生長の家「今昔物語」(保存版)

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< 臓器移植と谷口雅宣先生 >


 第三代目・谷口雅宣先生は,平成21年6月9日の「小閑雑感」の御文章で『生長の家では「脳死は人の死」とは認めないどころか、「心臓死は人の死」とも認めない。「人間は不死である」というのが教えである』と書かれています。信徒の皆様はこれを読まれて“その通り”と思はれるでしょう。しかし、よく考えるとこの御文章は信仰を持たない一般の人々が読むと、<この肉体の自分は永遠不死である>と解釈します。その理由は、「現象」と「実相」とを混同して書かれているからであります。

(1)生長の家で説く「人間は不死である」とは、正確に言えば「実相人間は不死・生き通うし」、しかし現象の「肉体人間は不死ではなく」必ず死ぬ時が来る。インターネットの世界では、不特定多数の人々がこの御文章を読むのであるから誤解を与えないような言葉遣いが必要であると思います。

(2)脳死であろうが心臓死であろうが、地上に生まれてきた人間の肉体は必ず死ぬときが来るのであります。然らば,何時の時点で<肉体は死んだ>と判断すべきでしょうか。この御文章には何も書かれていない。医学上では脳死・心臓死など色々に議論されておりますが、宗教的・霊的見地からの判断はきわめて簡単・明確であります。<肉体人間の死とは、肉体と霊魂とを繋いでいる『霊線』が完全に切れて霊魂が再び肉体へ戻れなくなった時>であります。昔の人々はこの事を直感的に、経験的に知って二日間(48時間)ほどの余裕を以って荼毘(埋葬)に付したのであります。『霊線』については『生命の実相』第10巻P.171「霊界の妻は語る」P.100に書かれています。

(3)雅宣先生は『臓器提供の意思のある人は、そのことを明確にして示しておけば移植手術への協力はできるし、そのような愛他精神は賞賛に価する』とも書かれています。文中の<そのこと>とは、臓器提供者が『私は脳死または心臓死を以って私の肉体死と認めます』と意思表示しておく事とおもわれます。肉体死についての正しい知識を持たない当の本人が、霊線が未だ繋がった状態で幽体離脱して医学的に<死>と判定されて臓器を摘出されて行く自分の肉体を上から見てどのように感じるでありましょうか。これは宗教的・霊的に見れば合法的依頼殺人・合法的委嘱殺人ではないでしょうか。宗教家であれば霊的・宗教的観点からの考察が必要であります。

はたして、雅宣先生は『生命の実相』その他の開祖・谷口雅春先生の御著書をどの程度読まれているのかはなはだ疑問に感じるのです。
生長の家の法灯継承者であれば、実相と現象を混同しない文章・もっと霊的観点に立ったレベルの高い内容の御文章をお願いしたいものです。


本当の『生長の家』を伝え遺す信徒連合・作成


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