メンタルヘルス

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マイナス思考 2

 マイナス思考の一番は自身の現状、現在いる場所を否定的に捕える、否定的に見ることが一番、多いのではないでしょうか。

 私の場合は大学が問題でした。他人からみれば一流大学ですから、それを否定的に捕えていること自体が信じられないところがあるでしょうし、まして同じ大学に通っていた人々、特に我が大学は愛校心が強い事で有名でしたから、何なのかというものでしょう。

 勿論、あからさまに大学を否定的に語りはしませんでしたが、強く忌避したことは間違いありません。

 何故、そんなに否定的であったかというと、その頃、大学のキャンパスは建設中でひどい埃だらけで、緑の欠片もありませんでした。そしてマンモス大学の荒涼たる雰囲気は凄まじいものでしたし、私立大学で、皆、遊ぶこと以外には考えておらず、お金が無い私には辛い時間になりました。

 大学紛争が起き、学内は荒れ、一人の友人も得る事が出来ず、ネグレクトという形の虐めに遭う事になりました。実に苦しい、どうしようもない、救いの無い日々でした。これで愛校心を持てという方が奇妙でしょう。

 大学への反発と敵対心は卒業も続く事になり、OB面した先輩に苦しむ事になり、卒業後は縁がほとんどありませんでした。

 こういうことというのはよくあることなのかもしれませんが、大学時代のつながりをまったく欠いた人生というのは、私のように個人で生きることを選ぶ事になる人生では、なかなかハンデになるものであったように思えます。
 また、誰よりも研究者向きと呼ばれたような人生の中では、大学へのとっかかりを持たないという事は、大学への道を塞ぐことにも繋がりました。

 さて振り返ってみた時に、大学で何を専攻したのか、という問題が後を引いている感じもあります。経営工学とか、工業経営とか呼ばれる学科、学問の深さに欠けた背景の悲劇みたいなものも関係しているように思えます。

 まぁ、どちらにしろ大学の発展、学問の発展とは無縁でありましたし、今でも愛情はまったくありません。これは大学にとっても、私自身にとっても、幸福とはいえない出会いであり、結末です。

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マイナス思考

 兄がマイナス思考ばかりの発言ばかりだったので、マイナス思考というのは何なのだろうかと、最近、思う事があります。

 私自身も、若い頃はマイナス思考が激しいもので、プラス側にものごとを捕える事が難しいというか、自身ではそうでも無くても、発言自体がマイナスというか、否定的なことが強くあったように思えます。ある部分、友人たちに呆れられていたところもあったように思わないではありません。

 それが転換して行かざる得ない事態が生じるのは、33歳ぐらいの頃に会社を首になり、独立して仕事をしていかざる得ない立場に追いやられたからです。マイナス的な事を言ったり、否定的な態度では、やる気が無いと見なされたら、仕事は来ないし、どうにもならなくなるからです。

 まぁ、それでも意欲を持って独立したからすれば、私なんかの意欲はかなり低いものでしかなかったでしょう。それでもともかく前に進まなければ、どうにもなりませんでしたから、夢こそ語れませんでしたが、前に進む事は推し進めていきました。

 批判というのは、えてしてマイナス思考的なものになりがちで、積極的に困難を引き受けるつもりが無いのに批判を繰り返す事は、非常にその人の人生を歪めるものになりがちである事は、理解しました。ですから気を付けています。
 ま、それでもボランティアをしながら、結構、厳しく批判してますなぁ・・・・まぁ、性分がそうなんであり、家系的にも、そういう傾向があるのでしょう。

 プラス思考というのは、ちょっとバカみたいなところもありますが、世の中を生きていく上ではプラス思考である方が歓迎されるというか、最終的にはHappyな方に行くような感じがします。

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 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 昨日は早速のボランティアでした。まぁ、例年そうなんですが、正月のイベントで駆り出されるのです。無料デイでもあり、そこそこ人はやってきます。いつもの日曜日よりは少し多かった感じです。昨日の東京は元日ほどではなかったけれど、晴天で暖かったですから。

 元旦は暖かったせいで初詣はどこも大変な人が出ていて、そばを通りましたが、何時間も待って初詣というのはなぁ、という感じで素通りして、初詣は今日になりました。

 ま、年を取ったんで、祈ることと言えば健康くらいしかありません。今さら、何か幸運が舞い降りてくるなんてことは期待したって何も出て来ないですし、最近では御神籤も引かなくなりました。

 着飾った若い男女やら親子連れを見ていて、何かを感じることもありません。若い人と年寄りが一緒にお参りしている姿は、特に年寄りが車椅子に乗っていたり、ようやくかろうじて歩いているような場合というのは、何かしらの思いを抱きます。

 膨大な時間が通り過ぎているという感覚の中にいるのですが、次第に感情が磨滅して行くようです。母親なんかは、ただもう面倒くさいと感じているようです。

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薬の影響

 統合失調症の薬というのは、本をみると沢山、出てくるのですが、実感が全くないので覚えられません。ですから何がどういう作用があるのか、知らないのですが、皆さんの様子を見ていると、何かしら感じるものがあります。

 講演会で聞いた話ですが、娘さんの飲んでいる薬を、たまたまちょっと精神的に興奮していたので、飲んだところ、数日間、完全に記憶が吹っ飛び、人事不省となり、その様子は口を開け、唾がだらだら流れ出すような状態であったらしい。娘はこんな劇薬を飲んでいたのかと初めて知ったと。
 統合失調症がもたらす病状ではなく、薬の副作用の凄まじさを示す話で、我々が普通に飲む薬とはまったくの別物であることにショックを受けました。

 暗い顔をして、ただ黙って俯いている人達を見ていると、病が引き起こしているのか、薬のせいなのか、素人の私には区別がつかないのです。前回、行儀の良さについて書きましたが、薬が生み出している何かである可能性も否定できないのです。

 いつもは比較的おしゃべりな人が、顔がこわばり、眼もすわった感じでいるので、今日はあまり調子良くないみたいだねと声をかけると、薬を飲んでいるからと答える場合があります。
 あるいは逆に機嫌良く大声で話をしている人には、スタッフの方からきちんと服薬してますかと問われ、きまり悪そうに、ちょっと飲んでいないと答えたりするのです。

 機嫌が良いというのが、けっこう曲者であるようです。機嫌の良い理由が薬を飲まない場合というのは、機嫌が良くなるような何か良い事とか、嬉しいような事があった訳ではないので、次第次第に訳分からないような理屈、ある種の妄想というか、せん妄が出てきたりするようでした。そしてそれを抑えるのは、本人は勿論、周りにいるスタッフにしても、容易ではなくなって行くようでした。

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行儀の良さ

 先日、社会復帰支援施設でX'mas会がありました。なかなか盛り上がらないのはいつもの事で、まぁ、それでも利用者さんはそれなりに楽しんでいるようでした。
 私の家なんかもそうなんですが、年を取ると、ただただ面倒という気分があって、他人様がやってくれるのならともかくとして、自分で全部やるのは、結構辛いものがあるものなんです。

 その意味では皆さん、あまり楽しい日々を過ごしている訳ではないので、それなりの思いというか、楽しいというのに少し遠いかもしれませんが、こういう施設に参加・利用している意味はありそうです。

 宴も終盤になって、食器などの片づけをする段階になると、ここの利用者の人達は皆、分別し、洗い場に持ってきます。そして順々に洗って行く。実に行儀が良いなぁと感心します。これは例年というか、いつもの毎週行われる食事会でも共通しています。

 他の場所ではこうはならないです。片づけをしない人がいたり、分別しない人がいたり、洗い場も誰かが何人か分をまとめて洗う場合もあるし、シンクにただ置いて行くだけの人もいます。

 この光景は何なのだろうかと、私なんかは思ってしまいます。多かれ少なかれ皆、精神病院に入院していて、その後も作業所などに通っていて、こういう集団生活に慣らされているというべきことなのか、何か他の要因が絡むのか、よく分からないのですが、「狂気」という言葉から連想するものとは大きく異なっている事だけは確かです。

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