知的障害

 知的障害のある方々には、近所で見かけた事は何度もありますが、実際に接触し、会話が成立するかどうかは微妙ですが、ともかくそんな経験がありませんでした。

 ところが本日、ガイドをしていたら、そういうグループの方々、多分、養護施設の人達なんでしょう、介護者を含めて10人くらいの人達に対応する事になりました。

 7,8才くらいから12,3才くらいの子供たちでしたが、なかなか前に進んでもくれませんで、こちらも何を説明して良いのか分からない。介護の人からは小学生が喜ぶような話をしてくれと言われたのですが、そうは言っても、私なんかそんな事に少しも慣れていない。

 まぁ、引き受けた私が悪いんですが、そうかと言って他の人で対応できたのかどうか。

 それはともかくとして、中の一人が私の事をじーっと見つめ、目をそらすのも何だと思って見返しましたら、飛びついてきました。思いっきり抱きついてきたものですから、周りの介護の人が、力を込めて引きはがさなければならないほどでした。強い愛情表現だったようです。

 12,3才くらいだと本当に力が強い。加減なんてものが無いせいなんでしょう。介護には私よりは少し若いくらいの男性もいたんですが、施設の外に出て、興奮しているのでしょう。子供に文字通り、引きずり回されており、こりゃあ大変だと。

 飛びついてきた子ですが、目がすごく綺麗で、人形のような意志を欠いているような、そんな感じなので、愛情表現というのも、実のところは介護の人から言われたから、そうなんであって、重い子供に全身で抱きつかれて、こちらは倒れこみそうになった。まぁ、そんな話です。

 知的障害の人達への対応と言うのは、他の障害とは違う難しさがあるのでしょう。そして今日の5,6人の中にも、かなり差があり、ごく普通に近い子供もいました。多分、この子のために案内して欲しいという事があったのでしょう。でもまぁ、どうしても派手な動きをする子に気を取られてしまいました。なかなか難しいものです。

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レジリエンス 2

 更新の時間が空いてしまいましたが、相変わらずレジリエンスのことを考えています。

 かつて若い頃に会った何人かの、異常者、その中にははっきりとした精神障害者もいました。精神病院に通っているという意味ですが。その他にも精神病院でなく心療内科ぐらいなら、数限りません。精神病に対する相性というか、何かそういうものがあるのでしょう。

 彼らは鬱病の人を除けば、概して特異な傾向があって、感性で注目させるものが沢山あって、私も随分、勉強させていただきました。アールブリュットなんかも、誰だったか、もう覚えていませんが、あれは素晴らしいと教えてもらいました。

 ですから心の病を抱える人は大なり小なり、そういうものを持っているのだと誤解したところがあります。この三、四年の中で数十人の心を病む人に会ってきた訳ですが、ほぼ皆無に近い。
 前に紹介した絵の巧い子にしても、突き抜けたものが無い。独学でここまでできるのかという意味では異能ではあるのですが、突き抜けたものは今のところ発見できていない。まだ、発見できないというのは、まず無いだろうと。

 非常に強い苦しみの中で、激しく感性が揺さぶられ、敲き上げられ、突き抜けた感性が新たな世界を作り出して行く、それが磁力になって様々なものを引き寄せていく、それが復元力としてのレジリエンスなのではないかと思うのですが、そういう意味では私なんかはレジリエンスそのものみたいなところがあって、なるほど精神病になることはなかったと言うべきかもしれません。

 それでも初めは病む何かから始まっているのですから、レジリエンスだけで癒される事も、回復というか元に戻る事はありえない話で、別次元に飛び越えていくエネルギーにはなるのでしょう。

 しかし、そういうものが無かったなら、いったいどうやって彼らは新たな世界を見つける事が出来るのだろうか、それが見つからない。

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レジリエンス

 先日、統合失調症に関する講演会がありまして、そこでレジリエンスという言葉を学びました。精神的に追い詰められるような困難に遭った時に、精神的回復力なり、困難に対する抵抗性、耐久性のことを意味するそうです。これの反対語は精神的脆弱性です。

 個人的な資質以外の周囲との関係や環境も含まれるようです。つまり何か遭った時に、崖から落ちるような状況の中で、手を繋いでくれるような、支えるような人が周囲にいたりすることも含めての精神的な強さを意味するのでしょう。

 レジリエンスには自尊感情、ユーモア、対人関係能力などがあり、困難の中で様々な引き出しというか、そのことだけに囚われないで他に目を向けていく新奇性の追求のようなものが入っているようです。

 このことに注目したのは、心を病む人の、何度も書いてきましたように「普通」過ぎることがあります。前回の正義の話もそうなんですが、苦しんでいるのだから、当事者なんだから、もっと奥深くまで考えたらどうなのか、という感想を持ってしまうところがあります。

 絵でも音楽でも漫画でも映画でも、何でも良いのですが、角が立たない。驚くべきほど普通の人がするものと同じなのです。私の方が、というよりは私が非常に強い好奇心を今でも維持している、つまりはレジリエンスが高いために、何故、彼らが「普通」でいられるのか分からない。何故、そこに留まっているのか?

 病で苦しむ中で、当然のように突破しなければならないと思われる感性が「普通」であることで行く手を阻む。それが病の回復を遅らせるのか? 夢中になって突き進む事を阻むのは自身の問題なのか、薬のせいなのか、障害者を取り囲む福祉政策なのか、まだ答えが見つかりません。

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