、いわゆる共産系勢力(ここで言う共産

系とは現在表立って存在を誇示している共産党に限定するものではない。これらの勢力地

図はそれぞれ、いろんなカタチで、かなり、入り組んでいるようであり、僕としてはどの

ような形態を保持しているかをここで問題にする気はない。僕がここで言う共産系とは、

現実としては実現する筈のない共産思想を、さも、もっともらしく、耳障りの良い言葉

で、日本人を誤った方向へ導く為の方便につかう者どもと、世の中を理解し得ていないの

に、理屈の構築だけのみに走っているだけの頭でっかちな子供っぽい人々、これら【二

者】を念頭に於いている)どもの【弛まぬ努力の賜物(勿論、皮肉の表現です)】だと、

僕は断定する。

 

 アメリカは、大東亜戦争に於いて、日本の【ちから】というものに驚愕し、冷静に分析

し、それまでの国体力を甦らせない為に、徹底的に精神力の弱体化に努め、日本人が【背

骨としてきた精神的支柱】の全てを否定するという戦略に徹した

 その為に、戦前の天皇制・憲法・教育・家制度等を廃止し、大東亜戦争の全てを悪一色

に染め上げる為の広報・流布にあらゆる手立てを講じ、スポーツ・スクリーン(映像、音

楽等)・セックスなど【娯楽】に溺れさす為のアメリカ文化の刷り込みを行なった。

 これら、日本人精神弱体化政策、いわゆる『3R5D3S政策』と『ウオー・ギルト・

インフォメーション・プログラム』等により、日本人の【こころの中】に【誤った意識】

を植え続けたのである。

 そして、前述したが、このアメリカの策略上で利用され、後にはその立場に乗り続けた

【勢力ども(いわゆる文化人や、マスコミや、左派系勢力)】が撒き散らしてきたのが、

平和・自由・平等・権利という耳障りだけの良い言葉であり、およそ、3代に渡り、見事

に、日本人の【こころ】を捻じ曲げてくることとなったのである。

 

 
 結果、当然ながら、正しい敬語を使えない世代が出現してきたことは、何等、不思議な

ことではない。

 
 

 あとひとつ、ニュース項目に於いて、全国一斉学力テストについてとりあげていたが、

そのなかでも、頓珍漢としか思えないコメントを述べていた。全国99パーセントの学校

が参加し、公立では、愛知県の犬山市だけが、「子供を過当な競争に駆り立てるべきでは

ない」という理由で、不参加であったのだが、この犬山市の態度を容認するコメントを報

じていたが、現在の日本に於いて、競争の必用のない社会というものが、一体全体、どこ

に存在しているというのか、せいぜい、中央から地方にいたるまでの、役所ぐらいだけで

はないか。はたして、やつらは、国民全てを公務員にでもするつもりなのか。(そんな

に、進歩することを放棄した、だらけた国民を創り上げたいのか)

  

  『何か、ヘン じゃないですか?今の日本』これが、僕の主張の【根っこ】である。


  いわゆる進歩的文化人と称するものどもや、一部のマスメディアども、そして、ある

政党等なども、一様に、【変】であると主張しているのだが、【片腹痛いわ】汝等の思惑

どおりになってきてるだけであり、願ったり、叶ったりな筈であろうが。


  
          どの口で、その台詞が言えるのか、嘘つきどもが。

 人間なんて(ここでは、敢て【なんて】という表現を使う。)そんなに、大した者じゃ無いと思う。
 
 
 矛盾(本能と理性)を【一体】に併せ持った不完全で、お馬鹿な生命体です。これは、地球上の今現在

のさまざまな事象、そして過去の人間の歩みを注視すれば明らかです。だからといって、僕は、決して、

人間の理性を否定するものではないし、勿論、正義を尊び、倫理感が優先された行動によって、人類の

生命活動が営まれることを希求するものです。


 然し、先に記したが、いかんせん、全ての人間が、常に理性を働かせ、倫理に則り、正義の行動を

常に為さ無いことは、現実として明らかなことと思う。全ての人間が、理性ある行動を執れるのならば、

【真の共産主義‐地球国家】が成立していることだろう。ところが、文明を開花させた人類が延々と5千

有余年歩んできた軌跡のなかに、そのような理想国家が形成された歴史を見出すことは出来無い。

 人は、性差・立場・時代・環境・資質・宗教(環境に含められるかもしれない)に於いてさまざまな思

考をするものであり、たいがいが、それぞれに、己の利益と信条を優先して行動するものであろう。この

世界には、多種多様な人がいる。【人物】と認められるひともいれば、程度はさまざまだが、【愚か者】

も少なくは無い。自分の利益の為には平気で他人を騙す【嘘つき】・自分の気に入らなければ直ぐに暴力

を行使する【ちんぴら】・保身の為には自分が正義と思っている信条を簡単に曲げてしまう【いくじな

し】・人として守らねばならない倫理感をすててしまった【キチガイ】・自分の信ずることだけに固執す

る【妄信者】等々、いろんな人間が多様な程度で【正の部分と邪の部分】を併せ持って生きている。己の

利益・正義と信じていても、他のものにとっての信条に基づいた利益と合致しないことは珍しい事ではな

い。自爆テロと呼ばれる者たちもこの部類に含まれるのでは無いだろうか?
 
 
  【争いが有する異常さがますます明瞭になってきます.そして,戦争状態にないありがたさ,思想と言論の自由の大切さ,日本国憲法のすばらしさ,を私は再認識するのです】


 と言う意見をあるページで拝見したのだが、『このような【倫理的思考】が出来るのは【対する非情な

事実】を目にすることで、初めて認識出来る』ということが言えるのではないだろうか。

  【健康・命・平和・自由・水・空気・自然などの有り難さ】は【それら】が欠乏するという事態に遭

遇した時に、危機に瀕した時に、初めて【それら】の大切さを実感したという事例も多々あることと思う。

  〔僕自身、病を患ったとき、命を落としそうな事故を起こした時、ちんぴらとの争いに遭遇した時、

刑務所に収監された時(いや、これだけはまだ実体験してしないが)学生時代に真夏のクラブ活動の練習

中に水分補給を制限されたとき、溺れそうになった時、都会の喧騒の中で一日中過ごした時に、それらの

大切さを改めて実感した経験がある〕

 
 殊更、人間はお馬鹿な生命体である。ついつい、考え違いを起こして愚行を働いてしまう危険性を持

っているのだ、という事実を認識することが必用であると思う。

 
 【日本国憲法のすばらしさ,を私は再認識するのです】と記事の終わりに在るが、このような【愚か

な、不完全な、自分勝手な人間というもの】がさまざまな国の為政者となっているという事実もあること

に目を向けた時、【丸腰になることを宣言している憲法】を、ただ【素晴らしい】と言っていたのでは、

結果として、自国の崩壊を望んでしまうことに他ならないのではないだろうかと考える。

 
 
 人間はいつまでも同じ過ちを繰り返し続ける愚かな生命体なのではないだろうか。【命】を創りたもう

た【おおいなる意思】(所詮、人間などでは知り得ることが叶わない存在)はその過程を観察しているだ

けなのかな?人間の存在理由とは所詮、そういうことなのかもしれないな、と最近、僕は考えている。

(勿論、その観察の理由・目的も、人間が知り得る術は無いのだろうとも思う)

だからといって、決して、ニヒリズム思想を推奨して、【なにも努力しないで良いのだ】と主張するも

のでは無い。何を為すべきかを考える時に、理想論だけに執着するのではなく、矛盾ある人間が、矛盾あ

る世界を営んでいる事実を踏まえてから、スタートすべきであるのだと思う。決して【平和憲法と呼称さ

れているもの】を守ってさえいれば、自国の平和が保たれる訳では無い筈である。

 
 
 社会(世界的規模に於いて)はさまざまな矛盾を包括して流れている。理想を追求することは大切な

ことではあるが、理想を抱いているだけで、望むものが叶えられる筈もない。そうであれば、この五千有

余年の間に、とっくに【世界国家の樹立】というものは、すでに実現されている筈である。理想を追い求

める事は必用だが、先ずは現実を認識してから、考え、行動するべきと考える。

 
 先に引用した記事に【現在の日本国憲法が非現実的とならない情勢を,外交努力,国連への積極的な参加などによって維持して欲しいと願っています】という文節もあったが、

ここに主張されていることはおそらく、かなり高い確立で不可能と考える。世界各国いかなる国に於いて

も、【今の日本国憲法を真似よう】と思うところがあるだろうか、おそらく、皆無であろうと僕は考え

る。


「日本国憲法のすばらしさ,を私は再認識するのです.」とあったが、僕は素晴らしい憲法だとは思

わない。(その理由を詳しく書き出せば、又、長くなるので、今回は省くが)

 
 
 どこかの国の馬鹿首相が「人の命は地球よりも重い」などと軽はずみな、発言をしていたと思うが、

[人の命は【尊いもの】ではあるが、そんなに【重いもの】では無いのではなかろうか]これも現実と歴

史を鑑みれば、明白なことと言えよう。いかに、数限りなく【理不尽にも抹殺されてきた命】が、これま

でにあったことだろう。(人間自身と大自然の仕業によって)


  
 つまるところ、この世は無上なものと言えるのであろう。そのような、この世界に【生】を授けられて

存在することになったのであれば【命】消えるまでは、己が出来うる限りの生き方をするしかないのでは

ないだろうか・・・。

     
     
        人間なんてそんなに、大した者じゃ無いと思う。

        だから、みんな、それぞれに、必死に生きて行くのであろう。

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権利

       私は妻からよく指摘を受ける。「あなたの意見は極論過ぎる」と、

      妻は何故かしらこんな私と一緒になったのが不思議なほど融通のきくひとである。

 

 【子供に権利は無い】  「なんて非人道的な事を言うんだ」という反論が沸き起こりそうな〔もの言

い〕かとは思う。そう思いながらも、この表現を取り消そうとは思わない。

 【権利】とは何なのか?辞書には〔ある物事を行う資格・ある利益を主張し、それを受ける力〕 〔対

義語−義務〕とある。同じように【資格】は〔あることをするのに必要な身分・地位−必要条件〕とあ

る。【義務】が対義語となっていて、その意味として〔法律上・道徳上においてなすべきこと〕とあり、

【責任】の意味として〔なすべき任務・義務、結果に対して負うべき責め〕と表記されている。

 堅苦しい記述を列記したが、ひらたく言えば【権利】とは〈自分のしたいことを主張し、要求出来る身

分・条件〉ということになるのであろう。

 ひとは千差万別と言われるように、さまざまな考え方をするものであり、いろんな環境のなかで立場・

身分・年代・性差等々によって〈自分がしたいこともさまざま〉である。自由社会だからといって、自分

がしたいことを言い出せばきりがなく、皆がそれを押し通そうとすればいたるところで衝突が沸き起こる

のは間違いの無いところである。当然、対義語として規定されている【義務及び責任】というものが必要

とされる訳である。

 
 つまり、【権利】を主張し、要求するならば自分の言動によって結果として現れた事象に対しては、そ

の責めを負わねばならないのであり、【権利】には【義務】という 制限 が掛けられねばならない。

 
 【義務を守り、責任を果たせないもの】には、【権利】が認めらるべきでは無い筈である。

 
 【ひと】が暮らす社会に於いて、【精神的・経済的に自立】できていなければ【義務】を果たすことも

できなければ、【責任】を負うことも出来ない訳であり、誰かのもとで【精神的・経済的に依存】してい

る者には【権利】が認められなくて当然であろう。

 
 いわゆる、人道主義を唱えたり、ヒューマニストやモラリストを語る[輩共]は、やたらと[権利・自

由・平等]などという抽象的な言葉を振りかざすことに躍起になろうとするが、そのようなことをほざく

のは、秩序ある社会を翻弄して乱したいだけか、脳みそに単なる理屈だけを詰め込んだ無知な愚か者であ

ることは明白といえよう。

 
 【子供に権利は無い】ここでいう子供を規定するにあたり、年齢を定めるものではない。社会に於いて

精神的・経済的に自立していて義務と責任を果たせる【ちから】を身につけているかどうかである。

 昨今の日本国には10代で、【ちから】を持っているものもいれば、20、30、40、50、60代

でも悲しいかな、【ちから】無きものが存在しているという現状が現れて来ていると言わざるを得ない。

 
 重要法案である、国民投票法案への権利年齢を20歳にするか18歳にするかで自民党と民主党の間で

争っているが、本来ならばそこで対立する前に16歳ぐらいで投票権を与えられることが出来る人間を造

り出せる教育が確立されていて然るべきだったのである。

 
 今の、日本国にはあまりにも【権利】を主張出来る資格のある【おとな】が減りつつあり、それは、ひ

とえに、【誤った教育】が家庭と学校そして地域と社会に於いて、半世紀以上に亘って為されてきた弊害

によるものである、と言えるのではないだろうか。

        
       [子供の権利を尊重しましょう]などと馬鹿げた、たわごとに引きずられて…。



 

 

 

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 2007年・昭和82年。今から20年前、昭和62年。その2年前、昭和60年6月ひとつの法律が公布された。【男女雇用機会均等法】この年の前後ぐらいに【亭主元気で留守がいい】なるCMがブラウン管に登場するようになった。20年前ということは、その年に生まれた子供は成人式を迎えることとなる。

 福島瑞穂・辻本清美・田島よう子・阿部知子、僕は彼女達が嫌いである。(辻本が選挙区にしている区域に住んでいることが悔しい。かといってローンが残っているので今の時点で簡単に引っ越す訳にもいかない。)

何故僕は彼女達が嫌いなのだろう。容姿が自分の好みでないから、、、いいやそうではない。どちらかと言えば福島瑞穂(捨民倒党首就任前の)なんかは容姿においては好みのほうである。(就任後はどんどん醜くなってきているが。)

       脈絡のない文節を羅列して僕はなにを書きたいのか

 上記の方々は一般に言われるジェンダーフリー論者やらフェミニスト論者やらという肩書きをひけらかし、いっけん正論のような戯言をのたまいながら、やれ権利だの、やれ自由だの、女性の立場向上だのと声高に主張し続けてきた人達である。これらのはしりといえるのか【中ピ連】なぞも存在していた。これらは俗に言う革新系といわれる勢力より派生し、いまもちょっと見には耳障りのいい【自由・平等・権利・平和】という馬鹿の一つ覚えを唱え続けている。

 かのじょら(かれら もいるだろうが)のたゆまない努力・研鑽が身を結び、(正常な国民であれば誰しも望みなどしていないことではあるが)結果としてもたらされたものは何であったか?

 [何かへんじゃないですか?今の日本]これは僕のブログにおけるテーマである。昨今、おそらく大多数の平均的日本人はこの思いを抱いているのではないだろうか。ならばそうなってしまった原因はいったい何なのであろうか。

       そう、今回僕が書きたいのはこれである。

非難の嵐を浴び、罵倒の渦に呑み込まれることを怖れずに、誤解されること覚悟して、極端な物言いではあると知りつつも、ひとつの結論を記したい。『このような崩れつつある日本を生み出したのは  おんなたち  である。』(これは女性だけに責任の矛先を向けようと言うのではない。勿論、おとこども にもおおきな責任があることは当然であり、その責めから逃れられるものではないことは承知している。)

 決して女性を非難し、敵対しようということではない。当たり前に僕は女の人が好きだし、むしろ、女の人の偉大さを熟知したうえでの発言である。女の人無しに人類が存続出来得る筈もないことは、人が死から逃れられないことと同じように、この地球上に於いては絶対的と言える真実である。これらのことが解かっていながら、道理として踏まえていながら、何故『このような崩れつつある日本を生み出したのは  おんなたち  である。』という物言いをしたのか。

 女性には育児・教育に対して、男よりもはるかにおおきな影響力が存在すると思うのである。こう言うと「育児・教育は女だけの責任ではない。男もおおいに育児・教育に係わらねばならない。」というご指摘を受けることが多い。勿論である、子供を育てると言うことに対して両親がその責任を負うのは当然である。只、それは何もかも均等であるということでは無い筈である。特に幼少時に於いての子供には、絶大な母親の【影響力】が存在すると思うのである。かの神風特攻隊として散っていかれた方々のなかには、その瞬間に於いて「お母さん」と叫ばれたひとが多かったとお聞きしている。ことさら母親の存在というものが大きいことを明かしているところであると思う。

 その母親が、訳の解からない  やからども  に影響され、幼少時の子供に対して【自由・平等・権利・平和】という馬鹿の一つ覚えに基づいて【責任と我慢と義務と安全】の存在を示さずに(やからどもはこの【責任と我慢と義務と安全】を意図的に無視しようとする故。)接した結果、子供は偏りを持って成長してしまうこととなる。事実こうして成長した子供が大人に成り切れない親となり、さらに  やからども  の影響を受けやすくなった子供が成長して、なおさら大人に成り切れない親として子供を育てていくという繰り返しが為されてきた結果が、昨今の日本を創り出してしまったと言えると思うのである。又この記事の冒頭に記した(亭主元気で留守が良い)みたいな風潮に踊らされ(マスゴミどもが面白おかしく、そのことが時代に合っているんだみたいな風潮をいろんな記事・番組等で流布させてきた事実は否めないと思う。)夫の存在を否定・無視して父親の威厳を無くするような家庭を営むようになった場合は最悪であり、母親が反抗期になった子供に敵わなくなったとき(腕力的な面とこどもを溺愛しすぎてしまうという感情面の影響により。)子供を制する存在を自らが消し去ってしまったが為に、己を苦しめる結果に陥ってきたのではなかろうか。〈家庭内に強い(こわい)父親を存在させなくしてしまった為〉その結果、親でありながら親としての責任と義務をはたせない両親のもとで我儘放題の子供を創りだすことになってしまったのだと思う。

 家庭において母親は【子供が第一】という位置づけを絶対にするべきではない、【夫婦が第一】であるべきである。あまりにも父親を放ったらかしにして、子供に係り過ぎた母親が多く存在してしまったと言えるのではないだろうか。俗に言われる【過保護状態】に嵌まり込み過ぎたのだと言えるのではないだろうか。親の保護下にあり自立していない子供に対して、むやみやたらとお金をかけ過ぎた母親が増えすぎたのではなかろうか。決して子供は母親の所有物ではないのである。自分の趣味で子供の衣服や所持品にお金をかけ過ぎることはその子供を我慢のきかない人間にするだけではないか。(ガキの分際でブランド品をねだり与えられてしまう、或いは手軽にバイトでものにするなどという現象には疑問を持つべきだと思う。)

 僕達が小学校低学年頃には、生まれ育ったところがかなりの田舎であったということもあったのであろうが、まだまだ充分な食事に恵まれない家庭がかなり存在していたのだが、徐々に所得倍増計画などの流れのなかで、1960年から1980年あたりの20有余年の間にめざましく豊かな生活を供することが出来るようになった。そのようななかで今振り返って考えたとき、女性の地位向上とか社会進出が叫ばれ出したことや同級生の女子達の大学進学率が高まっていったのが僕達の世代前後からぐらいであったと思われる。高等知識を身につけることは望ましいことではあるが、そこにはあのいわゆる人権派といわれる やから がつけ入るチャンスが増えるというデメリットが潜んでいた。かれらの思想はいっけん耳障りが良く理想論のように聞こえることもあり、矛盾だらけを包括しながら進んでいる現実というものを考慮して把握出来ていない、いわゆる理屈だけで物事を判断してしまう世代に強い影響力を行使することとなった。

 おかげで同級生のなかに、人権派・男女同権派を名乗る やから  がほざいているようなことを得意げに主張する女子達が、僕に向かって討論をふっかけてくるということがたびたびあった。時が経ち、30半ば長男が2歳ぐらいの頃同窓会の席で彼女らと話した時、彼女らは得意げに自分がどれだけ子供に係っているかをとうとうと話していた。僕は『じぶんら(関西弁で話し相手のことをこのように呼称する)母親がそこまで子供に係りきって世話をやき過ぎることは子供にとって良いことやないんちゃうか?子供が甘うなるで。』と言ったのですが、『あんたんとこはまだ子供が小さいし、子供に必要なことが解かってないんよ、子供が小学校に入ってから解かるわよ。』と言われたが、勿論、今現在まで彼女らの言葉を理解することは無い。

 1970年あたり以降の日本では、経済面に於いての成長を確かなものとしながら(オイルショックやバブル崩壊などがあったとはいえ、ほとんどの国民が充分に満たされた生活をおくれるようになってきたことは事実であると思う。僕のようなものでも普通に働いて充分に普通の生活をすることができている。欲を言えばきりがない。僕が子供であった時代と違って、今日・明日食うものに困っている家庭はそう多くない状態であろう。)そのなかで子供達は与えられることが普通になりすぎて、《あって当たり前》になってしまい、【我慢という躾け】の抜け落ちた子供となり、精神面においても自分をコントロールできない人間を数多く生み出すことになってしまった。

 1980年頃であったろうか、中山美穂が男言葉で喋り捲る〔まいどお騒がせします〕という番組や〔金曜日の妻達〕(番組名は若干性格ではないかもしれない)というドラマが人気をはくしていたように思う。これらが世相に与えた悪影響{【女性のあり方】【家庭のあり方】を覆してしまった}と、前述したいわゆる〈左系ども〉の先導によってどんどん【おとことおんなの垣根】を粉砕し続け、前述したような【家庭と子供】の誕生が促されたことと思う。

 記事の冒頭に記した連中や(左系のやつら)銭の為なら何でも在りのTVを初めとするマスゴミどもが、日本に強い影響力を持つ米国の文化の一部だけを巧妙に利用しながら、日本人の女性を巧みにミスリードしつづけてきた結果、国を担って立つ子供達の成長に大きな影響力のある【日本人としての母親の在り方】を変えてしまったことと、やはり左系の日教組と文部省等が【日本における正しい学校教育】を歪めてしまったことで、【日本において在り得てはいけない家庭と学校の二大教育環境】が誕生し、これらの教育環境の下に育った子供達は当然大人に成り切れないまま成長して子供をつくり、さらに大人に成り切れない人間を育て上げてしまうという悪循環が今の【在りえてはいけない日本】を創りだしてしまったのだと思う。

 しかし、ここで一番反省しなければいけないのは  おとこ  であろう。日米安保の下【国を守り、育てる】という一番大事なことに注視せず、ただ経済の繁栄・拡大のみに突っ走り、【家庭における日本人としての父親】を放置し続けてきたことが全ての原因である。

 家庭内において、堅実でしっかりした、そしてなによりもお父さんを第一に考えるお母さんが【父親】を操りながら、お父さんは操られていることを解かりながらお母さんに感謝しながらも【母親】に迎合してしまうことなく、父親と母親が互いに【仲良く】それぞれの【役割】(おとことおんなは違うのである。何もかも同じにしようなどというのは、明らかに自然の摂理に則ったものでは無い。)を果たしながら家庭を営むことが本道ではないか。

 いまこそ、【日本男児・大和撫子としての目覚め】のもとに日本の建て直しを計らねば、やがて中国の思惑通りに東アジア・西太平洋域は覇権国家(共産一党独裁の下に於いては、たとえ今は自由主義経済を取り入れ民主化を装おうとはしていても、その求めるところは決して人民が尊重される国家像に行き着くものではない。)中国の治めるところとなり、それこそ中国がさきにほざいていたごとく日本国を取り込んで、日本国消滅ということになりかねない。

 万が一そうなってしまっては、大東亜戦争で日本国の未来を信じて亡くなられた方々の意に背くこととなってしまうのではないか。

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