生長の家「今昔物語」(保存版)

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<注釈コメント>
 
・「今の教え」の内容を読めば、「常恒不変なる肉体は無い」・「水の流れの無くなったものは川ではない」。ここから連想されるものは<空仏教>の教歌である「引き寄せて結べば柴の庵なり。解くれば元の薪なりけり。」であります。  
 
・「今の教え」の「肉体は無い」の説明は、この空仏教の教えと同じであります。なぜならば、「肉体はナイ」だけの説明、つまり学者的緻密な分析知による説明だけで終わっており、「金剛不壊なる理念としての人間」・「人間・神の子の真理」・「実在としての実相宇宙の形相」が説かれていないのであります。
 
・「今の教え」では、「理念は現象に先立つ」・「理念が現象として現れてくる」の所まで説明が行き届いていない。「理念としての人間」・「理念としての川」・「現象世界の無限倍層の至美至妙なる実相世界の実態」の説明がなされていない。
 
・空仏教の範囲だけの説明では厭世的無常感に陥り、人間の病・悩・苦の現実的救いは現われないのであります。宗教の講演・講習会は、学者の研究発表の場所ではない。話を聴くものに霊的感動を与え、病・悩・苦から現実に救われる場でなければならないのであります。
 
・さらに言えば、神様の自己実現としての私たち個生命は、仮存在としての本来ナイ肉体を顕して、それを乗馬としてこの仮存在としての三次元地上世界に於いて真理を学び、無限の価値の創造の過程を通して、自己の霊魂進化の階梯を登って行くのであると言うところまで生長の家の講習会であれば説かれなければならないのであります。ここにおいて、本当の霊的感動と霊的歓喜の人生が開けて来るのであります。お話を聴きに来た人達もそれを心の底から望んでいるのであります。
 
平成21年7月2日発信
                           
      
本当の「生長の家」を伝え遺す信徒連合・作成


2009年07月01日(水)

「今の教え」に於ける「肉体とは?」・「川とは?」
 
平成19年11月の群馬県講習会において、当時の谷口雅宣副総裁は次のように説かれました。(11月4日・5日の「小閑雑感」にて掲載されています。)
 
・常恒不変なる物質的存在としての<肉体>は無い。肉体を構成している物質分子は新陳代謝という形で常に入れ替わっている。私たちの<肉体>は高速度で生化学反応をする物質分子が通過する痕跡の一部であって、そこに肉体という形で見える仮存在である。つまり「肉体」は物質分子の流れの「呼称」にすぎず「肉体」という実体は無い。即ち「肉体はナイ」。
 
・同様に、「川」という実体は無い。「川」は水の流れの一つの「呼称」に過ぎない。「川」という物質が存在するのではなく一定量以上の水の流れを人間が「川」と呼ぶのである。

 
「本当の生長の家の御教え」に於ける「人間とは?」・「肉体とは?」・「川とは?」
 
・「実相金剛身の神示」には、
 本当の人間・実相人間は「空」ではない、金剛身である。永遠不滅なる実相身である。形は無いと思うな、形は確かにある。実相人間は肉体人間よりもまだまだ確かな至美至妙な形を持つ。山の形や川の形や植物の形や動物の形なども、仮に現象界のそれに似ていると思えばよいが、一層精妙なのが実相世界の姿である。
 人間の本体は、捉えどころの無い「空」なるものではなく、それは「理念の体」であり、金剛不壊の<純粋形相>が理念であり、人間の本物は金剛不壊の<純粋形相>たる「理念人間」であります。
 
・聖経「甘露の法雨」には、
<<人間は物質に非らず、肉体に非らず、・・・人間は霊なり、生命なり、物質の奥に肉体の奥に霊妙極まりなき完全なる存在あり、・・・これこそ神に造られたるままの完全なる汝そのものにして常住健康永遠不滅なる生命なり。汝ら今こそ物質を超越して汝自身の生命の実相を自覚せよ。>>
 
平成21年7月1日発信

本当の「生長の家」を伝え遺す信徒連合・作成

<注釈コメント>

・開祖・谷口雅春先生の「迷いとは無の別名である」従って「本来無きものの出所を求めることは出来ない」。この教えは谷口雅春先生の唯神実相・実相独在の深遠なお悟り(大悟徹底・絶対実在の絶対認識)から来ているのであります。信徒としては「只、ハイ!」とそのまま受ける事によって迷い無き世界へ出れるのであります。これは、第三代目・谷口雅宣先生の主張される「原理主義」では決してありません。

・宗教の世界においては、実際の現実生活に迷い悩んでいる人々の迷いや悩み自体を現実に救ってあげなければなりません。学者や評論家の世界の解説は、宗教の世界の解説ではありません。

・いきなり「迷いは無い」と一喝しても理解できる人は少ないから、食堂のメニューの選択の自由を、迷いの例として説明するほうが分りやすいと考えられるかもしれませんが、開祖・谷口雅春先生の時代には「迷いは本来無い、無の別名である」と実相直視の説法で救われた人は実に沢山おられるのです。無数の体験談があります。この説法で生長の家の教えは広く広がっていった事実を無視することはできません。また、「生命の実相」第1巻・第2巻実相篇をしっかり読むと、迷いの無い世界へ脱出できるのです。

・生長の家へ入信してくる人々は、「宗教的機縁」の熟した人々であります。「霊的機縁」の熟した人々には、霊的感動あるコトバが魂に響いてゆくのです。従って「迷いは自由から来る。」といった説明は、「霊的機縁」の熟した人々には、霊的感動あるコトバとなっては何も響かないのです。逆に本当に迷ってしまう事になります。従って「生命の実相」その他の谷口雅春先生の霊的感動を与えられるコトバあふれる御著書(特に「生命の実相」第1巻・第2巻実相篇が大切です。)を繰り返し繰り返し自分を無にして読むことによって「迷い」は消えて行くのであります。

・「迷い」に関する新しい解釈を作り出す必要など無いのであります。却って新しい「迷い」を作り出し、その人の霊的進化を遅らせる事になるのであります。なお、「真理」第10巻実相篇の「道徳的善の価値と自由」に関する谷口雅春先生の御文章を<迷いは自由から来る>という解釈の根拠として引用することは適切さを欠いていると言えます。また、食堂のメニューの選択を人生問題の深刻な病・悩・苦の迷いと同じレベルで考えることは、如何にわかりやすい方便とは言え軽率であります。食堂のメニューの選択は単なる<思案>であります。
 
平成21年6月29日発信
            
     
本当の「生長の家」を伝え遺す信徒連合・作成

2009年06月28日(日)

「今の教え」における「迷いとは?」・「迷いは何処から?」

平成19年7月15日・埼玉県講習会において当時の谷口雅宣副総裁先生は、信徒からの「迷い」に関する質問に次のように答えておられるのであります。また、平成19年9月の「小閑雑感」の中で5回にわたってこの事を採り上げて説明されています。要点は

(1)「迷い」とは、選択・判断を決め兼ねることを言う。
(2)「迷い」は、自由から来る。さらに詳しく言うと「迷い」は、欲望追求のために自由を行使せんとする所から来る。


<「迷いは、自由から来る」ことの説明>

・食堂へ入って沢山のメニューの中から自由にひとつの好きなメニューを選ぶときには、どれにしようかしら?と「迷う」。従って「迷い」は選択の自由から来る。

・「真理」第10巻・実相篇において、谷口雅春先生は「道徳的善であるためには、常に墜落したり脱線したりする自由が一方にあるのに、自ら好んで墜落したり脱線したりしない所に善としての価値があるのである。」と説かれている所からも十分に説明できる事柄である。


「本来の正しい生長の家の御教え」

開祖・谷口雅春先生は、「迷い」に関しては「生命の実相」第21巻・経典篇第3章<知恵と無明と罪>、「生命の実相」第24巻・質疑篇<人間・神の子の完全さについて>の中で極めて端的に説かれています。即ち

(1)無明(まよい)は、あらざるものをありと想像するが故に無明なり。
(2)真相を知らざるを迷いという。
(3)転倒妄想を迷いという。
(4)われとわが生命の完全円満なる実相を悟ることを得ざるを迷いという。


<「迷い」は、どこから?>

・「迷いは本来無い」わけでありますから、「無いところの迷い」は何処から?――というその「何処から」も無いわけであります。

・「迷い」が非実在だと言うことが判ったら、その「迷い」が何処から来るかというような疑問も無くなるわけです。

 
平成21年6月28日発信
        
本当の「生長の家」を伝え遺す信徒連合・作成

2009年06月26日(金)

 さらに、谷口雅春先生は「生命の実相」第14巻・第4章「和解の倫理」の中で

・要は、<天地一切のものと和解せよ>との生長の家の第一最大の誡命(いましめ)は、「天地一切のものの実相と和解せよ」ということであって、仮相や虚説にたいしては「サタンよ去れ!」と排撃すべきなのであります。釈迦もキリストも同じような態度で虚説を駁撃せられたのであります。

・虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許す。どうか皆さんも虚説に対しては和解することなく、どこまでも「サタンよ去れ!」の態度で進んでいただきたく、人間に対してはその表面の<包み>(罪)をみないで、その罪なき完全な実相を見てその罪を赦す(その罪を見て<無い>と見て捨てる)ことにしたいのであります。


<注釈コメント>

・この今昔物語の内容は、第三代目・谷口雅宣先生の御人格、即ち神の子なる実相を攻撃したり冒涜しているものではありません。谷口雅宣先生の神の子としての実相は、誠に素晴らしいもので全人類の他のすべての人々と同様に使命と役割を果して霊魂進化の階梯を登りつつあられるのであります。

・然しながら現段階における谷口雅宣先生の「今の教え」なるものは、開祖・谷口雅春先生の御教えの内容とは似て非なるもので、換骨奪胎されたものになっているが故に明らかに<虚説>といえるものであります。従って、谷口雅春先生の御教えの内容である<真説>でもって<虚説>をその本来の無に還帰して消滅せしめなければなりません。

以上で冒頭の疑問点は氷解できたのであります。なお、「法灯継承の真義」・「何故、谷口雅春先生の御教えが真説と言えるのか?」については、後ほど改めて、詳しく明らかにして行きたいと思っています。

平成21年6月26日発信
                      
本当の「生長の家」を伝え遺す信徒連合・作成

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