敗残者

 これは前に書いた事がある話かもしれませんが、ボランティアをしている多くの人は、ごく普通の人生を送ってきた人がほとんどですが、ほでほどはともかく、相当に功なり名遂げた人が加わることは無いですが、恵まれなかった人生を生きた人間が加わる比率は一定以上、加わります。
 そしてその中にも、まぁ人並み程度の年金を受けている者と、そうでない者、現役で仕事をしながらもボランティアをする人がいます。若い人には奉仕の精神で頑張る人もいますが、あまり長続きはできません。

 恵まれない人生を補償するかのような言動が目につく場合もありますし、何かしらの異様さを感じさせる場合があります。

 私なんかも、この異様さの典型かもしれないと思うところがあります。ただ、私の場合は、過去においても、現在においても、自分の人生が失敗だったとも、不幸だったとも思わないところがありまして、ごく普通の方々と内心はともかく、外側からはそうは見えていないのではないかと思ったりしますが、よく分かりません。

 うちひしがれている、何かしらの強い負い目を感じさせる人々がおりまして、家族にも恵まれず、社会の評価も低いまま、長い年月を過ごしてきた雰囲気があります。もはや取り戻すことが不可能であり、諦めと、コンプレックス、底辺の暗さが満ちています。

 何故、ほとんど似たような環境の中にあって、自分は何故、そうはならなかったのか、という不思議さがあります。

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 植物のガイドを辞めると宣言したものの強くひきとめられ、うだうだしながら、ともかく休むと言ってから、一月ほど経ちました。

 時間が経つと、益々、ヤル気が失せるという感覚で、これまた不思議な感じがします。ボランティアというのは、やはり相当に気を込めないと持続できないのかもしれません。意外なほどあっさりしたものです。まぁ、これでフェイドアウトかなという意識が強いもので、こんなものかと。

 今回のいろいろなやり取りの中で、ボランティアの歴史というか、その園の管理体制の歴史とボランティアの歴史とが噛み合って、それぞれいろいろな歴史を刻み、それが運営にも反映しているのだということが分かりました。

 ボランティアを使っている組織というのは、まぁ、そんなに管理レベルが高くなく、人材的にもたいしたことのない人が当たるということもあるのでしょう。つまりは情けないものでありまして、巧く使いこなすことも、なかなか無いというか、ボランティアの方も最初はともかく慣れてくれば、好き勝手にやるという特質もあって、なかなか面倒な事が起きがちであるということなのでしょう。

 人間関係なんていうのもスルリと抜けてしまう感覚で、全然、関係なくなるようです。まぁあえて会いたいと思う人も誰もいません。希薄さこそがボランティアのボランティアらしさなのでしょう。

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リアリティ

 アメリカを除く先進国では戦争へのリアリティを喪ったというか、国を挙げての戦争はリアリティがありません。ここに先進国以外の国々がつけ込むというか、居丈高にのさばる感覚が強くあるように思います。北朝鮮なんかは典型ですが、どうせ戦争ができないに決まっているという感じが濃厚に伝わってきます。

 戦争を厭わない、恐れない、暴力の力で支配を強めるという感覚は、現在、批判やら非難が強いポピュリズムとも絡み合っていて、なかなか不思議な国際環境を作り出しているように見えます。自国ファーストを唱えれば最終的には力で力を制するような感覚になるのも止むえないところがあり、軍事力を強化する流れが生まれるのでしょう。

 私自身は、現在、湧きあがるポピュリズムを否定する気持ちはありませんし、力には力で対抗するのも、グローバリズムの中では当たり前のように必要であると考えるものです。奇妙なヒューマニズムに立脚したパヨク的な主張は害しか生み出さないと思っていますから、自らの力どころか、反省することも無く、自分だけの正義を振り回す輩が横行する世界にはうんざりです。

 変な主張やらできもしない嘘をばらまき、繰り返している連中に痛い目に遭わせたいという気分がポピュリズムとなって噴き出している感覚があります。こn時代感覚は相当に長く支配するかもしれません。

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