苦笑学校・スモールワールド

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  2008年度から、全公立学校へカウンセラーの配置や派遣が計画されて徐々に実施されているとの事だそうで。
サクランが通うコトリ小学校でもカウンセラーの配置は年数を重ねています。そしてキンシコウの中学校でも同じくカウンセラーが配置されています。でもね、その事を保護者は知らない… 
 
  聞く分には、カウンセリングを受けられる対象として、児童・生徒とその家族らしい。家族と言っても恐らく同居の家族とか、直系尊属に限られているのだろうと思ふ。特徴的なのは、カウンセラーは派遣先の指示系統に含まれはするものの、その教育委員会と直接繋がっており、職務の報告義務は教育委員会に向けられていると言う事。つまり、例えば担任教師に問題が… って場合や、いじめ等が学校側により隠蔽されている? って場合にカウンセラーを通してアピールする事が出来そうって事です。ま、取り敢えずは、保護者側の学校に対する不満等の記録は残せるって事でしょか。
 
  色々とカラフルな思考のキンシコウ、思春期ともなって何かとヤヤコシイ。世界が広がったのは事実で、そして権利とかも広がった事を自覚するは良いけれど、それに伴う責任や義務だとかはおざなり。 (−−;) 親に気持ちをつぶさに伝えるにはテレやプライドが邪魔をするようで。ならば親とは違い、力関係の縛りが少ない良識ある大人に話したり相談したりする事で、無軌道な判断による行動にもう少し考えを持ってくれるかも知れない―― と期待するところであります。
 
  そんな訳で、スクールカウンセリングに若干の関心を持ち、リサーチを。利用しているのは主に生徒の様で。利用開始の事由が、教員に勧められてと言うケースがあるそうな。大抵、このケースだと非行の問題を抱えるタイプではなさそうで。非行タイプは感情の揺れを外に出すから分かり易いんでしょうね。そしてその揺れは大人への反抗的な態度として表れているので、大人しくカウンセリングを受けてくれるか? って事も考えられます。勧められて以外の事由は、生徒本人が必要と思ってカウンセリングを希望するケースだそうで。基本的にカウンセリングの予約等はクラス担任を経てなされる様。はて、そのクラス担任に不満があり、何らかの形で学習に差障っている場合とか、生徒が置かれている現状を担任に訴えても改善されなかった場合とか、クラス担任を通すのって嫌らしくないか? と森羅は思ってしまう。 ま、カウンセリングの窓口がクラス担任だったりすると、予約の時間前にクラス担任が声を掛けてくれたりする利点はあるのでしょう。
 
  さてさて、カウンセリングの時間を尋ねたら… ええ? 生徒の授業時間中が殆どだそうで。一枠だけ、放課後に一時間が見込まれているそうで。それってぇ… カウンセリングを受ける生徒、授業を抜けて行っているって事ですよね? 教室の中、さっきまで隣の机で一緒に授業を受けていたクラスメイトがその時間だけいなくなってしまう―― 森羅自身の中学時代を思い出すと、そんな状態だと ① 悪さをして先生に呼び出された ② 家族に何やらがあって呼び出された ③ 具合が悪いとして保健室に行っている ④ 授業サボり常連の子達に捕まっている  って到底、如何わしい理由を想像してしまいます。現代においては、⑤ として 「カウンセリングを受けに行っている」 ってのも加わるんだぁ〜と社会変化を考えちゃいます。
 
  カウンセリング、英語の隠語ですが精神科医の事を 「シュリンク:shrink 」 と揶揄したりします。 「shrink」 って言葉、意味を見てみると 縮む いじける 減少する などとどちらかと言うとネガティヴ系の意味合いだったりします。ふむ、喜ばしいとか人に誇れるってイメージとは掛け離れている気が。やっぱり洋の東西を超えて、精神科医には明るくって楽しくって好ましいイメージはない様ですね。でカウンセリング、やはり類似のイメージではないかと思はれ。解決したい何かの問題を抱えていて、それを解消したくってカウンセラーを雇うって言うのが通常かと。何かの問題がある人は、お金を払ってカウンセリングに行くかどうか… つまりカウンセリングを受ける=何らかの問題がある って一般的には考えるのだろうと思います。とすると、さっきまで隣にいたクラスメイトが一時間だけ姿をくらますってのは、「アイツ、カウンセリングに行って来たんぜ、きっと。」 って周囲に思わせるのだろうと推測。そしてきっとカウンセリングが必要な理由まで懸命に詮索するのでは? と気になります。
 
  授業を抜けてカウンセリングを受ける事に対し、代替え案など思いも付いていないのですが、新たな火種を作っていないか気になるところです。
 
  森羅より賢くって物事が分かっている何方か、打開案を考えて下さ〜い! って感じです。せっかく整備されて配置されているスクールカウンセラー、より良い形で生徒・児童、そして保護者達の不安を取り除く事が出来たなら… と思わずにはいられません。
  大阪市では義務教育期間中の児童教育において、留年制度を検討するとの事だそうで。ふ〜ん…
 
  キンシコウも中学生生活の一年を終え、大変、不本意な結果を残してくれました。なぜ? の言葉が頭の中を駆け巡っている森羅でございま〜す。 (苦笑) そんな一年の総括の成績表の事で、とある保護者の方が熱く語ってくれたのです。曰く――
 
  彼女のお子さん、3学期の期末テストのある教科において、平均点程度のテスト結果を持ち帰ったそうです。平均点レベルだったので、成績表の評価もそれ位? と思いながら子供が持ち帰った数字を見てビックリ仰天したそうです。予想外に悪かった… その彼女、何かの拍子で中学校に電話を入れる用事が出来、クラス担任と話をしたそうです。その際に、件のある教科の成績表の数字が平均点から掛け離れている点の説明を求めたそうで。それに答えた担任教師、その電話を受けた職員室付近には件の教科の担任もおり、保護者を電話越しに待たせたまま、教科担任に説明を受けたそうで。その説明が保護者に伝えられたには、「お子さんは11点の宿題が出されていたにも拘らず、7点が提出されていなかったために評価が下がった」 との事。それを受けた保護者側、彼女の子供が宿題の提出のみならず、色んな提出物に関してナメテ掛かっているのを以前から危惧したいた通りになったと落胆に包まれたそうで。その落胆より、次の質問もなく、挨拶だけをして電話を切ったそうで。
  宿題の未提出―― それは小学校生活の最後の年の担任が宿題提出を迫らず、出しっ放しで子供を放置してくれたとても忌々しい思いが彼女の胸に重々しく蘇ったのでした。宿題の未提出、それを彼女が感知していたら、彼女自身が宿題を学校に持ち込んでも良かったのに… と悔やまれて悔やまれて。居ても立ってもいられなくなった彼女は、一発奮起して教科担任に聞くことに。教科担任は宿題の未提出を催促せずに最終的な評価を下した事に対して、「もう中学生だから、それ位は自分で管理を。私も大勢の生徒を見ていますから、一人ひとりを見られません。」 なる旨の回答をされたそうで。まぁ、ご尤もと言えばご尤もな回答かと思はれます――
  学校教育って何なんだ? と森羅は思っちゃうんですよね。確かに年齢的にはある程度の自己管理が出来ていて不思議はない年ごろ。が、事実としては、ある生徒において自己管理が出来ていなかった。それは度重なる宿題の未提出で立証されていて、にも拘らず教科担任は改善させる働き掛けを充分にしたのか? を尋ねたく思いましたね。改善に向けての取り組みが無く、自己管理の欠如だから自己責任であるとするのって教育として適切なのか考えます。結果として改善努力が必要な子供に充分な手を差し伸べず、切り捨てた様に見えて仕方がないのです。
 
  一人ひとりを見られない―― 絵を描いたとする。広大なエリアがモデルで幾多のオブジェがそこに存在するとする。描き込むオブジェの数が多ければ、確かに難儀な作業であろうかと。だから細かい所を飛ばして仕上げた作品を見て人は感動するのだろうか? 細部を省いて描いた作品でも、確かに一つの作品と言えましょう。余程に素晴らしい基礎的なデッサン力による裏付けがあれば省いた作品でも人の心に届くことはあると思います。ですが素人目で絵を見たら、その色合いのインパクトや細部に至る細かい作業の精密さに感動するのだろうと思うんです。つまり一人一人の生徒の動向を鑑みて指導する事が、先生が描く絵画作品として高い評価を受けるのだろうと推測するのです。もし、教科担任の回答が、「たくさんの生徒を指導する中で、どうしても手の掛かる子が何人かいて、お宅のお子さんにおいて細かいケアに至れなかったのです…」 なんて答えられていたなら、問い合わせを入れた保護者の気持ちはどう動いて、どう受け止めるのでしょう?
 
  蹴落とす事が果たして教育と言えるのか? この点を今一度、鑑みる必要があると思います。留年制度が導入された場合、全体的な生徒の進捗の度合いによって、指導者である先生の力量があぶりだされるのかも知れないと推測します。成績優秀者だけにスポットを当てて、成績低迷者にはケアが少なくても、加点主義観点からは十分に結果を残したと言えましょう。が、減点主義で眺めたら、成績低迷者を多く作る事は好ましくないと言われましょう。ボトムアップを図らないと、平均点の向上はありませんよね?
 
  XX進学校に○人の生徒が進学したと実績っぽく語る教育者がいます。まぁ、少なくとも○人の生徒に対してはケアがなされた証拠なのでしょうが、残りの生徒はどの様に対処して来たんでしょか?
 
  これから学校の管理職とお話しする機会も増えて来るかと思います。機会を見て、出来ない子供を切り捨てるスタイルの是非で問答したいと思っています。篩い分けるための教育現場でなく、学ぶ事や分かる事の喜びを教えてあげられる現場で、子供たちの心を育てて行ってあげて欲しいなぁ〜と強く望む森羅であります。ま、着任までまだ数週間ほどありますが、初心表明ってカンジィ?! (笑) 長期戦の幕開けかも…ネ (^−^;ゞ
  過日、サクランの小学校で参観日だったので行って参りました。 (^−^) 暖房も無く冷える教室でしたが、折からのインフルエンザの流行を懸念し、窓の一部は開放されていて… ムッチャ 寒かったですぅ! (><) 
 
  参観したその授業は総合と言う馴染みの薄い教科でした。が、実際は何をしていたかと言うと、英語の授業。キンシコウのクラスに来ていた日本人の講師の姿は無く、そこにはフィリピン出身の女性のセビーナさんの姿が。アクティヴィティが予定されていたらしく、教室内の机と椅子は教室の後ろの方に移動させられ、黒板側の半分のスペースを使っての授業でした。教室の後ろ側半分が使えない為、教室内に入れる保護者の数は限定で。少々、出遅れた森羅、寒々とした廊下から教室内を覗く感じでした。
 
  担任のヒマワリ先生はいつも通りニコニコ、そして活き活きと授業を進めています。教室内にはヒマワリ先生にセビーナさん、そしてもう一人、南米系のクラスメイトをサポートする女性の三人の大人がいました。イメージとしては教室に大人は一人。それと違う光景はちょっと記憶に残りましたね。
 
  さて授業の内容。以前、キンシコウのクラスで、ネイティヴならあり得ない内容を教えていた事を思い出しました。が、今回、罷りなりにも生活の中に英語がある様な国の出身の方ですから、恐ろしい間違えは無いだろうと森羅は読んでいました。鵜の目鷹の目ではなく、穏やかに見守っていた森羅。でもなぁ、発音を教えるってプロセスはやっぱり無い。
 
  中学校の英語、既にカリキュラムとして一定の進捗レベルで進めて行かないとイケナイ現状より、発音はきっちりって訳には教えて貰っている様子ではありません。確かに森羅が中学生をしていた頃の英語の先生に比べると、帰国子女がいたり、留学経験があったりで発音のレベルは格段に違います。間違っても 「アイ ヒャヴ ジーズ ブックス」 なんてのはありません。でもね、先生の発音のレベルが格段に上がったとしても、子供達の発音でキッチリと指導されていないのではとても勿体ない気がします。が、それと同時に、カリキュラムで追い駆けられる学校の授業では、少人数制を敷く事は出来ても、英語特有の発音を一人一人みる余裕はないのでしょうね… 残念。 (でも、これだから英会話学校に通う利点が出て来るんですけどねw)
 
  さて発音のお手本をセビーナさんがするのですが、F や V でした唇を噛む動きの指導は見られませんでした。子供達は、「ホー! (4)」 「ファイブ! (ヴの発音ではありません)」 と元気よく数字を数えていました… 惜しいなぁ。中学校と違い、確固たるカリキュラムなく進められるのなら、発音だとかをシッカリと認識する時間に当ててくれたらイイのにと思いました。
 
  さて、ヒマワリ先生、「あらまだ時間がありますね。」 と言って、動物が描かれた紙を取り出しました。で、それぞれの動物を指さして、セビーナさんが読み上げました。絵に描かれた動物なんですが、ウシにネコにニワトリにヒツジに。さて、上から順番にセビーナさんが読み上げました。
 
   カウ
 
   キャット 
 
  チキン
 
  シィップ  
 
  ええ? そりゃないでしょう!!
 
  英語の歴史、チャネル海峡を挟んだ南の国との交わりが結構あり、ノルマン朝とプランタジネット朝の開祖王たちは、“フランス人” だったんですよね。フランス出身=フランス語で育った人物がブリトン島の権力者になった訳です。お城に住む人々、庶民を統治・監督する人々はアングロサクソン人たちで英語のベースとなる言語を話し、仕えていたんですね。で、その下々は支配される側の常として下働きでありました。作物を作り、家畜の世話をして。で、  この生き物が草を食み乳を絞る作業をしていたのはアングロサクソン人。で、彼らはその生き物を COW と呼びました。そして  に餌をあげて、小屋に入れて、時にはオロした民族がアングロサクソン人で呼び方は PIG。 に餌を与えて、卵を収集したのはアングロサクソン人で呼び方は雌なら HEN、雄なら COCK と呼ばれたのです。所が、一たびそれらの動物が食用肉となり、調理されて出された相手はフランス語の人々。きっと 「ふむ、今夜の肉は  なのかな?」 とお給仕のアングロサクソン人は聞かれたのでしょう。 「殿、それは COW でございまする〜」 などと給仕役が応えると、「なに? COW とはいか様な生き物か?」 なんて返されたのでしょう。そして給仕役はハッとしながら、「殿、それは BEEF  にてございまする。」 とでも答えたのでしょう。 (これは推測による物語ですw)  
 
  ブタの場合、ブヒブヒと動き回っていた際の呼び名は PIG。 でも一たび調理されると、PORK。ニワトリも然り。クワックッワックッワ〜 とけたたましい声を挙げているのなら、HEN もしくは COCK。が、毛を毟られて、血抜きされて、下ろされて調理されたら、それはCHICKEN となる訳です。
 
  セビーナさん、クッワックッワックッワ〜言っている生き物を、食料品であるチキンと言われました…  チャウし!
 
  バァ〜バァ〜と鳴いて、刈ったその毛が着衣になるヒツジ。 SHEEP と書きますが、そのスペルにある EE と二つの母音、これによって伸ばす音になるんですよね。つまり シィープ って感じの音なんですよ。所がセビーナさんの発音だと、シィップ。これではお船の SHIP との区別が付かない! と子供が混乱していました。
 
  英語の国の人々が、過去に色々な国に進出した結果、現在では独自の英語が発達して来て言う様です。アメリカ英語を筆頭に、オーストラリア英語にニュージーランド英語、カナダ英語にアイルランド英語。それだけではなく、香港英語にインド英語、シンガポール英語にフィリピン英語 etc 統治されていた頃に、権力を持っていた人々が英語を話したために浸透したケースも多々あります。また、その国が他言語で他民族の国だった為に、手っ取り早く異民族間での意思疎通を可能にする言語として英語が便宜的に使われて来た経緯があったりする国も。この事自体は自然の流れ。ですが、大抵は独自の使い回しや文法、発音など、元の言語をベースにして大筋の イギリス英語やアメリカ英語から離れてしまっている部分は多々あるんです。正直、メジャーなアメリカ・イギリス・オーストラリア・カナダ以外の英語は時に聞き取れなかったり、理解できない事が森羅には多々あります。
 
  セビーナさんに悪気が無いのは判ります。そして間違えに気が付けないヒマワリ先生も仕方ないです。でも、生きているニワトリを子供が見て、 「Look ! It's a chicken!」 などと言ってしまったら、余程に野蛮と思われるか、空腹と思われるか… やっぱり、通じないモノは通じません。
 
 
  はぁ〜 小学校は何時になったら通じる・使える英語を教えてくれるのでしょうかねぇ…
  反抗期真っ盛りのキンシコウ君、ただいま、思春期です。まぁ、中学生ともなると大抵は思春期なのでしょうね。多感な時期ですわね。まだまだお子様ですから、興味や好奇心に釣られて社会的規範を飛び出してしまうお年頃でもあります。この様な青少年に対する社会的な定義があるから青少年県税育成などが掲げられる訳なんでしょうね。
 
  就寝前のキンシコウ、大抵、学校の図書館で借りて来た本を読む様で。寝入った後に様子を見ると枕もとに所蔵元のステッカーが貼ってある本を見付けたりします。それが空想科学読本だったり、星新一の著作だったり。でも、ある時、漫画の装丁のされた本が枕元に。確かにその本の背表紙には、キンシコウの中学校の蔵書であるステッカーが貼ってありました。が、パラリパラリと中身を見ますと… 
 
  上記のアドレスで見られるのは、書籍に入っている挿絵でもかなり大人しい方と言いますか、当たり障りのない挿絵だけが紹介されています。伝説や民話などを編集して、辞書的に紹介しているのは良いのですが、それぞれの紹介でイメージ画が添えられていましてね、それが扇情的に思われるんですね。紐かリボンかと思われる水着の様な衣装をまとった女ヴァンパイアが開脚で恍惚の表情を浮かべているフルカラーの挿絵もありました。開脚・恍惚の表情でなくとも、頭を二つ胸部に付けているかの様なヴォリュームのバストに紐かリボンかの衣装だったり。タイトルにある様に、二次元萌え萌えテイストの挿絵がカラーで随所に散りばめられて…  ソノ手のテイストの方たちには垂涎モノなんだろうなぁと思うイラストでした。
 
  先に確認したいのですが、森羅はえろてぃかるでセンシャルな物を全面的に否定したい訳ではありません。少子化や家督問題、国の繁栄や労働力の供給などなど、えろてぃかるな行為によって糸口が掴める社会的な事柄もあります。そして人間の本能の一部ですから全面否定は申し上げません。でもね…
 
  未成年と見做され、社会的な責任が取れると判断されない年齢で成長過程にある大人未満が集められ、大人になる為の学習をする場所の図書館に相応しい図書であるか否かを考察したいです。
 
  この図書が不特定多数の人間が利用できる図書館の蔵書であった場合、異論はありません。調べ物の対象がたまたま “萌え萌え“ 挿絵付きの物しか手に入らない場合もあるでしょう。もしくは純然に挿絵に “意欲” を掻き立てられるから借りたい方もいるでしょう。挿絵を参照し、デッサン力を高めたいと望む人もいるかも知れません。そして図書館と言う場所は、多くの図書が閲覧できるのが利点ですから、誰かの意図により蔵書が選ばれるのは可笑しな話だと思います。
 
  今回、この本の所蔵元は中学校なんです。放課時間を利用して、社会的な概念が確立していない大人未満たちが貸し出しを求めて立ち寄る場所です。森羅の感覚では、その中学校の図書館に、昔で言う “ビニールに包まれて販売される特別書” が蔵書として混じっている気がしてならないのです。多感なお年頃の大人未満たちに扇情的な図書を予算で購入する位なら、10代での暴走を反省する様な図書だったり、社会問題にスポットを当てた図書なりを購入する資金に回す方が建設的に思えて仕方ありません。
 
  恐らく、蔵書へのリクエストがなされ、内容を吟味する事無く購入したんだろうと思います。それでも表紙の “萌え萌え“ イラストを見て多少の問題意識を持つ事は出来たのでは? と思います。
 
 
  さて、ここでお願いがあります。上記の様に、不適格な図書であるとの森羅の見解を綴りましたが、違うアングルからのご意見や見方もあるかと思います。皆さんが感じられた事をお聞かせ頂けませんか?  自称・変人の森羅、受け止め方にもオリジナリティーが発揮されいるのに、大多数の意見を代表している顔をすべきではないでしょう。この様な観点より、ご意見を聞かせて下さったら幸いに思います。  果たして、この図書は中学校に相応しいか否か? 
  人と言うのは千差万別で、時に一般的と言う範疇に入らない方がおみえですよね。と言いつつ、森羅も一般的な範疇に収まり切らない所が多々ありまして… 知人に言わせると、“突き抜けている“ のだそうですが、どんなもんなのか… (苦笑)
 
 
  イタズラ盛りと言えば聞こえは良いのですが、色々と改善すべき点が多くあるキンシコウ君。後先を考える頭脳の発達はカナリ未熟と言わざるを得ない感じがします。で、そのキンシコウ…
 
  年末に入った12月のある日。どうやらクラスの子に嗾けられたとかなんですね。それは英語の授業の前の放課中。 お子様たちは興味津々なのでしょうね、 sexual 系の言葉となると意味も無くお耳ダンボ。そんな興味津々のお子様たち、 “F で始まる4文字単語” 意味も無く反応をしてしまうお年頃。そんな中、クラスの誰かがからかったそうです。 「おい、キンシコウ、F○○K って単語、黒板に掛けないだろう!」 辺りの事を言ったそうで。夏目漱石の坊っちゃんよろしく、書けない事は無いと、黒板にきっちり書いたそうな。そして程なく英語の担任のウィン先生が登場。ウィン先生、正直言って子供達からの信頼は随分に控えめ。そんな訳でこのウィン先生の統率力も控えめな物ですから、チューボーに舐められた態度を取られて居るそうで。
 
  で、如何わしい英単語が書かれた黒板の部屋へウィン先生が登場。流石に英語の先生ですからね、一目で如何わしい英単語を読まれたんでしょうね。そして… 生徒の無礼に怒り心頭したそうで。その後がどの様に授業が進められたか、森羅は知りません。と言いますか、お粗末にもキンシコウ、次から次へとあの手この手で訳の判らない行動を取りまして。次から次と言う状況ですから、この件について詳しい事を聞き出し忘れて現在に至っていると言うのが正直な所。親として不甲斐なさを自覚します。 (涙)
 
  キンシコウのクラス担任はチーズ先生。こちらも英語の担当ですが、そこそこタフな若いお嬢さんです。で、“F で始まる四文字単語” の件は知る所となり、そして誰がしたかも知り得ていました。成績表を頂戴する懇談会、この場でキンシコウの悪行は知らされました。バ鹿息子のアホさ加減に呆れるやら申し訳ないやら―― それも瞬時。もっと深刻なキンシコウの成績について話は速やかにシフトされました。 (深く哀)
 
  帰宅後、キンシコウに尋ねたところ、ウィン先生は如何わしい英単語に鳴く寸前だったとか。で、キンシコウに言葉の意味を尋ねると、「え? 意味なんて知らない」 とフザケタ事を言いまして。で、他の子にたちもウィン先生の名前を聞くと一様に渋い表情を。どうやら他の学年担当をしていたらしいのですが、その仕事ぶりから役職を外された様な…
 
  う〜ん… 考えちゃいますねぇ。森羅も請われれば英語を教えて来ました。その中でも留学や駐在を目的とした生徒さんもおりましてね。その様なタイプの方には前述の如何わしい英単語のみならず、危険のサインの英単語は教えさせて貰いました。やはり現地でその様な言葉を耳にする環境と言うのは、安全であるとは言い難いシーンが多くあると思うのです。ここで思い出すのは、昔、米国へ留学していた少年がハロウィーンに友人たちとコスチュームを身につけて家々を歩いていた際の惨劇。とあるお宅のドアが開き、その住人はコスチュームを着た強盗だと警戒し、銃を構えて 「freeze!」 と叫んだそうで。所が留学して間が無かった日本人少年、住人が言っていた事が判らず、警告に反して動いたそうで。その結果、その少年は涙を流す両親に付き添われ、箱に入って帰国した―― 身を守るためには危険を察知する言葉を知っておくのは必要な事だと森羅は信じます。
 
  まぁ、如何わしい言葉を現地で使えば少なからず痛い目に遭うだろう事は滞在経験者なら判る事。が、日本国内で米国のド庶民でも低所得者層や軽いノリのドラマなどでは、ing を付けて協調を表す形容詞的に使われていたりします。おそらくそこら辺のカジュアルさと禁句であるダークな魅惑なども相まって、英語で生活してない日本人は意味も知らない可能性は大いにあります。因みにコトリ小学校の管理職たちは全く言葉の意味を知りませんでした。
 
  英語で職を得ている人なら、如何わしい言葉の元々の意味を知っているのは基本でしょう。が、その意味合いが一般的に理解されていると思っているのなら、現実を知らないと申し上げさせて下さい。
 
  一連の話を聞いて森羅が思った事。 「それって怒りまくるほどの事かぁ?? ってかさぁ、お子様たち、言葉の意味を知らないって事を先生が知らない訳??」
 
  まずはどんな意味があるのか、キッチリ聞かせてあげたら如何なんでしょうかしらね? そしてでも尚、子供達がその様な言葉を使うのであれば指導の対象でしょうね。ってか、チャレンジャーだと森羅は認めてあげますね、意味を知って尚、使うんであれば。
 
 
  英語を探求してとても理解できた事。やっぱり文化が違うねぇ〜! って感じです。日本語におけるののしり言葉って、「お前のカーチャン出べそ!」 とか、「お前のカーチャン、ドブス!」 と見た目を誹る位ですもの。それに比べて西洋的な罵りってかなりが性的な観点から。この違いが生まれるバックグランドは未だに森羅は追求できていません。が、きっと男女間で相当にラフな事が色々とある歴史なんだろうとボンヤリ思ったりします。
 
  しかしねぇ… 先生たるもの、ガキンチョの意味すら知らない言葉で怒って泣くなよな;ぁ〜 だから威厳っちゅうものを子供に見せられないんじゃないかねぇ〜 と思った次第です。
 
 
  余談ですが、キンシコウのクラス担任のチーズ先生、「お母さん、私の授業に来て下さいよ!」 と授業態度の宜しくない生徒の為 (って、キンシコウが筆頭だったりして 焦) 学校に来て下さいと時々言われています。まぁね、市教委に雇われていない立場の人間ですからね、命令系統からはみ出した事をしても市教委にお咎めはありませんから。―― って、教育現場、それ程に考える問題は多くありそうなのがチョッピリ…
 
 
  ともかく、先生が子供のいたずらで泣かないで頂戴!!

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