|
イエス様の病気の治療方法
本当に自分が健康でありたいならば、皆さん方は、すぐにでも健康になれます。その方法をお教えしましょう。
朝、目が覚めたら、座禅を組んで、心を落ち着けて、頭の先から足の先まで光に満たされて、1点の曇りもない自分をイメージすることです。
これを「光明思念」といいます。
それが強ければ強いほど、その人は光明思念になれるのです。
座ると同時に、それが出来るようになります。
一ヶ月も訓練すれば、それが出来るようになるでしょう。そうするともう、病気は存在しなくなります。
「病気を、自分は認めない」というように、決して病気を認めてはなりません。認めている間は意識しているわけですから、自分の意識で病気を引き留めて、可愛がっているのです。
それを否定して、光のみを肯定していくことです。
そして、自分の病気を完全に否定した時、病気が治るのです。
イエス様の病気の治療は、その方法でした。
病人がどこが悪いといっても、病気であることを観ない。認めもしない。光だけを認められたのです。
例えば「病気だ」という人を、私は病気だと認めません。「ここが悪いのです」といっても聞かないのです。
「そうですか。そこが悪いのですよ」と私が認めたならば、もう病気は治りません。
その人の訴えを聞き流すのです。 私は光だけをイメージし、私が完全に光明化されて、私の手からその人全体に光が入ってい行き、その人が全体的な光となり、全部が光りに包まれて、細胞体全てが光に輝くということになります。
その思念が強ければ強いほど、病気の治療が強いということです。
イエス様は、それを「光一元」に信じてこられたので、色々な奇跡を起こされたのです。
光明思念が強いか強くないかで、病気治療が可能であるか、可能ではないかが分かります。
(私がこんなことをやっても治るのだろうか?)と思えば治りません。すでにそこで破壊をしているわけです。
そして、(私がやって治ったのだろうか?)と思ったら、そのエネルギーは断ち切れてしまいます。せっかくのものが治らないのです。
しかし、今与えたから、今治るとは限りません。2〜3日後に治るか、一週間後に治るか。いま治らなかったからといって、そこで、せっかくの光明を破壊し、「ああ、やっぱり治らなかった」と闇に返る人がいます。
行ったら、それを破壊してはなりません。信念をどこまでも信じ込むことです。
これが「神を信ずる姿、光を信ずる姿」なのです。
自分の子供でも、誰にでも光明化を与えるならば、「必ず良くなるのだ」という「信念一元」において、決して破壊的な信念を起こさないことです。
皆さん方はよく祈ります。(神様、助けてください)と。神様は「そうか、助けてあげよう」と頷かれます。
しかし、あなたは(もういいのです)と断る。(私の祈りは聞き入られなかったのだ)と思ってしまうのです。
そこで、神様は「そう思っているのなら、それでいいのですよ」と言われるのです。
あなた方は、祈ることは上手です。
「神様、どうか私を助けて下さい」」と祈りますが、しかし,(私の祈りは聞き入れられないだろう)と思い始めるのです。
せっかく祈っていながら、その祈りを取消し、払い下げをしてしまうのです。だから、祈りは聞き入れいれられなかったということがよくあるのです。
祈られた結果は、神の御心だけが知っておられます。即、与えられるものと、もう少し経ってから与えた用が都合がよいという場合があるのです。それを知らないで、一週間経っても変わらないから(もう駄目だろう)と、その祈りを払い下げをするのです。
(もう、いいのです)と神を疑ったのです。神を試したのです。だから「神を試すことなかれ」という言葉が出てくるのです。
皆さん方は、神を試しているのです。
神を試してはいけません。
とことん信ずるのです。祈ったならば、「その祈りは必ず聞き入れられる」と信念を持つことです.それが祈りのコツなのです。 心配して善いことはない
「心配」「不安」「恐怖」は、破壊です。
その破壊的思念を送っていながら、子供を愛している、夫を愛しているというのは「口先だけの愛」というものです。真実においては愛ではないのです。なぜならば、殺しているからです。
私達は神理を学び、神理を知って、その通り神理を実行した時、真の愛が出てくるのです。それを「育愛」といいますが、皆さん方のいうのは「盲目の愛」で、物事を知らない愛が殺人を犯すわけです。
そういう事にならないように、一生懸命気をつけなければなりません。
あなた方の日々の生活で、この思念力が使われているのです。これは、あなた方の想像を超えるもので、五感で判断出来ない、想像の力があるのです。
善なる建設的な想像の思念を送っているか、それとも破壊的思念を送っているかで、その子を殺すか、親を殺すかということになります。
送っている方も、いい気持ちではありません。なぜならば、罪を犯しているからです。心配をして「いい気持ち」という人はいません。罪を犯しているからです。
あなたの良心が(嫌、嫌)と言っているのです。(こんなことをしてはいけない)とあなたに警告をしているから、あなたは胸騒ぎがして胸がドキドキして心配するのです。
恐怖を感じている時、心配している時、胸がスッキリしているという人は、一人もいないはずです。神の法則から外れているからです。
法則に準じて生きているならば、常に胸がスッキリしているはずです。
心配していて、爽やかであるはずがありません。
なぜならば、殺人を犯しているからです。これは、あなたの「自我」なるものが犯しているのです。
「神我」なるものは、(こんなことをしてはいけない、いけない)と、警告を与えるから胸苦しくなるのです。
「心配すると、いつも胸が苦しくなる」といいます。よく心配する人は、神経性胃炎にかかります。これは、心配の人殺しが激しいからで、とうとう「反作用の法則」で、自分が殺されるのです。
自分に跳ね返るのです。「常に胃が痛い、胃が重い。こちらに何か塊があるみたいだ」という人は、常に悪思念を人々に送っているからでしょう。
心配して善いことが起きるのでしょうか。
よく考えてみてください。
「心配して善いことはないのだ」と、そう知りながらも心配する。
そのことを「罪」として、「悪」として、自覚していないからです。
「どれほど相手に悪影響を与えているか」ということを知らないからなのです。
想念体の力を知ること
私の場合は想念体の力というものを知っているので、それが恐ろしいのです。(世の中はみんな害虫なんだな)としか思えません。
悪想念体の入り乱れた網の目のように、この地上界は想念体が入り乱れています。正しい光明思念というものが、今は本当に少ないのです。
だから、世の中は混乱し、悩み苦しみます。病気というものも、みんなそれから作られてゆきます。
想念体は、その本人一人だけに行くのではなく、永遠に、この地上界を回っているのです。
みんながそれを持っていて消さないかぎり、一秒間に地球を七回半回るほどの速さで、悪想念は回ります。
その中で、同じチャンネル、波長を持っている者がいれば、それにぶつかるのです。
あの人にぶつかり、この人にぶつかり、それが何名殺したかということになります。その事を、皆さんは知らないのです。
悪をばら撒き、闇をばら撒き、破壊的念を、思念を、想念体をばらまくのと一緒なのです。
人間一人一人の悪想念が今度は何の罪になるか、何のカルマになるかということが、地球のカルマになります。そうなると、地球のカルマは悪想念に満ちていることになり、地球人間は、いい気持ちで住めるはずがありません。
今こそ、その事が悟れないとか、悩み苦しみから開放されないということは、悪想念体が多いからです。
光明思念が少なすぎるのです。その悪影響を付けて、その苦しみや、不安や、心配、恐怖から開放されないのです。
その神理を知ったのなら、それらを受け取らないような受信機のようにならねばならないのです。
光明化をイメージする
朝、起きて、五分でも良いのです。もっと時間が取れるならば、寝床の上に座って、光明思念をすることです。
そして、まず、自分から光明化をはかります。
大宇宙の中心より「神の光明」の、大きな光のカプセルを頂くのです。
光のカプセルが自分の中に入り、自分が黄金の仏像のように、輝いていることをイメージします。
自分だけが救われれば良いのではなく、これを徐々に広げてゆき、家の内外、全体が黄金に充たされることをイメージします。そして、家全体がイメージ出来たなら、次に屋敷全体が光に満たされているイメージをするのです。それを毎日やっていくと、偉大なる光明思念となります。
自分の家族だけでなく、隣近所まで広げていくのです。
次には、町内中に広げていき、その光の広がりを拡大していくのです。
そして、ついには日本全体の光明化をはかるのです。
しかし、これだけではすまないので、今度は、今度は、地球の上に自分が座って、そこで光明化をはかっているというイメージをして、上から宇宙からの光を仰ぐように、イメージしていくのです。
これは地球の光明化です。全人類の光明化思念を送ることになるのです
それを知らないので、光明化のイメージが出来ないのです。
光の治療で病気が治る
光明化思念を日々の生活の中で活用していくことでは、肉体細胞が輝かしい光明なる思念を持った生命体となることです。そうすると、病気は存在しなくなります。
それは。病気治療に大きな効果があります。
例えば、病人がいたとします。
しかし、その病人を認めてはいけません。病人だと認めたら、闇を認めたことになります。絶対に、病人だと認めないこと。1点だって認めてはいけないのです。
そして、座って光明化を頂いて、その人が頭の先から足の先まで黄金に光っている。白光に光っているという強い思念を送り、その人の肉体が黄金に輝くイメージを作ります。
完全に足の先まで光っていることをイメージ出来るまで行います。
そうすると、肉体細胞の今までの黒い部分が押し出されて、その部分がなくなるのです。
黒い部分、つまり闇の部分が病気なので、その闇が光に押し出されて無くなるのです。
これを、「光明思念治療法」といいます。光明思念に対しては、誰にでもその能力があるのに、毎日の生活で使っていないだけなのです。
不良化した子供さんがいたら、その子供さんを4〜5分でも良いから座らせて、光明思念を送ることによって救うことも出来るのです。
光明にされると、細胞体、意識、心までも黄金に輝くので、悪いことが出来なくなるわけです。
皆さん方は、自分の病気を、完全に自分自身で断ち切る事ができます。
肉体は「想念体」なので、光明化を願って、頭の先から足の先まで光り輝いた、曇り気一つない、神々しい輝かしい光のイメージを一日二〜三分、あるいは四〜五分、毎日できたとするならば、永遠に健康で過ごすことが出来るでしょう。
あなた方の細胞を傷つけているのは、あなた方の思念力の誤用です。細胞体が汚れてくるのです。その思念力が闇であれば、闇が入ります。
光であれば光が入ります。
「反作用の法則」なので、誰であっても傷つけてはなりません。
あなたが人々に光明を送れば、光明思念はあなたに返る。闇思念を送れば、闇思念が返るのです。
あなた方が人々に光を送るようになり、地球の地上界に送るようになった時、皆さん方の心はスッキリするでしょう。この心がどこから出てきたんだろう)という喜びを感じるでしょう。
なぜかといえば、神に仕えているからです。神の御心の中に生かされているからです。神の光の中に生きているからなのです。
これが、真の人間の生き方なのです。
しかし、今、皆さん方は道を間違えています。
悪に生きようとしているのです。闇に生きようとしているのです。
それは、。あなた方の思念が間違っているからで、悪思念によって生きようとしているからなのです。
悪思念から光明思念に返ることによって、毎日の生活環境全てが変わるのです。
こういうことがよくあります。
写真家が光明思念のビジョンを描いてシャッターを切った時、色々な写真に光が現れます。
写真の中に光が写るでしょう。その光が出るという思念力でもって、写真をごまかすことが出来ます。
写真を撮る時、(あそこに光がある)という念力が強ければ、いくらでも写真に光を映すことが出来るのです。
それを「神様の写真だ」といって、売り物にしている人もいます。
色々な所を撮って、「私が神様を呼んで写真を撮ったのだ」という。
しかし、それは光明思念でもって光明を撮っただけで、神様の働きではありません。その人の、自分の念の力なのです。
それを商売にするために、人を写す時、念力でもって光をイメージして写真を撮り、それを見せて「私は神の力があるのです」といって、それを売り物にしている人がいるのです。
その光を写す事は、皆さんにも出来ます。
光明思念を働かせることによって、誰にでも可能となるのです。
念力を悪用して金儲けをしているだけで、何の力でもありません。
真の幸せのために、その力が使われたのならば本物です。
しかし、個人の金儲けのために、「あなたの守護神様を写してあげましょう」とかいって、その人の頭の上に光をイメージして写す。
そうすると、「本当にこの人は神様なんだな。神様を呼んで写真を撮ってくれたんだな」という事になってしまうわけです。
カメラ自体にトリックがあるのではありません。フィルムそのものにも、トリックがあるのでもありません。その人の思念力で光明を描いで、その念力によって、光明が写しだされるのです。
それを悪用した写真をみせられて、みんなが信じ込む。これお「霊的悪用」といいいます。
霊的悪用をする者が、この世の中にはワンサカといます。
神様は、神の力である念力を、正しい方向に使うことを喜んでおられます。
ですから、自分個人の悪用方面に使わないようにして頂きたいと思います。
闇的思念は自己破壊を招く
自己破壊とは思いです。思念力です。これをあなた方は日々、毎日の生活の中で行っています。
あなた方は何を思っているのでしょうか。
暗い思いをしているのでしょうか。明るい思いをしているのでしょうか。
それで、その人の環境や肉体の状態のすべてが変わるのです。
皆さん方が不健康であるということは、必ず、自己破壊をしているのです。
例えば、女性の方が「乳房が少し痛い」と感じた時、小さな1点の痛みを自己破壊によって、(大変なことになった。これは乳ガンではないだろうか)と思い始め(ひょっとしたら、乳房にグリグリが出てくるのではなかろうか)と、乳房にグリグリを想像するわけですから、そこにグリグリが出てくるのです。
(これはきっと大きくなる)と、さらに自分で大きくするのです。(これはきっとガンかもしれない)と、今度はガンをイメージするのです。闇的、破壊的イメージをするのです。
そうすると、そのグリグリが卵大の大きさになっていく。そして、とうとう私は癌になってしまった)と思い込み、病院の診断の結果、医者から「ガンです」と言われるのです。
(ついに、私の思い通りになってしまった)と思うようになるのです。
これは自分で作ったのです。
あなた方は、実際に、超能力者なのです。自分の病気を、自分自身でどんどん作り出すのです。これを「闇的思念」といいます。
皆さん方は「どれだけ自分の肉体を破壊しているか、どれだけ自己破壊しているか」ということを知らなければなりません。
自己破壊しない人が病気であるはずがありません。
「いいえ、私は自己破壊的なことを思わなかったのですが、病気になってしまったのです」という人がいます。それは、おそらく嘘でしょう。
病気を気にして、破壊的イメージを持ったなら、その人は必ず病弱の状態です。なぜならば、悪思念を自分自身に送るからです。
(私はこうであるから、こうなるんだ)というようなイメージをして、自己破壊をするのです。
血圧の高い人は心臓がドキドキし始めたら、(ああ、首筋にきた)(ああ、頭にもきた)と、既にイメージして自分で動かすのです。
全部、自分が作り出すのです。そして、病気を動かしているのです。
その悪思念を動かして(もう私は倒れるのではないか)と思い、そして倒れる。
倒れる状態を自分の悪思念でもって、そういう具合に作り出しているのです。そのことを知らないのです。
血圧が上がっても、気にしない人がいます。平気で仕事をします。
「私はこんなに血圧が上がっても平気ですよ」という人は平気です。あるいは、150でフラフラして倒れる人がいます。
180でも倒れない人がいるのに、なぜかというと、それはその人の思念力によるもので、「私は150では駄目なんです」という人は倒れてしまうのです。
光一元をイメージする
「信念の強さは岩も押し通す」といいます。その信念の強さによって、皆さん方が「光一元」の光明思念を持つようになったなら、この世は光明化されるのです。自分自身が光明化であると同時に、世の中をいくらでも光明化することが出来るのです。
朝、五分でもあれば、完全に光り輝くイメージをして、皆さん方のご先祖(肉体先祖)までも、その光のカプセルで被せることが出来るのです。
そうすると、ご先祖(肉体先祖)は喜ばれるでしょう。高いお金を払って、お坊さんや拝み屋さんを頼んできて、お金と暇を費やす必要はないのです。
光明思念は、どこにだって届くのです。それを、皆さん方は知らないのです。
毎日の生活の中で、光明思念を使うようにしていただきたいと思います。
友達に困っている人がいたならば、その友達の方へ年を向けて「光一元」をイメージして、その人の頭から足の先まで光り輝いていることをイメージすると、その友達は、(今日はなぜか身体が軽い、気持ちがいい)と、即、思います。あなたが念じた瞬間、友達はそう思っているのです。
念がそこに行っているのです。
そして、数日後にその友達に会えば、友達はきっとあなたに声をかけるでしょう。
あなたから光明思念がきたことを、潜在的に知っているからです。
その逆で「憎い!」と思念を送ったならば、真っ黒いものが相手に行くのて、破壊的になります。後日、その人に会ったとしても、横を向いて知らん顔をして通りすぎてしまうでしょう。
ですから、話をすれば影とやら、思いはどこまでも通じるということです。
思念力というものを、皆さん方はまだ信じておられません。だから、「思念の悪用」ということになるのです。
「自分の身内を者を殺していることを知らない」ということがいえるのです。
身内の者が病人で、とくに重体であればあるほど、虫の人が看護してはなりません。少しでも悪くなると、破壊的思念を送るからです。
しかし家政婦さんは身内ではありませんから、病人が痛かろうが何であろうが悪いイメージは作りません。彼女は仕事ですから、身内の者のようなイメージを作らないのです。
心ある身内の者は思念を送るかもしれない。しかし、彼女にはその心がないのです。
「思念の活用」ということを知らない無知なる人間には盲愛というものが働きます。従って盲愛が強ければ強いほど、その人を破壊するということを知らなくてはなりません。それは、真の愛ではなく、破壊的な愛です。
それを「盲愛」といいます。「盲愛はどれほど破壊しているか」ということを知らなければなりません。
皆さん方の真の愛は、光明思念の中にしか存在していません。闇なる、悪なる思念の中で行っているのは、盲目の愛、盲愛なのです。
だから、それは「闇的愛」なのです。
そういうことにならないように、その「光明思念」とは何か。「闇的思念」とはなにかを、ハッキリと知って頂きたいと思います。
あなた方が、今日、この話を聞いて、闇的思念と光明思念との選別が完全に出来て、本当に光明思念のみに行きられるようになったならば、あなたは今日からでも幸せになります。
今日から光明思念を送れば、今日、即、あなたの心が安らぐのです。
命としての細胞体
「このミカンは、あなたになりますか」というと笑われるかもしれませんが、ミカンはあなたとなるのです。みかんを食べると、四〜五分から十分後にはあなたの細胞となり、ミカンはあなたとなるのです。
みかんを食べ、りんごを食べ、あなたの食する物があなたとなり、あなたの食べるご飯があなたとなり、米一粒一粒の命があなたの細胞となり、その粕だけが排便されるのです。
食べた細胞体は全て、あなたの細胞体となります。
ですから、命としての細胞体は、米の細胞体も、ミカンの細胞体も、リンゴの細胞体も、あなたの細胞体と同一であるということです。
食べ物に対して「ミカン様、リンゴ様、あなたをいただきます。あなたは私となります」という思いで食べたならば、細胞は一粒だって殺すこともなく、やさしいミカンやリンゴの細胞体を頂くことが出来るでしょう。
そうした時、新陳代謝が生まれるのです。今までの汚れて疲れきった細胞体が、リンゴの優しい細胞体によって生まれかわるのです。
果物を多く摂ることは、健康的にも病人にも善いと教えるのもその一つです。なぜならば、果物の細胞体は、非常に細かい微妙な細胞体です。果物を多く食することによって、もちろん、私達の肉体細胞が新陳代謝を行なうのです。
食べ物よっては、荒くもなるし、細かくもなる脂肪分の多い物を摂り過ぎると、肌荒れも出てきます。若さや美しさを長く保ちたいというならば、食べる思念力によっても、随分違います。
食べる時、必ず、その食べ物を見ることです。(ああ、これが私となるのか)という思い、そして(これが私の細胞となるのか)という思いで頂くと、完全消化が行われるのです。
イヤイヤながら食べると、いの中で腐敗が起こり、そして、下痢を起こしてそれを出さなくてはなりません。その食べ物を受け付けなかったからそうなるのです。
だから、食事をする時に文句をいう人は、常に下痢気味です。細胞が良い方向に受け付けないからです。
物に対して、命があるということを知らないからです。
そのことに心から感謝し(これに命があり、全てが細胞体なんだな。私の血となり肉となるのだな)という思いで食し、心から一体化がはかれるようになれば、完全消化が行われるのです。
そうなると、一日一食で平気でいられます。
そのことを知らないので、3食食べる。肉欲で食べているので、食べても食べてもお腹が減って、一向に栄養にもならない人もいるのです。
しかし、ほんとうに感謝の気持ちで、質素な食事でも完全消化が出来たのならば、皆さん方は一食で生きられます。
私は、殆ど一食です。毎日一食ですが、健康の維持が出来ています。
食べても食べても肥らないという人は、あまり物に対しての感謝、理解というものがなされていないのです。
食べる時の心構えというのは、もちろん、物質は物質エネルギーで合成されていますので、その時に(我が食する物は母なる神にお返しします)という思いで、食事をすることです。
過ちを悔い改め魂を向上させる
過ちを犯す。これも一つの体験です。皆さん方は過ちを犯すという体験をして、初めていい方向に進展していくわけです。
過ちを恐れていてはいけません。過ちがあるからこそ向上できるのです。「ああ、これは過ちだ」という時に学び、答えが出てくるのです。
あなたが過ちを(このことは過ちであった、すまなかった)と認めた時、これが「悔い改め」です。
そうした一つ一つの過ちを「悔い改める」ことによって、貴方の魂は無知から知恵のあるものに進展していくのです。これを「魂を向上」といいます。
過ちを過ちと思わないで、そのまま抱きかかえて生涯を終える人もいます。
私達の結果として表れている、その試練に乗り切る事ができず、過ちの泥沼の中で泣き言を言って、生涯を終える人もいるのです。
しかし、「即座反省」といって、過ちは過ち、正しいことは正しい、即座反省を持って過ちを乗り切った時には、一段階、あなたの魂が向上するのです。
過ちがなければ、学ぶことは出来ません。いかなる科学者にも過ちがあり、失敗があるので「何故失敗したのか」という原因を追求して成功があるのです。
「失敗は成功のもと」という言葉があります。正にその通りです。
今後も、あなた方に過ちがないとはいえません。しかし、過ちがあなたを高めます。失敗があなたを高めるのです。
「こういうことがあると、こういうことになるのだな」ということを、あなたが学んでしまうのです。
いかなる失敗も「失敗は成功のもと」です。その試練に泣き言を言うのではなくて、「ああ、これは私を高めるための前提なんだな。この答えを出して百点をとってみよう」
という意気込みで過ちを反省して百点を取って、「こういう具合にしたら救われたのた」という答えを出すことが一番肝心なのです。
皆さん方には毎日、宿題が与えられています。
失敗します。そうして解けなくなると、「なぜ、自分だけが苦しまなくてはならないんだろう」と一人な気するのです。「神様はいないんだろうか」というのです。
答えは、自分で解かなくてはなりません。
「その原因が結果として現れている」「何が原因で結果が現れたのか」
原因が答えですから、原因が分かった時、その問題が解けるのです。それなのに皆さん方には、問題だけを捉えて泣いているのです。
それを「泣き言」と言います。
ですから、「このような結果になるのは何が原因しているのだろうか」と答えを出さなくてはならないのです。
答えを出した時、救われます。即座に救われるのです。その積み重ねが皆さん方の毎日の修行です。
もし、皆さん方が答えを出さなかったら、それは、来世に持ち越します。「輪廻」と共に「カルマ」は持ち越されるのです。答えが出されていない時には来世があります。この世にもう一度、落第せねばならないのです。
学校でも同じことです。勉強もせず努力もしないで、ゼロ点ばかり取っていれば、落第です。それが出来るまで繰り返されます。
この地上界で、原因と結果の答えが出しきれなかったら落第するのです。百点が取れるまで繰り返されるのです。
結果を見て、原因を追求し、これは何から出たものだと、すぐ「即座反省」で答えを出していく人と、一つの問題に泣き言を言って、何十年も苦んでいる人がいます。
「答えが出せない出せないと泣き言を言って、その泣き言を取り上げない限り、答えを出さないかぎり、それはあなたに永久につきまとうということです。
これを「カルマ」といいます。「業」ともいいます。
それがつきまとっています。なぜならば、答えが出されていないからです。
お分かりいただけるでしょうか。あなた方は、毎日が勉強であり、学びです。その学びが、あなた方の日常生活の中にあるのです。
だから私はいつも、「あなた方の修行の場は神社や、教会や、仏閣の中にあるのではない。あなたの家庭の中に、職場の中に、社会の中にあるのだ」と、申し上げているのです。
「こういう結果になるのは、何が原因しているのか」、その問題を解かなくてはなりません。「原因結果の法則」です。
これが分かるようになると、「こんな問題か。これはこの原因からきているから、原因はこれだったのだ」と、すぐその過ちが見いだせるのです。
それをとりなした時、答えはすぐ出るので、開放されるわけです。
もうこれで、あなたを苦しめるものはありません。
よく気を付けてください。
あなたの目の前に問題があります。子供に対しての問題、旦那さんに対しての問題など、いっぱいあります。
それなのに問題を解かないで、自分だけは「いい子になりたい」と思っているのです。
「不調和である者は、何が原因で不調和なのか」、その答えを出した時に、子供は「いい子」になります。その答えを出した時は、旦那さんは「いい旦那さん」になるのです。
答えが出ない間は、悪い子供であり、悪い旦那さんです。その意味がお分かりいただけるでしょうか。
「原因と結果の法則」なので、日々の生活の中で、どんどん答えを出せるようになるとしめたものです。もう、百点満点です。
特に申し上げたいのは、光明思念の訓練をして頂きたいということです。
闇なる思念を送らないよう、破壊的な思いを起こさないようにして、毎日の訓練によって、本当に健康そのもの、光そのものの肉体を持つことが出来ます。
それは。アナタ次第です。例え五分間でも目を閉じて、自分の頭の先から足の先まで、内臓もピカピカ光り、腸がピカピカ光っているような、黄金の自分をイメージする事によって黄金の自分になるのです。
今までは、まったく逆だったのです。
肉体的な自分をイメージして障害のある自分、病気のある自分をイメージしてきました。
だから、幸せにならなかったのです。
だから、健康にならなかったのです。
皆さん方が幸せのイメージを持ち、光明思念が強くなればなるほど、世の光となることが出来ます。
これを「世の光」あるいは「世の太陽」といいます。
例えば、バスに乗った時でも、そのバスを浄める事もできます。自分の行く所、全てが清めとなります。
私は、よくバスに乗ります。バスに乗り込んだ時、光溢れんばかりに、そのバスを清めていることをイメージします。そうして車内を見渡すと、乗客の皆さんがニッコリしているのです。光の波動に打たれているのです。
バスに酔って吐き気をもよおしていた人も、ニッコリ微笑んでいます。その光でもって、そのバスが清められるからです。
いかなる所へ行っても、あなたの光明思念が強くなれば、恐怖するものはありません。あなたに、闇なるものが存在していないからです。
あなたの家屋敷の清めも、簡単にできます。光をイメージして、家屋敷の隅々までイメージして、一杯に光り輝く白光の中に自分の家屋敷を包み込む事が出来るのです。闇なるものが追い出されて、光明そのものの家屋敷になります。
これは、真の家屋敷の清めです。真の自分の清めです。
そういう光明思念を、皆さん方に持って頂きたいと思います。
これが出来る様になると、困っている人がいれば、その人をイメージして、その人に光明を送ることが出来ます。その人をイメージして、ビジョンして、救うことも出来るのです。
遠くにいようが、どこにいようが構いません。地球の裏、南米にいても出来るのです。
それが皆さん方に、時間、空間、距離のないことを体験されるでしょう。
魂の光輝(イルミネーション) 霊は光であり、肉体は無明である
「魂の光輝」即ち、魂が光るものになるには、
どうすれば良いかという事を説明して見たいと思います。
魂が光る。
これを、普通は「イルミネーション」といいます。
イルミネーションを受けるか、受けないか。
イルミネーションを受けている人か、受けていない人か。
という事を理解していかねばなりません。
イルミネーションを受けますと、
どなたでも「白光」が差すようになります。
どなたでも「後光」が差すようになります。
皆さん方は、
なぜ、イルミネーションを受けていないかといいますと、
「霊肉一体」をならしめていないからです。
自分のことを、肉体だとしか思っていないからです。
肉体というものは、無明です。光ではないのです。
肉体は、何で出来ているかといいますと、「水の質料」といいまして、
この水溶質、即ち、水の質料で人間という肉体は出来るのです。
肉体自らは質料ですから無明です。
それが光るものになるには、何が必要かといいますと「霊」が必要です。
霊は何かといいますと「光」です。「霊光」といいまして、霊は光です。
肉体が光を受け入れた時、肉体と霊が一体となった時、この者は光となるのです。これを「光明」といいます。
私は人間だ・・・・・。 私は肉体だ・・・・・。と思っている人からは後光は出ないのです。無明のままです。
ですから、この地上界の事を「無明界」といいます。物質主義です。
(霊なんかあるものか)と、肉体が霊を拒むという事は、光を拒んでいるのです。
この霊肉のバランス。この霊肉一体がなされた時、この者は光となりますが、「私は人間だ・・・・・」「私は肉体だ・・・・・」といおって、
「霊なんかあるものか・・・・・」ということは、闇主義です。
これを普通「自獄(地獄)」というのです。
霊界のことを、光明世界というのです。霊は「光明世界」です。
その霊は、力であり、光です。
あなた方が、本当に、大霊を受け入れた時、真に力ある者となります。
その光とは、智慧でもあるわけですから、「智慧光」といいます。
この無明である質料自らは「無」です。智慧もないし、力もないし、何もないのです。質料はあくまでも受動原理です。
この肉体という形態の事を、器の事を、皆さんは「魂」と言っているのです。器と魂は別でしょうか。
肉体は魂です。幽体も魂です。器なのです。
その器が光るものとなるためには、肉体が光るものとなるという事です。
これを「魂の光線」といいます。
イエスキリストが、
「我は霊なり、我は生命なり」と言われたように、
「生命は光である」として受け入れられたのです。
この大生命を受け入れるという事は、無限生命を受け入れるという事です。
「無限光」を、自分の中に迎え入れるわけです。
そうしますと、
貴方の肉体は、魂は、どうなると思いますか。
光るものとなります。
光るものとなった時、肉という闇の原子が、光の原子に変わるのです。 FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪
|
全体表示
-
詳細
|
愛と超作 と 健康の結論「胃腸は語る」ゴールド編
から引用させていただきました
![]() ![]()
遺伝子の中には、がんを抑制するものが組み込まれていて、それがちゃんと働いたら癌にならなくてすむ訳ですが、今のような飽食生活というか、
好きなものだけいっぱい食べて、必要なミネラルとかビタミンとか取り入れないでいると、遺伝子の中の癌を抑制する機能とか、
或る細胞や組織だけが増え過ぎたり不足したりするのを防ぐ機能が働かなくなってしまうわけです。 たとえば人間のタンパク質の中では、コラーゲン繊維というのが一番多い。色々な細胞や組織があるけれど、それらを結びつける繊維がないと、身体がバラバラになって、まとまらないわけですからね。
そのコラーゲン繊維というタンパク質は非常にがっちりしていて、何重にもより糸のようになっているが、そのコラーゲンを分解するコラーゲナーゼというのがあって、それは亜鉛を含んでいる。
それが働くと、或る一定以上にはコラーゲン繊維が増えなくなるのです。増えすぎると、膠原病という、どうにもならない、身体中が硬くなる病気になっちゃうのです。
ですから、コラーゲンというのは、身体中にいっぱいあるわけだけど、ありすぎても困るわけです。ですから、コラーゲンが増えすぎない様に、これを壊して溶かしていく物質が、身体の中にあるわけですね。
人間の身体は、さっきも話したように酸素を取り入れないと生きていけないけれども、その酸素が身体の中で或る化合をするときに、たとえば水素が二個、でH2O、水となるけれども、水素が二個、酸素が二個になると、過酸化水素となって、身体には毒になる。
ですから、酸素はちょうど諸刃の剣のように、多すぎると過酸化水素のように毒となって、細胞膜を荒らして、遺伝子を壊して、癌をつくる要因になってしまうのです。
で、それでは困るから、身体の中には、酸素を1つ取り戻して、もとの水の状態にする様な働きをする酵素(こうそ)が必ずある。
ところがミネラルやビタミンの摂取が少なくて、その酵素の働きが衰えると、癌になる。だから適当にカルシウムなどのミネラルを摂っておかないといけない。
癌になるのは色々な原因があるが、要するに身体の中には癌になるのを防ぐ働きが必ずあるのに、生野菜とか海藻とかを十分に摂らないでいると、ミネラルやビタミンが不足して、その防ぐ働きが弱くなると、癌になるのです。
特に身体が老化をして、コラーゲン繊維が増えて体液の流れが悪くなると、いわゆる老廃物を綺麗に掃除する能力が減ってくるのわけですね。
そうならないためには経路体操をしたり、適当なビタミンとかミネラルを摂っておかないと。ですから、まず体操をする。それからビタミンやミネラルを食物から摂る。
しかし、食べたいものだけ食べて、残りは放ってしまうようではもったいない。食物や資源に対する尊敬の念を持たないといけないと思います。
そのためには、欲をただ抑制するだけの、キリスト教的な禁欲だけでなく、自然を愛し尊敬する気持ちが大切だと思いますね。それがないと、自然とは共存できないと思います。
酵素(こうそ)・消化酵素・自然治癒力 新谷弘実先生♪
私達が生まれつき持っている自然治癒力と免疫力を最大限に働かせるためには十分な体内酵素が必要である事については再三述べてきました。
私達のエネルギー、スタミナ、活力の全ては酵素の力によるものだといっても過言ではありません。
特に日頃消化酵素がきちんと供給されているかどうかが、あなたの体調、健康、そして長寿に大きな影響力を与えます。
前著『胃腸は語る』で私は、「あなたの体は食べ物次第」という英語の格言を紹介しました。これは実際には、「あなたの体は、あなたが 何を消化・吸収出来ているかによる」という事です。
言うまでもなく、食事を体内で消化・吸収しなければ生命を維持する事は出来ません。この消化・吸収は、
①私達の体内にある消化酵素
②新鮮な生の野菜、果物、海藻などの植物性の食物や、同じく新鮮で生の魚、生卵、生牛乳などに含まれる消化酵素
③発酵食品
④サプリメント(消化酵素剤など)
の働きによってなされています。
胃腸の不快感、胃痛、胸焼け、便通不順、腹部膨満(ぼうまん)感、腸内異常ガス発生、吐き気、食欲不振などの症状は、殆どの場合、消化酵素不足に関わっています。
消化酵素の不足は、不十分な消化となって不快な症状や病気を発生させたり、病気の悪化や慢性化を引き起こしたりします。
食物を十分に消化・吸収するためには、毎日大量の消化酵素が必要ですが、年を取れば摂るほど体内酵素の量も減少します。
すなわち、消化酵素を含んだ新鮮な生の植物性・動物性の食物や、消化酵素のサプリメントを十分に摂るようにしなければなりません。
加齢に伴(ともな)う病気の大半は避けられないものではなく、酵素の不足による消化不良、異常発酵により生じた腸内の毒素や老廃物が体に負担をかけすぎる事によって生じた結果だと言っても過言ではありません。
消化器としての胃腸には、毎日約10リットル(一万cc)の消化液が、主に膵臓(すいぞう)、肝臓、胃・腸内で算出され、食物の消化にあたっています。
この消化液には22種類の消化酵素が含まれています。腸内では、複合炭水化物は糖に、タンパク質はアミノ酸に、油や脂肪酸とグリセロールといった具合に、酵素によって体内に吸収されやすい形に分解されます。
これらの酵素を創ったり適切に働かせるためには、種々のビタミン、ミネラルなどの栄養素が必要になります。例えば亜鉛は胃酸とプロテアーゼ(タンパク質分解酵素)を作るのに必要です。
そのため亜鉛不足の人は十分に分解することが不可能になります。そして食物の単価右室がアミノ酸にまで十分に分解されず、一部のタンパク質が小腸壁から異物として血液中(体内)に吸収されます。
体の免疫系はそのタンパクを異物=敵の侵入者として認識し、攻撃します。これが食物アレルギーの原因となるのです。
消化酵素不足が引き金となった食物アレルギーは、不消化感、腹部膨満感、腹痛、さらには潰瘍性大腸炎、クローン病などの原因となるのです。
ですからアメリカでは、「消化不足は不健康」とさえ言われています。
現在アメリカでは、FDA(日本の厚生省に当たる機関)が率先して多くの慢性病の治療にエンザイム・セラピー(酵素療法)を薦めています。
消化酵素のサプリメントは体調を整えたり病気を予防したりするばかりでなく、老化の進行を遅らせたりします。またある程度の若返りも期待できます。
消化酵素は体内酵素ミネラル・エンザイムの一環として、体に種々の良い変化をもたらし(もちろん個人差はありますが)、時には魔法のように体に活力、エネルギーとスタミナを与えてくれます。
ミネラルの記事♪からの引用ですが…♬
から引用させて頂きました
![]() ![]() これで安心して玄米を食べられますね♪ファイトケミカルを除去するために、必ず1日位は水に浸けてから炊くようにしてくださいね
![]() ![]() ![]() 玄米と白米の栄養素の比較
胚芽部分の栄養に関しては、上記しましたが、それ以外の部分のぬか層(果皮、種皮)とアリューロン層の栄養はどうなっているのでしょうか。 玄米のぬか層の主成分は食物繊維で、アリューロン層は脂質、ビタミンB群が豊富に含まれています。つまり玄米は白米と比較して、食物繊維、脂質、ビタミン群、特にビタミンB1とビタミンB2が多く含まれていると言えます。 ビタミンB1とB2は炭水化物の代謝に強く関わっているので、食べたご飯を消化するのに有効で、食物繊維も含まれいることを考慮すれば、健康的なダイエットにも適していると言えます。 含有量を見てみると玄米のビタミンB1 は白米の約5倍、ビタミンB2は約2倍となっていおり その他のビタミン群は、ナイアシンが約5倍、ビタミンEが約6.5倍となっています。 ※100gあたり
ミネラル類の含有は、米粒のぬか層にはカルシウムやマンガンが高濃度で含まれており、アリューロン層にはカリウム、マグネシウム、鉄が多く含まれています。私達の健康な生活には欠かせない、必須ミネラルが玄米には豊富に含まれている事が分かります。 ※玄米を100とした時の比較 http://okome-ranking.net/genmai100.jpg フィチン酸の持つ“キレート作用”(金属イオンを結合する作用)により体内のミネラルを結合して排泄してしまい、これが「玄米は体に悪い」、つまり玄米を食べると、“ミネラル欠乏”に陥るという論争を巻き起こしました。
今でも勘違いしたままの人も多いかも知れません。
実際は、玄米に含まれるフィチンはフィチン酸とは違い、既に複数のミネラルと結合しているため、体内のミネラルと結合することはなく、体内のミネラルを、排出してしまうようなことはないと言われています。
近年、メリーランド大学のシャムスディン教授らの動物実験で、フィチン酸が血液中のミネラル(Ca2+、Fe2+、Mg2+、Zn2+)の濃度に影響を与えなかったことが科学的に立証されました。
そもそも大昔は精米技術もなく、玄米を人間は食べてきた分けですし、ほとんど主食の玄米の栄養で生きてきた時代もあるでしょうから、この結果は当然と言えるかも知れません。
今この狭い日本で、一億もの人間が繁栄している事が、玄米が健康に良いという一番の証と言えるのではないでしょうか。
最近ではフィチンはフィチン酸とは違い、逆に、抗ガン効果、心臓・血管疾患の予防効果などでも注目を集めています。
お米がどれくらいの期間食べられるのかと言えば、その期間は玄米の状態で保存されているか、精米された状態で保存されているかによって大きく異なってきます。
保存場所や時期によっても違いができます、一般的には、玄米の状態でしたら1年置いた状態でもまだまだ美味しく食べる事ができると言われます。
年を取ったら血圧は高くてよい 認知症の人は脳の血の巡りが悪くなっています。 2009年に京都府立医大で開発された「認知症早期発見装置」が脳の血流を測る装置であることがそのことを示しています。脳の血流が少ないと認知症の疑いがあるのです。 血圧降下剤は脳の血流を少なくします。 ですから血圧降下剤の多用が認知症を多発させている疑いがあります。 右図は厚生労働省の統計です。血圧降下剤の生産額が毎年10%以上伸びています。(※サイト元をご確認ください) 昨今のわが国の認知症の増加と、血圧降下剤の消費量の増加とは、グラフに書けばピタリと重なるでしょう。 ○血圧降下剤と がん がんが急増しています。日本人の2人に1人が、がんになると言われています。 このことと、血圧降下剤に限らず、さまざまな薬の乱用とは、おそらく関係があるでしょう。 ○血圧と塩分は関係がない ○塩は重要なミネラル源 天然の塩(ヒマラヤ岩塩等)は大切なミネラル(微量元素)の源です。人は体内に海と同じ組成をもっています。ですから海の塩は必要な栄養です。岩塩も海が起源ですから同じです。(岩塩の方がニガリが無くてベスト♪) 塩が不足するとミネラルが足りなくなって健康を害します。これは乳児のアトピーにも言えることで、母乳で育てているお母さんがしっかりと塩分をとることで、赤ちゃんの皮膚が良くなるケースが多々あります。 ただしJTの塩は極端に精製されていてナトリウムが99.99%ですから健康によくありません。みそや醤油も天然塩で作ったものを選ぶ知恵が必要です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ヒマラヤ岩塩 ピンクソルト あら塩 25kg⇐超お買得です♪
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ○減塩しても意味がない 血圧を下げるために「塩分を控えめに」、と言われていますが、それは間違いです。塩分摂取と血圧との間にはほとんど関係がないことは、とっくの昔に科学的に決着がついています。 そもそもここまで述べてきたように、血圧を無理矢理下げること自体がナンセンスなのですから、塩の摂取量などいちいち気にすることもありません。 ただし、塩分の取りすぎは胃ガンを起こします。昔は冷蔵設備がなく食べ物は塩漬けにされていて、世界中で胃ガンが多かったのですが、冷蔵設備の普及で塩分摂取が減り、世界的に胃ガンは減少しました。 ○体内の塩分濃度は一定 体内の塩分濃度は約1%で一定です。これが狂うとイオンで動いている心臓が止まります。体内の塩分量は、水分が70%として体重60キロの人は、60kgx0.7x0.01=420gの塩分があります。 ペットボトル1本分くらいあるわけです。減塩を主張する人は、1日に10gまで摂取するのはよいが、12g(現在の日本人の摂取量と言われている)では多すぎると言っています。
しかし体内に420gも塩分があるのに、たった2gの差などいちいち気にする方がどうかしています。
塩分をとりすぎると、人は自然にノドが乾いて水を飲み、過剰の塩分は尿として排泄されます。砂糖や油は体に貯まりますが、塩は体に貯められないのです。 ○猛暑の夏は梅干しが売り切れ
塩分不足で熱中症になると言われて、猛暑の夏に梅干しが売り切れたそうです。建設現場で働く人やスポーツ選手は塩分が必要です。 ちょっとジョギングしても塩分は失われます。 減塩論者は、猛暑の夏でも建設現場でも、「梅干しは良くない」「10g以下にしろ」と言うのでしょうか。 普通に味付けして美味しければそれでいいのです。 それ以上の減塩には意味はありません。 ○ナトリウムとカリウムのバランスが大切 人の体は脳も神経も心臓も電気仕掛けで動いています。ですからイオンのバランスが大切です。特にナトリウムとカリウムのバランスが大切です。ナトリウムは塩に、カリウムは野菜に含まれています。ですから野菜に塩をかけるのは合理的です。いい塩梅とはそのことです。 西欧人は肉を多く食べます。肉には血があり血には塩があります。 日本人は野菜や穀物を食べ、肉食が少ないので、日本食は自然に西欧人よりも塩を多く入れるようになっています。 ○体験談 2月6日に兵庫県の西脇市で磁気活水器の説明会がありました。 会場に、2年前に磁気活水器を取り付けた70代の女性が、2人の同年配の知人を連れて来られていて、みなさんの前で体験談を発表してくださいました。 2年前には上の血圧が 198 あって、しんどくて血圧降下剤を飲んでいました。 磁気活水器を取り付けて、「水をよく飲むといいですよ(一日2.5L以上)」と言われてそうしていたら、血圧がどんどん下がってきて薬を飲まなくてもよくなりました。
今は薬なしで 140 くらいで安定していて元気です。お腹の肉もスリムになってよく歩けます。
この2年間、医者に行っていません………ということでした。
頬が少女のようなピンク色で、元気そうで、ニコニコと明るい表情での発表でした。 磁気活水は北海道大学の研究で表面張力が下がっている事から分かるように、普通の水よりも少しだけ浸透性がよく、毛細管現象が起こりやすくなっています。 ですから磁気活水を飲んでいると毛細血管の血の流れが少しずつ良くなってきます。血の流れが良くなれば、血圧を上げる必要がなくなるので、自然に血圧が「元に戻る」という道理です。
血圧を上げる必要性があるのに、それは改善せずにただ血圧だけを下げてしまえば、血管が詰まりやすくなります。 しかし、血のめぐりが良くなって、血圧を上げる必要性が減ってきて、それで血圧が自然に下がるのは、まったく理にかなったことです。
この女性の顔色や立ち居振る舞いが、そのことをはっきりと示していました。 2年前に初めてお会いした時の、しんどそうでヨタヨタと歩いていた「老女」を思い出してみれば、彼女の健康寿命は軽く10年は伸びたのではないかと思われます。 血圧の記事♪からの引用ですが…♬ 中国では82%の高血圧患者に効いた「根昆布」からの抽出物!
中国では、日本の真昆布に当たるものを年間20〜80万トン養殖しています。養殖方法はほぼ同じで、室内で細い網を胞子をつけ発芽させ、それを海中で育てています。 文献には、その根の部分を「根昆布」と称して、そこかで血圧に有効な成分を抽出して「血海霊」と名付けています。その根昆布は日本でいうものとは違い、昆布の本当の部分だけのものです。
その文献には、30〜61歳までの、高血圧の入院患者を対象に行なった治療例が報告されています。高血圧症に伴う頭痛、手足のしびれ、めまい、不眠、視力低下、動悸など、症状に応じて毎食後血海霊を投与し、30日後に再診。
治療前と後を細部にわたって追跡調査した結果です。
●手足のしびれ 15人⇛14人が改善
●視力低下 37人⇛33人が改善
●頭痛 65人⇛55人が改善
●呼吸が速い 20人⇛17人が改善
●動悸がする 48人⇛43人が改善
●めまい 83人⇛70人が改善
●耳鳴り 13人⇛10人が改善
●腰痛 11人⇛9人が改善
●最高血圧が30以上下がった 47人
最低血圧が20〜30下がった 35人
これらを総計すると、全体の82%の患者に改善が見られたというのです。この調査には、昆布の根のどの成分が有効に働いたかということは明記されてはいませんが、おそらく、アルギン酸、フダイコンなどの食物繊維、ラミニンや豊富に含まれるミネラルなどが血圧降下に有効に働いたものと考えられます。
また、フコステロールやEPAなどの成分も、重要因子として有効であると推定されます。この中国からの血海霊報告に、どれだけの高い確率で再現性が期待できるかは、今のところはっきりとはしていません。
ただ元である根昆布そのものか、それからの抽出物を食べることが、血圧の改善に期待できることは確かといえるでしょう。
たまねぎの薄皮をお茶にして飲めば、新発見の
強力な抗酸化成分が動脈硬化を予防してくれます
たまねぎに多く含まれ、その抗酸化作用で注目されている成分にケルセチンがあります。ケルセチンは茶色い色素成分で、たまねぎでも特にその薄皮に豊富です。
近年、赤ワインのアントシアニン(ポリフェノールの一種)や緑茶のカテキンなどといった色素成分が脚光を浴びているのも、ケルセチンと同様に抗酸化作用をもっているからです。
さて、たまねぎの皮がもつ抗酸化作用を調べていたところ、驚くべき発見をしました。たまねぎの皮には、ケルセチンとは別に、抗酸化力を持った新しい成分が含まれていることがわかったのです。
それもカテキンの約2倍という強い抗酸化作用です。その後、さらに実験を重ね、成分の正体を分析した結果、プロトカテク酸という同じ玉ねぎの色素であることが分かりました。
抗酸化力の実験
リノール酸を40度で9日間酸化させたところ、
カテキンを添加したものは30.7%酸化が抑制され、
たまねぎ薄皮(プロトカテク酸)を添加したものは70.1%抑制された。
ところで、古くから伝わっている自宅療法の一つで、高血圧の改善や脳卒中の予防に効くとされているものに、たまねぎの皮のお茶(煮詰め汁)というのがあります。
プロトカテク酸は、分子の構造が小さいので体内に吸収されやすく、お湯を煎じるだけでも成分がしっかり抽出されます。一方、ケルセチンは、お湯で3分ほど煎じるだけではなかなか抽出されません。
お茶として飲むとしたら、実はあまりケルセチンは含まれていないことになります。したがって、たまねぎの皮のお茶の高血圧改善効果や脳卒中予防効果の実態は、おろらくプロトカテク酸にあったのでしょう。
詳しい研究はまだこれからですが、プロトカテク酸はケルセチンと同様に、悪玉のLDLコレステロールや血管細胞の酸化を防いで、動脈硬化を予防するのに効果的なのは明らかです。
今まで捨てていた皮で病気を防げるのですから、これを利用しない手はありません。作り方も簡単です。
飲む量としては、朝と晩の1日2回、200mlくらいでよいでしょう。風味も香ばしくて飲みやすいので、ぜひ試してみて下さい。 |

>
- 生活と文化
>
- ライフスタイル
>
- クリエイティブライフ
|
人間はなぜ神か 神の心 人の心
「神の心」と「人の心」というものがありますが、本来は一つの神の心しか存在致しません。
大宇宙という中心に神の存在があり、大宇宙そのものが神の心です。
そして、私達人間には、個別化された心というものがあります。しかし、その個別化された心というものは、大宇宙の神の心の中に存在致します。
常に神は私達に啓示を与え、中心を与え、私達を守って下さっています。私達の心に色々なインスピレーションを、その啓示を与えて下さっているのです。
しかし、人間が勝手に、神からの中心を断ち切ってしまっているのです。神の御心のように、神から送られた中心によって私達が動いているならば、
浅瀬に乗ったり、困難にあったり、事故災難にあったり、病気になったりする事はありませんが、私達は神から分離して、神の心から離れてしまったために、神からの中心を自らが断ち切ってしまったのです。
それは、常に母船より小さな船へと、中心を発信しています。けれども人間が受け付けないのです。受け付けない為に自分が勝手に生きていると、自分が勝手に動いていると思い込む様になり、自分勝手な行動をしているのです。
私達が自分勝手な行動を取るのではなく、人の心が常に神の心を素直に受信して、私達の人生なる航路を航海していますと、道を間違う事無く、道に迷う事無く神に導かれ、幸せな健康な、完全なる状態を保つ事が出来るのです。
この肉眼では観えませんが、大宇宙の中心には神の中心部があります。皆さん方の肉体にも、中心部の心というものがあります。
心というものは、船でいえば舵取りです。船長です。私達の肉体を動かしているのは心です。心が命令してそれで肉体が動くのです。
その心というものが間違っていますと、私達の言葉遣いや、想いや、行動のすべてが間違ってしまうのです。
私達は、神から派遣された小舟のようなものです。お互いに出て来た所は一緒です。ですが、お互いが敵だと見なしています。
私達はお互い敵ではありません。味方同士です。あなたも私も味方であり、一つの根源から発生したものです。
私達の心は常に神の心と連結されて、繋がれて、神に素直になって人生行路を送るようになればこの世に躓(つまず)く事はありません。
神の心というのは完全無欠の心です。決してそこには、不完全なるものは存在しない事が分かるようになります。ですから、「神に素直でありなさい」と、私はいつも申し上げているのです。
私達は今、自分勝手に生きています。だから自分は何処から出てきたのかも分からないのです。闇の人生を、闇の旅をしている小舟の様なものです。
「肉体は魂の乗り舟」といい、肉体そのものは魂を宿している、心を宿している一つの乗り舟、航海の乗り舟に過ぎないのです。
今、私達は三次元という次元に、旅をしている小舟の様なものです。
あなたが神からの中心を絶やす事がなければ、この世の航海は困難ではありません。非常に楽しく航海が出来ます。
その力は全て神から、神の中心エネルギーは全て神から与えられていますが、そのエネルギーさえも私達は遮断するようになってしまったのです。
消極的という人の心はマイナスのエネルギーのことで、そのエネルギーが全てを破壊してゆくのです。消極的というのは破壊的エネルギーの事です。
積極的というのはプラスのエネルギーの事で、建設的エネルギーの事です。神は常に建設的エネルギー、プラスのエネルギーを私達に注いで下さっています。
しかし、人間が勝手にその積極的エネルギーを、消極的エネルギーに変えてしまっているのです。
その消極的というものは「心の在り方」その想いが一番大事なのです。心が消極的である時、私達は自己破壊を招き相手を破壊してしまうのです。
プラスのエネルギーをマイナスのエネルギーに変換してしまい、私達自らが神から遠ざかり、その神の力を失っている状態です。
皆さん方は、今からでも遅くはありません。自分自身の全てを神に委(ゆだ)ねるのです。
神に素直に「我が心を導き給え」と、神の心に委ねてゆく事によって、全ての神の力を、我がものとする事が出来るのです。全知全能です。その力も知恵も、その完全さも、この世で現す事が出来るのです。
神からの中心を断ち切っているのは、自らの自分勝手な想念(自我)です。そうすると、この舟は闇に人生行路を航海します。どのようにして何処へ公開するのかが分からない。何処に辿り着くのかが分からない。
指示命令するというその完全なる指導者(神我)が付いていないから、何処かの浅瀬に乗り上げるか、色々な荒波に揉まれるか、あるいは転覆するか、その航海が困難になるのです。
その事がこの世の悩み、苦しみ、罪、汚れを犯す事になるのです。
神につながっておれば、素直に神からの中心に従う事が出来るのです。
そして「私達の心と神の心が連絡されている」という事を悟り、
常に、神に委ねて生きていられる様になれば、今日という1日も、神の導きによって航海する事が出来、平安と安らぎの中に、力と知恵の中に生きる事が出来るのです。
今、皆さん方は、神と人とは全然別の存在だと考えているのです。神はどこか別の所にいて、〈神と自分とは別の存在だ〉と思う事が迷いです。
その迷いというものを断ち切らない限り、私達は神からのインスピレーション、天啓を受ける事が出来ないのです。
それは、あなたの持っている自我の心。私は私。神は神。あの人はあの人。という分離観念、分離意識、あるいは表面意識という外なる意識が、肉の意識が妨げとなって、神からの啓示を断り続けているのです。
素直な心になって《おお、我が神よ、我が父よ。今日も我を導き給え》と、その父なる神にお願いをして、神に心を全開すれば、私達には知恵と力と愛が流されます。それを思った瞬間にそれが充満するのです。
神と私達の分離は一切ありません。一つなのです。しかし、それをあなたの自我の心で境目を造り、あなたは神を分離して考えるのです。
「何かの修行をしないと神に至る事が出来ない」という誤った教え方の為に、賛美歌を唱えないと神と繋がらないとか、お経を上げないと神と繋がらないとか、誤った指導者が出て来たために、この世に現れている乗り舟である人間は、余計に混乱させられてしまったのです。
神と自分を分離させているのは、自分自らの心で〈分離している〉という想いの中にしか、それは存在していません。
《一つである》と想った瞬間に、皆さん方は一つと繋がります。知恵と力に繋がります。その知恵と力がある事を、皆さん方は認めていないのです。
〈今、私は神とつながって、神の知恵と力に私は満たされている〉と想った瞬間、皆さん方にはその神の知恵と力が満たされるのです。
しかし、私は神からの分離で人間であると想っている(自我・偽我の)人は、神の知恵と力には満たされる事はありません。
私達は非常な過ちと罪や汚れを造り出しています。何をしでかすか分からない、勝手な行動をしているのです。
それは舵取りのない様な、船長が乗っている様な、いつ何処に、どのように辿り着くかも分からない、まるで漂流している船のようなものです。
舵取りは神です。私達の舵取りを見守って下さっているのです。人生行路が過ちを起さない様に、舵を取って下さっているのは神の心なのです。
その船長に従わないで、私達はどう、航海する事が出来るのでしょうか。その中心部から、《こういう具合に航海したら危険ですよ》
《こういう具合に航海したら非常に素晴らしい人生行路が送れますよ》
という具合に、毎日、昼夜休みなく、一分一秒の休みなく、神は私達に通信して下さっているのです。
それなのに、それを私達の自我で神からの通信を遮断してその聞く耳を持たない。神に従わない。自分勝手に自分の欲望達成のためにもがいているのです。
そこには事故、災難、病気、様々な苦痛が出てきます。神の言う事を聞いているならば、そんな事は一切関係なく私達は平安な航海をすることが出来るのです。
それが分かるようになりますと、神の心に人の心が従うようになった、委ねるようになった、という事になるのです。
そして、心を全開して〈神よ、我を守り給え。我を導き給え〉と祈る心を起こした瞬間、神は《分かってくれたか……。では、私のその想いを行ないなさい。私の御心を行ないなさい》と応(こた)えて下さいます。
そして神の御心を、私達が神の御心を想い、人生行路を歩むならば、この世で苦しむ事は一切ありません。
しかし、私達の自我で、神の知恵と力を遮断して、神からの啓示を断ち切る事によって迷っているのです。
皆さん方が神に還るためには、その通信されている神からの中心を素直に受け入れて、素直に航海する事によって、これまでの長い長い人生の度は終わり、神の御元(みもと)に還るのです。神の御国(みくに)に入る事が出来るのです。
その事を、イエス様は「我が御心を行う者は、我が御国に入るであろう」と言われ、私達に航海を間違わないようにと、常に神に至る道を示して下さっているのです。
私、皆さん方の前にいるこの知花は、神の心とつながり神の御心を行っている状態にいます。私の心は常に神の愛に満たされ知恵に満たされています。
「こんなにまでも神は私達を愛して下さっていたか」という事が分かるのです。
今まで私達は色々と何回もその航海の旅に出ました。何世紀に渡って、何転生もかけて、この世に現れてきました。
けれども、神の御心に従わず、勝手な振る舞いをし、勝手な航海をして来たのです。今こそ神に素直になり、神からの中心を受けて航海しようではありませんか。
そうすれば、皆さん方は本当に素直な、健康と幸せの中で航海することが出来ます。波風は立ちません。人生の浮き沈みの苦難な道もありません。
それは全て神が沈めて下さるからです。神が全てを示して下さるのです。荒れている海の航海と、静かな海の航海とは、神には全てが分かっておられ、「この道を歩むと平安である」と、「この道は苦難である」と、私達はその示された道に従って航海して行く必要があるのです。
世の中の人は、今、神を散々空想し妄想してもがいています。しかし、それらの人々が空想している神は何処にも存在致しません。
神棚に神を祀って、そこから啓示を受けて航海しようとする人ばかりです。神棚を通して神に通信を送れるものではありません。
私達の生きた神の中心を、その受信機であり送信機である心を通じてのみ、神はお働きになられるのです。その受信機であり送信機というものは、皆さん方一人びとりが持っている『心』の他には存在致しません。
その『心』が皆さん方の運命を決めているのです。心の素直な人は善い運命を辿(たど)りますし、心が非常に不真面目で自我の強い人は悪い人生を歩むのです。その人生行路を歩むわけです。
それは自我の強さによって変わるものです。神に素直な心になって、神と一体になって、私達が人生行路を歩んだならば、非常にやすらぎと平安と幸せの人生行路となるのです。
今、皆さん方の心に通信されて来るもの、神から通信されて来る事を信じますか。信じるならばあなた方は、今、即、信じる瞬間に導かれます。
「そんな事があるものか……」という疑問心があります。古い長い習慣で皆さん方は神から離れていましたので、中々神に素直になれないのです。
〈知花の言っている事は嘘ではないだろうか。そんな事があるのだろうか。おとぎ話の様なものだ〉と皆さん方はきっとそう思います。
しかし、現実的に素直になってみて下さい。神と繋がりますと、物凄い強烈な力が皆さん方に現れるのです。
それは宇宙力といって、この宇宙の力を我が力とする事が出来るのです。そのエネルギーは積極的です。これは神の心にのみ存在致します。それを受け入れる体制が出来たなら、受け入れたならば、物凄い力が出てくるのです。
しかし、受け入れない人には力が出ません。そのエネルギーを破壊的な人の心で消極的なものに、破壊的エネルギーに、つまりマイナスのエネルギーに変換してしまうからです。
本来、大宇宙そのものには、宇宙力という一つの力しか存在しません。その一つのエネルギーしか存在しないのです。そのエネルギーを受ける側が善い方向に使うか、悪い方向に使うかによって決まるのです。神の力を悪用するとその人は罪を犯している、という事になるのです。
例えば、あなたの発する言葉、その発生音というものは神のエネルギーです。そのプラスのエネルギーを、消極的なマイナスのエネルギーに、自らかってに変換したとするならば、それはその神のエネルギーを盗み取った盗人です。それが罪となって、苦しみとなって、その人に跳ね返って来ます。
人に「○鹿○郎!」といった瞬間に自己破壊です。その神のエネルギーを、自分自身が変換した罪を報いなくてはならないのです。
人を憎む心もその通りです。人を憎んだ瞬間に、神の積極的な心を人のさもしい消極的な心に変えてしまったのです。
その建設的エネルギーを破壊的エネルギーに変えてしまった、変換してしまった、人を憎むという事は破壊です。
せっかくの建設的エネルギーを、破壊的、消極的エネルギーに変換する事によって、私達はその罪を報いなくてはならないのです。
ですから、皆さん方は神の積極的なプラスのエネルギーを、消極的なマイナスのエネルギーに変えないようにする、その心掛けが必要です。
そうなれば、皆さん方の前から破壊というものが全部なくなります。今は自らが破壊しているのです。
皆さん方の想いが消極的である間は、一切、知恵でも力でも幸せでもありません。そのエネルギーの使い方を識別しなくてはなりません。
「私はもう駄目だ」という事はもうすでに消極的です。
〈私はもう駄目だ〉と想った瞬間駄目になってしまうのです。
せっかくの健全なるエネルギーを、駄目だというエネルギーに自分が変えてしまったのです。その瞬間あなたはマイナスのエネルギーに満たされてしまいます。
皆さん方の人体のエネルギーは消極的、破壊的エネルギーに、皆さん方が勝手に変換してしまったのです。
自分は健康であると想っているのは、積極的エネルギーです。自分が素晴らしいと想った瞬間、それは素晴らしい建設的なプラスのエネルギーです。
自分に力があると想った瞬間あなたに力が出て来るのです。自分には力がないと想う人は消極的ですから力はありません。
事実そうなのです。その力は想いというもので、プラスにもマイナスにも自由自在に、私達人間の心が変換してしまうのです。
厄介(やっかい)なものです。自分の想いというもので自分を低い低い次元にまで落としてしまう、本当に落としてしまうのです。
この事は、皆さん方が食べているその食べ物にも言えるのです。例えば、このミカンがそうです。私がこのミカンを食べる時、
〈物凄く健康になる、力になる〉と思った瞬間、そのミカンは神の心に変わります。それは積極的エネルギーに変わるという事です。
しかしこのミカンを食べて、人の心が〈これが力なんかになるものか〉と想った瞬間、そのミカンには力がなくなります。
皆さん方はいつもお食事を頂きます。お食事を頂く時、神に感謝して
《我が食する物は全て、神の積極的なエネルギーとなり、プラスのエネルギーとなって我が力となる》というその想いで頂きますと、その食事はあなたにとって強烈な力となるのです。
しかし何も想わない。神にも感謝しない。ただ、食べたいから食べているだけという様な、マイナス思考を持っているならば、その食事は力にはならないのです。それは神の心に素直ではないからです。
「神の心というものは、積極的な心のことです。それが神我です」
「人の心というものは、消極的な心のことです。それが自我です」
積極的は神我なのです。これが真の私達です。本来、私達は積極的な心しかなかったのです。神の心しかなかったのです。
消極的は自我にあります。それが「自我の心」といって、自らの心を造り出してしまっている。それが次元を低めて、神の力を落としてしまっている状態です。
ここにミカンがあります。皆さん方はこのミカンを食べて、このミカンに力があると思いますか。〈ある!〉と想うと、その瞬間にあなたはこのミカンにエネルギーを与えたのです。
奪う事も、与える事も、あなたの心が神とつながり、受信する事によって、いくらでも出来るのです。この事は、このミカンではなく皆さん方の食生活全てのものに当てはまります。
−−−−−それは、ここでも実験する事が出来ます。
皆さんの前で、このミカンに消極的力を与えると、マイナスのエネルギーとなります。そのミカンを食べる事によって力があるかないか。
消極的とはどういうものか。心ひとつで、想い一つで、それを交換できる事を実験して見せます。皆さん信じますか。物凄い力なんですよ。
あなたにこのミカンの皮を向いて頂きましょう。そう、皮をむき終わったら、半分に割って下さい。食べられるように、一切れ一切れに分けてください。
別の人。はい、あなた、前に出てきて下さい。では、私がこの人に向けて、人間の心で〈このミカンを食べても力が出るはずがない〉という想いを起こします。それからこのミカンを食べてもらいます。
まずミカンを食べる前に、この人の力を試してみます。では、立って下さい。私と腕相撲してみましょう。う〜ん、相当力持ちですね。
はい、もういいです。これだけの力のある人が、このミカンを食べると力が無くなるのです。
はい。食べて下さい。食べましたね。どうですか、食べた瞬間、力がなくなりますよ。〈このミカンはもう駄目だ〉と、私が消極的な想いを起こしたから、この人はもうボロボロなんですよ。このミカン一切れで力がなくなるのです。
今、この人は子供みたいな力になっています。力が入らないのです。では、もう一度私と腕相撲してみましょう。さあ、どうでしょう。
この通り力がないのです。あなたがどれだけ頑張ってもこの通りです。まるで小さな子供と腕相撲しているようなものですね。
これを、今度は宇宙エネルギーに変えます。積極的エネルギーに変えてみます。このミカンを食べますと、宇宙の力がその人に存在します。
この同じミカンの一切れに《これは神から与えられた偉大なるエネルギーの根源である》、と私はこれに感謝してこの人に食べてもらいます。
では、あなた、エネルギーが出て来ると思って、このミカンを食べて下さい。このミカン一切れを食べる事によって、もうこの人は、今、大変な宇宙力を持っています。これは、神から宇宙の力が与えられたのです。
これは、前の消極的エネルギーから、積極的エネルギーへ、プラスのエネルギーに変換したのですね。
このように皆さんの中にある積極的な想いと消極的な想い、その想いというものが、これほどの力があるという事を分かって頂きたいのです。
これは誰が出て来てやっても同じことなんです。誰か他に希望者があれば前に出て来て下さい。誰でもその力を試す事が出来るのです。
だから、皆さんの想いでこのミカンをいくらでも変換出来ます。変換して〈宇宙大の力が出る〉と想って食べてみて下さい。事実、その通りになっています。
しかし、その力は目には見えませんから、証明する事が出来ないのです。こうして試す事は出来るのです。でも、それを誰も信じてくれないのですね。
言葉も力です。力は言葉に出て来るのです。言葉にどれぐらい力があるかという事を、知らなくてはなりません。
私は今ここおにいるこの人から、いくらでも力を奪う事が出来るのです。この人を零(ぜろ)にして、私は百にする事が出来るのです。
では、そこのあなた、前に出て来て下さい。さあ。私と握手しましょう。こうして握手する事によって、私はこの人から力を奪う事が出来ます。
私位はこんなに背が小さいでしょう。この人は大男ですね。この人の方が力がありますね。でも、もうこの人は力がないのです。私に全部この人のエネルギーが流れてきたのです。
「私が全部吸い取った」という言葉を出しましたので、この人にはもう力はないのです。はい、あなた、力を入れてみて下さい。どうですか?力が入らないのですね。
その力を奪う事も与える事も出来るんです。またこうして、私がこの人にエネルギーを与えます。《エネルギーよ。私からこの人に流れて行きなさい》と想った瞬間に、瞬間にですよ。時間も空間もないんです。
瞬間にこの人のエネルギーは流れて行くのです。どうですか。皆さんお分かり頂けますでしょうか。
はい、もう結構です。ご自分の席にお戻り下さい。−−−−−
これが皆さん方の思いの中と、言葉の中にあるのです。皆さん方の日常生活の想いが、如何に無知な消極的エネルギーに、マイナスのエネルギーに変換しているかという事です。
あなたの病気の原因は、みんなこれから来ているのです。
〈私は病気だ〉という想いは病気のエネルギーが流れます。そうすると病気を必ず造ります。なぜ自分の中に自分で病気を作りたがるのですか。
〈自分は健康である〉と想えば健康のエネルギーが流れるのに、〈自分は病気だ〉という想いを起こすと、瞬間に、あなたはそのエネルギーに満たされるのです。病気というエネルギーという悪魔にやられてしまうのです。その事を無知というのです。
私は、いつも皆さんに申し上げております。「なぜ健康になる根源を、皆さん方の心一つで健康にもなれるのに、なぜ不健康な想いをするのですか」と、常に申し上げているのはその意味なのです。
私がなぜ病気知らずだと、私の家族皆が病院知らずだというと、人間は所謂(いわゆる)心で病気を造り、病は気からという様に、《私達家族は皆健康である》という想念を一杯持っているからです。
そうしますと病院に行く必要はありません。常に、健康なエネルギーが流れているからです。
皆さん方が病気という想念を起こした瞬間、病魔があなたに入ります。そのマイナスのエネルギーが、破壊的エネルギーで自己破壊を招くのです。
〈近い内、私は病気になりはしないか……〉と想った瞬間に流れています。そして「とうとう私は自分が思った通りの病気になってしまった。私は超能力を持っているのだ」と言うのです。
『想念は実現の母』といって、それは想った通りのあなたにしかなれないのです。病気になる事をあなたが望んだのです。
自分はどこどこが悪いのだと、悪いエネルギーを毎日送るのです。何処に行っても、誰に会っても「私はどこどこが悪い。何々という病気だと思う」というのです。
そうすると、病気だと想うエネルギーがそこに集中的に集まって、その通りの病気になってしまうのです。それを想っている間は絶対にその病気は治りません。
なぜならば、自らが病気だというエネルギーを、マイナスの破壊的エネルギーを送るからです。それを送らなくなった時に治ります。忘れた時治ります。
《自分は健全である。その様な事は私の心の過ちであった。エネルギーの使い方が分からなかった為、私は心の過ちを犯した》という事を、悔い改める事によって、今、即、治ります。
「そんな事があってたまるか」と、反発する自我の強い人は治りません。
神に素直になって、〈想いというもので、こんなにも自分の肉体がエネルギーに関係しているのか〉
という事が分かって、自分の心が神の心に素直になった瞬間に、皆さん方に救いが、癒しの手が差し伸べられます。癒やすも癒さないも自分自身にかかっています。神に素直になるかならないかだけなのです。
神の心というのは積極的な心、積極的な想いの事です。《自分は病気である》という想いは消極的です。積極的というのは〈自分は健康である〉という想いの事です。それが積極的な心です。プラスのエネルギーの事です。
だから皆さん方には、健康的なエネルギーしか与えられていないのです。健康の力しか与えられていないのに、自らの過ちがその力を破壊的に使ってしまい、自己破壊を招いているのです。
身体の何処かが痛いという人がいたら、すぐそこで〈あなたは痛くありません〉と、それに命令するだけで、その積極的なエネルギーが入って行くのです。その人に入って行くエネルギーは、あなた方の心でコントロールするのです。
『神の意識を、神の心を我が心として』。それを御言葉(みことば)といいます。言葉をエネルギーに変換した、その積極的な言葉遣いは神の御心です。消極的な言葉遣いは悪魔の言葉です。悪魔からの使いです。
「私は病気だ」という言葉は神にはありません。神の心にはありません。悪魔の心にしか存在しないのです。それは魔の心です。神の心は積極的、魔の心は消極的であるという事を忘れてはなりません。
皆さん方が今、魔の心を多く持っているのか。神の心を多く持っているのか。それによって皆さん方の運命が違って来るのです。
しかし、そういう心を今、瞬間的に使うだけではなくて、常日頃からそういうエネルギーを想っている事です。
「私と神は一体である。神の全ては私のものであり、私のものは神のものである」と。
〈知恵も、力も、愛も、全て私のものとなってそこにある〉と想う事です。四六時中想うことです。そうした時、皆さん方は四六時中、神の中で生きています。それは素晴らしいことなのです。
これが事実である事が、いくらでも証明できる様になります。
例えば「水を飲んで病気を治す」「水を飲ませて病気を治す」というその事は、〈この水に宇宙エネルギーが充満している〉という想い、
想念を起こす事によって、事実その水に宇宙エネルギーが集中されて癒しの水となるのです。
これを飲む人は物凄いエネルギーに満たされて、そのお陰で病気が癒されるのです。皆さん方が四六時中、神の中で生きておれば、それは事実において出来るのです。
神の力には私達の自我では及びません。及ぶ事が出来ないのです。ですから、神の力というものを皆さん方は半信半疑でいるのです。
癒す力も全てあなたに備わっています。特別な人間というのはありません。神に素直に行っているか、行っていないかだけなのです。
人の病気は「はい、あなたは治りました」と、言葉だけで癒せます。
「治りました」という瞬間に、その人が癒されるのです。それがイエス様の癒しであったのです。イエス様は大病人でも癒されました。
その事は、イエス様が完全なる神の心と、ご自分の心が一体化なさっていたからです。ですから、イエス様は「私は常に神と一体である」と言われたのです。
『父なる神と私は常に一体である』
父なる神と私達とが一体であるという事(想い)が、父なる神のすべての力が私達のものとなるのです。あなた方が一体ではないと思っているから、父なる神の力をあなた方は貰う事が出来ないのです。
ただ言葉だけでは中々理解して頂けません。何か人に示す事はないだろうかと、先程皆さん方の前で実験して示したのです。
実験で示しましたが、本当は『我を観ずに我を信ずる者は幸いなり』と、その言葉の通りのものなのです。その事を知ってほしいのです。
それが見えなくても、その奇跡を顕(あらわ)さなくても
〈ああ、なるほど、宇宙にはこういう力があって、私が素直な心でそれを受け取る心構えが出来ておれば、神様はこんなにも素晴らしい力を私に恵んで下さっているのだ〉と、それを想う心が大切なのです。
それが信仰というものです。信仰心を高める事が大切です。
信仰心を高めるという事は、積極的な想い、積極的な思考、積極的な言葉遣い、そういうものを起こす事が、皆さん方の信仰心を高めるという事なのです。
|
|
『夜船閑話(やせんかんな)』の呼吸法とはどんなものか?
白隠禅師自身は”丹田呼吸”という用語は使わなかったが、その中心になる内観法は使わなかったが、その中心になる内観法、軟酥(なんそ)の法はともに長息(長呼吸、長く息をゆっくり吐く)の丹田呼吸法である。
どういう呼吸法なのか、とりあえず全貌を次の対談から想像してもらいたい。これはNHKラジオ第二放送の「宗教の時間」に、NHK学園講師の金光寿郎氏の質問に答える形で語った速記録である。
放送当時のタイトルも「白隠の呼吸」であった。注釈を一言だけ言えば、対談中に出てくる「調和道を初めた藤田霊斎」だが、霊斎先生は白隠の『夜船閑話』を徹底読破して、新しい丹田呼吸法の型を作った方である。
その丹田呼吸法を調和道と名付け、同じ名前の団体を作った。
昭和三十二年、九十歳で没したが、丹田呼吸を現代に蘇らせた人物として記憶してもらいたい。
金光 白隠禅師の『夜船閑話』の中に内観の四則というのがありますが、あの四則というのは4つの規則という意味ですね。
村木 そうです。最初に本来の面目(めんもく)、
続いて本文の家郷(かきょう)、唯心の浄土、己心(こしん)の弥陀(みだ)と4つをあげているわけです。
金光 「我がこの気海丹田(きかいたんでん)腰脚(ようきゃく)
足心(そくしん)、すべてに是(こ)れ我が本来の面目、
面目何の鼻孔(びこう)かある」、これは有名な言葉でございますね。
村木 そうですね。
金光 それに続き「我がこの気海丹田、すべてに是我が本文の家郷、家郷何か消息がある」、それから三番目が「我がこの気海丹田、すべてに是唯心の浄土、浄土何の荘厳(しょうごん)かある」、
四番目が「我がこの気海丹田、すべてに是己身の弥陀、弥陀何の法をか説く」……対になっていて調子の良い言葉でございますね。これをどういう風に扱うんでございますか。
村木 本来の面目、つまり本当の自分とは、気海丹田腰脚足心、すなわち下半身に重点があると考えられるんだという事ですね。
金光 気海丹田とはどこの事でしょうか。
村木 気海は臍下(せいか)訳一寸五分、丹田は三寸という文章がありますように気海・丹田で、下腹部と考えていいと思います。それに白隠さんは
腰脚足心を付け加えていますから、お腹だけでなく、下半身の全体にすぐれたものが内在しているんだという事を現していると思いますね。
金光 それで、下半身に心を込めて力を入れる、この言葉を繰り返し唱えるわけですね。で、力を入れるというと気張(きば)るという感じを受けやすいのですが、それとは違うんでございますか。
村木 それは誤解しやすい言葉でして、実は力を無理に入れるんではないのです。1番良い方法は、上半身を下半身に向けて前傾姿勢をとる。
すると、お腹に力を入れようとしなくても入っていきます。自然に入るという事が大事なんですね。それが坐禅の時に下腹に力を入れなさいなんていうと、間違う場合が多いのです。
ですから、私は、坐禅でも上半身を曲げるような前傾姿勢を最初と最後に取り入れて、五分ほどやったらいいと思うんです。
金光 はい、鳩尾(みぞおち)を落とすという事は、医学的に非常に重要な意味があります。鳩尾の真後ろの腹膣内に太陽神経叢(たいようしんけいそう)があって、それが腹部大動脈に沿って拡がっているわけですね。
その一部は大動脈にまとわりついています。そしてこれが前傾姿勢をすると、非常によく働く事が分かってきたんです。
金光 それで、力が自然に入ってくる場合は、短い呼吸でなくて、長い呼吸の方がだんだんと入るような気がするんですが、それにしても
「我がこの気海丹田腰脚足心、すべてに是(これ)我が本来の面目……」と、けっこう長い、これを4つ続けるとかなり長く息を吐く事になりますね。
村木 はい。要するに、分節超呼気(ぶんせつちょうこき)という事になります。これは非常に大事な呼吸法です。
金光 声を出してやると、自然に丹田呼吸になるんですか。
村木 そうすると気持ちがとても落ち着いてくる。要するに、出る息を長くする事によって、精神集中が可能となり、さらにもっと拡がっていくと、大自然を見る目が深く広くなっていくという事に繋がるんですね。
「充分に吸い込む」ためには息を入れるスペースがいる
金光 丹田呼吸で、自然に丹田に力が入って長く生きを出していますと、医学的裏付けとしまして、どういう事になっているんでございましょうか。
村木 人間は他の哺乳類と違って立位(たちい)の生活をしていますから、胸と腹が上下関係になっています。すると、心臓から送り出される動脈血が約70%ぐらい下半身にいきます。
それを必ず心臓に還さないと、心臓は送り出す血液がなくなってしまいます。そのために人間はどうすれば良いかというと、上半身の前傾動作をすると横隔膜がこれに連係して収縮活動をする。それでお腹に力が入る。
その腹圧により、下半身の静脈血を心臓に還しているんです。同時に長呼吸ですから、肺胞という三億ある小部屋の中に溜まっている炭酸ガスをいくらでも吐き出す事ができる。
その次の瞬間に大量の酸素が入るという面白い働きがあるんです。
金光 吐き出した後は、空っぽになっているから、吸い込む努力をしなくても酸素が自然に入ってくるんですね。
村木 そうなんです。そこに大きな東洋的な呼吸の特徴があると思うんですね。これが西洋では、酸素が必要だから胸を拡げて一杯に息を吸いなさいという考えですが、これは案外だめなんです。
というのは、浅い呼吸ばかりしていると肺胞の中にはいつでも炭酸ガスが詰まっておりますから、それに先に追い出さないことには、酸素を入れようと思っても十分には入らないのです。
「身体がどんどん良くなる」とイメージする効用
金光 今までの内観の四則と、もう1本の柱である軟酥の法というのはどういうものですか。
村木 酥(そ)というのは牛乳などを煮詰めて濃くした極めて栄養の多い乳製品です。これを頭上に乗せたと想念し、これが頭の骨を通して大脳に染み込み、さらに下に降りて心臓、肺と浸透して、次にはお腹に下がって肝臓、
胃、腸、腎臓、膵臓など沢山の内臓に潜注(せんちゅう)していくと、内蔵に色々な故障を持っていても、みんな綺麗に治ってしまうんだという想念を凝らしていきます。
不思議な事にそれが長呼吸になるんですね。出る息が非常に長くなって、気持ちも落ち着くんです。
金光 上からずずーっと下がってきて、身体の隅々(すみずみ)までいき渡っていると思っていると、呼吸の方も忙しくなくて、ゆっくりと吐き出していけるというわけですね。
村木 その長呼吸が、気持ちを非常に落ち着かせる事になりますね。
金光 はい。その時大変面白い事には、徹底的に吐いて、吐きぬくと、今度は吸うことは考えなくても、待ってましたとばかり大量に呼気が肺に入ってくる。その中に必ず21%程の酸素が入っていますから、この酸素がよく吸収されるんですね。
これを西洋的発想でいくと、さっき言ったように、酸素は必要だから一杯吸いなさいとなります。これでは肺胞の中には炭酸ガスが入ったままで吸いますから、案外入らないのです。その事はオルザット方式のガス分析で調べてみるとハッキリ分かります。
金光 ずーっと吐き出していると炭酸ガスが大量に外へ出るし、出た後だから酸素はスーッと効率よく入ってくるというわけですね。そういう事は昔は考えなかったけれど、東洋では昔から合理的な呼吸をしていたんですね。
村木 はい。行住坐臥、全部できます。
金光 ことに病気で横になっていらっしゃる方なんかには、非常にやりやすいわけですね。
村木 そうですね。その時は両手を胸から下へ撫で下ろしながらやると良いのです。
金光 じゃあ、軟酥の法なら軟酥の法を、横になったままで出来るんですね。
村木 そうです。しまいにはそういう事を考えないで、長呼吸だけをやればよいという事が分かってきます。
金光 軟酥の法の場合でも、力を入れようとしなくてもいいのですね。
村木 ええ、むしろ肩の力を抜いて、坐位の時ならば上半身を前を倒していくと、自然にお腹に入り、胸の方は軽くなります。これを私ども調和道の道祖は上虚下実(じょうきょかじつ)という言葉を使っています。
上半身を軽くして、下半身には自然に力が入るという事ですね。
「力強い息」をする秘訣
金光 真人(しんじん)の息は踵(くびす)を以て(もって)する、という言葉が『夜船閑話』にありますが、これもやはり丹田呼吸といいますか、腹式の長呼気でないと中々出来ないわけですか。
村木 はい。踵の息、これはあくまで想念の呼吸で、踵から息を入れたり出したり出来ない事は当然ですけれど、そういう気持ちでやりなさいというんです。
その時はどういう呼吸をしているかというと、足の裏の後部から息を入れたり出したりというわけですから、かなり力強く息をしないとそうならないわけです。
そういう想念を使って息をさせる所が東洋の面白い特徴ですね。西洋ではそいういう事は殆ど言わないと思いますね。出来ない事はやらないですから。
金光 長呼気をすると、心身共に非常に良いからやりなさいというのを、真人の息は踵を以ってす、という表現にしたんですね。
村木 そうですね。お釈迦さんも、足心(そくしん)、つまり足の裏に心を込めて息を出したり入れたりしなさい、と言っているのと同じ事ですね。
金光 ああ、そうですか。『大安般守意経』にもそういう言葉があるわけでございますか。
村木 『夜船閑話』の中に、呼吸をする時お釈迦さんは足心に心を込められた事が書いてあります。
金光 こういうのは、かなり腹圧のかかる様な長い呼吸でないといけないのでございますか。
村木 そういう事です。だから、出る息を長くするにはかなり努力がいります。けれども、繰り返しやっていると苦痛でなくなる。しまいには長呼吸が楽しくなるという事ですね。
金光 『夜船閑話』のどこかに確かあったと思うんですが、あまり頭で色々考えていますと、特に現代の様に情報が過剰な時代ですと、頭が熱くなってしまう事があるんでございますか。そういう状況を心火逆上(しんかぎゃくじょう)という言葉で表現されているわけでございますか。
村木 そうだと思いますね。特に息を止めている場合は心火逆上という事になりますね。私どもが怒ったときにはしばしば息を止めます。すると頭が重くなります。息を止める事によって、大脳の静脈血が心臓に還れない。
すると大脳は静脈血の鬱血(うっけつ)が起こる。そのために脳圧が上がって非常に危険になってくるわけですね。頭は重くなるし、考え方も常軌を逸してくる。普段考えられない事もしでかす様になります。
そういう意味で胸に力を入れて息を止めるという事は危険な事です。私そもの調和道の藤田先生は、ドセキ厳禁という事をしょっちゅう私どもに教えておりました。
金光 ドセキとは怒るという字に責任の責ですか。
村木 本来は努力の努ですが、怒(おこ)るの怒の方が面白いですね。怒ると息を止めますから。
金光 努責というのは、そうしますと呼吸を泊めてしまって……
村木 胸に力が入る。これは非常に危険です。ですから今後、医学の中で体腔圧変動学というのが必ず出てくるはずです。それには努責任が1番危険だという事が強調されると思うんですね。
金光 この事に昔から気付いていた方がおいでだったんでございましょうか。
村木 これはものを考える人は、すぐ分かりますね。息を止めますと、頭がカーッとしてしまって、正常な考えができなくなってしまいます。
金光 そうしますと、お釈迦さんなんかも、長い間いろいろな苦労をなさった方でございますから、当然こういうご経験もおありだったとみて宜しいでしょうか。
村木 大ありです。特に苦行六年の最後にはかなり激しく息を止めておられる。それは必然的に胸に力を入れて、この努責をやった。その時脳天を鋭い刃物で突き刺される様な激痛を覚えたという事が仏典の苦行偏に記載されています。
金光 もう顔は死相になっているという事でございますか。
村木 ええ、危険ですよね。ともかく心臓に血液が還らないのですから、送り出す血液がなくなっちゃいます。そこで息を止めるのはいけない事だと気付くわけです。
金光 このままいったら自分は駄目だと……
村木 そうなんです。それでスパッと息を止める事をやめてしまいますね。その後で長呼吸をやられる。この、出る息を長くする事によって、お釈迦様らしい素晴らしい発想がいくらでも出てくるんですね。
今申したような軟酥の法あるいは内観の法も長呼吸ですから、これをやると出る息を長くしますから、非常に血液が綺麗になります。
そして出して出し抜いた後には、待ってましたとばかり酸素が大量に入ってくるという、素晴らしい働きがあるわけです。
どんな姿勢でも充分深い呼吸が出来る
金光 これも慣れない間は意識的努力、練習が必要なんでございましょうね。
村木 そういう事です。長呼気だけやろうと思っても難しいですから、やはり色々工夫が必要です。幸い、私どもは藤田霊斎先生あるいはお釈迦さんから、短息、つまり力強い息の重要さを教えてもらってますから……。
金光 あ、長呼気だけでなく、短い息もなんですか。
村木 はい、単なる短い息ではなく、出る息をパッと瞬間的に出すんです。
金光 日常の中でもそれはあるんですか。
村木 ずいぶんあります。
金光 どんな場合ですか。
村木 スポーツは全部短息です。走る、棒高跳びなど全部短息ですね。武道もそうです。例えば柔道の背負い投げなんて、力を入れてパッと瞬間的に息を出す。
剣道でも、相手に向かって木刀を振り下ろす時は、瞬間的に大量の息を出します。こういう力強い呼気も非常に大事だと、お釈迦さんもそれにも気付いていました。
金光 お釈迦さんの場合は、どういう形でその短息をなされていますか。
村木 最初は、息を止める事を止めた後、お釈迦さんは、もっぱら出る息を長くしました。
最初の内は出る息ばかりでなく入る息にも全力投球していましたが、その無駄にに気付いてその後はもっぱら出る息だけに心を傾けるわけです。
金光 こうした深く吐き出す呼吸を日常意識的に練習する方法があるんでしょうか。
村木 これはスポーツの中に全部ありますね。今言った様な前傾動作をとる時、ハーッと力強く吐く事が出来ます。面白いことには、力強く吐き出した瞬間、それ以上の呼気が入ってくるという事です。
金光 そうしますと、例えばジョギング中や歩きながらでもこの練習は出来るのですか。
村木 出来ます。それから寝ていても力強いそれは先程も言いましたが、胸の上で手を組んで、上から下へ撫で下ろす様にすると出来るんです。
組んだ手を下ろす時、横隔膜が一緒に動くわけですね。こうして横隔膜が縮小すると、下半身の静脈血はいくらでも心臓に還るという事が分かってきたんです。
病人には一番良い方法だと思います。病人は寝ているとどうしても呼吸が浅くなります。すると炭酸ガスも出ないし、酸素もうまく入らない。これでは健康に良いわけがないのです。
「思案なげ首」では呼吸も浅くなる
金光 日頃、先生は歩きながらする呼吸法をなにか教えていらっしゃいませんか。
村木 それは短息を3回に分けてハッハッハーと出す、その後自然に一回息を吸うという三呼一吸法(さんこいつきゅうほう)を多くの人にお勧めていします。
台所に転がっているポリエチレンの袋にこの三呼一吸で出る息の量を調べてみますと、わずか2〜3秒で2Lから3Lくらいになります。
気持ちが落ち込んでいる様な浅い呼吸ですと、1分かかっても1Lにもなりません。これはもう大変な差があります。
金光 思案しながらため息なんかついている時なんか……
村木 非常に呼吸が浅くなってしまいます。そうすると炭酸ガスは出ないし、酸素は入りませんから、60兆という細胞のバイタリティーが低下してしまいます。
金光 そうしますと、先程おっしゃった、3回ハッハッハーと吐く三呼一吸は、どこでも応用出来るんですね。
村木 そうです。ただ三呼一吸と言いますと、言葉の上では3回吐いて一回吸うという事になりますが、そうではないのですね。
最初のハッと出し瞬間すぐ入ってきます。
二回目を吐くとその量はかなり多くなっているので、入る息も多くなる。三回目にはもっと多くなる。このように三呼一吸というのは重要な呼吸法で、しかもいくらやっても疲れません。
金光 そうしますと、最初のお話にありました白隠さんの『夜船閑話』の中には、長呼気を中心に書いて下さってる。これは坐禅をして病気になった時にどうやったら治るかという事を中心に書いていらっしゃるようですが、
我々現代人にとっては、行動の中で長呼気でなく短い呼吸でも深くハッと吐き出すと同じ様な効果が肉体や精神の上に現れてくる様な方法もあるという事ですね。
村木 そうですね。今の三呼一吸でも、最初と二回目はハッハッと力強く出すとその直後にそれより多い呼気がバネ式に入ってきます。三回目は練習によってハーッと長くなります。
ですから、現代人にはこの三呼一吸法が長呼気の練習にもなるわけですね。
「たかが息一つ」で発想まで変えられる
金光 呼吸というのは、日頃無意識にしているわけでございますが、やはり何か考えている時に気が付いて、そうだ、ひとつ深い呼吸をしてやろうという事でやっていますと、発想の転換とか、気分を変えるという事が出来るんでございましょうか。
村木 はい、そういった意味でも素晴らしい呼吸だという事が分かりますね。最初から長呼気をすうるというのは難しいのですが、一番やりやすい
三呼一吸で、三回目をずーっと長く出すという練習をすると、楽しくやっているうちに長呼気が身に付きます。何事もトレーニングの集積でして、良いことは絶えず行なう事が大事だと思います。
金光 確かに禅の言葉で、考えている時にある一つの言葉を聞くと、それが引き金になってパッと心境が変わる「一転語」というのがありますが、そうすると言葉でなくても行きでもそういう事があるわけでございますね。
村木 そのとおりですね。だから私は、”一転語”に対して”一転息”という言葉を作ってみたんです。今まで浅い呼吸ばかりしていた人達が、気が付いたら長い息をする、あるいは瞬間的に力強く出す。
すると発想がすっかり変わってしまいます。考え方も明るくなる、健全になる。血液の流れも良くなり、酸素は多くなるので健康にも大いにプラスになるんです。
金光 悪い老廃物は出て、新しい酸素が入ると、自然に頭の働きも体の調子も良くなってくるのですね。
村木 そういう事ですね。そういう意味で一転息という言葉、面白いと思うんです。
金光 ありがとうございました。
ネット生活をさらに豊かにしてくれる☆最高級のお役立ち情報をご紹介♪
![]() ![]() ![]() |

>
- 生活と文化
>
- ライフスタイル
>
- クリエイティブライフ
|
美容と血液サラサラはリンクしている
皮膚細胞にたっぷり水分を運んでくれるから 森本チヅ子先生
健康のジャンルで「血液サラサラ」が注目されているのは有名な話。では、「美容」となるとどうか。エステティシャン協会認定校の「カリタ」で長年講師を努めた森本チヅ子先生に伺ってみよう。
「私達の皮膚、いえ、皮膚に限らず人間の細胞はたっぷりの栄養と酸素があってこそ、瑞々しさを保てます。この栄養と酸素を運ぶのが血液ですから、血液をサラサラにし、循環をよくする事は美容にとっても大事な事です」
「血液をサラサラ」は美容の世界でも注目されていた!
聞けば、女性が抱える多くの美容の悩みは、血行不良、つまり「血液ドロドロ」が原因の事も多いのだという。
「例えば、目の下のクマ、これには原因が2つあって、ひとつは色素沈着、もうひとつは酸欠です。酸素不足のため、血液が汚れたままで滞り、目の下が黒く見えるというもの。後者の場合は、顔を軽くマッサージしたり、パッティングすることで、解消します」
なるほど、マッサージをすることで、血液の流れを良くして、酸素を送り込めば解消するというわけだ。
「色素沈着によるクマも、新陳代謝が良くなれば皮膚が生まれ変わって徐々に薄くなってきますから、長い目で見れば、血液をサラサラにする事が解消法になります」
という事は、同じく色素の沈着によって出来る「シミ」も同様に血行を促進すれば、継承するということですか。
「その通りです。肌の悩みが解消して、みずみずしい肌を手に入れるには、血行を良くする事(血液サラサラ)が全てなんです」
煙草を吸う女性は絶対に水を飲まなければ
エスティックサロンの美顔コースには必ず顔のマッサージ器があったり、美容雑誌などでも「顔のマッサージ」を推奨するのは、このような理由があったのだ。
「でも、血液循環を良くするために、いくらマッサージをしても、血液が油などでギトギト状態で、流れていかないのでは意味がありません。ですから、エステにいらっしゃるお客様にも普段から水を飲むようにお願いしています。
サロンでは最初にウェルカムティーを出して、施術が終わった後にもお茶やお水を出すところが多いと思うのですが、それも水分補給の機会を多くつくるためなのです。」
また、煙草を吸う女性には特に水を飲むことが大切だ、とも。
「煙草を吸うと、血管が収縮します。そうすると、血液がなかなか流れていかない。だから、煙草を吸う人の顔はくすんでいるのです。
美容のためには、吸わないのがベストですが、吸わない事がかえってストレスになるのでしたら、水をたくさん飲むこと。そうすると、血液がサラサラになって、収縮した血管でも流れやすくなりますよ」
「水で血液サラサラ」は健康だけでなく、美肌にとっても万能薬のようである。
つやつや肌をキープするもの
化粧品にお金をかけている女性は多い。でも、皮膚は老廃物を排出するのが主な機能のため、吸収作用はわずか。ビタミンC配合などの栄養成分をうたう化粧品は多いが、吸収はあまり期待できない。
栄養は本来小腸から吸収され、体内から送り出される。肌への栄養も同様だ。肌は、血液やリンパから栄養支給を受ける。血液やリンパの主成分は水分。つまり肌への栄養補給にいちばん大事なのは水というわけ。それを考えると浸透性が高くミネラルバランスのよい水が好ましい」
全身に酸素を送り込むとダイエットが進む
その酸素を運ぶ血液を水で生き生きさせる
「血液サラサラ」が美容に効果的ならば、一歩進んでダイエットにもいいのだろうか?
「もちろん、そうです。よく、太ってしまったら、有酸素運動をしなさい、と言われますよね?有酸素運動とはウォーキングや水泳など、一定の呼吸を継続的に行う運動です。
なぜ、有酸素運動かというと、体に詰まった脂肪を燃焼するのに酸素が必要であり、沢山の酸素を送り込む為には、ウォーキングなどのように、沢山の呼吸をする運動がいい。で、体中に酸素を届けるのは血液の役目。
この血液がドロドロだと酸素が全身に巡らないし、脂肪だって燃えない」
というのは森本チヅ子先生。
「有酸素運動をしている間に汗をかくと、血液が濃くなってきますから、あい間にもしっかり(真水で)水分補給をされる事をお勧めします」
また、最近良く耳にする「セルライト」。これは、お尻や腿(もも)の辺りに脂肪の組織がデコボコ状になって出来るものだが、やはり「血液サラサラ」によって解消する、という。
「セルライトは血液循環が悪くなり、脂肪の塊が出来た状態。つまり、血液がドロドロだと出来るんです。その証拠に、日本の女性湯おり欧米の女性の方がセルライトが出来やすいのですが、欧米はご存知の通り肉をよく食べます。動物性の脂肪は血液をドロドロにしやすいから要注意なんですよ」
ダイエットを考え食べ物とのバランスを
確かに、日本で発売されている、セルライトに対する対応のスリミング財や錠剤などは、殆どが欧米のもの。向こうの人はそれだけ深刻だという事だ。
「スリミング剤を使うのもいいですが、やはりいちばんの対処法は肉中心の食生活を改める事。そして、血液の状態をサラサラにしていく事です」
血液をサラサラにするには、例えば青魚を食べるという方法もある。青魚に含まれるDHAという油が血液を綺麗にしてくれる、という話をどこかで耳にした事があるだろう。
だが、カロリー的にはサンマ一匹で約160カロリーと油だけにやはり高エネルギー。ダイエットを考えるなら、やはりノンカロリーの水だろう。
「水には血液をサラサラにして、脂肪燃焼を促したり、セルライトを解消するだけでなく、水分代謝もよくし、体内に滞っていた水を排泄する働きもあります。
ですから、『水を飲んでも太るから』とか「むくむから』という理由で水を飲まない女性もいますが、ダイエットしたい人こそ、水を飲んでほしいですね」
また、ダイエットの大敵「宿便」も朝一杯の水を飲むことで、腸の働きを活発にして、解消につながるという。こうした面からも、水はダイエットの強い味方と言えそうだ。
水でダイエットができるのか
水が及ぼす効用は、血液循環が良くなる、蓄積された脂肪の代謝を助ける、体内の老廃物や毒性物質を排泄する、便秘を予防する、などがある。
でも、「水を飲んでも太る」という人がいるのは、それはリンパの流れが悪いため。太っているのではなく、むくんでいるのだ。まずリンパ循環を良くすればそれは解消される。
水分を摂ると太るからと水を飲まないのは過ち。水を飲まないのは、体内の老廃物の排出が悪くなったり、便秘の原因になったり、むしろ太る原因となるので、気を付けて。
ストレスは水分不足から来る
結果、血液を濃くして病気を招くことに 関戸秀臣先生
ストレスを貯めすぎると、感情のエネルギーの行き場がなくなり、交感神経、副交感神経という自律神経のバランスが片寄ってしまう。
結果、イライラ、動悸、めまい、耳鳴り、頭痛、肩凝り、発汗、胃痛、消化不良、便秘など、様々な症状が現れてくる。その辛さを紛らわすために、喫煙、アルコール、甘いものなどを多量に摂取したくなるのも、また当然である。
困ったことにその全てが、血液ドロドロの要因であり、いわゆる生活習慣病を招いてしまう。
また、ストレスによる活性酸素の増加と、血管の縮小も血液をドロドロにし、血管を傷つけ、動脈硬化を引き起こす事が懸念されている。
関戸整体医院長、関戸秀臣先生は、そのストレスの原因が水分不足にもあると判断しているとか。
水分が不足した体は、内因ストレスを抱え込み、仕事、生活、環境からくる外因ストレスに過敏に反応するようになる。この反応の悪い影響をまともに受けると、さらにストレスを溜めるようになる。
反対に水分に満ちたみずみずしい健康な体は、たとえ外因ストレスがあっても、それを受け流す余裕を保持出来るのだ。
これは、砂漠に風が吹くと砂嵐になるが、緑の大地は風が吹いてもそれを受けて揺れるだけ、という光景に例える事が出来る。
体を安定した状態に保つ仕組みを維持していく上で、水はこんな大きな役割があると考えているのである。
暴飲暴食を招くストレスを水で撃退
「食べ物を食べるとお腹が膨れるように、水を飲み続けていると、体中の血管に水が行き渡り、体が『満ちた!』と実感できるはずです。
そして自然に気持ちも落ち着いてくるのです」と関戸先生。
体が自然と満ちている状態になれば、生活習慣病の元凶である暴飲暴食が軽減する。イライラも少なくなり、喫煙量や酒量も減らす事が出来、自然と薄味を好むようになり、濃い塩味、極端な甘い物を要求しなくなるのだ。
そしてこの状態にある時、血液はサラサラになっていると考えていいのだとも。つまり、逆にストレス過多の状態は、血液ドロドロの状態なのである。
「水をたくさん飲めば、自律神経の片寄った状態が、本来のバランスに戻り、体温調節、消化、循環の各能力が正常になり、ストレスを跳ね返す体力が出来、同時に血液も蘇ります」
人は、1日に約2.5Lの水分を尿、便、汗、吐く息として排出している。対して、食事などで自然に補給できるのは、約1.5L。残りの1リットル、コップ約五杯分は食間に摂らなくてはならない計算だ。
だが、ストレスを抑えて体が良好な状態を保つには、これ以上の水を飲む必要が生じてくる。
「1日に最低必要なコップ5杯(約一リットル)以外に、さらに一杯ずつ5回を飲むと良いでしょう。これは、体質を変えるために飲むのです」
辛い体の症状は「水を飲め」のサイン。やがて、無意識のうちに、自分がその日必要な水の量がわかるようになるという。
こちらと合わせて読むとより深く理解出来ちゃいますよ♪
![]() ![]() |

















