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先月,信濃教育会の全県研究大会に参加させていただいた。初めて参加したため,授業研究のシステムがわからなかったが,周りの先生に聞きながら体験させていただいた。私が参加した中学校理科の授業者の課題は,「生徒が自ら課題をもって意欲的に取り組むにはどうすればよいか。」というものだった。

中1理科の「身のまわりの物質」という単元で,「プラスチックって何?」という生徒たちの素朴な疑問から始まった追究活動。今回の授業は,自分たちで実験をしてプラスチックの性質を調べる活動だった。生徒たちはあらかじめ実験方法などを自分たちで考えて計画を立て,当日は家から持ち寄った様々なプラスチックを使って実験に取り組んでいた。

学習指導要領や研修会で得た知識から思い浮かぶ型どおりの授業に比べると,目の前で繰り広げられている子どもたち主体の授業は,理科の観点からいろいろと足りない部分が見えてくる。何か釈然としないものを感じつつ,その後の指導者の話を聞いた。

「教師が教材研究をするときは,昔はまずその素材をいろいろといじって調べてみたし,今はまずインターネットで検索して調べてみる。そうしていろいろ調べていく中で自分のやってみたいことは何なのかが見えてくる。これと同じことは子どもたちにも言える。教師が教材研究するのと同じ手順で子どもたちが授業展開していく。こういう授業にすると,その後子どもたちは意欲的に取り組むようになるのです。」

目から鱗だった。

そういえば先日,学校を舞台にした某ドラマの中で,アクティブラーニングを取り入れた授業の場面を見た。教科や授業スタイルは違うが,生徒たちはそれまでの受身で詰め込み式のつまらない授業からアクティブラーニングを取り入れた生徒主体の授業に変わると,目を輝かせて自ら考えるようになっていく。もちろんドラマだから象徴的に作ってあると思うが,今回の全県研究大会の授業と共通するものを感じた。

また,アクティブラーニングでは先生の役割も変わるという記事を読んだことがあった。先生自身は課題解決の活動に主体的に参加するのではなく,中立的な立場から生徒たちの発言を引き出したり活性化を促したりする。予測のつかない発言や突発的な状況への対応,その場その場の判断や行動が求められると。まさに今回の全県研究大会の授業者の立場と同じだ。

ふりかえると,今までにもいろいろな場面で長野県の先生の活動や考え方に触れる機会があったが,その根底にはいつも子ども主体の活動を大切にする姿があった。これがもしかしたらアクティブラーニングなのかもしれない,ずっとアクティブラーニングだったのかもしれないと,今さらながら気づかされた,貴重な体験だった。

(N)

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学びのゆくえ

牛山榮世先生をご存知ですか。
長野県内の小学校の教諭を経たのち,新設された長野市三本柳小教頭,下諏訪南小校長,
その後,信州大学附属松本中学校の副校長を務められ,
退職後は,信濃教育会教育研究所の副所長として,研究所研修員の先生方をはじめ,
後進の先生方への指導にあたられていらっしゃいましたが,
平成23年12月19日に現職のまま,お亡くなりになりました。
68歳になられて数日のことでした。

信教出版では,このたび,牛山榮世先生の『学びのゆくえ』を復刊することになりました。
生活科の担当であった私は,時折『学びのゆくえ』という書籍の名を耳にしました。
牛山先生の『学びのゆくえ』。実際に手に取ることもなくきてしまいましたが,
先生がお亡くなりになって何年もたち,現場の先生から「本は出さないの」と問われ,
牛山先生と深いつながりのあった先生方にご相談する中で,
すでに絶版になって久しく,読みたくても,薦めたくても手にはいらない
『学びのゆくえ』の復刊が決まりました。

大切な蔵書をお借りして,初めて『学びのゆくえ』を読みました。
「序―世界の内と外」 
衝撃でした。思わず手に汗握り,読み進めるうちに涙が滲んできました。
そして「ああ,これが先生方が話していた『学びのゆくえ』なのだ」と胸に落ちたのです。
今までに『学びのゆくえ』を読まれた方々が受け取ったものはそれぞれだと思いますが,
私が一番感じたのは,情熱でした。

先生がお亡くなりになって今年は七回忌にあたります。
『信濃教育』に随時連載した「教育の窓を開く」全25編,
そして牛山先生の一番近くにいらした佐智惠夫人の文章も同時収載して
『学びのゆくえ ―実践者 牛山榮世の軌跡―』,12月19日発行予定です。

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 最近は信濃子ども詩集の校正をしていました。
 信濃子ども詩集は,今年で第64集となる歴史あるもので,長野県の小・中学生が書いた詩が掲載されています。
 校正をしていると,詩の内容も頭に入ってきます。子どもたちの純粋な気持ちがそのまま表れている詩,子どもたちの姿が思い浮かぶような微笑ましい詩,思わず涙が出てしまうような感動的な詩など,様々な詩がありました。校正をしていて,子どもの書く詩はすごいなあと感心させられました。詩集の校正は量が多いのですが,それがまったく苦にならないほどの癒しをもらえました。また,小学生の書いた詩を読んで,自然と自分の小学生時代を思い出して懐かしい気持ちにもなりました。

 私が小学生のときは,毎年学校が独自で,全校児童の詩を載せた詩集を作っていたので,年に一度は詩を書く機会がありました。中高生の頃も,国語の授業などで詩を読む機会があったと思います。しかし,最近では詩を書くことも,読むこともほとんどありませんでした。
 校正をとおして久しぶりに詩に触れて,詩のよさを感じました。詩は,短い時間で読むことができて,そのなかで様々な感情を味わうことができます。何度も読み返したくなるような,お気に入りの詩に出会うこともできます。これからはもっと詩を読む機会をもつようにしたいと思いました。
 一方,自分で詩を書くことは難しそうに感じます。しかし,子どもたちの書いた詩に感化されたのか,たまには詩を書いてみるのもいいかもしれないと思いはじめました。

さて,冷え込みが厳しくなってきました。私にとって,社会人になって初めて迎える冬です。体調管理をしっかりして,冬を乗り切りたいと思います。

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最近友人たちから,年賀状を送りたいから住所を教えてほしい,と立て続けに言われました。考えてみれば,年賀状のやりとりをしていたのは中学生くらいまでで,それ以降はメールやLINEで新年の挨拶をする程度でした。どんなに仲がよくても,住所を教えあうということはなかったので新鮮でした。どんな年賀状が送られてくるんだろう? 写真付き? それともイラスト? とわくわくするのは久しぶりで,新年の楽しみがひとつ増えました。
 そういえば,子どもの頃好きだった漫画が16年振りに連載復活するというニュースを聞いたり,流行していたアニメが25周年記念ということでメディアに大きく取り上げられていたりします。時代は刻一刻と変わっていき,新しいものがどんどん増えていく中,こんな風に時を経て再び注目されたり,年賀状のように改めて価値がわかるものがあったりして面白いなと思います。
 さて,私個人の仕事も忙しくなってきました。決算手続きが一段落し,これから年末調整といったところです。体調管理には気を付けて,この冬を乗り切りたいと思います。

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秋も深まり……

 木の葉が色づき,すっかり秋も深まってまいりました。この季節に思いを馳せるのは,郷里の山の風景です。
 毛涯章平先生の随想集『ふきのとうの餞別』の中に,「風越山」という山のことに触れた文章があります。「空の色」という題で,この山を背景にした夕方の情景の美しさについて語られています。南信州にあるこの風越山は,私にとっては郷里を象徴するものです。非常に美しい形をしており,季節を感じさせてくれるのはいつもこの山でした。新緑の山影が,田植え前の水田に映り込めば春。深緑の山頂で,夕立の雷鳴が響けば夏といったように――。
 そして秋はもちろん紅葉ですが,きれいに色づくときもあれば,さびしい枯れ色に染まっただけで冬になってしまう年もあります。今年の風越山はきれいに紅葉するだろうか,と見上げて過ごすのが,私の秋の日常でした。学生時代,里帰りの高速バスの窓からこの山が見えた瞬間,ああ,帰ってきた,と感じるものでした。

 さて,こんなふうにしみじみと秋を感じているうちに,あっというまに冬がやってきます。長野県の先生方により編集された,冬休みの学習帳,「平成29年度版 冬休み」が,現在しんきょうネットにて予約受付中です。冬休みまでに学習した事項をしっかり復習でき,県下で定番の冬休み帳,納品お約束期限は11月28日となっております。ぜひご採択ください。

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