灯篭流し

 地方版の片隅に、近くの川、といっても6Kmくらいは優に離れているのですが、そこで灯篭流しをやっているという記事を見て、こんなことやっているんだと、初めて行ってきました。

 灯篭流しは東京下町の旧中川で行われたのを数年前に見たくらいで、他は知らないのですが、ちょっと変わっているというか、独特の感覚がありました。

 灯篭流しというと、お盆の行事ですから、仏教色が強いものですが、ここでは東日本大震災以降、各宗教宗派が合同で行っており、神主さんはいるわ、キリスト教の修道会はいるわ、立正佼成会はいるわで、各宗教の儀式が祭壇を中心に次々と出てくる。
 聖歌隊の合唱の中をサリーをまとった女性が花などを奉げるというなかなか、他では見られない光景がありました。

 灯篭は千基用意されたという話ですが、それほどの数が流された気配はありません。川幅はそれほどありません。橋は30,40mありますが、川自体は10mくらいでしょうか。川面から人がいる川辺までも、それほど高低差はありませんが、灯篭を流すための桟橋が両岸に作られており、そこから灯篭流しの法被を着た人が、次々と灯篭を流して行く形です。

 夕闇が濃くなる中で灯篭がゆるやかに流れていく、時として風に吹き流されて岸辺に寄っていき、なかなか流れていかない風情というのは、忍びやかな明かりといい、日本的情緒です。

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大学での専攻の選択

 理系の場合、大学に入学する時に専攻を決めます。今、振り返ってみると、人生の中で大きな影を落とす事になります。これほど重要な決定が若い頃の判断、それもささいな理由で決定するのは、随分、残忍なものだなぁと思わないではありません。

 私の場合、経営工学とか、工業経営とか言われるものを専攻したのですが、工学部の機械とか、電気とか、化学とかいう既に社会の中で、どういうものであるのかがある程度分かっていて、卒業後も、その分野に近い仕事なりに配置されるのとは違って、雇った会社の方で、この手の卒業生をどのように配置して良いのか、分からないという事態が生まれていました。

 理系にしては基礎知識はまるでないし、そうかと言って文系のように営業や事務に配置するのも・・・という状況の中で、たまたま当時、コンピュータが会社に導入され始めた時期だったので、コンピュータ部門に配属されるという形が非常に多かったと思います。

 いわゆるSEになる訳ですが、当時のコンピュータは今とは違って、非常に電気工学的な要素が強いものでしたし、OSなんてものも、アセンブラーで記述したものを読み解くような水準で、経営工学なんてものは何の役にも立たない。つまりは使い物にならない学卒者であって、ほとんどの卒業生たちは苦難のサラリーマン生活を送ることになりました。

 まぁ、そんな話を書きたかったのではなく、卒業生達は社会的な共通基盤が無く、同窓で集まることがまったくなかった。皆、バラバラになっていった。当然のように大学を介しての結び付きもなく、ただ単に○○大学卒業というレッテルしかなかった。

 これもある種の苦難というか、個人の能力だけが支えという形であり、何の役にも立たない大学の学問、大学生活というものに非常に多くが陥ることになった。仲間が生まれない。作れない。学会にも属さない。完全に大学というか学問から遮断されてしまう。
 大学は大学で、本来、企業現場の問題と密接に結びついた学問でありながら、肝心の卒業生が大学と接触をまったく持たないが故に、学問のテーマが決められない、テーマ探しに苦労するという事態になっている。

 リタイアしてから東工大の講座を受講したのですが、こんなレベルかと、ほとんど進んでいない状況をみました。本当なら私のような人間が革新すべきなんでしょう。でもまぁ、そんな立場にも無いし、愛情もありませんから。

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歴史を語ること

 使っていた画像が著作権法違反だから、その画像について使用料を払え、画像を削除しても、過去に遡って請求するというメールが届いたので、全HPをネットから削除したというのが、今回のトラブルです。

 画像検索ソフトが充実したので、こういうことが可能になり、著作権者に代わってネット上で違反者を探し、料金を請求するというビジネスのようでした。私のHPでは、連絡用のアドレスが付いていたので、そこからメールが送られてので、アドレスが無い場合はどうしているのかは分かりません。プロバイダーにメールアドレスの開示を求めるのかもしれません。

 使用した画像が商用目的なのか、単なる個人的な趣味なのかによって違うようでしたが、あからさまな商用はそう多くは無いはずですが、さてこういうビジネスがどこまで徹底されていくのか。書籍レベルまで徹底されれば、ネットの価値も大きく毀損されるのでしょうが・・・。個人的な趣味の水準がどこまで許容されるのか難しいところです。

 まぁ、それはともかく70年代アヴァンギャルド、80年代幻の黄金時代、90年代から2000年にかけてのバブルの時代様々な出来事を掻き集めて、HPとして仕上げた訳ですが、自分が経験した以外の時代の雰囲気を如何に伝えるかに腐心したところがあって、大量の画像を必要としたのです。

 時代の雰囲気というのは、非常に簡単に忘れられるし、経験していない世代にはまったく分からないものです。ですので作ってきたのですが、しかし一面では徒労というか、誰も望んでいない事をやっているとも言えるのでしょう。海外でも、こんな事をやっている人を見たこともありません。

 皆さんの中にはWikiで分かるという方もいるでしょうが、Wikiの内容も大きく変化していることを知っていますか。かつてはそれこそ何ページにも渡って書かれていたものが、数行になるとか、抗議とかそんなことが原因ではなく、普通に消えることがあります。つまりは関心が無くなると、残らない。

 昔の事になると、当事者ですら、前後関係を誤って記憶しているのか、わざと前後関係を逆にして持論を展開する人もいて。違うだろう、それはと思うこともしばしばです。
 だから記憶が新しい内に語らなければならないのですが、まぁ、それも徒労と言えば、それ以上の事はありません。人は常に過ちを繰り返して行く、過ちから学ぶ事は、一代、つまりは二十年が良いとこかもしれません。それ以降は捻じ曲げられ、勝手に持論に引き込むというか、忘れている事をいい事に、決めつけ、ラベル貼りが通用するのでしょう。

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