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ブログの閉鎖

 ブログでは無いですが、トラブルが起きまして、ネット環境を整理するというか、年も年なので断舎利を実行する事にしました。

 7月20日頃にブログならびにHPを全面的に閉鎖します。

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人形 1

 人形のブームというのは、それほど表面に出ることなく底流にあり、それもいわゆる可愛らしい、女の子が喜ぶような人形は常に一定のボリュームがあります。その一方で、人の形をしているという事で気持ち悪さが必ずあって、恐れとも、奇怪とも言えるような感情があります。

 これが宗教像になると、不気味さは鳴りを潜めてくるところは人間の微妙な感性なのでしょう。そしてこういう人形に対する感情というのは民族性もあって、近くは朝鮮半島あたりでは、呪術性が根強い傾向から逆に人の顔がついたものを恐れる、嫌がるという話を聞いたことがあります。

 日本の場合は世界的に見ても非常に高度に多様に発展しており、文楽のように非常に高度な人形劇があったりします。
 その中で美術的芸術的な人形に大きな関心があり、彫刻を目指す若いアーティストは減り、人形を目指す人が増えているように感じられます。これは同じ人の形を作るにしても、彫刻、石にしろ、木、金属にしろ、大変な労力が要り、しかも銅像を作るような時代では無いですから、需要が小さく、食べていけない。それに対して人形は小型で木やプラスチックが主体であって作りやすく、コレクターがおり、需要もある。相場も一体あたりでみれば値段は遜色ないくらいに高額で売れる。しかも表現の幅が広い。これでは人形作家が増えるのは当然でしょう。

 創作人形は、今に始まった事ではなく、伝統から抜け出した人形という事で、人形学校で教えている人形のほとんどがそれであって、数多くの作家がいます。数多くの賞も存在します。ここらも実に日本だと思います。

 こういう中にあって、60年代に渋沢龍彦氏が紹介したBellmerの人形が、従来の人形世界の人々では無いアーティストに大きな衝撃を与えます。 
イメージ 1H.Bellmer

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ビデオ

 リタイア後に備えて映画三昧の日々を過ごそうかと、200本くらいの名作映画ビデオを備えていたのですが、あにはからんや既にリタイアしてから五年も経っているのに、1本も見ていないという惨状で、こりゃあ見ること無いなと処分に乗り出しました。

 60代くらいの頃にリタイアした後の生活で想像したことが、ことごとく裏切られて行くようです。あれぇ・・・・kらいなもので、分からないものです。

 計画したとおりになった人もいない訳ではなさそうですが、大抵の人は私と同じで予想外の方に転がって行く感じです。
 私の場合、現役時代の趣味を続けるには金が足らなさすぎるというか、ないものですから、とことん自制して、見ないようにする、足も向けないということをやったものですから、お陰さまで金は使わずに済んだけれど、すっかり疎くなり、また、業界自体も崩壊状況です。

 価値観が変化しているのです。変態じみた趣味も、もはや古いというか、見向きもされない、従ってそれを扱っていた店も、ほぼ都内から消失してしまって、覗こうにも覗きようもない。

 若者たちは、今はどんな捌け口があり、どういう表現をしているのか、ひどく見え辛いものになりました。時折変な事件がありますが、要領得ないというか、何だろうとは思ってはいるのですが・・・・。

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HPの閉鎖

 ドイツのcopy trackという会社から、画像の著作権侵害の指摘があり、金を払えという話が来ました。

 画像自体はもう既になくなってしまったテーマパークだったのですが、それが著作権侵害に当たるというのは、どういうことなのかなぁとは思ったのですが、金を払ってまで運営するものでもないし、作ってから、もう何十年も経って、アクセスの少ないようなので、HPの全面的な閉鎖に踏み切りました。

 そんな訳で歴史シリーズでバブルの時代、幻の黄金時代は既に見られなくしました。70年代アバンギャルドは青春の思いでもあって残してありますが、まぁ、これも時間の問題でしょう。

 ブログ自体は現在のネット世界では、かつてのような勢いは無く、ソーシャルネットワークのツイッターなどが主流なのかなとも思っていますが、まぁ、そちらの方は友達がいない私には不向きと思っています。

 HPなんていうものも何だろうかと思わないではありません。趣味に走って、いろいろ作ってみたものの、何かしらの影響はあったのかどうか、さっぱり分かりません。

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粗雑さの強さ

 死を巡る人生の様々な意思というのは、一概にこうだと決めつける事は難しい話です。ホスピスの論理というのも、いざ、自分の親の状況の中で、想定された精神的な状況とは著しく異なることが、今回、特に分かりました。悩むものが全然違うのです。何の参考にもならないというのが私の感想です。

 長生きは幸せか、と題された講演会が地域であったものですから、参加したのですが、講演者の粗雑で乱暴なロジックに、辟易とさせられました。

 70代の元気の良い人は、そういう風に考えるだろうな、くらいのものです。死が非常に簡単に片づけられるものとして展開されました。

 そこに集まった聴衆、50、60人くらいでしょうか。皆、講演者と似たり寄ったりの年回りですが、講演者の人生を、社会を切り捨てていく快活さに酔っているようで、何か変なムードになりました。

 本もいっぱい出している人のようで、全国にサークルを組織しており、ある種の助け合い、互助的なもののようでした。

 粗雑だけれど明快である方が、人を惹きつけるのだろうなぁと、そんな感想を持ちました。そして互助的な組織は互いに支え合うような、特に一人身の年寄りの支えとして、論理を超えたつながりが生まれていくのでしょう。そのことはボランティアをしていると、すごくよく分かるもので、何か年寄り同士が支え合う意味の方が強くなるのです。

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