クソマジメ

 この間、兄が病院に来て、その後、なにやかにや話した時に、何でお前はそんなにクソマジメなんだと。もっと緩やかに気楽に生きろと言われました。クソマジメという意味が分からず、何を言っているのかという気分でした。

 また先日、精神障害者の就業支援施設で、30歳くらいの女性が死にたいとスタッフさんに話しているのを聞いて、彼女の話というよりも、ボランティア仲間の息子さんが難病で、死に直面する中で、残された時間を如何に生きるかよりも、安楽死の事ばかり調べている、それは不幸なことだという話をしました。

 彼女はそれに食って掛かってきまして、安楽死の事だけを考えたって良いじゃないかと、残された時間をどう生きるかを要求するのは、厳し過ぎると。いろいろ言いあいましたが、厳し過ぎるかと私が矛を収めました。

 非常なる困難に面した時に、いったいどう振舞うのか、どう向き合うのか、というのは人それぞれだと思います。私のようにある意味、正攻法で臨もうとする方が少ないのが現実なのでしょう。

 正攻法は非常に大変で、強い精神力が必要でしょうし、もしかすると体力もいるのでしょう。それが出来ないと言って非難するには当たらない。でもまぁ、できるならば真正面から向かい合う方が、本当の意味で乗り超えることができるのではないかと思えます。
 難病の息子さんにしても、安楽死を望む気持ちも分かるけれど、周りにいる両親などにとっても、息子が少しでも前向きであれば、救われるし、応援しようという気持ちに切り替えられるでしょう。少なくとも半狂乱状態の母親の悲しみを和らげられると思うのです。

 こういう思考法というか、向かい方が兄に言わせれば、クソマジメという意味なのかなと思います。気楽に生きろというところは、父が言っていたことを思い出させるものです。
 しかし父の最期は気楽に見過ごせるものではなく、抱え込んだ重さに耐えきれず、残された家族への気遣いやら、思いやりがどれだけあったのか。最後まで自分勝手だったように感じるのです。

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手を握る

 一週間、更新が止まっていましたが、病状に変化があったためではありません。なにやかにや、いろいろ忙しくて買い物にもなかなか行けなかったくらいです。

 母が入院することになった5月の連休明けの頃、毎日、見舞いに行こうと決めたのは、本人にはまったく思いがけない事態であり、何故、入院しなくてはならないのかが本人には分からないという問題があって、説得というか、必要を認識してもらうためであることが第一でした。

 そしてもう一つ、どういう形で信頼を維持し、安心感をもってもらえるかを考え、西洋人ならばハグするのでしょうが、寝ている相手にハグするにはやり難いし、そういう習慣が無い中では効果があるとも思えませんでした。そこで私が編み出したのは、幼い頃、親が子供の両手をにぎって振る、子供がすごく嬉しがるのがありますでしょう。アレをやってみようと思い立ったのです。

 一日目はとまどっていました。でも二日目にはニコニコ笑うようになりました。それは素晴らしい笑顔でした。若い頃の母親の時のような、お婆さんになった母親の顔ではありませんでした。

 病院からの別れ際に必ず両手を握って振って互いに笑みを交わすことが三カ月は続いたでしょう。その後、笑みを浮かべることが少なくなり、今ではほとんど反応はありません。
 それでも行くと手を伸ばす、目覚めると手を伸ばして来ることは、以前の元気の良い頃にはなかったものです。もはや手に力は無く、触っているに近い状態ですが、手を握っていると安心する様です。特に目覚めた時に、手を握って目を覗き込んでいると、すごく安心した表情を浮かべます。

 まぁ、これくらいしかやることがない。何か面白い話でもできれば良いのですが。

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肉親よりも友達

 医者の脅しで臨終間近という感覚で、さほどの人数ではないのですが、人を呼んだのですが、どうも母の反応を見ると、肉親、つまりは子供達の兄と私なんですが、それに対する反応よりは、友達が来た時の方の反応の方が、よほど嬉しいというか、言葉も笑顔も出るのです。

 兄の嫁さんとか、孫やひ孫なんかは、疎遠になっていますので、ほとんど反応は期待できません。そういう意味では母にとっては血のつながりよりは、友達との関係が重きをなしていた人生だったというべきでしょう。

 以前、温泉に行った時も、外食をした時も、ほとんど会話が進まなかった経験があり、楽しくなさそうであったことを思うと、ある意味では私が気遣ってくれるのはありがたいけれど、そんなにしなくても良いという感情が強かったように思えます。

 肉親への愛情というのも、千差万別というべきであり、ある意味、私も母親とそうしたいというよりは、今でも同じですが、そうあるべき、が先に立ち、やってみてどうだろうかを検証している感覚に強いものがあります。そしてそれを実行することで、世間的な親孝行をとりあえずやっている。

 母親の私への思い、兄への思いは充分に感じるものはありますが、世間的な愛情とは、すこしずれている所があるように思えるのです。互いに依存する部分がほとんどない。気にはするけれど、基本、干渉せず、放置する。

 これが友達でも同じように振舞うところがあって、気遣いという意味では肉親並みになっているところもありそうです。母の友達は、女性という事もあるでしょうが、どうしているか、見舞いに行きたい等々、すごく人気がある。社交性とはちょっと違っていそうなんですが・・・・。

 いかに友達を見舞いに招き入れるかを考え始めています。

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