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神我顕現への道       知花敏彦 ✵ まなびの会様は⇐こちら
から引用させていただきました  エドガー・ケイシーさんの記事♪

       
瞑想とは何か           
瞑想の意味は神秘に達すること    知花敏彦師の記事♪

 瞑想に興味を持っている人や実際瞑想をしている人は多いのですが、果たして瞑想って何なのでしょうか。また、何のために瞑想するのでしょうか。

 瞑想の意味を知らなければ、瞑想にはなりません。ただ目をつむっていればよいというものでもありません。

 瞑想しないで神の国、すなわち神我到達は出来ないと言われています。
 イエス様もパプテスマのヨハネも十年間、インドに渡って瞑想をしました。瞑想の達人になって神我到達の域に入ったのです。

 みなさんに「どういう瞑想をしますか?」と尋ねましたら、「自己を見つめる瞑想をしています」と答える人が多いようですが、確かに自己を見つめるのも一つの方法ですが、神我を見つめるのが本当の瞑想です。

 自分を自分と思い込んで瞑想するのならば、それは自我の瞑想であって、本来の瞑想ではありません。神我という、大霊との一体感を本当の瞑想というのです。
 自己の本性を見つめることは無限で普遍的な大宇宙と一体化することです。


深い瞑想状態に入った時、色即是空、空即是色が理解できる

 私達は今まで外側の姿、形の外観、つまり表面を見つめてきました。その肉の目と耳を閉ざして大霊(神・神我・大生命)へと心を集中する、これを瞑想状態といいます。

 今まで自分たちが考えている肉体という外念は存在しません。肉体という物質は存在しないのです。肉体は霊体であるといえます。

 「色即是空・空即是色」
 これは般若心経の言葉です。見えるものは見えないものであり、見えないものは見えるものであると、その見えないものと見えるものは同一であるという意味です。

 話を聞いたり、考えるだけでは何の意味もありません。話そのものや考えることは神理ではないからです。文字そのものは神理ではありません。

 ですから、いくら話を聞いてもいくら本を読んでも、瞑想を実践しなければ真の自己を実感することは出来ません。

 瞑想中は、大霊(神我・大生命)以外の事を見てもいけないし、思ってもいけません。大霊そのものへの一心集中を行います

ところが、一般にまかり通っている瞑想は、光が見えた、霊の次元から姿が見えた。景色が見えたといった状態を瞑想といっています。

 真実(根源・無限・内在する真我・裡なる神)との一体感、実在との一体感の我に帰ることが大切で、これを図ることが本当の瞑想です。


瞑想は教えてもらうものではなく、自分で実感するもの
 
 皆さんの中には、瞑想を教えて下さいという人がいます。ですが、瞑想はそう簡単に教えられるものではありません。自分自身で実感するしかないのです。

 聖者の方たちには「完全沈黙」をしています。完全沈黙というのは五感の沈黙、自我のない状態をいい、この世のものを全然感じなくなります。この完全に自我意識から開放された状態を完全沈黙といいます。

 私達の肉体は存在していないのですが、私達自身は肉体を感じています。肉体は霊体です。霊が肉という姿・形をしているだけであって、姿・形の実体は全て大霊といえます。


神の臨在感とは

 「無我の境地」というのは、何のないという意味ではありません。
 自我がないことです。
「神(遍満する大霊・大生命)あるのみ」という境地です。
 
 今まで私達は自己中心的な、自我の自分を感じていましたが、そのような自我がない状態を「無我の境地」というのです。そこには普遍的な自己、宇宙的な自分があります。
 自分が全宇宙そのものであり宇宙霊そのものである。宇宙意識そのものであるという状態に意識を統一することです

「汝の見るもの全てを受け継がん」
 つまり、大きいものを見れば大きい物を受け継ぎ、小さいものを見れば小さいものを受け継ぐことになります。

「想念は実現の母」 と言われています。自分を人間と思っているのか、大霊と思っているかで。自分自身が決まります。

 寝ても覚めても四六時中、神を思い、自分が神であり、大霊であり、大生命である、との思いが大切です。
 これを思い続けることを「連続的祈り」といいます。祈りは神との一体感です。即ち「神の臨在感」です。


瞑想こそが宇宙神のバイブレーションに合わす唯一の方法

 皆さん方が神と一体化した時、神の心臓と自分の心臓が一体となって鼓動するのです。

 神への到達というのは神そのものに成りきることです。世の中では「神になる」といえば特別な意味に捉えられますが、特別なものではありません。

 自己実現というのは、大霊、神我が自分自身だと自覚できる状態を把握することです。生命の把握を「自覚」ともいいます。あるいはまた「実感」ともいいます。
 
汝の意識するとき、汝はそこに居るのである」 という名言があります。
 外側を意識すれば、外側に留め置かれます。内側を意識すれば内側に留め置かれるのです。

 世の中で瞑想している人は沢山います。ところが瞑想が何であるかをはっきり理解できている人は案外少ないのです。瞑想が何であるかわからないのに瞑想することは出来ません。


瞑想は神への一心集中である

 瞑想とは皆さんが「こういうものか」と自分で見出すものであり、人から習って出来るものではないのです。

 皆さんの中には、瞑想中に色々考え事をする人がいます。考え事は全て雑念です。完全な深い瞑想状態というのは、この世的なものが1点の意識もない、大霊そのものに溶けこむようにして、大霊そのものになる。融合するという一体感です。
 
 それができるようになるまで、皆さん方は瞑想していかなければなりません。ただ何回か繰り返しているうちに、無意識のうちに軽く目をつむった瞬間、大霊を自覚できるようになります。

 「神理が神理を啓示する」という言葉があります。私達が神理へ一心集中をすればするほど、「天啓」というインスピレーションを受けることが出来ます。

 私達が、普段なぜ「天啓」というインスピレーションが受け取れないかといいますと、自分の意識が非常に低い状態だからです。低い意識状態というのは、外側を意識した状態のことをいいます。内側を見つめている時には高い意識状態といえます。


密教では、「欲望」「感情」「意思」を経て「覚者」に達する段階がある

 密教学では、イニシエーションという言葉を使います。第一イニシエーション、第二イニシエーション、第三イニシエーション、第四からは覚者といいます。

 イエスキリストがこの世で十字架にかけられた時は、第三イニシエーションだったのです。十字架にかかって、肉を十字架にかけられることによって、第四イニシエーションという覚者になり、第四が終わるとすぐに第五という位を授けられたのです。今は第七です。

 第一イニシエーションというのは、まず肉の欲望です。食欲、物欲です。美味しい物を食べたい、良い洋服を着たい、豪華な家に住みたい、豪華な車を乗り回したい、そういう欲望を克服した状態を、第一といいます。
 
 そして、それを欲しがっている間は、肉が強力に働いています。ご飯を出されても、美味しい物が出ないと「これが食えるか」という意識です。意識の高い者が「これが食えるか」とは言いません。
 食べ物への文句、それは一番、低い状態です。
 
 肉の自我がうんと働いている状態です。食べ物を文句無しに食べる、ありがたく感謝して食べる。美味しいとかまずいということは、無関係です。それが克服できますと、第一段階のイニシエーションです。

 第二イニシエーションというのは何かといいますと、感情のコントロールです。感情が出ない、何か人から言われて、かっかとして鬼みたいになる人や、すぐにかっと思う人など・・・・・。

 これは感情のコントロールが出来ていないのです。すぐ怒ったり憎む。そのような嫉妬深いというような感情はコントロールできなければなりません。

 それらは瞑想を通して全部が克服出来ます。食べ物の欲望が無くなります。人を許せるようになります

第三イニシエーションとは何かといいますと、意思のコントロールです。意思とは何でしょうか。これは想念のことをいいます。想念のコントロールのことです。意思の力をいうのは想念の力です。
 
 今まで悪想念だったのが、常に良い思いを持つような意思になります。皆さん方は自由意思を持っていますから、悪いことも出来、悪想念も持つことが出来ますし、また正しい想念を持つことも出来ます。

 欲望、感情、意思の3つが克服されるために、私達はぜひとも努力しなければなりません。すぐに妬みっぽい、怒りっぽいというようでは、まだまだ感情のコントロールが出来ていません。
 

気が高いとは、バイブレーションが高いことで、意識の高揚を意味している

 瞑想しないで、皆さん方のバイブレーションを上げることが出来ません。意識の高揚こそがバイブレーションです。意識は自我意識にいながら、バイブレーションの高い人がいるでしょうか。瞑想を通してのみ、バイブレーションを上げることが出来ます。

 意識の上がった状態を、バイブレーションの高い状態といい、意識の低い状態を、バイブレーションが低い状態と言います。

 バイブレーションの高低があるから、低周波数と高周波数があるわけです。バイブレーションの高い人というのは、どういうことなのでしょうか。
常に自分が大霊(神我キリスト・大愛)との一体感を感じていきますと、いつも皆さん方は、高我の自分、神我の自分、高い次元に自分を留め置いていることになります。

 我々が大霊との一体感を感じている時に、初めて私達は神のバイブレーションまで高めることが出来ます。神を意識している時は、神のバイブレーションです。肉体を意識しているときは、低我の、低次元のバイブレーション状態です。

 バイブレーションが上がった方のことを、どのようにいうかといいますと、気高い人といいます。

 バイブレーションの低い状態を気落ちをいいます。バイブレーションが高い状態というのは、エネルギーが高い状態であり、自我意識はエネルギーが低い状態です。


エネルギーが低い人が病気になる

 低次元意識で生きる限りはエネルギーが低いのですから、私達は病気になります。
 しかし、覚者の方々は病気にはなりません。なぜかといいますと、エネルギーを高めておりますので、病気にはならないのです。意識の低い人が病気になるのです。

 神我は、罪を知らず、病を知らず、死を知らずといい、我々は神我に到達しないかぎり、罪と病と死は無くなりません。肉体の破壊があるだけです。


白色同胞団 ホワイトイーグルの意味と、七という聖数の意味

 イエス・キリストの肉体は、十字架以後は完全な変成を遂げられていたわけです。その時に、オリーブの山の上に立っておられましたが、目の眩まんばかりの白光に輝いたのでした。

 真っ白姿で、雪のように輝いて見えます。白色同胞団といいまして、ホワイトイーグルともいいます。その神我は白光の世界です。皆さん方は、白い色といいますと、何を思うでしょうか。

 白色とは七つの色をミックスすると、白光になります。七色の虹の七つのチャクラの生命線が一つになった時には、白光として輝きます。

それをエルランティといいますが、全部含めてエルランティ(※高橋信次師と、普通は名づけているところもあります。

 あるいは七つの天門とか、七つの霊的中枢とか、あるいは七つの教会とも言われています。それが一つになった時、白色となります。

 自分は大霊であることが、はっきりと実感できるまで瞑想をして頂きたいと思います。たくさんの話を聞いたり本を呼んだりすることよりも、少しでも時間が有りましたならば、大霊との一体感の方が大切であります。

 皆さん方の瞑想状態を見せて頂きますと、到達されている方とされていない方とは、相当の格差があります。 
 到達している方からは、相当の光が出ています。

 今から何ヶ月前までは、大勢の大衆の中からようやく一人か二人、白色に輝く者がおりました。この頃は大半の人が、瞑想している時に輝いております。

 瞑想している時にあれやこれやと物事を考えながら目をつむっている人がいます。明日はどういう仕事をしようか。どうしようかと考えながら目をつむっている人、これは自我瞑想ですから、そのような人からは光が放つことはありません。

 それは目をつむって三次元的な事を考えているわけですから、神への到達ではありません。ですから瞑想でもありません。
 瞑想とは、神そのものに成りきる。大霊そのものに成り切るということです。


瞑想が如何に大切であるか、またどうすれば瞑想できるのだろうか

 瞑想しないで、神が探せるでしょうか。瞑想しないで、神の扉が開かれるでしょうか。もし瞑想なんか不要、という方がおりましたならば、その方は地獄が好きな方なようです。

 今はアクエリアスの時代、水瓶座の時代と言われています。この時代は、非常に大切な、霊的にも求めやすい時です。霊的な道案内人の現れるときでもあります。またこの時代は最後の振るい分けともいいます。最後の審判ともいいます。

 そして熟した魂と未熟な魂の収穫時にあたります。熟した者は天の蔵に納められ、未熟なものは再生されます。即ち、輪廻を繰り返すことになります。

 「時が来たら、あなた方は天の蔵に納められるであろう」という言葉があります。その時が今のこの時代です。

 皆さん方は今生で成し遂げられなかったとすると、また何万年この世をさまようか、再生されるまで、次のお迎えが来るまで、収穫時が来るまで皆さん方は何回もこの地上界をさまようことになります。

 それは聖者も予言されています。
 最初から瞑想が出来た人はいません。みんな瞑想の素人であったわけです。瞑想していると、いろんな雑音が浮かびます。

 今日は何をしようか、あれをしようか。夕飯は何を食べようか、今日の夕飯はまずかったとか、お酒でも飲もうかとか、何をしようか、遊びに行こうか、そんなことを考えます。

 そういう雑念は放っておいていいのです。いつの間にか瞑想しているうちに、雑念は減っていくものです。
 神の道は細く長いのです。「選ばれた者は多いけれども、招かれた者は少ない」という言葉があります。

 この意味は、本当に招かれるもの、神の国へ入れるものは数少ないという意味です。皆さん方は瞑想を通じて、色んな答えを出して頂きたいと思います。


瞑想とは四六時中、神を思うことである

「神にて語らせよ」という言葉があります。神にて語らせよ、という意味は、生命より語る、霊より語るということです。

 生命より語るためには、霊的な自覚、生命の自覚はなさねばならないということです。あなたは霊的自覚、生命の自覚がなくても、あなたを通して神が語っていることになります。
 
 ところで神は神棚をとおして語るのか、霊媒を通して語るのか、あなたを通して語るのか、どちらでしょうか。あなたを通して語るのです。

 四六時中神を思うというのは、どういう意味だと思いますか、あなたは四六時中大霊そのものであり、大生命そのものであるという思いが、四六時中神を思うということです。

 四六時中皆さん方は自分が、人間だ、肉体だと思っているのか、自分は四六時中その遍満する大霊そのものであり、大生命だとおもうのが瞑想です。

 瞑想とは何かと言われたならば、神を意識することです。神を思うことです。自分は人間だと思っている時は、瞑想状態ではありません。

 生命はいまだかつて、一度も争ったことはありません。生命はいまだかつて罪を犯したことがありません。汚れたこともありません。

 イエス様は偉大な言葉を残しています。
一番大事なものを人に与えなさい」という言葉です。

 その一番大事なものは何かといいますと、
命」です。その命とは、真理のことです。


(※必読♪瞑想の重要な注意点)
☆瞑想は絶対に現象を求めてはならない☆

瞑想が非常に危険であるという事は、
ややもすると、
幽界にチャンネルを合わすから危険だという事です。

ですから、
瞑想中に憑依霊を受けたり、
異常が起こったりするわけです。
その時、気が狂ってしまったりするわけです。
身体の調子が非常におかしくなったりするわけです。

瞑想が危険だという事は、
まず、現象(幻)を求めてしまうのです。
この物質界も現象界であり、
幽界も現象界ですから、
「実在」を求めなければならないのに、
瞑想中に、全て、現象だけを求めている人がいるのです。

なにか見えないかな・・・・・。
何か奇跡が起こらないかな・・・・・。
というものは、
どこに意識を向けていると思いますか。

それは、幽界に意識を向けていますから、
そのような間違った瞑想を多くやって、
気違いになった人は一杯いるという事です。


悟りを加速させる感動の記事はいかがでしょ
このお話が、知花敏彦さんの教えで一番大好きです


 「神理とは何か」といえば、愛そのもののことであり、調和そのものの事です。愛そのものに生きている者、調和そのものに生きている者は、神に生きている者です。肉を持ちながらにして、天の住者です。
 
 あなた方が不調和であるかぎり、神理を知っていませんし、神を知っていません。神を知っている者に、不調和があり得ると思いますか。神を知らないから、不調和なのです。

 (神は愛である)と、どこのキリスト教でも看板は掲げていますが、その愛がどこに存在して、どのようにして働いているかということを知らないのです。

 ただ、空想的な、妄想的な夢物語で、「神は愛だ」と、言っているだけではありませんか。あなた方が愛をよく理解して、それこそ、神を、父を知った者、己を知った者となって頂きたいのです。

 その愛の、有り難みを知っている者のみが、自分のものとするでしょう。
 愛を知らぬ者は、神を知りません。

 愛そのものを知っている者が、神を知っているのです
 だから皆さん方は、今後は愛そのものとなり、調和そのものとなって、日々の生活をして頂きたいのです。

「何を見ても愛なんだ」と。「愛の他には何もないのだ」と。
「愛なくして物は存在しないのだ」と。「神なくして何も存在しないのだ」と。

 「なるほど!神こそが全ての父なんだ。全ての本源なんだ」
 「神を宿さぬ物は何もない。鉱物、植物、動物、全ては愛なんだ」

 「その霊と水との、父と母との愛がなければ物は存在しないのだ」と、そういうあなたになって頂きたいのです。
 父なる神様、母なる神様、ありがとう」と感謝できるあなた方になって頂きたいのです。
 
 神は一切の生みの親です。神なくして物は存在しない、生まれてこない、神は一切の生みの親なのです。

 「神こそが我々の父」と、はっきり断言、言明できるのではありませんか。全ての父です。すべての親です。そのものなのです。

 「神棚の中に神がおるのだ」「はるか天の彼方に神がおるのだ」というように、今まで聞かされていた神と、今、ここで言う神と、どちらが本物の神だと感じられるでしょうか。

 あなた方は、神そのものではありませんか。愛そのものではありませんか。あなたの全身に愛が満ち満ちていなければ、あなたはここに、今、生存しているでしょうか。

 今こそ、あなた方は全身に愛を感じてください。
 その愛に、区切りも、分離も、別離も、何もありません。
 全宇宙に遍満する、大愛あるのみです
 その大愛こそが、全ての父ではありませんか。

 「皆さんは大愛の中に留まり、大愛は皆さんの中に留まっております
 そのことを、よくよく自分に、心して、言い聞かせてください。

 それこそが、皆さんが知らねばならない「真の神」なのです
 その神を知らないでは。何も始まらないのです。

 私達は愛に生かされて、愛に生きていながら、いかに愛というものが、自分とかけ離れた存在であったかと気付かされます。この知花が、いかにあなた方を愛しているか。

 また、あなた方が、いかにこの知花を愛しているか、よく分かります。
 お互いが、愛そのものであるということなのです。

 私達の本性、鉱物、植物、人間、全ての万象万物の本性は愛です。
 全ての実態は愛です。調和です。


 鉱物も愛なくしては存在しない。
 植物も愛なくしては存在しない。

 動物も愛なくしては存在しない。
 人間も愛なくしては存在しない。


 愛の具現です。愛の象徴です。
 今こそ、皆さん方が、全てが愛だと、全てが神だという理解が出来ると思います。

 神の愛は、至る所にまします。空間というものはありません。
 永遠であると、無限であると、永遠なる愛の中に、無限なる愛の中に私たちは存在し、愛そのものの中で存在しているのではありませんか。

 それが、永遠なる自己、久遠なる自己、そのものをはっきり理解できるまで、自分の心に言い聞かせてください。
 それが、あなたのハートに定着するまで、着座するまで、これを自分に言い聞かせて頂きたいのです。

 これを知らないでは、何も始まらないのです。本源に返ることはないのです。だから「霊と水に生まれ変わらなければ、神を観たるにあらず」と、聖書にも示されているのです。

 この私の元を離れていく人のことを、私は如何に愛しているか。
 離れていけば何もわからなくなる「もったいない」と、皆さん方ならおわかりだと思います。

 なぜならば、彼らも私自身であるからです。あなた方自身でもあるからです。全てです。平等です。無差別です。無差別の愛というものが、今ならお分かり頂けると思います。

 今まで、あなた方の愛だと考えていたものが、いかに不純な愛であったか。愛というものをいかに理解していなかったか、ということがお分かりだと思います。

 「これは愛なんだ」とか、「これは愛ではないのだ」とか、そんなものがあるのでしょうか。「愛一元」です。愛そのものです。

 そこに、憎しみが入り込む余地がありますか。愛の中には、いかなる憎しみも、いかなる怒りも、入り込む余地がありません。

 どうですか。
 「どこを観ても、何を見ても愛なんだ。神なんだ。調和なんだ
 「それなくして、何も存在しない」
 動物を見ても「ああ、愛の現れなんだな、神の現れなんだな
 お花を見ても「霊と水との愛と調和の現れなんだな」

 子供を見ると「神の現れなんだな、愛そのものなんだな、愛がその子に無ければその子は存在しないんだな」ということが見られませんか。
 もう見られるはずだと思います。

 あなたが空気を吸っても、空気そのものは、愛そのものなのです。

 見えるもの、見えないもの、全てが愛です。

 水蒸気も、そして、形を取って地の水となっていても、全て愛なのです。

 今なら、「愛一元の世界」「調和一元の世界」「神一元の世界」ということが、お分かりいただけるでしょう。
 
 「これが神だ」「あれが神だ」という、戯言(たわごと)の時代はもう過ぎました。これでもう、皆さん方は「これが神だ、あれが神だ」ということは、一言も言わないと思います。

 この世の中に、神理でないものが一つだってあるでしょうか。
 全ては神理、全ては愛です

 神理の中に、神理でないものがあるはずがありません。
 大宇宙そのものが、大神理そのものであるからです
 
 大宇宙そのものが、大愛であるからです。
 大宇宙は、霊と水によって、愛され調和されて存在します。

 皆さん方は、今、即、大愛の中におり、大愛はあなたの中にまします。
 「我は神の中におり、神は我が中にまします
 その大愛を観じてください。

 この愛をあなたに訴えたくて、数々の言葉の中で、どう言ったら分かってくれるか、こういったら分かってくれるかと考えていました。
 
 皆さん方が、いかにその愛に目覚めてほしいかという一心なのです。
 しかし、皆さん方は、それを中々理解してくれないのです。

 この無知は、二千年前と今も変わりなく続いています。
 私は、二千年の間に確実に人間が進歩しているという確信を持ってこの世に参った者です。(※知花敏彦師はイエス様の予言を成就するため、宇宙神理を伝えるために天上界から派遣された地球最高の大覚者の方です
 
 一日も早く真の自己に目覚めて、神我の自分は愛そのもの、調和そのもの、普遍そのもの、無限そのもの、久遠そのもの、大宇宙そのもの、大愛そのものであるという、その本質のゴールに達して頂きたいのです。



 悟りの最重要キーワードとして、「神の一人子・神我キリスト」という言葉がございます。精神世界の追求者のお方でしたら、「神我」とか「神我キリスト」という言葉についてご存知だと思いますが、実際の意味合いを深く理解されているかと言いますならば、そこまでの方は多くないと思われます。

 地球最高の覚者であられる、知花敏彦先生から学びました宇宙神理を一人でも理解できますよう、細かく噛み砕いて易しくご説明させて頂きたいと存じます。

 すべての表現には、神の細胞である「コスモ細胞・宇宙細胞・原子キリスト・原始細胞」が内蔵されております。この神の細胞が、ヒマラヤ聖者の生活でも有名な「神我」と言われている存在でありまして、この神の細胞は宇宙創造主のお創りになられた全ての全てに宿っているのですね。
 
 ちなみに、「自我」は本来存在しないものですので、「偽我」といわれております。神の一人子は「神我」でありまして「自我」ではないそうです。

 続いて、「神の一人子」で何故「一人」というのかについて申し上げますと、宇宙創造神はお一方であられますので、原因は一つ、親はお一人ということですから、親である神は「お一方」であられるということになります。

 ということは子供である、この世界の見えるもの、見えないもの、ありとあらゆるもの、草花、岩、動物、人間様々、色々な島宇宙、等々も含めて全てが、神の表現であり、全ての原因者であられる、大神様(大霊・宇宙霊・御霊神霊)の大愛の現れですから、全ては「神の実の子」と言えるわけであります。実の子は「お一人」ですから、神の一人子となるわけですね。

 親は一人、子は一人、父と子は一体、原因と結果は一体、全一体が真理、大いなる一しか存在しない、ということは、神我と自我は一体、原因も結果も全てが神、つまり目に見えるもの見えないもの全てが「神・大霊」であり、自分が神そのものであるという「大霊との一体感」が、いわゆる悟りを開くのに大切な宇宙神理なので御座います。

 この全てが神に見える目が「1つ目」に目覚めた状態、いわゆる第三の目に目覚めた状態ともいうそうで御座います。この「全てに神を観る状態」が内観・億念をしている状態ともいわれております。

 この「神我キリスト」は世間一般でいう所の、「深層意識」や「神意識」「全一の意識」と呼ばれているものでも表現されております。

 全ての知恵や英知・力は、大生命であられる宇宙創造神から来ているものでありまして、外側から見れば分離や別々のものと感じるのですが、内側(神我キリスト)から見れば、全ては神でありまして、普遍、無限、遍満する大霊あるのみということなるわけで御座います。
  
 「全ての原因=神・大霊=父・親・表現者」
 「全ての結果=子・表現体・肉体」となります。

 表現は多々様々ではありますが、原因も結果も含めて、色心不二・色即是空、つまり全てが神の現れでありまして、全ては神一様・神のみが独存するのが宇宙神理であり、神の表現を内(神我)から見れば「全ては一つ」でありますので、神我キリストは「神の一人子」といえるのでありますね。

 宇宙には一つの心・神の御心しか存在しませんので、表現も結果も「神我キリスト・宇宙神」の御心の中の表現ですから、宇宙世界は神の御神体・一つの生命体ということになりまして、全ては同一の根源から生まれた・表現された存在でありますから、全ては一つということになり、その表現の根源の全てが「神の一人子・神我キリスト」と称されているので御座います。
 
 全ては宇宙創造神の中に存在しており、見えるもの見えないもの表現の全ての中に、宇宙創造神であられる「神我キリスト」が内在して宿っていらっしゃるわけで御座いますね。

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・神我キリストによって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、中身は全て神、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・我神なり、神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・我即実在・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神



神我とは、自分が神の御心の結果・愛の具現であることを悟った我、神の愛を顕現するためだけに自分が存在していると悟った我、だともいえますね♪

 とりあえずこんなご説明でしたが、神我キリストのご説明につきまして、お判りになって頂けましたでしょうか。皆様のハートの奥底に神理の理解がストンと落ちて、魂の覚醒が進みます事を心からご祈念申し上げます。


上江洲義秀先生・至高の名言    上江洲義秀先生の記事♪   
 
 全ての全てのあってあるものの中に、神が我として実在している事を(理解して実感して、全てに神を観る状態を)「悟り」といいます。

 目に映し見ている、すべてのすべてのあってあるもののに「愛を見」「愛を感じ」「愛そのもの」で対処できる己であって、そこに悟りがあること。
                                                  明想の記事♪

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