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雨降る中、再び大阪の南にある超有名な古墳のツアーに参加しました。
先日は日本最大の古墳である仁徳天皇陵古墳擁する百舌鳥古墳群ツアーで、
今回は日本第二の大きさの応神天皇陵古墳擁する古市古墳群のツアーデス。
古市古墳群には、陵墓あるいは陵墓参考地として管理されている
大型前方後円墳10基が含まれる大型古墳群デス。
南北約4km、東西4kmの範囲に合わせて127基の古墳が確認されてましたが、
現存するものは44基にとどまり、
4世紀後半〜6世紀前半までの約150年間以上にわたって
連綿と陵墓古墳が営まれてきた、お隣の日本一の百舌鳥古墳群とならぶ
日本最大規模の古墳群デス。
今回は雨天のためわずかしか見れず、しかも資料を広げることも出来ず、
博物館の方の声を雨の音がかき消す中で耳を澄ませ、目で観たツアー。
写真はどーにかこーにか残しましたが、ほとんど「撮れた〜・・
次回は丁寧に観て歩き、しっかりと写真を撮ってみたいと思いマスが、
今回は記念的に載せたいと思いマス。
それでも前回、百舌鳥古墳群でお友だちになった古墳レデーの方と
ご一緒に歩きながら説明を聞けて、二度美味しかったデス
長持山古墳の石棺→允恭天皇陵古墳(230m)→鍋塚古墳(50m)→
仲津山古墳(290m)→古室山古墳(150m)→大鳥塚古墳(110m)→
応神天皇陵古墳(425m)→誉田丸山古墳(50m)→誉田八幡神宮
・・・その他通り道にあったいくつかの小規模古墳
あいにくの雨で午前だけの縮小ツアーとなりましたが、
寒い中集まった20名程度の古墳ファンのために敢行したくらさった
近つ飛鳥博物館のスタッフならびにボランティアの方々に深くお礼を申し上げマス
允恭天皇陵古墳(市野山古墳:230m) 藤井寺市
古市古墳群における巨大前方後円墳築造の最終段階の5世紀中葉頃の築造。
となりにある小さいのんが9〜10階建てのマンションデスよ〜
ひゃーすごかデスね〜〜〜〜〜〜
仲姫皇后陵古墳(仲津山古墳:290m) 藤井寺市
古市古墳群では、応神天皇陵古墳に次ぐ墳丘規模であり、
陵墓名は応神天皇皇后仲姫命仲津山陵
(なかつひめのみことなかつやまのみささぎ)とされてマス。
長いお名前デスね〜。
覚えられませんがなんとの〜素敵なお名前やと思いマス。
日本第二の大きさを誇る応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳:425m) 羽曳野市
これまたでかくて全体像写すなんてとんでもなーデスW
横を歩いただけでも「遠っつっつっつ
平面積では仁徳天皇陵古墳についで全国2番目デスが、
墳丘盛土は仁徳天皇陵古墳をしのぐと言われてるそーな。
出土した埴輪の年代観から、5世紀前半の築造と考えられるそーデス。
後円部南側に誉田八幡宮がありマスが、
この神社は平安時代の後冷泉天皇のときに鎮座したと伝えられているそーで、
応神天皇と神功皇后を祭っていマス。
さて、2時間の雨天ツアー終了後。、あまりの寒さに震えがきました。
ご一緒した新しい古墳友だちの女性に食事に誘われたため、
「温かいラーメンが食べたいデス」と正直に述べたらば
古市の駅前にある“大阪王将”へ連れて行ってくらさりました。
しばらくご無沙汰してました、中華丼&ラーメンデスよ〜
醤油味で、あっさりとってもおいしゅうございました
ちゃっかりと、この間京都で食べて味をしめた中華丼とのセットでしたがW
心も体もあったまり大満足でした〜
この新しい古墳友だちと、次回は奈良の飛鳥に行く約束をしておりマス。
楽しみ〜〜 |
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趣味や価値観を共有できる人と楽しめるって最高ですね!
奈良も楽しんできてください☆ポチ
それにしてもでかいわ〜〜〜〜〜笑
2011/11/22(火) 午後 11:15
harumiさん
ありがとごじゃりマス!
はい☆!ホンマその通りやと思われマスね〜〜〜〜♪
でかいでしょ〜〜〜〜〜〜でかいのよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜W
2011/11/22(火) 午後 11:27 [ まめ助 ]
雨の日だからキャメラが壊れるとマズイよなぁ
でも、うんちく語ってくれる人が居て
良かったねぇ
お礼にご馳走しないとダメだよ〜 ← なんでや!?
てか、このブログ
野球ネタより古墳ネタで埋もれるんじゃないのか???(苦笑)
しかし、大きさが球場よりもデカイのばっかり
そんなデカイ墓に入りたいって心理がよく判らんけど
まぁ昔の価値観はそんなもんかな、やっぱ
2011/11/22(火) 午後 11:33 [ - ]
もしかしたら、午後から嵐だったあの日ですか?
お天気だけはどうしようもないですね〜
でも、古墳つながりのお連れがラーメン食べてくれてヨカッタですね!!^^
うまいこと言って、「古墳ツアー→→ラーメン」という図式を作っちゃえば?(笑)
2011/11/23(水) 午前 0:24
ラーメン頼む〜〜〜〜の願いが聞き届けられてよかったですね(W
体が冷えたときはあったかい汁物系食物が嬉しいよね。
パンじゃあったまらないものね(^^);
これからも古墳レデー道を極めてくださいまし♪ ☆彡っとな。
2011/11/23(水) 午前 11:26
バボさん
>野球ネタより古墳ネタで埋もれるんじゃないのか
→・・・だって野球やってないんやもんっつ★
ルルル〜。。ズビズバー(鼻をすする音)
2011/11/23(水) 午後 7:53 [ まめ助 ]
ろーざしゃん
そーでしょう、あの日でしょうっつ☆
古墳ツアー⇔ラーメン・・・ニヤリ☆キラーン!
2011/11/23(水) 午後 7:54 [ まめ助 ]
カトちゃん
さんくすデス〜〜〜♪
これからも精進いたしマスる〜☆
2011/11/23(水) 午後 7:55 [ まめ助 ]
大阪における4世紀の後半以降の大王の墳墓造りは、この古市古墳群と約10キロメートル西方の堺市百舌鳥古墳群を舞台に活発に展開されます。
それまでの大王の墳墓造りは、奈良盆地の中で行われてきましたので、大王の墳墓が奈良盆地から大阪平野に移ったともいえます。
この大王の墳墓の移動にはさまざまな議論があります。
その一つは、河内勢力が力をつけ、大和勢力にとってかわって政権の地位についたという理解の仕方です。
また一つは大和勢力がさらに力をえて河内に墳墓造りを進めた、とするものです。
この謎をとくには河内勢力の前期から中期にかけての動向を遺跡や遺物からあとづけていくことが必要ではないでしょうか。
古市古墳群や百舌鳥古墳群に大王の墳墓と目される巨大古墳が造られるのは、5世紀を中心にする時間帯です。
この時間帯はまさに中国文献に登場する倭の五王の時代と重なります。この5人の倭王の墳墓は古市古墳群と百舌鳥古墳群に築かれたのです。
倭の五王は国内の政治的安定と東アジアの国際社会への雄飛を巨大な墳丘に託したのでしょうか。
2018/12/16(日) 午前 7:39 [ 大阪防災安全環境観光アップ ]