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さとり実践呼吸書法  長尾弘先生の記事   高橋信次師   神我の記事♪
から引用させていただきました   上江洲義秀先生の記事♪
           
 高血圧にならない世界最高のお塩はこちら  すべての記事を表示


植芝盛平先生の知られざる裏エピソードをご紹介♪

 山本光輝先生の「さとり実践呼吸書法」に興味深くかなり珍しいエピソードがありましたので、ご紹介させて頂きます。

 神人一体の境地に到達された達人でも、思わぬ弱点?があったという風なお話でございます。詳しくは本文を見て頂くとして、
 無心の境地にまで到達した、超一流の熟練した猟師さんの無意識での発射では、どうも神人でも対応が難しいみたいであります。

 猟銃で無心の境地まで到達された相手ですから、ある意味、超サイヤ人VS超サイヤ人といった意味付けに近いかも知れませんね。

 逆に、素直に相手の力量をしっかり把握して、その名人の銃撃の対応できるかを正確に把握する事が出来る事自体が、さすが!植芝盛平先生♪素晴らしいな〜♪って思いました。
 神人の自然体ならではの研ぎ澄まされた判断力といった感じでしょうか。
では過去記事の内容と絡めて御覧下さいませ♪


「さとり実践呼吸書法」17P、62〜64P からの引用ですが…♪ 


合気道開祖・植芝盛平師

 この呼吸書法が成立するには、合気道という日本武道との出会いなくしてはあり得ませんので、合気道に関することを少し書きます。

 植芝盛平開祖は、「合気道は禊(みそぎ)わざじゃ」と言われます。
それは、生まれてから今日までに身に付けてしまった人間のアカを、綺麗にするために行うものだという意味です。

 権力や物・金への欲望や執着を捨て、人が大自然と融合一体となった時に、人為的ではない無限の力が発揮され、自然に相手が倒れ、敵という存在もなくなるというのです。

 人の体からムダな動きを取り、思想的なムダも取り、人間本来の清らかな魂そのものになった時に、無限のエネルギーが発揮される。
 禊(みそぎ)というのは、「魂のゴミ」を取り去ることなのだと、その時初めて教わりました。


植芝盛平開祖の神業

 合気道というものは、人間の立ち居振る舞いの全てに関わって、体の動きのムダを取り、同時に思想的なムダを取っていくと書きました。

 そして素直できれいな魂そのものになった時に、
人間の本当の無限なるエネルギーが出てくると言われています。

 名誉欲、権力欲、金銭欲などの欲望で包み込まれてしまっている本来の魂のまわりが綺麗に磨かれると、魂そのものの力が発揮されるのです。

 しかもその力は無限だといいます。それが実際に現れた例として、開祖・植芝盛平という神人が存在したと私は思っています。

 これは有名な話ですが、日本の軍隊が絶大な力を誇っていた戦前の事です。開祖が日頃の話の中で、「わしには鉄砲の弾も当たらぬよ」と言われた事が、軍人に聞き咎められました。

「そんなことを言う武道家がいるなら、我々軍人の沽券に関わる。それなら実際にやってみようじゃないか」と呼び出されてしまいました。

 そして射撃のうまい五人の兵士を呼び、対決させたのです。
三十メートルほどの距離に開祖を立たせて、五人の射的手が鉄砲で狙いを定めて撃つという条件です。

「撃て!」という号令のもと、兵士たちが引き金を引いた瞬間、一人の兵士はその場に倒され、四人の兵士は誰もいない空間に弾を打ったということです。これには、立ち会っていた軍の将校たちも度肝を抜かれたといいます。

 そして次の話が何とも示唆的なのですが、こうした評判を聞いた名人といわれる猟師が、「それじゃあ、自分が銃で勝負してみよう」と言ったそうです。
 けれども開祖は、「いやわしはその人にはかなわない」と断ったというのです。

 猟師というのは、いつ出てくるかわからない獲物を狙い、無意識に近い感覚で銃を撃つので、それでは撃たれてしまうと言われたそうです。
この話は、開祖を知る上で大変興味深いことだと思います。

 撃とうと意識する人間にはある種の欲望があるので、これを開祖が瞬間的に感知し、体を難なく瞬間的に移動せしめるというのですから、まさに神業といえましょう。

 また開祖は、十人くらいに円陣を組ませ、杖や木銃を持たせて、自分はその真ん中にいて、一斉に突かせるという事もされました。
しかし突かれた瞬間に、開祖は背後に入ってしまい、杖や木銃を持った者はみんな将棋倒しのように倒れてしまうのです。

 これは、私もしばしば実際に道場で見せて頂きました。まさに神業としか言いようがありません。

 私は、このような人間の限りない能力の一端を、実際に目にする事が出来たのを大変幸福だと思っています。
それが現実に存在した人なのですから、修業によってここまで魂と肉体を禊いで、そしてアカを取り去っていけば、
その境地に達するのではないかという希望を与えてくれます。


http://www1.vecceed.ne.jp/~kyusei/sub46.htm からの引用ですが…♪


植芝先生の神秘力

 植芝先生というと、いまだに話題にされるのが、純粋な武術の技の他に、ある種、神懸り的な力を持っていたかどうかということです。

 私は側にお仕えして、先生の一挙手一投足を見てきたわけですが、その上で言わせてもらえば、先生には確かに神懸り的な力がありました。

 先生は大本教の熱心な信者でした。そのせいかどうかは分かりませんが、時々我々には理解できない感覚を発揮していたことは事実なのです。

 そんなことは迷信だと思われる方もいらっしゃるでしょうが、私は実際にいくつかの出来事に遭遇していますので、それを紹介してみましょう。

 先生は月に一度、京都にいって指導されていたのですが、そのお供として私をよく連れていってくれました。今のように新幹線などありませんから、汽車にゴトゴト揺られながら、十時間以上もかかって大阪に向かうのです。

先生はいつも鉄扇を持ち歩いています。何でも武田惣角先生から頂いたものなのだそうです。
汽車に乗ると、先生がその鉄扇を私に預けてこういうのです。

「ワシに隙があったら、いつでもこれで殴ってきなはれ。もし殴れたら、あんたに十段をやろう」そして、お年寄りらしく、座席の上に正座して、そのまま眠り込んでしまいました。

 寝息をうかがっていますと、本当に先生は眠っているようです。
しめしめ、と私は思いました。今ならいくら先生でも気づかないでしょう。いつでも殴っていいといわれたのだから、眠っていても関係ないはずです。

 これで十段はもらった、と思って私が今まさに鉄扇を打ち込もうとしたとき、先生がカット目を開きました。私はびっくりして、ピタリと動きが止まってしまいました。

先生は微笑みながら、「今、夢の中に神さんが現れてな、塩田が叩くぞ、塩田が叩くぞ、と教えてくださったんじゃ」そんなことをいってまた眠りにつくのです。
 私は何度かやってみましたが、やはりどんな時でも先生は気づくのです。本当に不思議だと思いました。また、こんなこともありました。

 私たち内弟子は、夜は道場に布団を敷いて寝ることになっていました。
先生は奥の部屋でお休みになります。ある夜のことです。

 私がいい気持ちで眠っていると、いきなり奥の部屋の戸がバーンと開いて、先生が木剣を片手に真っ暗な道場へ飛び出してきました。そして、暗闇の中で「キエーッ」という気合と共に、先生が何かに向かって木剣を斬りつけました。

何事が起こったのかわけが分からず、私たち内弟子がおっとり刀で灯りをつけると、仁王立ちになった先生の足元に、首の飛んだネズミの死体が転がっていました。

「ばかモーン!」
先生の雷が落ちました。
「ネズミが神さんのお供えをかじっとるというのに、神棚の前で寝ていた君達が、なんで気がつかんのじゃ!」

 つまり先生は、隣の部屋で寝ていたのに、道場の神棚のお供えをネズミがかじっているのに気づき、飛び出して来て、木剣でネズミの首をハネたと云うわけなのです。

私たちがそれに気づかなかったからと先生は怒っているのですが、そんなことを言われても、私たちに分かるはずがありません。烈火のごとく怒った先生を前にして、私たちはただ頭をかくばかりでした。


拳銃の一斉射撃をかわす

不思議といえば、極め付きの出来事をお話ししましょう。これも私が実際にこの目で見たことです。

あるとき、陸軍の砲兵官の方が、軍の関係者を九人ばかりつれて植芝道場にやってきました。合気道という素晴らしい武道があるから見学しろ、というわけです。

その時いっしょに来た人達というのは鉄砲の検査官でした。検査官というのは、作ったばかりの鉄砲を実際に撃ってみて、銃身が右に曲がってるとか左に曲がってるとかを判断する人達なのです。

射撃の腕前はオリンピック級で、私が見せてもらったときも本当に百発百中なのでびっくりしました。

そういう人達を前にして演舞を行った植芝先生が、その時「ワシには鉄砲は当たらんのや」といってしまったのです。

確かに植芝先生は、蒙古で馬賊と闘ったときに鉄砲の弾をよけたと聞いていましたが、しかしこの時は相手がいけません。検査官の人達はプライドを傷付けられて、すっかり怒ってしまいました。

「本当にあたりませんか」
彼らが先生に詰め寄ります。」
「ああ、当たらん」
「じゃあ、試していいですか」
「けっこうや」

売り言葉に買い言葉です。その場で何月何日に大久保の射撃場で鉄砲の的になる、という誓約書を書かされ、拇印まで押すはめになってしまいました。

しかもその写しを軍の裁判所のようなところへ持っていって、確認までしてもらうという念のいれようです。これで植芝先生は撃たれて死んでも、文句が言えないようになってしまいました。

さてその当日、先方から迎えが来て、大久保の射撃場へと植芝先生を連れていきました。お供は私と湯川さんの二人です。

奥さんが大変心配されて、やめるように懇願したのですが、先生は、「いや、大丈夫。あんなもん当たらんよ」とのんきなものです。

私と湯川さんも顔を寄せ合って、「こりゃ葬式を用意しといた方がいいんじゃないか」などと相談していたくらいです。

射撃場に着くと、もっと大変なことが私たちを待っていました。私はてっきり、一人の人が先生を撃つと思っていたら、なんと六人がかりというのです。

用いた銃はピストルでした。ピストルの有効射程距離が25メートルだそうです。射撃場ではその距離に人間の形をした的が置かれています。

しかし、その時は人形の代わりに、植芝先生が的の位置に立つことになりました。そして、こちらの方で、六人の検査官がピストルを構えました。

25メートルというと相当の距離です。あんなところから先生はいったいどうするというのだろう、と私は息を呑んで見守っていました。

「1,2,3」で、六つの銃口が一斉に火を吹きました。砂ぼこりがもうもうと舞いあがったかと思うと、次の瞬間、六人の内の一人が宙に舞ったのです。

なんということでしょう。先生がいつの間にか六人の後ろに立って、ニコニコ笑っているではありませんか。

狐につままれたような気分とはこのことです。いったい何が起こったのか、私にはまったく理解できませんでした。

私ばかりではありません。その場にいた誰もが、ただ驚くばかりで言葉を失っています。

納得できない様子の六人の検査官が、もう一度やらせてくれと申しでました。先生は、「かまわんよ」と、いたって涼しい顔です。

もう一度、六つの銃口が先生に向かって火を吹きました。と、今度は端っこの人が投げられて宙に舞ったのです。先生はまたもや、何時の間にか後ろに立っていました。

私は茫然となってしまいました。今度こそ何が起こるか見極めてやろうと目をこらしていたのですが、結局、先生の動きが何一つ見えなかったからです。

立っている先生に向かって六つのピストルの引き金が引かれた。そこまでは分かっています。とことが、次の瞬間にはもう、先生は25メートルの距離を移動して、人一人を投げ飛ばしているのです。

これはもう、まぎれもなく神技としか思えません。首を傾けるだけの軍の関係者を後にして、先生は意気揚々と引き揚げたのでした。


黄金の玉が飛んでくる

帰りしな、私は先生に「いったいどうやったんですか」と尋ねました。
それに対する先生の答は、次のようなものでした。

彼らがピストルの引き金を引こうとすると、黄金の玉のような光が飛んでくる。弾はその後から来るから、避けるのは何でもない。

それに、六人同時に撃ってるつもりでも、一度には出てこない。必ずバラバラだから、一番先に来るやつのところに行けばいいのだ、と。

「金の光は、ビューンとすごい音がするんだよ」と先生はおっしゃってました。

音がしたときに走り出すんだそうです。その時はまるで忍者のような、腰をかがめて小走りに走るような格好になるそうです。それで飛び込んでいって、後から弾が来たときにはもう半分くらい中に入っているのです。

先生は、金の光が来てから弾が届くまですごい時間があるというんですが、見ている方にとっては、まさに一瞬にしかすぎません。先生が間合いを詰めるのは、全く見えないわけです。

「ワシはこの世に必要だから、植芝は生かしとかなきゃいかん、と神様の御告げがあった。ワシのミソギはまだ終わってないから、死なんのや、神様からもうこの世に必要ないといわれたときに、ワシは昇天するんじゃ」

先生はそんなふうに納得していたようですが、私たちにはどういうことだか理解できません。こんな話をしても皆さんには信じられないかも知れませんが、こういう不思議なことは実際にあるものなのです。


明るい心 五井昌久講話集4のからの引用ですが…♪


合気道の植芝盛平先生

 この間、うちの(※白光真宏会の)人達が合気道の植芝盛平先生の所へ行ってきたんです。合気道の植芝盛平先生といえば有名な人です。その時の植芝先生の話もやっぱり私と同じなんです。

人間というものは宇宙なんだ(宇宙生命あるのみ)、みんな宇宙なんだ(我即宇宙・全ては宇宙生命の現れ)、何故皆さんは宇宙(無限宇宙)だっていうことが分からないのかなあ・・」というんですね。

自分は宇宙なんだ(宇宙即我)、光り輝いているものなんだ(光一元)、全知全能なんだ(我生命なり」というんです。それで植芝先生はちゃんとそれを実証するわけです。

 若い人たちが木刀でパッと打ってくると、どうやったかわからないけれど、皆すっ飛んじゃう。いくら力でもって若い者が押さえつけても、大木のようにびくともしない。

 五尺ぐらいの人ですよ。それが頭を一寸ふるとみんなすっ飛んでします。

「自分に千人かかって来ても、何人かかって来ても、自分は負けることはない。自分に敵はいない」というんだ。すごいね、それを実際にやるんだから。そういう人がいるということは、実に有り難いと思うんですよ。

 大の男もちょっと指で押さえられたら動けない、というんでしょう。みんな見て来たんですね。力を出せば出すほど動けなくなっちゃう。

 何故、力を出せば出すほど動けないかというと、向こうはやっつけようと思う力です。こっちは宇宙でしょう。もう肉体にいないんですよ。

 いくらぶとうとしても、肉体はそこに見えているけれど、実は居ないんです。業の中にいないんです。神の中に入っちゃってるんです。ぶたれるというのは業の波でしょう。業があるからぶたれるんです。

 業がない、神の中に入っちゃっているから、いくらぶったってダメですよ。次元が違うんだから。片方は三次元(自我・個我)で一生懸命ぶってくるのに、片方は無限次元(宇宙我)の所にいるから、手が届かない。
 ぶとうと力を入れれば入れるほど、自分の力で飛んでいっちゃう。

 植芝先生は私の事を分かっていて、私もそういう人だというんです。私はまだ立廻りをやったことがないから、人をすっ飛ばすかどうか知らないですよ。

 けれど、向こうから悪い人が来る、会いたくない人が来れば、そのまま合わない。来るのがわかるから逃げることがいくらでも出来ます。だから宗教的には同じです。武道じゃ知りませんよ、私は武道家じゃないから。


業の世界を超える

 やっぱり業の世界をこえてなければダメですよ。それを私は教えているんですよ、植芝先生も教えているんです。

 業の世界というのは争いの世界、相対的な世界です。敵があるんです。自分があって人があるんです(分離意識)。自分と人が違うのです。自分と人が別々なんです。別々(自我)ですから敵になるでしょう。

 利害関係では敵になる。自分と人とが神さまのみ名において、神さまのいのちにおいて1つ(全一体感・真我)であるとするならば、敵はないでしょう。

 この間、斎藤秀雄さんの話を聞いて、とても関心しました。それは、斎藤さんが毎朝お祈りをするんです。そして私の直霊から色んな講義を聞いて起きるんです。

 或る朝、ひょっと新聞を見た。そしたら矢野という巡査を殺した人がいました。新聞じゃ悪いことをすると、”さん”を無くし、悪いことをしない時は、”さん”とか何とか付いているんですね。

 私は付けておきましょう。巡査を殺した矢野さんの記事が出ていた。その途端、斎藤さんは、ああ矢野さんの守護霊さん申し訳ございません

矢野さんが悪いことをしてすみいませんって、矢野さんになり替わって、守護霊さんにお詫びしちゃったんです。これは大変なことなのよ。

 私は聞いていて涙が出たんです。あーあ、斎藤さんこんなに偉くなったかと思って、私は嬉しかったんです。私のところに来てから偉くなったんですからね(笑) ここにいますからね(笑)。

 これは出来ないことなんですよ。ああこの○○がこんなことをして・・・なんて普通思いますよ。

 ところが、新聞を見た時、矢野さんの守護霊さん申し訳ありません、と神さまにお詫びする気持ちというのは、自分と矢野さんという人を一つに見たんです。

 矢野さんの命と自分の命と全く一つ(全一体感・全ては自分)になったから、ああ申し訳ありません、と言うんですよ。そういう気持ちに、ここにいる人だけでもなれば、世界平和になります。
 そういう気持ちにするために世界平和の祈りをやっているんですよ


(※世界平和の祈りで植芝先生の様な宇宙と一体化した覚者へ♪
「世界人類が平和でありますように」という祈り言葉は、1955年に白光真宏会の創始者 五井昌久先生によって提唱されました。

世界人類が平和でありますように
日本(にっぽん)が平和でありますように
私達(わたくしたち)の天命が完(まっと)うされますように
守護霊(しゅごれい)様ありがとうございます
守護神(しゅごじん)様ありがとうございます


から引用させていただきました   上江洲義秀先生の記事♪
 
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年が進むにしたがって、ものに感謝する心が失われてきます。すべてが当たり前に動いており、感謝や、感動の心は湧いてこなくなります。

 しかし、ものに感謝できない心は、もともと、どの辺りから生じてきたのでしょう。誰しも子供の時代がありました。

 子供のときは両親から可愛がられます。両親は子供のいうことなら大抵のことは聴いてくれます。近頃は過保護となり、親は子供のこととなると夢中になってしまうようです。

 両親は大抵のことはいうことをきいてくれる。わがままを通してくれる。
ということから、子供の心は生長するにしたがい、次第に、ものに感謝する心を失ってゆきます。

 学業を終え、社会に出ても、仕事をするから給料をもらうのは当然だ、課長は係長より余計に給料を取っているから、それだけ働くのは当然だ、ということになってゆきます。

 こうして感謝の心は一向に芽生えてこないわけですが、そのもとをたどると、子供の頃のわがままが、大人になってもつづいているからです。これでは感謝の心がよみがえってきません。

 この地球上は、お互いに、助けたり、補い合うことによって成り立っているのですから、感謝の心というものは、人間にとって非常に大事なものになるのです。感謝は謙虚な心をつくり、やがて、愛の心をも育てるものです。

 正法の出発、そして終点は、ものに感謝することにあります。すべてが当たり前で、当然、という見方をしていては、「正しくものを見る」ことにはなりません。

 大事なことは感謝です感謝が基礎にないと、ものの見方は偏見を伴ってくるでしょう。

 このほか、親子の問題、夫婦の問題、社会生活の問題、いろいろその例題は尽きませんが、正しい見方というものは、具体的には現れているさまざまな事柄を深く掘り下げ、物事を正しく認識することから生まれてきます。

 公平な見方は、そうした認識から生まれ、正しい見解に至るわけです。
この地上界に事象(現れているさまざまなできごと)は、すべて、人の想念、心の動きから生じており、現れの姿はそれの結果なのです。

 ですから、ものごとの原因は、人の心にあるのであって、現れているさまざまな現象は、原因ではなく結果なのです。したがって、結果だけをとらえ、あれこれ判断すると、間違いのもととなります。

 まず、現れている結果を見たならば、その原因について、掘り下げてゆくことが「正見」のポイントです。

 正見の目的は、物事の正確な判断であり、そうして、それにもとずく正しい見解を持つことです。


以上を要約すると、
 一、まず感謝の心を持つこと。  
   一、事象の一切の原因は人の想念、心にあって、現れの世界は結果である。
 一、既成観念を白紙にもどし、物事の真実を知るようにする

 一、正見の反対は邪見になります。常に第三者の立場に立って自我の思いを捨て、正しく見る努力をするということになります。


愛の原点  父母への反省と感謝

それでは皆さん、静かに呼吸を整えてください。
今から、私たちをこの世に送り出してくださった両親の事を静かに考えてみたいと思います。

あなた方は今、生きています。肉体があります。呼吸しています。
今、ここに自分というものがあることを誰も否定できません。なぜあなた方が今、ここにあるのでしょうか。

ご承知のように物事には、すべて原因と結果があります。
私たちの魂もこれから外れることが出来ないから、今ここにある訳です。
人間には転生輪廻があります。

何十回・何百回生まれ変わったか知れません。その繰り返しを重ねて、今ここにあなた方があります。それは丁度、数限りなく繰り返した輪廻という法の中にあります。

その法の端にいる今のあなたをこの世に送り出して下さったのは、他ならぬご両親です。ご両親を縁として、今のあなたがあります。

お父さんがいなければ、あなたは今ここに居ることはありませんでした。お母さんが居なければ、あなたは生まれることはありませんでした。

あなたの肉体は、ご両親によって与えられました。しかもビタ一文払うことなしに、この肉体を頂きました。ただで頂いたばかりでなく、ただで育てて頂きました。

全てが与えられたものばかりでした。よぅく考えてみて下さい。あなたはただで肉体を与えられ、ただで育てて頂いたのです。

今、もし仮に、あなたのご両親がその肉体を返して欲しいと言われたら、あなたはどうするでしょう。……… あなたは拒むことは出来ないはずです。

そうではありませんか。あなたの体は、すべてご両親から与えられたものだからです。自分のものは、何一つありはしないのです。

皆さんの中には様々な事情があって、ご両親に対して良からぬ想い出や感情を、お持ちの方がいらっしゃるかもしれません。しかし、それは狭い心に基づいた偏見だと申し上げましょう。

今ここにあなたがいる。そのために、両親がどれほど心を砕き、身を挺し、その結果としてあなた方が存在しているかを振り返って頂きたいと思うのです。

遠く昔に遡って見ましょう。……… 
今、あなたがお母さんのお腹の胎内(なか)にいる自分を想像してみてください。お母さんのお腹の胎内(なか)は暖かです。

ゆったりしています。何の不安もありません。
そのようにして十月十日(とつきとおか)の間、あなたはお母さんの体に守られて、ゆっくり育っていきました。

お母さんは大変でした。ある時はつわりで吐きそうになり、何日も苦しみました。体は重くなり、動くのさえ大儀になってきました。トイレに行くのも苦しいほどです。

肩で息をしました。でもその体でおむつを縫ったものです。夏の暑い日には、かんかん照りの日差しの中を、お腹を突き出してあえぎながら、毎日市場へ買い物にいったものです。お母さんも、たまには映画を見たいと思ったこともあったでしょう。

けれども人ごみの中へ出かけては、お腹の子に悪いと控えたのでした。胎教に悪いからと読みたい本を控えたこともありました。

いつも考えるのは、お腹の子のことばかりでした。丈夫な子が生まれるように、そればかり念じておりました。時には赤ん坊は、お腹の中で手足を動かしあばれました。「ああ、丈夫に育っている」とそれが何よりの喜びでした。

みなさん、よぉく考えてください。お腹の胎内(なか)にいた、僅か十月十日(とつきとおか)の間でさえお母さんは、これだけの犠牲をあなたに注がれたのです。

やがて出産の時が来ました。お母さんの陣痛は大変なものでした。骨の節々まで痛み、身体中から脂汗を流しながら痛みに耐えたのでした。 

この子が無事に生まれてさえくれればそれでいい。ただ、それでいいと、必死になって陣痛と戦ったのです。
命をかけてあなたをこの世に送り出そうとされたのです。

お父さんもそうでした。出産が近づくともう欲は言わない、ただ赤ん坊の手足の指が五本づつ揃っていれば、母と子が無事であれば、もうそれ以上何もいりませんと、ひたすら祈り続けました。

ひたすら祈りながら産室の前を歩き回ったものでした。それがあなたのお父さんの姿でした。あなたがこの世に生を受けるまでに、すでにご両親はこれだけの愛と犠牲を払われているのです。

思い出してください。こうしてあなたはこの世に生まれました。「おぎゃー」と呱々の声を上げた時も、両親の喜びはどんなに大きかったか

その声を聞いて母親は自分までが、初めてこの世に生まれたように喜びました。お父さんもまた、安堵の胸を撫で下ろし、涙さえ浮かべたのでした。

そして手を取り合って二人で喜び合ったものでした。それからは一切がお母さんの手によって育ちました。
 母の懐を寝床として、母のひざを遊び場として、母のお乳が唯一の食べ物として育ててくれました。母の手でなければ夜も昼も明け暮れません。

母の手がなければおむつはそのままです。夜中にむづかり、泣き出して母親を起こします。両親は昼間の疲れもいとわず、二人で飛び起きてあなたの世話をして下さいました

あなたがヨチヨチ歩きを始めると、両親の気遣いは大変なものでした。
お母さんは台所で水仕事をしていても、あるいはちょっとした買い物に出かけていても、気がかりでならないのです。

泣き声が聞こえてくると、縁側からでも落ちたのではないかと息せき切って走ってかけつけました。それがたとえ、空泣きであっても急いで抱き上げておっぱいを含ませました。

痛いほど乳房を噛まれても、母は吾が子があどけなくおっぱいを吸い、にっこり笑う笑顔を見さえすれば、母親は一切の苦しみを忘れるのです。それがあなたのお母さんでした。

赤ん坊のあなたは何もわかりません。父親が注意していなければ、ストーブの火が身体を焼くことを知りません。母親がいなければ、刃物が指を切ることを知らないのです。

両親がいなければ、毒で命を落とすことも知らず、何でも飲み込んでしまうのです。どれほどの心づかいや、目配りが赤ん坊のあなたに必要だったか、あなたはお分かりでしょうか。

熱を出して、お医者さんを呼びに走ったこともあるはずでした。夜も寝ずに、心配で胸をいっぱいにして看病してくださったのはご両親です。

大病をした子供に私の命に代えてもこの子を救ってくださいと、お百度参りをしてくださったのは、あなたのお母さんでなくて誰だったのでしょう。

ご両親がいなければ、あなたは、今ここに居なかったはずです。
自分一人で育ってきたと当然のような顔を出来るはずはありません。

両親がよその家にお客に招かれておいしいご馳走がでたときに、ああこのお菓子の一つでもあなたに食べさせてあげたいなぁと思うので多少格好が悪くても、わざと食べ残したものを紙に包んで持って帰ったこともあり、あなたはそれを喜んで食べた。

ご両親は自分が食べなくても、子供が喜んで食べるその姿を見てひもじい思いは消し飛んでしまいます。戦争直後は、ひどい食糧難でした。

その時に、子供にだけはひもじい思いをさせたくないと、自分は食べずに、自分の分まであなたに食べさせて下さったのは、お母さんでした。

お母さんはお釜の底や、しゃもじに残った一粒一粒のお米を食べて、さも充分食べているような素振りをしていたのです。それ程の愛を注いで下さったのがお母さんの外に誰があるでしょう。

……… やがてあなたは成長しました。学校に行くようになりました。洋服を整え、学用品を買い、世間並みの恥ずかしくない用意を整えて下さったのは誰でしょうか。毎日、ハンカチからチリ紙まで気を配って下さったのは誰でしょうか。

「車に気をつけなさいよ」・「道草をくわないで」毎日そう言って送り出して下さるのは誰でしたか。お母さんの心は愛で一杯です。
たとえお金をもらっていても、これだけの愛の行為が、誰に出来るでしょうか。

あなたが成長するにつれ、しだいに大きな洋服がいります。靴がいります。あなたのお父さんが、汗水たらして働いて得た収入があってこそ、必要なものが整えられていったのです。俗に男が家を外に出れば、七人の敵が居ると言われます。

会社に勤めたり、また独力で商売を営み、それにはどれ程の汗と涙が流されているのでしょう。上役の厳しい命令にも耐え、辛いことも忍んで父親は家族のために収入を得てきました。本当に苦労の連続です。

あなたはその苦労を知りませんでした。欲しい物が買えるお金が家にあるのは当然のように思っていたのです。いやお金の事なんか、全然考えもしなかったでしょう。

しかし実際は、限られた収入の中からやりくり算段して母親は、子供たちに必要なものを買い与えていたのです。

自分は流行りの着物を着なくても、あるいは、化粧品は、百円の安いクリームで我慢して、あなたに恥ずかしくない服装を用意したのです。

……… 冬がやってくればあの子はセーターがいるだろう、この子は手袋がいるだろうと心をくだいて、あなたの事ばかり考え配慮して下さったのはお母さんです。

思い出してください。何年も前の古ぼけたオーバーのままで、町を歩いていたお母さんの後姿。その後姿にあなたへの一杯の優しい愛が、母の心が溢れていたことを、いま知ってください。

こうした多くの両親の犠牲と愛によって、あなたは、いま、ここにある訳ですが、それに気付いたことがあるでしょうか。

正法(しょうほう)は愛に始まって、愛に終わるものです。」

愛の献身によって、人は生かされ生きています。

その愛は、両親の身を削るような犠牲の中に育み、今のあなたがあるのです。幼い時を反省し、父や母の愛の行為に感謝されたでしょうか

たとえされたとしても、両親の愛の心に対して、両親の愛の大きさ広さに見合う心は、容易に得られない事を知る事でしょう。現にあなたは、ご両親の心を痛め、苦しめることを、何度繰り返した事でしょうか。……… 

食事がうまくないと言って箸を投げ出し、口も聞かなかったことがなかったでしょうか。苦しい家計のやりくりの中から作った食事に、このおかずは嫌い、このおつゆは辛い、そう言っていささかの感謝もなく、心を不満で一杯にした事もあったでしょう。

犬猫でさえ、文句を言わずに食べるのに。あなたは好き勝手なことを言いました。洋服の柄が気に入らないと言ってぶつぶつ文句を言った事もあります。

親の愛が満ち溢れているその洋服を怒って、身につけて泣きわめき、我を通そうとしたこともあったでしょう。お母さんが忘れたと言って怒鳴った事もあると思います。

忙しい上に心配事の多いお母さんが、一度か二度忘れた事を、罵り(ののしり)返す権利が、いったいあなたのどこにあったと言うのでしょうか。
 怒鳴っているあなたは、鬼です。己の事しか心にないエゴイスト、それがあなたではないですか。

受験勉強でお腹が空いただろうと、
一緒に夜遅くまで起きていて夜食を作って下さったお母さん。……… 

「しっかりやっているか」とのぞきに来て肩を叩いてくれたお父さん。努力が実って入学試験に合格したとき、お赤飯を炊いて顔中を涙でくしゃくしゃにして、喜んでくださったお母さん。

あなたが社会に出た時もそうでした。入社試験に受かって、これで一人前になったと励まして下さったお父さん。お祝いの料理を作り、お酒を買ってきて前途を祝って下さったお母さん。

どれ程の大きな愛が、生まれてから現在までのあなたに、注がれ続けてきた事か。あなたは、その愛の重さを感じ取る事が出来ますか。

あなたの身体は、両親の、父と母の愛が、一つ一つ集まって出来ているのです。
あなたの身体は、単なる肉体ではない事を知ってください。

そうした大きな愛を受けながら一人前になってしまうと、両親をなおざりにしがちになるのが人間です。まして結婚しますと両親の事を忘れてしまい、自分の家庭だけが心の関心事になってしまうのです。

「去る者は、日々にうとし」もはや、あなたは自分の妻や子供達だけで自分の世界を作ってしまい、両親の事は遠くへ押しやってしまいます。

故郷を離れ都会に出てきてしまうと、その繋がりはいよいよ薄くなり、親の年が幾つであるのかも忘れてしまい……… 

ご両親の年が幾つかを、正確に覚えていらっしゃる方がこの中に何人いますか。… お父さんは還暦じゃないかな… 七十七のお祝いの年じゃないかな、といつも心掛けている方が何人いるでしょう。

両親と言うものは、歳を取り仕事が衰えてくると頼りにするのは子供だけです。ですから、電話を掛けたり手紙を出してあげれば、両親が喜ぶことは、あなたは百も承知のはずです。

それでいて、滅多に電話も掛けなければ、葉書一枚書くのもおっくうがって、一日延ばしにしてしまうのはどう言うことでしょう。

でも、ご両親は、あなたを恨みません。愚痴もこぼしません。それどころか、夫婦仲は上手く行っているだろうか。… 病気はしていないだろうか。…会社ではうまくやっているだろうか。… 孫達は風邪をひいていないだろうか。… 

ご両親の愛の思いは尽きる事がありません。幾ら歳を取っても、親不孝であった子であればある程、気掛かりなのが親心です。

そうした両親が連れ合いに先立たれると淋しさは一段とつのります。丁度、独りぼっちで旅先の旅館で泊まっているようなものです。

話し合える人もなく、淋しさをまぎらわせる物は何もありません。独りぼっちの親も、頼みとする子供夫婦が、そして、孫が訪れる事もありません。

皆と笑いささめく楽しみもなく、夜は冷たい布団の中で身を横たえるのです。眠れない布団の中で思う事は、子供達と一緒に暮らした昔のことです。

その淋しさを、あなたは想像できるでしょうか。淋しくとも文句一つ言いません。その心の内を、あなたは思いやった事があるでしょうか。

夜中に目が覚めて、子供達夫婦はどうしているかを考えるのです。そのような母の心、父の心を思いやる時が、あなたにこれまで、何回あったでしょう。

たとえ同じ家庭に同居していても、夫婦が親をそっちのけで、ひそひそと楽しく語り合う事ばかりが中心で、独りぼっちの父や母と語り合う機会がどんなに少ないことでしょう。それがどんなに、父や母の心を傷つけていると思いますか。…

けれどお父さんやお母さんは恨みません。あの子は優しい子だった。… いろいろ忙しくて大変なんだ。… この頃は余り話も出来ないけれど、あの子は悪意がある訳じゃない。そう思って、自分をなぐさめるのです。

我が子が悪いとは、露程にも思いません。たまにちょっとした事があって、遠慮がちにお母さんがあなたに何か言えば、「そんな事じゃお母さん困るよ」と文句を言ったのは、あなたではないでしょうか。

いつも妻の肩を持って、「お母さんはそれだから」「お父さんはそれだから」、と逆に両親を責める事はなかったでしょうか。

そのようなあなたであれば、あなたの奥さんやご主人、あるいは子供達も、あなたのご両親に対して心よからぬ感情を持つでしょう。
ひどい時には「人間老いぼれて行き永らえるよりは、早く死んだ方がいいよ」と、鬼のような言葉を吐く人もいます。

そのような言葉を聞いた時に父母の悲しみはどれほどのものでしょうか。お腹を痛め、ひたすら育ててきた子に、裏切られる親の悲しみはどんなものでしょうか。

それ程の言葉でなくとも、それに類した親の心を刺す言葉を、あなたは口にした事はないでしょうか。

両親にこんな思いを抱かせる人があったならば、もはやその人の心は地獄の心、畜生の心、の心です。如何なる守護霊、指導霊も手をつけかねて、見守る以外ありません。

考えて下さい。今は年老いてしわだらけのお母さんの顔は、あなたを産み落とした頃は、花のように美しい顔でした。

あなたを育てていく苦労が深いしわを、その顔に一本一本と刻み、顔・かたちはすっかり消沈してしまったのです

じっ〜と、あなたの心を見つめてください。
今、あなたがたの心の中に父母に対する本当の思いがあるはずです。お父さん、お母さん本当にすみませんでした。
そういう思いがよみがえっているはずです。

その思いこそが本来あなたが持っている愛の心、善の心です

その心をしっかり知ってください。さあ、その心を持ってあなた方は、
ご両親に感謝し、感謝する思いをご両親に愛の行為を返していって下さい

おいしい物があったら持って帰って「お父さん、お母さん、これおいしいよ」とすすめて下さい。どんなに喜ばれる事でしょう。

その時また、愛の言葉が返ってくるでしょう。「私はいいよ。孫にあげようよ」… そのご両親の心をしっかりと胸に刻み込んで下さい。

ご両親が病気になったら、あなたが自分で看病しましょう。そして愛の言葉を掛けてください。便を取ってください。寝入っている時は、寝息を伺ってください。

これは皆かつて、ご両親があなたにして下さった事なのです。
それがあなたには出来ないはずはありません。

その時、あなたは初めてご両親の愛の深さを体験する事が出来るのです
初めて親の心と同じ心に成ることが出来るのです。

このように親に孝養を尽くす時、ご両親はあなたという子を得た喜びに胸を震わせるでしょう。良い子を持ったという、嬉しさで一杯になるでしょう。

その時、親と子の間に愛の交流が始まるでしょう。
その時ご両親の煩悩は菩提と替るでしょう。

中には頑(かたく)なな心を持ったお父さん、お母さんがいらっしゃるかも知れません。しかしそれは、長い苦しい人生の間に、あなた方を育てる苦しみのために、止むなく作り出した心の癖でもあるでしょう。

そうしたご両親でも、あなたの愛の行為の積み重ねによってご両親の内なる心(神我)は、広く人間性に目覚めてゆくでしょう
ご両親がそのように成られた時、本当の親孝行が成就されるでしょう。

なぜならご両親も修行のため、人間として、この世に出てこられたからです。人間が親子の縁を持って生まれたのも、豊な人間性を養うために、お互いを磨き合う目的を持って縁を結んだからです。

愛の行為を通して意識(意思・心の次元)を高め合ってこそ、本当の親孝行が完成するのです

あなた方の中には、既にご両親が他界された方がいらっしゃるでしょう。そういう方は、普通の形の地上界での親孝行は出来ません。

しかし父母に対して、今自分達がここにある事を感謝し、このように育ててくださった恩を感謝し、至らなかった不幸を詫び、自分自身を善なる者につくり変へ、

暖かい調和ある家庭を作り上げて行くことが素晴らしい親孝行と言えましょう。そして、その姿を見て両親は天上界から喜んでいらっしゃるでしょう。

今、皆さんは生まれてから今まで、ご両親があなたに注がれた愛というものを振り返って来られました。そして、ご両親への数々の誤ったあなたの行いと行為に気がつきました。

その誤った自分中心の価値観を身につけて来た過程を、これからも毎日の生活で正していって頂きたいと思います。それは両親の愛の心に相応(ふさわ)しい、それに立ち戻ると言う事です。

その心で今から生きてまいりましょう。お父さんやお母さんに、その心で接して頂きましょう。その心とは愛の心です。思いやりの心です。

愛多ければ、成すこと多し」 もう一度申し上げます。 
愛多ければ、成すこと多し


 つぎに祈りについて考えてみると、祈りは感謝の心を表し、その心で生活行為をしていく思念である。

 人間は、一寸先闇の中で生活している。明日がわからない。いつ災難がふりかかり、あるいは喜びごとがあるかも知れない。

 隣の人が今、どのように生活しているかもわからない。そうした中で、健康で、楽しく、明るく生活できることにたいして感謝する気持ちが湧き上がってきたときに、私たちは祈られずにはいられない気持ちになるものだ。

しかし通常は、願い事に終わっている。神社仏閣にいって、こうして欲しい、ああして欲しいと手を合わせる。

 正しき生活行為、つまり調和に向かって努めているときには、その願いごと、祈りはたいてい叶えられる。正しき「祈り」は、次元のちがったあの世の天使の心を動かし、その願いを叶えてくれるからだ。

 この意味から「祈り」は天使との対話であるといえる。奇跡は、こうした「祈り」によって起こるものである。

 人間生活にとって、「祈り」のない生活は考えられないし、独裁者が自分以外の人間のこうした思念を押さえようとしてもおさえることはできない。

 ただこれまでの「祈り」は、我欲のそれに使われ、祈っておればタナボタ式に、なんでも叶えられると思われている。

 念仏を唱えればうまいことがある。祈っておれば救われるという風に考えられてきた。そんなものではないのである。

 こうみてくると念は、目的意識であり、創造活動の源泉であり、祈りは、生かされている感謝と報恩の心、進んでは神との対話であるわけである。

 そうしてそのどちらも、エネルギーという力の波動によって為されていることが明らかになったと思う。




「 感 謝 の 祈 り 」     園頭広周先生が示されました


私達は 一宗一派 一冊の教典 一片の主義信条にこだわるものではなく
ただ永遠の生命である神と その神がつくられた永遠の法とを信じ
且つ実践してゆくものである

測(はか)り知れぬ愛 限りなき叡智にして 全生命の根元にまします
大宇宙大神霊よ

私達は その大宇宙大神霊の子であることに
無限に感謝いたします

全宇宙間に 何一つとして あなたを超えて存在するするものは
ありえないのであることに
無限に感謝いたします

あなたの全生命の息吹いぶきが 一切のものを創造し
その波動リズムが宇宙のあらゆる相すがた あらゆるものの動きと なっていることに無限に感謝いたします

あなたのすべての霊性が わたしの霊性であることに
無限に感謝いたします

私達は常に 神とつながっているものであり 
切ろうとしても 切ることのできない生命として
常に一体であることに
無限に感謝いたします

私達が吸う息いきも、吐はく息いきも
見るもの、聞くもの、ふれるもの
すべては、神の生命であることに
無限に感謝いたします

私達の前にいる 夫も、妻も、子も、まわりの人々も
すべてはみな、神の子であり
私達の神性を 磨いて下さる神の子であることに
無限に感謝いたします

神は
永遠の神理であり
永遠の善であり
永遠の美であり

私達は
神の持ちたもう 永遠の、真、善、美を
顕現するために 生まれて来たものであることに
無限に感謝いたします

神は
永遠の神理であり その神理に従って生きる者には
霊的にも 物質的にも 幸せと豊かさとが与えられるものであることに
無限に感謝いたします

神は
罰を与えない
罰と見えるものは 神理に逆(さか)らって生きようとする その結果を
自ら刈り取るものである

私達は、今 永遠の神理の道を 神の光を浴あびて 前進する
私達の背後には 不滅の霊的存在がある
自分で救われる道を 私達は 自分で学び取らなければならない

産みの苦しみや 悲しみの涙があっても
それは神を知るまでの 束つかの間の苦しみであり 悲しみである

神を知る時
その苦しみは 楽しみに
その悲しみは 喜びに 変わるのである
それがわかった時 その時 私達は救われたというのである

私達の内にある 高貴な生命(神我キリスト・仏智・内在の神
理想に燃える生命に 希望の灯ともしびを点じて 力強く生きよう

大宇宙大神霊よ
私達に光をお与え下さい 私達をお守り下さい
私達を生かしていて下さることに 無限に感謝いたします


過去記事からの引用ですが・・・♬

10. 感 謝   如是我聞 五井先生の言葉 五井昌久さんの記事♪

 五井先生の修行は、何も思ってはいけない、というものだった。
けれど”神さま有難うございます”だけは許されたという。
  
 生長の家にいる時も、先生の祈りは”神さま、神さま、有難うございます”だけであった。長々しい神想観の言葉があるが、神想観の間中も、ただ”神さま有難うございます”だけだった

 この感謝の言葉がいっぱい先生の中に詰まってしまったのである。ラッシュアワーで大混雑の電車にやっと乗った瞬間、カツンと足を蹴飛ばされた。それもあろうに腫れ物が出来たその所を蹴られたのだ。

 しかしその途端、口をついて出たのは”有難うございます”という言葉であった。お陰で足の痛いのは、それっきりで治ってしまったそうである。

 とっさに出る想い、とっさに出る言葉には、その人の日頃の想い、人柄がいつわりもなく出るものである。

 五井先生の場合、正真正銘、神への感謝であったのである。この想いは修正変わることはなかった。ご帰神された年の正月

「何か私たちにお言葉を下さい」と申し上げると、
先生は「ただ感謝あるのみ」と私たち理事に合唱していらっしゃった。

 五井先生は道を歩きながらも、ただぼやっと歩いていたことはない。大地を一歩一歩踏みしめながら、有難うございます、と思っておられた。
大地がなければ人間は立っていられないでしょ、とおっしゃっていた。

 風が吹けば風に感謝し、空を見れば晴れていても、曇っていても、雨が降っていても、有り難いな、と感謝されていた。太陽に、水に、空気に、天地に感謝しておられた。それも人にわからないようにしておられた。

「私は朝から晩まで、有り難いな、有り難いなという感謝一念で生きているんだよ」とおっしゃっていた。

「聖ヶ丘道場に入ってくるでしょ、花に祈ってはいるんですよ。花さんありがとう、草さん有難う、ああなんてみんな美しいんだろう、私を慰めてくれて有難う、と感謝して入ってくる。
 お庭のお手入れをして下さる方にも感謝して入ってくるんですよ」とおっしゃっていた。

 雨降らば雨の心になりぬべし 風吹かば風の心にとけて生くべし

 つねに”有難うございます”という言葉と想いで、天地万物と交流されていたのが先生であり、天地一切に融け込まれていたのが先生である。

 常日頃、朝の目覚めから、夜寝るまで、夢の中まで、感謝していられれば、どんなに素晴らしいことだろう。そうありたいと願っている。
 それはどんな百万言の理屈よりも尊い尊いものだ。



質問 「悟るってことは、一体どういう状態をいうのでしょうか」

五井先生
「悟った状態というのは、全てのことに感謝出来るということですよ」

神の支流となれ。神の愛を貰いっぱなしにするな。まず感謝せよ
神よりの喜びを他に与えよ。喜びは他に与えれば与えるほど神より流れ来るものだ。

永久に神につながる道、安心立命の泉ここにあり。



なにも偶然のことなどありません。すべてが感謝に値する出来事です

 必要だから起こったことでも、そこには必ず ”何か” が、関与していたり ”誰か” が、力を貸してくれていたりします。

 何でも「当たり前」とすませてしまわずに、関わってくれた人達やその想いを大切にしてみましょう。

 恋人が何気なく見せてくれた、思いやりの気持ちも同じことです。
 どんなふうに、自分の事を思ってくれたのか、どんなふうに心を砕いてくれたのか。それが必ず感じ取れるはずです。

 ”感謝” を形に表すこと、「ありがとう」の気持ちを素直に伝える事は、あなたに小さな奇跡を与え続けてくれることでしょう。


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五井先生の老子講義について

 身長の目標も達成できまして、健康に付きましても、もう中々書きたい事が見当たらなくてどうしたものか思案しておりましたが、そんな時、ふと見た五井先生の老子講義をパラっと見ました所、あまりの内容の素晴らしさに、次はこれを悟りの求道者の方々にお伝えしたいと閃いたのでありました。

 ありがたい事に幸い、知花敏彦先生と、五井先生のお二人の教えにかなり精通している人間でもありますので、その地球最高級の悟りを開かれた偉大なる大覚者の教えを融合する形で、知花先生のご著書や知花敏彦 ✵ まなびの会様から学びました宇宙神理や、ご講話160話を徹底的に拝聴して学びました霊的知識を、五井先生と老子の教えにうまく融合させて皆様の神理の理解に繋がる形でご紹介できれば幸いで御座います。うまくいけばいいのですが



 少し話が変わりますが、知花敏彦師のお弟子さんの方で「かとう はかる」さんという方がいらっしゃるそうです。私自身も一昨日(おととい)知ったばかりなのですが、「理想社会を考える会(かとう塾)」というサイトを運営されておられる様であります。


ご著書も2冊出版されているようです♪
かとう/はかる
1941年、北海道生まれ。覚者知花敏彦に十数年師授し、2002年4月、真理の真髄をつかむ




 早速、「かとう はかる」さんのご著書を購入して拝読させて頂きましたが、予想を上回る濃密で高い波動を感じる素晴らしい内容でございました♪

 知花先生の教えに精通している方でしたら、自然に馴染めて神理がより奥深く出来る濃密な内容ですし、初心者の方でしたら、きっと、一つ一つ教えに歓喜感激しながら、ハートに染み込むように急速に神理の理解が進むであろう、良質なご著書だと深く感じました。

 後日、紹介的にちょこっと記事を作成させて頂ければと考えておりますが、発行部数がかなり少なめだそうですから、お早めに手に入れておいたほうかもいいかもしれませんね。新品の在庫がなくなり次第、中古のお値段が跳ね上がる可能性が高いと思われますので。

 内容は、知花先生との思い出もあったり、瞑想の色々な実用的な方法もあったり、変性変容の過程のお話も面白かったですし、もちろんメイン部分も知花先生のご講話が盛り盛り♪盛り沢山に入っているような素敵でお得感溢れる内容でしたので、コストパフォーマンスが抜群で買ってよかったと思える書籍で御座いました♪超絶におすすめで〜す♪早い者勝ちですよ〜♪


独立して改まらず周行してあやうからず

吾、その名を知らず、之(これ)に字(あざな)して道という。強いて之が名を為して大という、大に逝(せい)といい、逝に遠(えん)といい、遠に反という。故に道も大なり、天も大なり、地も大なり、王も亦(また)大なり。域中に四大有り、王も亦(また)大なり。域中に四大有り、○して王は其の一(いつ)に居る。人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。


 この節では、天地に先立って生じていた物(宇宙創造神・大霊)について、老子さんは、自分は、その物の名前は知らない、と云っているのです。ただ自分の方から、字して云うと、道と云う、強いて之に名をつければ大と云う、といっています。

 全く、※絶対者(宇宙創造神)はすべてに先立って存在しているのであり、すべての生命を内に有っているのでありますから、絶対者(宇宙生命)の中にすべての生物の連行があるのです。
※全ては宇宙創造神の大生命の中に存在しており、全ては神、大生命あるのみ、神が神を愛するためにご表現されているのが宇宙の愛の法則だといえます。ですから、愛の法則に反することは神のみ心に反するというわけですね

 ですから絶対者、大生命の一筋一筋として、人は絶対者をみつめたり、眺めたりしているわけです。
 そこで、自らの生命の源を遡(さかのぼ)ってゆけば、絶対者の心(神我)に直に触れ得るわけなのですが、遡っても遡っても中々、絶対者の懐(神我・全我・真の自己・大いなる自分)に触れることはできないのです。
神我に目覚める瞑想法王瞑想が一番良いと思います

 何故かというと、大生命の一筋の自己というものがあって、その小生命意識、つまり自己意識(自我・分離意識で)があって、大生命の懐(神我キリスト)を探そうとしても小生命としての自己の分野(自我の見方)だけしか、※絶対者の在り方が判らないのです。
(※自我意識では神我意識〈全体意識〉が理解できないという意味合いです

 そこで老子は常に、無為にして為せ、と云って、自己意識のない(自我のない)、無為の生活を説いているのです。老子そのものは、無為にして為して、絶対者(大生命、宇宙神、御霊神霊、神我)の懐深く入りきっている人であるのですが、その老子にしても、絶対者の名を知らずと云っているのです。

 絶対者に付けられた名は、すべて人類の側から付けられたものであって、現在は神と云ったり、如来、仏と云ったりすることが多くなっているわけです。老子は、その名を道(神のみ心・大愛・宇宙科学)と云っているのですが、大とも云い、逝(せい)とも遠(えん)とも、反とも云っているのです。

 これはすべて、その意味をもって、絶対者に当てはめてあるのです。ちなみに、大という字の説明をしてみますと、大の横の一は、天地が分かれぬうちの、天地が合体したまま含まれている一なのでありまして、その一の上に人が乗っている形になっています。

 人とは毎度申しますように、霊(大生命)の止まっているところ(神の宮)であり、陰陽合体(陰陽の法則・霊と水の調和)の姿であります。もっと深くいえば、そこに止まっている姿なのであります。

 天地が未だ分かれていない以前の一の上に人が乗っている、その人というのは、この肉体を持った人間の様(器である幽体や肉体)なものではなく、人間の根本である(霊止 ※神我キリスト・コスモ細胞・光)なのであります。それはただの霊人(ひと)、霊人ではなく、天地が未だ分かれぬ以前の一の上に位する人(神我)なのであります。

 この人の姿は、現在流に云えば、宇宙神の姿(神我・神我キリスト)ということになります。そしてこの宇宙神の姿を、最も簡にして要を得た文字に現してみると、この大という字になるのです。ですから、老子が、宇宙神の名を大と云う、といったのは実に当を得た説き方であって、流石は老子だなァ、と思わざるを得ません。

 この大(神)が、種々連行(空から色)をはじめますと、逝ともなり、遠ともなり、反ともなるのであります。故に道にも大なり、天も大(神)なり、地も大(神)なり、王も亦(また)大なり、ということになるのであります。

 これをもっと判り易くいうと、道も天も、地も王も、これすべて宇宙神の現れである、というわけです。そして、城中に四大有り、○して王は其の一(いつ)に居る。人は地に、地は天に、道は自然に、それぞれ法(のっと)っている。と老子は結んでおります。

 この大、つまり宇宙神の現れとして、大きいものは、人と道と天地である、と云って、人は宇宙神(大神様・御霊神霊)の現れのうち4つの大きなものを一つとしているのであります。その人は地に法(のっと)っている、というのです。

 地に法るというのは、今更説明するまでもありませんが。地の法則によって生かされている、ということであります。そして、地は天に、天は地に、道は自然に、という具合に、それぞれ関連した立場立場の※法則によって存在しているというのです。
※宇宙法則〈心の法則〉と、自然法則〈物理法則〉の二種類があります

 これは皆それぞれが、それぞれに益しあい、それぞれの法の流れに沿って、宇宙神のみ心(大愛)を表現してゆくわけなのでありまして、宇宙神のみ心は、すべてを生みなし、そして育ぐくみ、包み、しかも、その存在、その存在の中に、その生命力を生き生きと働かせしめているのであります。

 これを、宇宙子科学的な説明にして申しますと、宇宙神のみ心が、宇宙核(万群の霊、無限の質量・元素・原子核)という全ての物を生みなす場となり、その宇宙核の中から、森羅万象、すべての生きとし生けるもの、在りと在らゆるもののうちに、その根源となって働いている、宇宙子(命・キリスト・光)というものを、生みなし、活動せしめているのであります。

 宇宙子の中には、精神的な宇宙子(原子・陽子・霊・父なる神)と物質的な宇宙子(電子・エーテル・母なる神)とがありまして、この離合集散によって、万物が生まれ、万物が育ち、変化してゆくのであります。

 ですから、宇宙神のみ心は、すべてを包みながら、すべての中(うち)に在る、ということになるので、あらゆる世界は、宇宙神のみ心の動き(大愛)でできている、ということになり、真に存在するものは、宇宙神(大霊・大生命・大愛・原子と電子)のみ、ということになるのであります。

無限(神)の中には無限(神)しかありません。つまり神あるのみですね。無限の中に有限が在るならば無限ではありませんので

 一人の人間がこの地球界に生を受け、こうして生活しているのは、普通、人といわれる肉体の姿をした人間だけが生きているのでなく、森羅万象(神我キリスト・コスモ細胞・万群の霊・大霊)が、一人の人間として生きて、生活しているわけなのです。

 これを易しく申しますと、一人の人間がこの世に生まれてくるのには、先ず、父母を必要とします。そして、父母を通して流れてくる養分(エーテル質量・水様質量)を必要とします。この父母を通してくる生命要素(霊)及び肉体要素(エーテル質量)は一体どこからくるかと申しますと、天地自然の中から、種々な形となって現れている、※神のみ心からくるのであります。
※色心不二・色即是空、全てが神の現れで、全ては神一様あるのみ

 如何なるこの世の知識がありましょうとも、こうした結果の、※万物の恵み、神の恩恵に対する感謝の気持ちがなければ、その人は、万物の霊長
神我が万物の霊長であって、自我は万物の霊長ではありません

であり、四大の一(いつ)である、真人(神我キリスト)というわけにはいきません。そればかりでなく、そうした知識から生まれた生活(分離意識で)は、やがてはその人を滅ぼし、延(ひ)いては人類滅亡の一役を買っている、ということにもなるのであります。
悟りの境地とは大生命に生かされている事に感謝する境地〈神様ありがとう御座いますの境地〉でもあります

 地球人類は先ず、※人間とは如何なるものか(全一の意識・全てが神・全てが自分・同胞関係)ということを先ず知ることに務めなければ、自らの生命を自ら滅亡させてしまう愚を為してしまうものなのです。そこて、その愚かさを消し去る為に、こうした老子講義を書き、世界平和の祈りを実践し、宣布しているものなのであります。



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地球製円盤と地球外UFOの解明  五井野正さんの記事♪

月の真実

 ロケットによる月面探査の世界最初は、1959年1月2日に地球から打ち上げられたルナ一号から始まったことになるが、1月4日に月から6000kmの所を通り過ぎて、世界初の地球重力圏の人工衛星となったロケット史では記されているだけで、写真や月の情報は何も得られていないことになっている。

 そのため、世界で初めて月の裏側を撮影したのは1959年10月7日のルナ3号と天文学史では記録されている。しかし、実際はルナ1号が1959年1月4日に、月から6000kmのところで月の裏側の写真を撮影していたのである。

 その写真を分析したソ連の天文学者は、イギリスのBBC放送で
「月の裏側には植物があり、分解した花崗岩でできている」と説明していた。すなわち、「月には水も空気もある」という事実を明らかにしていたのである。

 つまり、この時点でソ連はニュートンの万有引力の法則が間違っていることを事実として認識しているのである。となれば、ニュートンの法則を土台としているアインシュタインの法則も誤りであることをソ連のトップの科学者は事実として確認したことになる。

 続くルナ2号は1959年9月に、世界で最初に月面に命中させることに成功する。実はこの時に月の周囲に大気があることが発見されていた。その事実は米国のゴダード宇宙飛行センターでも発表されていたのである。

 それゆえ、続く1959年10月4日に打ち上げられたルナ3号は月面探査機とは言え、直径0.9m、長さ1.3mの円筒型で重量が278.5kgの小型の衛星であるが、その筒の中は0.23気圧に保たれていたのである。それはまるで月に大気があるということを知っているかのようであった。

 この観察機は、ガスジェットを使って姿勢制御を行うだけで、軌道修正のためのロケットエンジンを装備していなかった。そのため10月6日に南極付近、6200km近くに最接近したが、自動撮影システムが動かず、そのまま月の引力で軌道を変えながら飛行せざるを得なかったと言われている。

 10月7日になって、やっと月の光を検出器が捉えて自動撮影システムがやっと始まることになるが、月からの距離はすでに63500kmと、月から遠くに去ってからの写真として合計29枚撮られた。

 それから、観察機はスピン制御に戻して半周し地球へ再接する軌道に乗り、地球に向かいながら10月18日までに17枚の画像を転送してきた。しかしながら、受信された画像は不鮮明であった。それでも、月の裏側は月の表と違って暗い月の海がほとんど存在しないことが写真からわかるようになった。

 しかし、この写真に対し、アメリカで著名な宇宙写真家のロイド・マラン氏は、月の写真に修正が施されていると非難した。確かにその写真は修正されていたか、それとも月から離れて撮影した画像のカモフラージュの写真だったかもしれない。

とも言うのも、月から6200km近くの場所から送られてきた写真には、月の裏側に植物だけでなく、異星人の建造物も撮影されていたために、ソ連政府はそれを秘密情報として公にしたくなかったからである。

 即ち、月に植物が存在するというのは、ニュートンの万有引力の法則が誤っている事を意味するだけでなく、月面の表面温度も天文学の専門書が記述しているような高温(昼)や極低温(夜)ではないということになって、地球の科学世界に新しい事実を発見する正の部分より、混乱と権威の失墜が起きる負の結果が大きいと判断したからであろう。

 ましてや、月に人工的な建造物が存在するなどは科学会のみならず、宗教界や政治、社会全体に大きなショックと混乱を与えることは必須の事実だったのである。

 それゆえ、この事実が伏せられたと言うよりも、むしろ、これこそが人類を月に送り込んだNASAのアポロ計画の本来の目的と言えるのだが、アメリカの安全保障上の理由から隠蔽されてきた事実なのである。

 外惑星から異星人が地球を訪問しているこの宇宙時代に、世界を支配している人達が社会の混乱と支配秩序の崩壊などを恐れているために、NASAを通して月や火星の真実と作り出した虚偽の世界に閉じ込めたまま、従来通りの奴隷化をさらに進めていることに他ならないと言えるだろう。



↓NASAが隠してきた宇宙の神秘のベールが分かっちゃう超マル秘情報です↓
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宇宙最高級の悟りの教え♪知花敏彦さんの講話のMP3音声・MP4動画です♬

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貴方のヴァイブレーションを急激に上昇させてくれる最高のご講話です


 ここ最近は、知花敏彦師のMP3を家のパソコンの部屋にいる間はずっと付けっ放しにして、聴き倒しております

 昨日くらいから、ついに意識が変容してきまして、自然にすべてのものに対して【神我】を見れるようになってまいりました。ここまで急激に変化するものかしら・・って思っちゃうくらいに素晴らしい変化が起きておりまして、いい感じで悟りへの道を歩んでいる感じで御座います♪

 一昨日(おととい)から、額の第六チャクラであるアジュナチャクラがヒクヒク・もぞもぞする様になってきまして、一時的なものかな〜って思っていましたら、ずっと定期的に頻繁にこそばゆくヒクヒクし続けていまして、身長が急激に伸びている時に足がつるような感じで、魂が急激に成長している証なのかな(笑)、な〜んて思っておりますがいかがでしょうか♪( ^ω^)・・・だと嬉しいな〜

 知花敏彦さんの覚者の超高次元な波動音声のお陰だと思っておりますし、私にとって、知花さんの格調高い美しい日本語で地球最高級の悟りの講義を聴く日々は、大変心地よくて、人生のエデンの園の様な、最高のエンターテイメント・・と言っては語弊があるかもしれませんが、それ位毎日が楽しくて幸せでしょうがないです

 全てが偶然無しというならば、今現在、一日中知花さんの講話MP3を聴いているのも人生の大きな流れの中でなるべくしてなったといいますか、自分の意識を高めていくことによって、ついに知花さんの講話を一日中聴けるだけのヴァイブレーションに達することが出来たのかもしれないですね

 実際に必要な修養は、身・口・意を高めるのと、すべてを愛し全てを許すという、愛の実践だけで十分なのだそうです。難行苦行は全く必要ないとの事です。
 意識の高揚ですね♪もちろん神我に目覚める瞑想も必要ですけどね♬

 私が人柱となって、知花俊彦師のご講話の中で、特に大当たりの内容のご講話を皆様にご紹介させて頂ければと思っております、おっ楽しみに〜♬

 知花敏彦さんは、神理の道を知る事〈※聞くこと〉は、深い瞑想以上のもので御座います。ともおっしゃられておりますので、ご講話MP3を通勤途中などにお聴きになったりされるといいかも♫ 瞑想をする時間が中々取れない方々には朗報ですね♪

 知花敏彦師のご講話を聴くと、ヴァイブレーションが急激に上昇するそうです♬
神我に目覚めるため・急激に魂を成長させるための一番の近道は、知花敏彦さんのMP3ご講話を聴くことといえるかもしれません♪

 知花さんのご講話の中で、守護神・守護霊・指導霊・・・と続けておっしゃられていたところがあったのですが、私の中では、知花さんは本の中で「指導霊」とは書かれていても、「守護神」という言葉は見かけなかったので、「守護神」という言葉を聴いた時、五井先生ファンでもある私は大変嬉しかったのですけれども(笑)

 お陰様で、「指導霊」と「守護神」とは違うという存在という事が分かりましたし、守護神様、守護霊様、ありがとうございます、の「守護神様」はしっかり実在する存在であることは知花敏彦師お墨付きという事をここに御伝えさせて頂きます♫

 2月は本来でしたら、暇な日々になる予定だったのですが、イレギュラーなことが起きまして、私が色々なお手伝いをする流れになりまして、大変猛烈な忙しい一ヶ月になる事になりました。それでしばらくブログが少ししか更新できないかもしれませんが、たまに覗いて頂けるとやる気が湧いてくるかもしれませんよ(笑)

 今日測った腕の長さは183センチでした。足ほとちゃんと伸ばしていないのに、10センチも伸びちゃったんですね♪これはよく考えたら奇跡な事柄だと思います♪
 私の伸長法はイリザロフ法とは違って腕もしっかり伸びるみたいですね♬

 沢山稼いで、知花敏彦師の講話MP3をたくさん買えると思うと仕事にもやりがいがフツフツと湧いてきますこれからもどうぞよろしくね〜

 

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