記憶障害の中で自分が今置かれている状況とか、身体の状況とか、そういうものの把握ができなくなっている事は非常に大きな問題に繋がっているようにも思えます。

 母親の場合、昨年の5月から通院しなくなっていたのですが、それに気がついたのは夏ぐらいじゃなかったかと思うのです。。最近、病院に行ってないよね、と問いかけた事はよく覚えています。
 あぁ良いのよアレは。飲んでも飲まなくても変わらないからと答えました。これが大きな契機になったのは間違いありません。ただ、その前でも、そう言いながらも結局は病院に行っていたのですが、今回ばかりは行くことが無く、それが今回の入院へと結びついて行きました。

 調子が変化してきた場合でも薬を飲まなくなったからだとは、まったく思わないというか、元から何の薬を飲んでいたのか私には分からなかった。すべて高齢化によって起きてきた問題と思った。立ち上がるのに苦労する様になったことも、間に合わずに失禁を起こしたことも、こんなものかと。

 勿論、本人も、まったくそうは思わない。何が起きているかを自己認識できなくなっている。今でも同じです。頭の中では昔と同じことができると。それもつい最近のできること、できないことではなく、多分、二十年以上前の気分で。だから家事はすべて私がやっているのに、退院したら家事をするのだと、それに100%の自信は無いけれど、とそんなことを言うのです。
 トイレに立てなくなっている自分、服を着替えるにも助けがいる、まして風呂は一人では入れない自分を認識できないのです。

 どこも痛くない、どこにも苦しいところもない、何故、ここにいるのかと繰り返す事になります。なかなかの状況です。今はお金の心配が、家に帰りたいという思いといっしょになっています。

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介護 6

 母親の状況の中で、兄に何時、どのように伝えるかが私にとって大きな問題です。

 前にも書きましたが、兄は社会常識がありません。自分の思い込みで突っ走る傾向が強く、例えば10年前に母親が胃潰瘍で入院した時も、本人がその前に直腸癌にかかったものですから、全腸内検査を私に無断で実行したことがありました。

 つまり相手、母親だろうが誰であろうが、相手の意思とは関係なく強要するところがあり、しかも自分では一切負担しない、金を出さない。
 ということはここで呼べば何が起きるのか。病院を変えろという話しか出ないでしょう。それも自分で探しもしないでしょう。あったとしても自分が癌で入院した病院でしょう。在宅なんてことは考えも及ばないでしょう。つまり知識もないし、調べることにも、せいぜいなところネット情報でしょう。

 兄については呼んでも役に立たないから、いらないと母親は言います。母親から、こう言われる息子も情けないと思いますが、実績がそうなんだから仕方がありません。
 せめて楽しい話、自分以外の孫やひ孫の話でもしてくれるなら良いのですが、相変わらずどこかが痛いとか、入れ歯がどうのこうの、買い物が大変だとか、テレビのお笑いタレントやテレビのバラエティ番組とか、そんな話題しかないのです。
 こんな番組は見たこともないし、見ようとも思わないような代物であり、母親にしたってまぁ、寝転がってうたた寝しながら見た経験くらいしかないでしょう。

 そして二言目には金が無い、金が無い。多分、私の三倍は年金をもらっているはずなんです。如何に嫁にむしり取られているにしても、情けないというか・・・・。まぁ、そんな愚痴話も仕方ありませんが、ただこれだけ母親の死期が近づいている中で、どうしたものか。ギリギリまで伏せていくか、悩みどころです。
 伝えれば、暇ですから、毎日、それも何時間も病室にいるでしょうが・・・。それが母親にとって良い事なのか。逆に、いつも困難から逃げていたのだから、一回くらいで全然、来ないかもしれないとも。

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介護 5

 98歳ともなると、どこの病院も癌らしいと分かっても、どこの部位の癌なのか、ステージはどこかなどの検査はしないし、まして治療もしないようです。まぁ、家族が是非ともと要求すれば別なのでしょうが。つまりは検査によって身体に負担を与える、あるいは治療によって延命を図るという事が意味を為さないということなのでしょう。

 つまりは検査にしろ、治療にしろ、本人のためではなく家族のためでしかないという意味のようです。そんなこんなで私も、最近、いろいろな人と会い、前のホスピスにも伺ったりするなどしたのですが、現状を受け容れたというか、どうすることもできないという段階に達しました。

 そして昨日、医師から余命三カ月という話がありました。ということは夏まで。秋口くらいでしょうか。でもまぁ、うちの母の事ですから、多分、年内までもつでしょう。信じ難いほど今までも元気でしたから。

 本人は特にこの数日、元気です。入院で認知症が進むのではないかと恐れていたのですが、記憶障害はありますが、実に普通に会話しており、何時帰れるのかと矢の催促です。
 本人は昔から、たとえ癌で死が近くても、絶対にそんなことを知らせてくれるなと言っておりましたので、勿論、言いません。

 そしてこんな状況ですから、在宅で看取りをするかと覚悟を固めていたのですが、医師の方は賛成しません。というのも展開が速いというか、貧血の進行スピードがかなりあり、下がり方が落ちているとはいえ、小康状態になったとは、言い難い。つまりは安定していない中で在宅が選択し難いようなのです。

 在宅するにも、我が家は築75年ですから、普通に畳で布団の生活ですから、これにベッドを持ちこみ、手すりなどをつける、車椅子で生活するというのには、相当な工事も必要であり、その甲斐もなく、へたすれば数日で病院に戻るか、亡くなるという可能性も高くある。これでは病院でという話になります。

 病院と言っても、もはや普通の病院ではなく、そうは名乗っておりませんが、ホスピスです。さてホスピスでの経験から、母の最後の最期をどのように迎えるかを考える時間に到達しました。

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