拠り所

 ホスピスのケアにおいて拠り所となる他者を見出すことを手助けすることにあるのだという話を聞きました。これは何なのだろうかと考えています。

 人は死に瀕した時、つまり臨終が迫った時に、誰かにすがりたいと思うのでしょうか。ある部分は分かる話ではあるのですが、その一方で必ずしも、そう言いきって良いのか、という感覚を持ちます。
 勿論、ここでいう他者とは人間であるとは限りません。神であったり、仏様であったり、何でも良いという事はでは無いでしょうが、何か超越的なものにすがろうとする。もしかすると一族を象徴する様な、御先祖様もあるのかもしれませんが・・・。

 死を経験する事は不可能ですから、何かにすがろうという感覚もまた不明です。その一方で自殺しようとする人間が何かにすがるという可能性はあまり想像できません。やはりホスピスという特異な状況が作り出すものなのでしょう。

 癌の進行による追い詰められていく死を見据えなければならない、迫りくるものへの不安が惹起するものだからでしょう。

 自分だったら、どうであるのか、と言えば、単なる苦痛の中では誰かにすがろうとはしないでしょう。せん妄状態のように自身をコントロール不能になった時には誰かにすがろうとするかもしれません。そういう意味で、絶対にすがらないとは言えないですが、多分、かなり高い率で他者にすがろうとはしないでしょうし、すがるような人物が存在するとは思えないのです。。

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拘禁症状 2

 先日、新聞でも小さく報道された話題で、ニュージランドの青年が日本の精神病院で身体拘束で死亡したという事件があり、NHKのハートネットTVでも取り上げられていました。

 TVでわずか10日間の身体拘束で死亡した事、非常に若い二十代の男性であることを知りました。TVで日本の精神医療での身体拘束の多さと、拘束している時間が非常に長く、それも数カ月単位、最も長い場合は年単位にもなる話がありました。拘束する患者の数が急増しており、非常に問題であると。

 この話は裏があって、精神病の患者は地域に戻す活動もあり、長期にわたる入院は非難されるようになってきており、精神病院が経営問題として認知症の高齢者を積極的に引き受ける、入院することがあります。

 元々、我が国の精神病院は、治療という側面よりは収容が社会的に期待されたところもあって、少人数の医療スタッフでも経営できる、極めて経営的に旨みのあるものであったことから、医療とは無関係の事業家がこの分野に参入し、金儲けを主力とした経営が広く行われてきた経緯があり、それを統制しなかった厚生省も問題が大きいです。

 こういう金儲けしか考えていない精神病院が高齢者を引き受けた事で、介護者の手数を煩わすような患者に対して簡単に身体拘束を行う傾向があると言われています。それが身体拘束を急増させる要因であり、それが長期化するものになっていることです。

 拘禁症状以上に身体拘束は肉体的精神的に人間存在を脅かし尊厳を喪うものになります。何しろトイレに行くどころかベッドでおむつに出す以外にないのですから、苦痛であり屈辱であり、諦め垂れ流すしかないというのは意思を奪うことに繋がります。認知症は一挙に進み、ほぼ痴呆状態になると言われます。

 メンタルヘルスの分野における商業主義の危険性は、非常に高く、統制を強めていくしか方法はありません。商業主義が虐待なども生む温床である事を思えば、なおさらです。

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拘禁症状

 拘禁症状はネットで検索すると、刑務所に収容されることで起きる仮精神病症状の事を意味するようです。また、身体拘束での最近の話題は高齢者に対するものが多いようです。

 この間、NHKのハートネットTVで知的障害者の収容施設について、その実情を放映していましたが、大規模施設での収容は減り、地域に戻すという形で変容して行く中で、大規模施設に取り残された障害者たちの姿を映していました。
 見られた方は多くはないと思いますが、なかなか凄みのある映像でした。何十年もそこで過ごしてきて、高齢化し、多分、そこで死を迎えることになる可能性の高い人々でしたが、その姿は知的障害という側面よりも、拘禁症状という側面方が強いように感じました。

 施設は立派であり、非常に広大な敷地の中、自然に恵まれた環境にありながら、そこから出られないという環境が生む何かなのでしょう。感情が鈍麻し、強制された中でしか生きられない世界は独特のものなのでしょう。
 ここは知的障害者施設ですが、精神障害者施設でもほぼ同じ姿がある、あるいはあったのではないかと思うのです。というのもかつての精神病に関する本を読むと、精神病院に訪れると、病者との間に言葉では現わせられない隔絶したものを感じさせられると書いてあるからです。

 今、かつて精神分裂病、今では統合失調症と呼ばれる人々と会っていると、隔絶するというものは何も感じられない。多分、隔絶するという感覚は拘禁症状なのではないかと思えてならないのです。拘禁とは何なのか、単に閉じ込める、自由を制限するというだけではない、動物としての人間の何かを破壊する何かなのかもしれません。

 身体拘束の話までたどりつけなかったので、それは次回に。

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