否定

 昔は何でもかんでも否定するのが日常でした。若い頃というのは、そういうことはままありがちでしょう。今振り返ってみると否定することで何を得たのだろかと思います。
 否定されれば、それを信じている人にとっては不快な事であったし、共鳴する人にとっては果たしてどうであったのでしょう。共鳴する人をも否定していたようにも思えます。そこらはもうはるか彼方の出来事になりました。

 今でも否定することの方が多いかもしれませんが、否定するよりも前に向かおうとする気持ちが、少しは出ているようにも思っていますが、さてどうでしょうか。

 また、兄の話ですが、兄は若い頃、多分、10代の頃には、我が家の事を古臭くて貧乏な汚いあばら家と思っており、貧乏から抜け出たいと強く思い、汚れを排除し、棄てると早くに決意していたと思えます。建築家としてモダニズムそのものに強く惹かれたし、それを実践したと思います。

 同年代の有名建築家、安藤忠雄、隈健吾、伊東豊雄などと比べるのは問題かもしれませんが、大胆さや構想力に課題を残していたように感じられるのです。勿論、私は兄がどんな建築を残したのか知らないのですが、彼が否定したあばら家としての自宅を振り返ることが無かったし、否定することで生きた事は間違いありません。
 生まれ育った家のありようを否定したことで、何か重要なもの、源泉となるような何かを失ったように見えないではありません。

 兄は弟である私が収集する美術品などに一顧だにしませんでした。私が古い家のままにして生活している事に信じ難い気分というか、何をやってるんだくらいの気分であったことは確かです。

 これはなかなかの問題で、互いに否定しあう事で何がどうであったのか、やはりある種の不幸であったのでしょう。対立する様な関係ではないけれど、互いに語る相手としていないことは寂しい事です。

この記事に

部屋

 病院に行くバスで利用者さんと偶然、会いました。利用者さんというのは精神障害の社会復帰支援施設の利用者です。

 誘われがままに彼の住居に案内され、初めて利用者さんの家を訪ねる事になりました。ちょっと緊張しましたが、こんな機会は無いなと思い、部屋に上がり込みました。
 一人暮らし、病気が発症してから30年は経過している、健常者と同じというか、区別はつきません。料理人でしたから、作業所なりでも料理を担当しています。

 他の利用者さんとは部屋の様子も違うよと言っていたように、非常にコンパクトにまとまっていて使い勝手の良さそうな部屋で、今の我が家よりも良いかもしれません。沢山の神社やお寺の縁起物が飾られ、不思議なほど華やかで、花も飾られていました。
 なかなか居心地の良い空間で、他の利用者さんも彼の部屋に遊びにきて、飲んだり食べたりしているという話も、さもありなんという感じでした。

 精神を病むという意味では、私の部屋の方がよほど病んでいると他人には思われるでしょう。昔、それこそ精神を病んでいた女性の部屋のゴミ屋敷然とした中に、子供じみた玩具が散らばっている光景を思い出します。彼女は精神病院に入院したこともない健常者として社会的には扱われてはいたのですが・・・。

 健常者と分類される人には多く、他人から見れば異様としか見えない部屋に住んでいる場合が少なくなく、精神障害者とされる人達の方が、むしろ普通に近い部屋に住んでいるのではないかと。
 音楽の趣味がそうであったように、精神障害を強化する様な方向の部屋には住まないというか、そういうものを飾るようなことは決してしないのではないかと思います。ムンクの「叫び」なんか、飾っている人はいないのではないか。

 精神障害の症状、幻覚やら幻聴やらが、表出する方が内部に抱える闇を小さくし、そういうものが表出できない人の方が、むしろ闇がとめどもなく深くなっていくことがあるのかもしれない。つまりは利用者さん達よりも、私の方が病は重いのかもしれないと、そんなことを思いました。 

この記事に

会話

 叔父が死んでお別れ会が開かれました。専ら喪主である従兄弟が一方的にしゃべくりまくるという感じの会になりました。何かひどく無理をしているという印象の話し方でした。

 なかなかこういうのは難しいものです。長い事、サラリーマンをしているのだから、会でどういう風に運営するかという問題には慣れているはずですが、そうでもない場合も少なくないのでしょう。

 終わってみて振り返ると、肝心かなめの叔父の話は、喪主が一方的にしゃべったもの、経歴ばかりで、他の人に話を振らないものですから、人柄を感じさせるようなエピソードを誰からも聞けなかったという結果になりました。
 一応、私もエピソードは用意していましたが、披露されることはなく終わりました。これで何がどうのということはありませんが、どこかひっかかるところのある会になりました。

 こういう一方的なしゃべりで最近気がつくのは、兄の事です。母に向かって近況を一方的にしゃべくる、相手の反応とは無関係に近いというか、沈黙の恐怖でもあるようにしゃべる。母の状況は、一か月前ですから、それでも少しは反応がある時期ですが、言葉に返ってくるものが無いとして兄は苛立つというか、不満のようでした。

 現在の状況は、言葉を発することが極端に減ってきている中で、ほとんど数語しか母が発する事は無く、アイスクリームやプリンを持ちこんでいるのですが、それを食べ終わって、「美味しい」と、「もういいから帰りなさい」くらいしかない状況です。
 私はそれで良いと、会話することができなければ傍にいるだけで良いと思っているのです。母からの反応が無い話題は発展の使用もなく、話題が途切れていく。病気の話も死に向かって行く中では、危ういので避けることにもなり、沈黙している時間がどんどん長くのも仕方が無いところとなっています。

 会話というのは黙っていても大丈夫な場面もあれば、そうではなく会話でしか通じあう事が出来ない場合もありますが、一方的なしゃべりは不安等の感情を覆い隠すためのものであったりします。そしてそのことを聞いている方も、ある程度、察する場合もあります。従兄弟は何を隠そうとしていたのか、分からないで終わりました。

この記事に

[ すべて表示 ]


.


みんなの更新記事