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神我顕現への道 | 知花 敏彦 | 本


 過去記事ですが、内容が素晴らしいので、記事を再度掲載させて頂きます。
 上江洲義秀先生に、「こんな綺麗に眉間のチャクラが輝いているのをみたことがない」って言われたのが、大村さんのこの体験談の真実性を証明してくれている気がします。

 現在の大村さんなら、もうとっくに悟りを開かれていることでありましょう。こういう体験談を見ると、真理に対する情熱が燃え上がってきますね。

 私も、大村さんのような境地に到達できるように精進しなきゃ…と思った次第であります。皆様もぜび、真理の実践法としてご参考下さいませ♪


FC2版に、最新の記事を作りましたので、リンク先でご観覧下さいませ♪



神我顕現への道から引用させて頂きました
知花敏彦さんの(多分)一番弟子と思われる
大村さんの神我一体への悟りを開いた体験記をご紹介させて頂きます♪
きっと皆様の悟りの良いお手本になれると思います♫〜♬
良かったらご参考にして下さいませ
ちなみに、記事に出てくる上江洲さんとは覚者上江洲義秀先生の事です。


大村さんの体験

清里での、別の研修会の時の体験を話してみます。
私と、上江洲さんと他に四人で清里に来ました。
五、六十名の方が集まって、あるペンションの貸し切りの二泊三日の日程で、講話と瞑想という内容でした。

二日目に、知花先生が講演をしながらバイブレーションを上げられました。
瞑想をしながらバイブレーションが上がっていき、在る女性がその強烈なバイブレーションの中で、ある種の指導霊の光を見せられたのです。

ですが、そのことにその女性の意識がついていかないものですから、ちょっとした興奮状態になった。
そんな中で、皆はバイブレーションが上がってきているのに、私は上がれないのですね。

「なぜ、私だけが上がれないのか」
私は自分自身に問うたのです。

「私(神)に祈る前に、全てのものと和解してから祈りなさい」
私の内側からその言葉が出てきたのです。
その時の私には、以前から一人だけ違和感のある人がいました。でも、その人との違和感をなくす方法が、それまでわからなかったのです。

 ですが、この言葉が出てきてから、瞑想の中で一人ひとりをビジョン化しながら「愛の放射」を行っていったのです。七番目か八番目に、その男性が出てきました。
 その時もまだその人に違和感があったのですが、それでも私は心を改めて「愛の放射」をしたのです。

 その瞬間です。
私の中に強烈なバイブレーションが起きて、もう肉体が爆発するのではないか、と思われるほどの、強烈な振動の中に置かれたのでした。

 テーブルを囲んで振動をおさえていましたが、肉体のレベルまでエネルギーが充満しました。私はその時が初めての体験でしたので、掴んだテーブルまでも揺り動かしているのです。

 このままでは肉体が爆発するのではないかと、自分ではこのエネルギーをどうすることも出来なかったのです。
知花先生が講話の途中で「皆でオームを唱えましょう」と言われ、オームを唱えてくれました。
私も一緒にオームを唱えようとしました。
でも、どうしても声が出ないのです。

 先生が三度唱えられた時、私はようやく声を出すことが出来ました。
瞑想の中で「オーム」と唱えているのです。

そのオームの声で物質的なバイブレーションを上げることが出来たのですが、その声に唱えた声は、自分でも聞いたことのない極端な高い声(ハイオクターブの、まるでハイソプラノ歌手のような声)で、オームのバイブレーションが出てきたのです。
 
 それを唱えることによって、私自身に充満していたエネルギーが表現されて、外に流れ出ていったのです。
高いバイブレーションになればなるほど、1点の曇りもあってはいけないということでした。

私の場合は先程も話しましたように、私自身が「神一元瞑想」に集中している状態でなければ、なかなか言葉も出てこないのです。

 対面した人に対して、個人的レベルでもそうでしょうし、瞑想の話もそうでしょうし、自分自身がある一定上のバイブレーションにならないかぎり、言葉が出てこないのです。

 これまでに学ばせてもらったのは、相手と話をする時、相手の形態とか心の状態をみるのではなく「常に相手の神我を見る」ということ。

 その中からお互いの答えが出てくるように思います。
だから、相手の根源との一体という意識、この私がどこまで集中出来るかということです。

その状態から「お互いよい答えを求め合う」、そいういうものを求めるとそれが出てくる感じなのです。

その現象の中の、問題の部分だけに意識を向けるのではなく、一度無限意識の中に入り一体となった状態で、小極というか、形を意識するといいますか、そうすれば無限の中から、対極の中から見ていますから、「それが何であるか」を即座に知ることが出来るのです。
 
 直接問題点の「小極」に意識を向けるのではなく、いったん、太極の上に立って小極を見つめてみる。

そうすると、バイブレーションの高いところから見ていますから、表現界の知識とか理屈ではなくて、太極に立つことによって「物事がよく理解できるようになる」「正しい判断ができるようになる」ということを教えられました。

 物事に意識を、頭を突っ込むのではなく、一旦、無限という意識と一体化するということを通じてのみ、小極を見つめてみるということです。

 沖縄の研究所に泊まり込んでいた時期のことです。
他の場所での伝導瞑想の集いを終え、夜の十二時す過ぎに戻ったのですが、その日は二時頃床に入りました。

「愛一元」を、四六時中意識していた時でした。
眠りについた時、突然、私のハートにものすごい大砲が打ち込まれたのです。
それが私のハートの中で、強烈に爆発しました。
びっくりして飛び起きたのですが、ハートチャクラの痛みに耐え切れず、七転八倒して研究所の中を転がりまわっていました。

 やがて痛みが消えると、私のハートがしっかりと開いているのです。
その時の一つの刺激というか、エネルギーによってハートのチャクラが開かれたとでもいうのでしょうか。

それ以来、私の意識、私の心というものが、完全に「空」という状態になったのです。

心の中に雑念というものが溜まらないのです。
自分の中に無限という「全くの空間」とでもいいますか、常にそれが内在するようになり、それ以来、先生の説法をより深く素直に吸収する事が出来るようになったのです。

 その後、しばらくしてから瞑想の最中に、額がものすごく痛くなってきました。
これは額のチャクラが刺激を受けているのです。
私はわたしなりに「神一元」という世界を、思いっきり意識してみました。

そうすると、痛みはなくなり額のチャクラが開かれていったのです。
その時、上江洲さんに額を霊視してもらいましたが、「こんな綺麗に眉間のチャクラが輝いているのをみたことがない」と言ってもらいました。

 知花先生にお会いできてからというもの、私は非常に短期間で全ての意識を外し、その神理に集中し、それを「神一元」という形で強く求めてきたのです。その結果、それはどのようにいい表したらいいでしょうか。かなり肉体の変化が短期間に現れたのです。

そして、私が色々な現象と遭遇する中で、私のハートの中に、いかに神が着座しているかどうかを、自分なりに確認したいと思ったのです。

 ですから「寝ても覚めても神意識」という、先生の講話の中の教えが理解できましたので、常に、自分の意識が「神」の方向に向いているかどうか、自分で自分自身を注目していました。

「寝ても覚めても神」
「夢の中でも神」
宇宙意識を着座させるということです。

眠っていても、夜中に目が覚めます。
その瞬間(何を意識しているか)、常に自分は「神一元」を意識しているかどうかと、意識をチェックしたのです。
そのチェックをどんどん行っていきました。

 その後三日間、四六時中「我は神なり」を唱えさせれた事がありました。3日の間、それを続けさせれたのです。
そして、三日目で、二段階も三段階も、強烈に意識が上がる状態が起きました。

「すべてが神」という、あれもこれもすべてが神というものを見つめる状態が、三日目になって、バイブレーションが二段階も三段階も上がったということなのです。

 私は、先生の事務所に寝泊まりするという、その環境に大変恵まれておりましたので、先生の神理の教えを学ぶことに対して、世俗的な影響を受けることはありませんでした。

 先生が講話をされている時、「あなたは一番恵まれていました」と私にそう言われたことがありました。

私は非常に貧乏で、お金もなく、身体も病んでいまして、肉体的に考えると「なぜ、そんな大村が恵まれているのか」という思いが周りの皆さんにあったようですが、私自身は自分が恵まれていることに感謝していましたしそれについてはある程度は理解する事が出来ていました。

お金とか物とかは一切ありませんでしたので、それらに捕らわれることもなく、全くの自分の時間を与えられていましたので、先生とお会いしてからというものは、真理の追求に入っていけるその恵みが、私には与えられていたのです。

 お互いに瞑想していく中で、「瞑想を通じて理解を高め表現する」ということを教わりました。

今日も、こういった過去の体験の話をする中で、その体験を過去の思い出という状態で語っていまいますと、「天の知恵」を、単なる知識として記憶してしまうのではないかと、そのように思っています。

 言葉はバイブレーションであり、意識もバイブレーションですから、意識を一元意識から外さず表現していけば、そのバイブレーションが言葉を通じて表現されていくると思います。

 そして、これが文章化され本として出版された時も、この魂の奥底のものを世の中の人に読んで頂き、きっとご理解頂けるのではないかと思っています。


オススメ記事はこちら♬




超絶に必見な内容♬究極脳波・ミッドα波へと変容する極意満載です♪


知花敏彦先生の総まとめ記事 第1回目

知花敏彦先生の総まとめ記事 第2回目

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪


オススメスピリチュアルサイトをご紹介♪



 今回は「本質」にフォーカスしたまとめ記事をご紹介させて頂きます。予想以上に良い内容に出会えて感動しちゃいました♪

 私自身、存在自体忘れている感じで、すっかり忘れていた記事もありました(笑)。

 最近は、色々なネットサービスが終了している関係で、有益な悟り系統のまとめ記事が消滅しつつある気がします。

 ちなみに、この記事はじめの部分の内容の元サイトは、消されておりました。
あまりの素晴らしい内容に、コピペして記事にしていたのですが、そのお陰で助かったようです。

ささやかながら、このブログがその代役を務める事が出来れば幸いで御座います。

続きは、下のリンク先でどうぞ♪めっちゃ濃ゆい内容となっております♪




FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪




オススメスピリチュアルサイトをご紹介♪
上江洲先生の質疑応答や、まりこさんの体験談等、
良質な覚醒へ役立つお話がご観覧頂けます♪



最近体験した、上江洲義秀先生に関する
摩訶不思議な体験話

 ここ数日前に、急に1〜2時間ほど、何故か頭の中が、上江洲義秀先生への想いでいっぱいになった事がありました(笑)。

 その当時は、実に不思議な感覚で、上江洲先生のことしか考えられない…上江洲先生で頭の中が占拠されている…みたいな♪、そんな状態を体験したのでした。
 
 そして…その日の夜、寝ようとして、横になって五分ほど経った頃、まだ意識がそこそこしっかりしている状態でした。本来なら夢を見る程、ウトウトする状態でもないにも関わらず、夢のような映像が現れました。

 その映像とは、自宅でパソコンをしている私の、ちょうど特大ピラミッドの後ろ辺りに、上江洲先生がテレポーテーションで現れた映像でした。私に語りかける事はなく、横を向いてちょっと下向きで、私の方を見ていた感じでした。

 その状態の後、しばらくして、またテレポーテーションをして消えられたのでした。その時思ったのは、上江洲先生の夢を見れて大変光栄で嬉しい〜という思いでした(笑)。

 その日の前日にアクセス数が爆増していたのですが、もしかしたら、上江洲先生の学びの友の方が、上江洲先生に教えて下さって、上江洲先生の目に入って、このブログ主はどんな人物が見てこよう〜って、思って、私に見えない状態で、テレポートして下さったんだろうか…と何となく推測してみました♪

 もうこれは…はっきりいって…あなたの妄想でしょ…って、言われたら、確かにそうなのですが^^;、
色々な伏線が重なってますし、意外とその推測は…もしかして、ひょっとすると…かなり正確に当たっているのかも…って、結構思って思っております♪
 
 さぁさぁ、事実はどうなんでしょうかねぇ…、まぁ、世界一の大覚者であられる上江洲先生のはっきりした夢を見れただけで、最高に名誉で光栄なことですし、
 単なる妄想でも、こんな体験が出来ただけでもまぁいっか…っていうのが正直な気持ちでもあります。

 この推理が大当たりだったら、私のブログが、上江洲先生の目に止まったという事ですから、この上ない光栄な出来事なのですが、もうね、正直…事実(実際にあった出来事)であってほしいです(笑)

 これが本当の「事実は小説より奇なり」かも…なんちゃって♪
摩訶不思議な体験談でございました…ちゃんちゃん♪


許しの使えるテクニック秘話
覚醒へ飛躍する「愛に生きる覚悟」というテクニックのお話

 私が知花先生や上江洲先生の教えを沢山学びまして、その教えを融合していく内に、悟り覚醒に必要な重要な事柄が整理されてまいりました。

 もちろん真理というものを、色んな視野で客観的に見ながら、多角的に取り組んでこそ、覚醒への大きな飛躍が望めるのではあるのですが…。

 あえて一番、悟り覚醒に導く崇高な愛は何か…と申し上げますと、それはズバリ「許し」で御座います。

 その「許しの到達点」を申し上げてみましょう。

…それは、何を見ても愛念しか出ない境地・愛おしいという想いしか出てこない自分・全ては自分であり、神であり、色んな意識状態の自分がいるだけなんだと……いう境地。

 全ての出来事はその人の魂の修行のための、愛の試練なのだと、桜の花びら一つ落ちるのでさえ、神の意志なくして存在ないのだと……いう境地。

 すべてを愛で見つめる、その相手、組織、社会、全ての全てに対して、幸せを願ってあげる想い、正しい状態になれますように、自分を傷つけてくる相手に対しても、愛で祈ってあげる、相手に感謝して、幸せを願ってあげる……そんな境地が「許しの到達点」という訳であります。

 「許し」と追求していきますと、その様な「慈悲と愛」に帰一してくるので御座いますね。
 許しとは愛の一部だと五井先生が仰っておられましたが、「許し」と言っても、言い換えれば「許しという愛」なのです。

 という事は、「許すとは真理の愛の実践」であり、また言い換えれば、「許すとは勇気ある愛」「許すとは真の寛大な愛」「許しとは真の強い愛」だとも表現出来るのです。私はその様に理解しております。

 「神様、この者に光を、心に平安とやすらぎを、お与えください」と、どんな悪のような現れ、間違った行いをした者に対しても、

 許してあげて、愛してあげて、相手の幸せを願う祝福の愛を送ってあげれる意識は「崇高な愛」「愛の勇者」「神の愛の具現者」「真の求道者の意識状態」「神の愛の体現者」といっても過言ではありません。

 そのような「崇高な愛」の光を、どんな相手に対しても、送ってあげて上げれるような意識状態にまで高める努力こそ、真の心の修行であり、光の求道者の正しい努力といえるのではないでしょうか。

 また言い換えれば、「許しの到達点」である、「慈悲と愛」という崇高な意識状態になってこそ、真の覚醒辿り着ける…ともいえましょう。

 私は昔の不快な思い出等で、強く許しを必要とする場面が頭の中で繰り広げられた時など、偉大なる愛を示してくださったあの「イエス・キリスト」と呼ばれている、イエス様が十字架にかかっている状態を意識して、自分は常にイエス様と一体なのだと、

 あのイエス様の様に、自分に対して唾をかけてくるような相手に対しても、「父なる神よ、どうかこの者に光を、心に平安とやすらぎを……」と想える様に、

イエス様の愛を体現でしたい…イエス様のような崇高な生き方をしたいと……そういう神の愛で生きるという全身全霊の覚悟を持って生きております。

 一つの許しを加速させるテクニックですが、自分がイエス様と同じ十字架の状態だと意識して、自分もイエス様のように、例え自分を死に追いやる様な相手に対しても、

悪を愛で包容してあげる深い愛、相手の幸せを願ってあげれる……そんな意識状態の愛で生きたいと心から真摯に、神様にお祈りをすると、許しを体得できる事でありましょう。

 ちなみに私は、そのイエス様になりきるテクニックのお蔭で、許しを容易に行えるようになれました。
 例え、夢の中でさえ、腹が立ちそうなシチュエーションになったら、すぐにイエス様になりきって、愛に立ち戻ります(笑)

 これがまた実に素晴らしく、かなり使えるんですねぇ……
このテクニックのお陰で、私の心がどれだけが救われたことか分かりません(´;ω;`)♪

 イエス様のその偉大なる愛を…「無限の許しと神の愛」を心に常に灯して生きていくんだと……その全身全霊の覚悟が、貴方の魂を急速に覚醒へ導くことでありましょう。

 体験から申し上げますと、思いの外‥その「愛に生きる覚悟」というのは、神様に強く通じるみたいです。

 「神様に誓いを立てる」、言い換えれば、「神我の祈り」であり、神様に「愛に生きる覚悟を宣言をする」とも言えます。

 そうしますと、神様がよくぞ言ってくれた…と思って下さるみたいで、愛の支援して頂けるような後押しの聖なる力を観じます。

 自分の力だけで頑張るのではなくて、神様にお祈りをする…いわゆる神様に、「誓いを立てる」というのも、天上界からの愛の支援を頂きやすくするコツなのかもしれませんね。

 許しを容易に行う為に「イエス様になりきる」方法と、「神様に、愛に生きる覚悟の誓いをする」、神岡健先生の「神我の祈りをする」…この辺りが、大変有益で効能が高い真理の実践法だと言えましょう。

 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。



愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我

 【おまけ】私も効能を実感している使えるお祈り言葉です♪
 
神の御心である愛が、私を通して顕現なさいますように

「貴神(きしん)の想い、我が想いへとならせ給え」
「貴神(きしん)の言葉、我が言葉へとならせ給え」
「貴神(きしん)の行動、我が行動へとならせ給え」……

イエス様の感動の御言葉
「汝の敵を愛しなさい・汝の敵の為に泣きなさい・汝の敵の為に祈りなさい」

 今回の内容は、かなり使えるテクニックですので、ぜひ光の求道者の皆様、ご参考にして頂いて、皆様の魂の成長・覚醒のお供としてご活用下さいませ。



佐藤初音さんマスターの方との霊的修行に関する
魂の覚醒に繋がるお話をご紹介♪

 次にご紹介するのは、前にご紹介した
「ジュリアン・シャルムワさんの「ワンネスの扉」会場での摩訶不思議話」の記事で登場したAさんとのやりとりのお話で御座います。

 佐藤初音さんに関する事柄に関して日本有数の知識を有する、すでに霊的に高いレベルにまで覚醒されている素敵な女性の方であります。

 その方と文章でやりとりをさせて頂いたのですが、皆様の魂の覚醒に何かしらお役に立てそうな内容でしたので、ご紹介させて頂きますね。

…の予定でしたが、こちらのヤフーブログは文字数制限が厳しいので、悲しいかな…文字がここ辺りで切れてしまいました^^;

続きはFC2版にありますので、ぜひリンク先の記事でご観覧下さいませ。


FC2版の同じ記事です♪


 

上江洲義秀先生のご光話が文章化されている
嬉しすぎるサイトをご紹介♪

 上江洲義秀先生の地球最高の教えが、文章化されて大変見やすくなっている超優良サイトをご紹介させて頂きます。

 昔にご紹介させて頂いた事があったのですが、全然更新しないタイプのサイトでしたので、私自身、一回、全内容を観覧した後はずっとご無沙汰になっておりました。

 そのような状態でしたが、先程、創造主様からのメッセージの記事を見ている時に、リンク先で「ゆいまーるプロジェクト」を見つけまして、なんとなく…リンク先を覗いてみたら、新たな情報が更新されておりました。

 その内容があまりにも素晴らしくて素晴らしくて、読破後に感動で…感動で…大粒の涙を流して、魂が打ち震える感激の涙を流してしまった……という訳であります♪

 上江洲義秀先生のご光話の中でも、特に内容が素晴らしい大変価値のある素敵で高次元な内容でしたので、ぜひこの機会にご観覧して下さいね♪
 超絶に…ウルトラMAXに…おすすめしちゃいます(笑)♪

 

文字をクリックでリンク先へ飛びます♪飛びます♪飛びまぁ〜す..笑♪
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FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪



オススメスピリチュアルサイトをご紹介♪
現代聖書 から引用させて頂きました


全一体感を観じるマントラ(真言)に出会えたお話

 真理と悟りについての思考中に、一番使い勝手がいいマントラって何かな〜って考えていたある時…、ふと何となく思い浮かんだマントラが、非常に効能があると感じましたのでご紹介させて頂きます。

 心の中で唱えると、全一体感を観じる…といいますか、スーッと心が全一体感…神の御心の中に入っていける……意識が高まっていく…高い波動に変容していく、といったかなり高い効果を観じることが出来ました。
 
 今まで色々なマントラを心の中で唱えてきましたが、その中で一番効能がある気がしたのです。お恥ずかしい話ですが、今まで、マントラによる意識の変化というのを、そんなに如実に観じる事はあまりありませんでした。

 しいて言えば、一瞬でも人を責めるような想いが出そうになった時に…、「サタン(偽我)よ退(しりぞ)け〜」という一括するマントラはかなり効果がありました。
 このマントラはお釈迦様やイエス様も唱えられていたようで、この真言でサタン(偽我)を追い出していたそうです。(by知花先生☆上江洲先生)

 波動に敏感な私でも、「我神なり」だけでは、あまり変化を如実に感じる事はなかったのですが、今回、気づかせて頂いたマントラでは心の中で呪文のように唱えた途端(笑)、意識が神意識に近づく意識の変化を観じる事が出来ました。

 前置きが長くなってしまいましたが^^;、ついに!!……ドキドキ………そのマントラをご紹介申し上げますと、下に記したマントラとなります。

●我神なり、すべては神なり
●我キリストなり、全てはキリストなり
●我本質なり、すべては本質なり
●我生命(いのち)なり、全ては生命(いのち)なり
●我愛なり、すべては愛なり
●我真理なり、全ては真理なり
●我光なり、すべては光なり
●我無限なり、すべては無限なり
●我大霊なり、すべては大霊なり
●我宇宙エネルギーなり、全ては宇宙エネルギーなり

 
 知花敏彦先生や上江洲義秀先生♪をご存知の方々ならお馴染みなマントラ、「我神なり」等の後ろに「全ては〜〜なり」を続けて唱えてみるというマントラであります。

 「神の自覚」と「全てに神を観る」という内観の最重要な2つの視点を、しっかり言葉の中に内包しているという、中々、一粒で二度美味しい、いいとこ取りで、シンプルで使い勝手がいいマントラの様に感じました。

 そのマントラを唱えた後では、自然に全てに神を観じれるフィーリングを感じやすくなっている自分に気づいた事がありました。ここまで短期間での意識の変化を感じたのは初めてでしたので、これは素晴らしいな…と思った次第なのです。

 「全てが神」に見えた時…1つ目という悟りの目が開眼すると…、覚者☆知花敏彦先生は仰っておられますが、その1つ目が悟りだと定義しますならば、このマントラを唱える事自体が、ある意味「悟りへの内観」をしているとも言えるでありましょう。

 このマントラに自分の想いを乗せてしまう……、マントラと自分の思いを一体化させてしまうイメージで、自分の心がこのマントラそのもの……その想いが自分の思いなんだぁ……という感覚で唱えると効果がより高まるかもしれませんよ♪ちなみに私は、そんな感覚で唱えております。

 私はこのマントラに抜群の霊的パワーを感じましたので、ぜひお見知りおきを頂ければ幸いであります。効果を感じる一種の神秘体験が出来ちゃうかもしれませんし……なんてったってお金もかかりませんからね(笑)。



知花敏彦師の記事♪の過去の名作記事からの引用ですが……♪



 「今即久遠」「今即永遠」「今即実在」「今即霊」「今即神」です。
 今から神になる者は一人もおりません。初めから神しかおりませんのにどうして今から神になれましょうか。自分が神になることは自分が神であったことを知ることが必要なのです。

 自分が神であった、全体が神であった、全てが神であった、ということを理解することです。それを知らないのを無知というのです。
 自己を見つめるということは神を見つめるということになります。

 自己を知ることは神を知ることです。自己を知らないで神を知ることは不可欠です。自分は神ではないといったならば、もう絶対に神を探すことはできないのです。私達が神で無かったなら神を探すことはできません

 我れ神なり、我れ生命なり、であって神は全ての全てであり、ありとあらゆるもの、神以外何もないのです。神一元という意味です。
 神一元とは神以外はない、神が全てだという唯一不二の神というのです。無限者・普遍者なのです。その中に神以外は存在できません。

 それに対し、神を知らない心の状態を引き起こしたのが、この世の悪といわれているものです。神を知らないから悪とか悪魔とかいうのです。

 神を知っているものには悪とか悪魔は存在しません。神を知らない心の状態が悪というのです。神を知れば悪は存在しません。絶対善があるだけです。絶対神があるだけです。絶対愛があるだけです。絶対調和があるだけです。

 だから神を知らない者のみに悪魔・悪霊があるのであって、神を知ってしまえば、私達の今いるところが天なのです。いま即天とは実在という意味です。

 地獄とは非実在という意味です。非実在とは天しかないのに、天一元しかないのに、天以外に何かあると思う心が引き起こした幻想なのです。その中に自らの獄壁を作り、自らを閉じ込めているものです。

 私達が全てを神とみなしたならば、全てが神だと観たとするならば神こそ絶対実在で絶対に神しかいないとなったならば、私たちは一つ目になったということです。

 神もいるが悪魔もいるというならば二つ目です。目が開かれているのではありません。心眼が開かれているのではありません。その悪とは何なのかを考えれば判りましょう。悪は神を知らない人間の状態なのです。

 私達が真理を知り神を知れば悪を行えません。悪魔もいるが神もいるという指導者は神を知らない指導者であって失格者なのです。悪霊とは自分が死んでも神の霊であることを知らない、その霊的力を誤用している、誤って使っている状態の事を悪霊というのです。

 全体が一つであるのを全一体感といい、自他一体感といいます。霊には区切りがなく別離がないとはっきり理解したならば自他がありません。他人がありませんので、即自分ですし全体も自分であるのです。

 これを全我といい、全我の自分というのです。普遍的自分です。宇宙意識・普遍意識・神意識というのです。私達の生命には区切りがありません。区切りがあれば無限生命ではありません。

 生命が区切られていないと判れば、私達の生命は区切りがなく様々な形態を現しているのです。ひとつ様しかいません。一つの命しかありません。ですから全体は我ということ、全我ということになります。

 例えばここに一本の木があるとします。この木の葉も一つの命で全体の木の葉が生きているのです。個人個人の木の葉の命はありません。一本の木の個々の葉は外側から見れば一枚一枚ですが、内側から観れば一つの生命であるのが判ります。
 
 ですから「生命の木を把握しなさい」とイエスは言われましたが、生命の次元から観れば同一だという意味が判りましょう。
 外側から見れば個々ですが内側から観れば全体です。

 この全体が我だと判りますと誰を憎めますか。一本の木の個々の葉一枚一枚が憎みあったら、誰を憎んだことになりますか。
 自分自身を憎んでいることになります。

 外から見れば私達一人一人で個人個人ですが、内から観れば全体になるのです。外から見れば小さな私達ですが、内からみれば大きな我になるのです。内側を観れば大我であり、外側から見れば小我で、外側は小我で内側は全我です。

 外側の外観から見るから小さなものとしてこの木の葉を見ますが、木の葉の生命は小さいものではなく大きな生命です。

 私達の個人の命も同じように大きな生命です。この形態を見れば小さな小生命と思っていますが、小生命と大生命は一体だということで霊と大霊は一つであり離別していません。

 「神は汝の手よりも足よりも近し」といわれる所以(ゆえん)です。
「天は近し、神は近し」と言われ、神の中にいて神そのものであるのに神を探している。そして今から神になろうとしています。

 今の今、神の中におり、神なのに入ろうとしています。
「いま即実在であり」「いま即天であり」「いま即神である」修行して神になるのではなく初めから私達神なのです。神には修行は必要ありません。

 「難行苦行、悟りにあらず」の言葉通り、自分が神であることを自覚する、自己を知るということが如何に大事であるかと言えます。自分の中に神がおれば全体の中にも神がいることが判ります。全てに神がいると言えるのです。

 イエス・キリストは「神の実子になられた」ということは、自分は神の実子であるのを悟られたという意味です。あなた方とイエス・キリストの違いはあなた方は神の実子ではないと思っているという違いなのです。

 あなた方を創られた方は神以外に誰がおりましょうか。見えるもの全て神のもの神以外の誰があなた方の創り主なのでしょうか。神こそわれわれの父なのです。

「何者もこの世で神以外に、父と呼んではならない」といわれる意味がわかりましょう。あなた方が神の実子であることがはっきりわかりましょう。あなた方の生みの親はまさに神なのです。

 このことを知ったならば万物の中に神がおられ、万物は神の子であるということになります。何を見ても如何なる形態でも、神を宿せぬものはないと判れば、神の他には絶対になにもないということ、神のみがまします、神のみが独存するということが判ります。

 あなた方はあちらに神を求め、こちらに神を求めていましたが、神の中において神は自分であり、同時に全体が神であります。であるが故に神は無限者であられる。
 この世の中で神でないものが一つでもあったならば神は無限者でもなく全体者でもないし、全知全能でもあり得ないのです。

 我を知ることは神を知ることの名言であるのです。
神を知る前に自己を知りなさい。自己を知った時、神を知るのである」という意味です。

 生命・大霊には区切られた生命、区切られた霊はありません。ですから私達一人びとりは個我であると同時に大我であるのです。ですから私達一人一人は個我であると同時に大我であるのです。

 形を見れば小我の小さいものですが、原因は大原因そのものですから大霊・大生命そのものであるのです。区切られた生命や如何なる形の形態の制限設けないのが生命であり、神なのです。神が形態の自由を奪われたり制限されたりはしません。

 だから神はいたる所にまします。神のましまさぬ所とてなく、空の世界にも色の世界にも偏在したまい、鉱物・植物・動物・人間とて神を宿さなければ存在しないのです。

神は自らの住み家を自ら創り給うて、自ら留めたもうた」。
そして、「形態をお創りになり形態に自らの生命を宿しておられる」。私達の肉体は神の働く焦点、神を表現せんがために存在しているのです。

「生ける神の宮なり仏の宮なり」という意味です。神のみが生きているのです。神の他には生きているものはありません。生物は全て神です。

 無限の中においてこれが神だ、あれは神ではないと区別しているのは真理ではありません。もしそのようにいう人がおれば、その人達は妄信であり狂信家です。

 無限者の神の中において神以外の者が存在できましょうか。神は無限者であられ、大宇宙そのものが神であられるといいながら、ここに神はいて、あそこに神はいないと、どうしていえましょうか。
 
 今の宗教家達は間違いを語っています。何かの修行や何かの宗教をやらないと、神の中に入れないと思ってはいないでしょうか。

 今、神の中におるのです。お釈迦さまは「今即天」といわれ、イエスは
「私は初めから久遠の中にいた」といわれました。私たちは初めから久遠の中にいるのです。

人々は誰でも神を探し、神がどこにおられるかと一生懸命に探し続けてきました。しかし神を探した人はほんの微々たる少人数に過ぎません。

 何故ならば自分が神であること、「我れ神なり」という事実を知らないからです。その自分が神であるのに神をしているのですから探すことはできません。神が神の中においては神を知るということです。

 神が何なのか、神がどこにいるかを知っている人が非常に少ないのです。一生懸命に神を求めている人はが非常に多いのです。神がどこかに存在するといって探していたのでは何時までたっても探すことは出来ません。

 自分が神であり万象万物が神であること、全てが神である自覚、神を自覚するということは自分自身が神であることを知るのが一番大切です

 神がどこかにいるのではなく神は全てに偏在したまい、全てに帯座されている。神はここやあそこにいるのではないのです。他に神を見出そうとしても、見つかることはありえないのです。

 神の中に今いるのです。そして自分自身が神なのです。神はありとあらゆるもの、全ての全てです。神の他には何もないのです。宇宙そのものが神なのです。

 何年も何十年も神を探しても神は見つけることは出来ません。そこで、人間は神を造ったり、遠い彼方に神がいると想像して新興宗教を造っているのです。

 イエス・キリストは、「神のいるところに私がいて、私のいる所に神がいる」と言われ、お釈迦様は「我が内に仏(神)がいる」と言われました。

 この言葉を徹底して知り学び理解すべきです。自分自身が神であることを自覚できない人が神を知ることは絶対にできません。

 「我れ神なり、我れ生命なりと」。何故、全てが神なりといえるのか。神は万物の親、万物の創り主であり万物の生命でもあります。大生命そのもの、大霊そのものが神そのものです。

 大生命・大霊・神のほかには何も存在しないのです。神のみが実在する。神こそが絶対実在であり、その他には何も無いのを知るべきです。神は空の世界でも色の世界にでも全宇宙に遍満している神一元です。
 神のほかには絶対に何もないということを知ることです。


エドガー・ケイシーが語る解脱の真理♪から名場面の引用ですが……♬


 エドガー・ケイシーは常に惑星上に受肉(転生)した魂としての人間の存在が一つの目的を持つこと、その目的とは個々の魂と神との関係(全ては神ご自身・全ては一つ)を悟ることに集約される事を訴えています。

 ケイシーは、神の栄光は全創造物の中に現されている(全ての全ては神の現れ・神の他には何も存在しない)のだと繰り返し語っています。

 人間性の全体、体と心とが神の現れであるという明快な言い方を採るエドガー・ケイシーのリーディングを引用して、魂の論に結論を出してみましょう。

汝の体、汝の心、汝の魂が地上での神の現れであり、他のどの魂もそうであること、汝の体は現実に生ける神の宮なることを知れ。

 あなたの知る善の全て神の全ては、他人の考えること、他人の行うことではなく、あなた自身を通して、あなた自身の中に現されているのである」

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝の主なる神(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。このキリストの与えた言葉が法則の全てである。それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は来る日も来る日も明想し、祈りゆくうちに到来するあの目覚めによって、主(なる神)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識をあの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」


上江洲義秀先生・至高の名言    上江洲義秀先生の記事♪   
 
 全ての全てのあってあるものの中に、神が我として実在している事を(理解して実感して、全てに神を観る状態を)「悟り」といいます。

 目に映し見ている、すべてのすべてのあってあるもののに「愛を見」「愛を感じ」「愛そのもの」で対処できる己であって、そこに悟りがあること。
                                                  明想の記事♪


自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・神我キリストによって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、中身は全て神、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一・我神なり、神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、我即大霊の境地、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・我即実在・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

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