|
国民の1/6が糖尿病とその予備軍 我が国の食文化そのものが病的状態
飽食の先進国米国や我が国でこれだけの食品が廃棄されている事は、すでに食品が生きるためのものから趣味的性格を帯びてきていることを示す。その余裕が出てきたこと自体は悪いことではないが、過食と食品を粗末にすることは別問題。
私は超保守的母親、祖母から食事の重要性、食品を大切に扱うことについて厳しいしつけを受けた。飯粒一つですら残すことは徹底的に戒められた。だから、私は一度箸を付けたものはまず残さずに食べる。例え、好み以外のものであっても、味が少々悪くとも、変質さえしていなければ何とか食べ切る。無理だと思えば始めから手をつけない。
私にとっては食事はほぼ生きるためのものであり、基本的に選択はするがえり好みはしない。何を食べたいのかと予め聞かれることすら嫌だ。出されたものを感謝しながら食べる。食事に「味が濃過ぎる」ということ以外の文句を言うことは殆どない。素材の味が生きた淡泊なのを好む。
TVで食品を題材にした娯楽番組を垣間見ることもあるが、多くは私には耐え難い。若い出演者が試食して感想を述べる場面、よくあるが、箸をの運びから口に入れて噛む表情、映像はない方が良い。見てても不快になる。さらに、乏しい語彙での決まり切った「・・おいしい!!!・・」の表現に演技が下手。どうせ何度もリハーサルをやって居るんだからもっと上手にやれ、と言いたい。さらに、食材を無駄にしているような場面、おもちゃ扱いしている場面には嫌悪を感じるし、耐え難い。
食事は自分にとって必要な量を過不足無く摂ることだ。その範囲でしたいなら出来る贅沢はすればいい。寿命がやや早めに何時尽きるか解らないし、寝たきりになって鼻から管で胃に入れるようになるか解らない。その前に、食材が手に入らなくなる可能性もあるから、やるなら今のうちだ。
ただ、贅沢を上乗せして過剰に摂るから問題なのだ。ヒトの身体は栄養を過剰に摂ることは想定されていないからこの面では脆い。だから、国民の1/6が糖尿病とその予備軍なんて異常な状況が生じることになる。これは国際的に見たら罪深いことなんだ。
|