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神我顕現への道 | 知花 敏彦 | 本


 過去記事ですが、内容が素晴らしいので、記事を再度掲載させて頂きます。
 上江洲義秀先生に、「こんな綺麗に眉間のチャクラが輝いているのをみたことがない」って言われたのが、大村さんのこの体験談の真実性を証明してくれている気がします。

 現在の大村さんなら、もうとっくに悟りを開かれていることでありましょう。こういう体験談を見ると、真理に対する情熱が燃え上がってきますね。

 私も、大村さんのような境地に到達できるように精進しなきゃ…と思った次第であります。皆様もぜび、真理の実践法としてご参考下さいませ♪


FC2版に、最新の記事を作りましたので、リンク先でご観覧下さいませ♪



神我顕現への道から引用させて頂きました
知花敏彦さんの(多分)一番弟子と思われる
大村さんの神我一体への悟りを開いた体験記をご紹介させて頂きます♪
きっと皆様の悟りの良いお手本になれると思います♫〜♬
良かったらご参考にして下さいませ
ちなみに、記事に出てくる上江洲さんとは覚者上江洲義秀先生の事です。


大村さんの体験

清里での、別の研修会の時の体験を話してみます。
私と、上江洲さんと他に四人で清里に来ました。
五、六十名の方が集まって、あるペンションの貸し切りの二泊三日の日程で、講話と瞑想という内容でした。

二日目に、知花先生が講演をしながらバイブレーションを上げられました。
瞑想をしながらバイブレーションが上がっていき、在る女性がその強烈なバイブレーションの中で、ある種の指導霊の光を見せられたのです。

ですが、そのことにその女性の意識がついていかないものですから、ちょっとした興奮状態になった。
そんな中で、皆はバイブレーションが上がってきているのに、私は上がれないのですね。

「なぜ、私だけが上がれないのか」
私は自分自身に問うたのです。

「私(神)に祈る前に、全てのものと和解してから祈りなさい」
私の内側からその言葉が出てきたのです。
その時の私には、以前から一人だけ違和感のある人がいました。でも、その人との違和感をなくす方法が、それまでわからなかったのです。

 ですが、この言葉が出てきてから、瞑想の中で一人ひとりをビジョン化しながら「愛の放射」を行っていったのです。七番目か八番目に、その男性が出てきました。
 その時もまだその人に違和感があったのですが、それでも私は心を改めて「愛の放射」をしたのです。

 その瞬間です。
私の中に強烈なバイブレーションが起きて、もう肉体が爆発するのではないか、と思われるほどの、強烈な振動の中に置かれたのでした。

 テーブルを囲んで振動をおさえていましたが、肉体のレベルまでエネルギーが充満しました。私はその時が初めての体験でしたので、掴んだテーブルまでも揺り動かしているのです。

 このままでは肉体が爆発するのではないかと、自分ではこのエネルギーをどうすることも出来なかったのです。
知花先生が講話の途中で「皆でオームを唱えましょう」と言われ、オームを唱えてくれました。
私も一緒にオームを唱えようとしました。
でも、どうしても声が出ないのです。

 先生が三度唱えられた時、私はようやく声を出すことが出来ました。
瞑想の中で「オーム」と唱えているのです。

そのオームの声で物質的なバイブレーションを上げることが出来たのですが、その声に唱えた声は、自分でも聞いたことのない極端な高い声(ハイオクターブの、まるでハイソプラノ歌手のような声)で、オームのバイブレーションが出てきたのです。
 
 それを唱えることによって、私自身に充満していたエネルギーが表現されて、外に流れ出ていったのです。
高いバイブレーションになればなるほど、1点の曇りもあってはいけないということでした。

私の場合は先程も話しましたように、私自身が「神一元瞑想」に集中している状態でなければ、なかなか言葉も出てこないのです。

 対面した人に対して、個人的レベルでもそうでしょうし、瞑想の話もそうでしょうし、自分自身がある一定上のバイブレーションにならないかぎり、言葉が出てこないのです。

 これまでに学ばせてもらったのは、相手と話をする時、相手の形態とか心の状態をみるのではなく「常に相手の神我を見る」ということ。

 その中からお互いの答えが出てくるように思います。
だから、相手の根源との一体という意識、この私がどこまで集中出来るかということです。

その状態から「お互いよい答えを求め合う」、そいういうものを求めるとそれが出てくる感じなのです。

その現象の中の、問題の部分だけに意識を向けるのではなく、一度無限意識の中に入り一体となった状態で、小極というか、形を意識するといいますか、そうすれば無限の中から、対極の中から見ていますから、「それが何であるか」を即座に知ることが出来るのです。
 
 直接問題点の「小極」に意識を向けるのではなく、いったん、太極の上に立って小極を見つめてみる。

そうすると、バイブレーションの高いところから見ていますから、表現界の知識とか理屈ではなくて、太極に立つことによって「物事がよく理解できるようになる」「正しい判断ができるようになる」ということを教えられました。

 物事に意識を、頭を突っ込むのではなく、一旦、無限という意識と一体化するということを通じてのみ、小極を見つめてみるということです。

 沖縄の研究所に泊まり込んでいた時期のことです。
他の場所での伝導瞑想の集いを終え、夜の十二時す過ぎに戻ったのですが、その日は二時頃床に入りました。

「愛一元」を、四六時中意識していた時でした。
眠りについた時、突然、私のハートにものすごい大砲が打ち込まれたのです。
それが私のハートの中で、強烈に爆発しました。
びっくりして飛び起きたのですが、ハートチャクラの痛みに耐え切れず、七転八倒して研究所の中を転がりまわっていました。

 やがて痛みが消えると、私のハートがしっかりと開いているのです。
その時の一つの刺激というか、エネルギーによってハートのチャクラが開かれたとでもいうのでしょうか。

それ以来、私の意識、私の心というものが、完全に「空」という状態になったのです。

心の中に雑念というものが溜まらないのです。
自分の中に無限という「全くの空間」とでもいいますか、常にそれが内在するようになり、それ以来、先生の説法をより深く素直に吸収する事が出来るようになったのです。

 その後、しばらくしてから瞑想の最中に、額がものすごく痛くなってきました。
これは額のチャクラが刺激を受けているのです。
私はわたしなりに「神一元」という世界を、思いっきり意識してみました。

そうすると、痛みはなくなり額のチャクラが開かれていったのです。
その時、上江洲さんに額を霊視してもらいましたが、「こんな綺麗に眉間のチャクラが輝いているのをみたことがない」と言ってもらいました。

 知花先生にお会いできてからというもの、私は非常に短期間で全ての意識を外し、その神理に集中し、それを「神一元」という形で強く求めてきたのです。その結果、それはどのようにいい表したらいいでしょうか。かなり肉体の変化が短期間に現れたのです。

そして、私が色々な現象と遭遇する中で、私のハートの中に、いかに神が着座しているかどうかを、自分なりに確認したいと思ったのです。

 ですから「寝ても覚めても神意識」という、先生の講話の中の教えが理解できましたので、常に、自分の意識が「神」の方向に向いているかどうか、自分で自分自身を注目していました。

「寝ても覚めても神」
「夢の中でも神」
宇宙意識を着座させるということです。

眠っていても、夜中に目が覚めます。
その瞬間(何を意識しているか)、常に自分は「神一元」を意識しているかどうかと、意識をチェックしたのです。
そのチェックをどんどん行っていきました。

 その後三日間、四六時中「我は神なり」を唱えさせれた事がありました。3日の間、それを続けさせれたのです。
そして、三日目で、二段階も三段階も、強烈に意識が上がる状態が起きました。

「すべてが神」という、あれもこれもすべてが神というものを見つめる状態が、三日目になって、バイブレーションが二段階も三段階も上がったということなのです。

 私は、先生の事務所に寝泊まりするという、その環境に大変恵まれておりましたので、先生の神理の教えを学ぶことに対して、世俗的な影響を受けることはありませんでした。

 先生が講話をされている時、「あなたは一番恵まれていました」と私にそう言われたことがありました。

私は非常に貧乏で、お金もなく、身体も病んでいまして、肉体的に考えると「なぜ、そんな大村が恵まれているのか」という思いが周りの皆さんにあったようですが、私自身は自分が恵まれていることに感謝していましたしそれについてはある程度は理解する事が出来ていました。

お金とか物とかは一切ありませんでしたので、それらに捕らわれることもなく、全くの自分の時間を与えられていましたので、先生とお会いしてからというものは、真理の追求に入っていけるその恵みが、私には与えられていたのです。

 お互いに瞑想していく中で、「瞑想を通じて理解を高め表現する」ということを教わりました。

今日も、こういった過去の体験の話をする中で、その体験を過去の思い出という状態で語っていまいますと、「天の知恵」を、単なる知識として記憶してしまうのではないかと、そのように思っています。

 言葉はバイブレーションであり、意識もバイブレーションですから、意識を一元意識から外さず表現していけば、そのバイブレーションが言葉を通じて表現されていくると思います。

 そして、これが文章化され本として出版された時も、この魂の奥底のものを世の中の人に読んで頂き、きっとご理解頂けるのではないかと思っています。


オススメ記事はこちら♬




超絶に必見な内容♬究極脳波・ミッドα波へと変容する極意満載です♪


知花敏彦先生の総まとめ記事 第1回目

知花敏彦先生の総まとめ記事 第2回目

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪


オススメスピリチュアルサイトをご紹介♪


知花敏彦先生総まとめ2/3



こちらは文字制限のため、本来の5分の1ぐらいしか文章が入りませんでした。
FC2ブログの方で完全版をご観覧下さいませ♪

 実は私…今までの経験上確信しているのですが、ブログの更新を怠った時に…かなりの確率で、事故に遭いそうになります(笑)。
 そして…今日もまた危ない目に遭いました(笑)

 それで、事故に合わずに助かったから、ブログの更新頑張らないと…とまた奮起して更新したりする事が今まで何回も御座います。

 お恥ずかしい話ですが、私自身、かなり悟りの内容を全力で出しきった…という満足感があるものですから、更新する気力が若干弱い部分があるのです。

 そんな私に、天上界からの発破をかけて頂いているのだと解釈しております。
神様から…ブログを更新して、貴方の生まれてきた使命を果たす為に頑張りなさい…って、そう言われている気がするのです。 

 その奮い立たせる出来事が何回も合ったからこそ、こうしてブログを続けていけてる…とも言えましょう。本当に有り難いことですね。感謝☆感謝です♪



人生の最高目的とは何か
自分が何者なのかを知る

 皆さんは人生の目的とは何かを、お考えになった事がありますでしょうか。なぜ自分は生きているのか、人生とは何なのかをまず知らなければなりません。

 それには自分とは一体全体何なのかを知るべきなのです。自分を知ることによって、すべてが何なのかを知る事が出来るのです。

 自分が何なのかを知らなければ、自分の人生の目的も解りません。そうなると、迷いの人生を歩む事になってしまいます。

 自分が何者なのか、何なのかを知ることが、実は最高の悟りなのです。あなたはなぜ生きているのでしょうか。現にあなたは生きており、あなただけではなく、すべてのものが生きています。

 それは私たちが生命によって生かされているからであり、知らないのは迷いであり、無智といいます。

 その生命はあなた個人の小さな生命なのでしょうか。それとも宇宙大の生命なのでしょうか。個別の生命があるのでしょうか。それとも宇宙生命そのもの、一つの生命があるのみでしょうか。

 この宇宙万象万物は、創造主が創られたものです。その創造主は万象万物を創り、そして御自身を万象万物の内に留ておられるのです。創造主はすべてのものの親であり、唯一の宇宙生命そのものなのです。

 この創造主である宇宙生命を、我々は神と呼んでいるのです。私達が生きているのは、唯一不二の神の生命のみが生きているのであり、すべての生きものは神の生命の内に留まっているから生きているのです。

 この宇宙にあるのは、宇宙生命が全てであり、あなた個人という独自の生命は存在していないのです。
 あなたの内に生きているのは、神の生命のみなのです。

 すべてのものの創り主である宇宙の創造主がすべてのものの親であり、一つの生命の内に生きとし生けるものが存在し、人間も、金魚も、花も同一の生命を宿しているのです。

 創られたものの内に神の生命が宿っているのです。
ですから自分を知るということは、自分の肉体を創ったのは神の生命であり、自分の本源本質は神そのもの、宇宙生命そのものである、すなわち自分は神そのものであり、この宇宙に実在するものは神あるのみ、宇宙生命あるのみということを知ることになります。

 すべては宇宙生命、神であって、それ以外に何も存在しないことを知ることが最高の悟りなのです。

 神とは何か、自分とは何か、私達はたくさんの宗教の教えにより、色々な神があると考え、様々な概念を植え付けられています。

 2500年前に釈迦は「宇宙即我」と説かれました。2000年前にナザレのイエスは愛を説かれ、自ら十字架にかけられた後に、三日目に復活され蘇られました。

 そして人々に、死がないことを身をもって示されました。私達は釈迦とイエスの説かれたことの原点を、正しく理解する必要があります。
 
 釈迦は悟られて、「不滅の仏陀」になられたのです。
 イエスは「キリスト」になられたのです。

 仏陀とは東洋の言葉で永遠の生命、宇宙生命のことを意味し、キリストとは西洋の言霊で宇宙生命、無限生命そのものの意味なのです。

 つまり仏陀とキリストは同じ意味の事を言っており、その表現が違うだけなのです。お二人とも人間の本質は肉体という姿・形にあるのではなく、永遠の生命が人間の本質であると説かれたのです。

 仏陀とキリストは永遠の生命のことですから、これは固有名詞ではありません。永遠の生命に目覚めた人は、すべて仏陀でありキリストなのです。
 本書ではイエスの説かれた内容を、皆さん方とともに、原点に立ち戻って考えて見ていきたいと思います。


釈迦とイエスが説いたことは

 私達は、この世で死ぬものは何もないことを知らねばなりません。生命は始めも終わりもない、永遠不滅の存在なのです。肉体に終わりがあるのではないのです。その姿・形に終わりがあるのであって、肉体は別のものに変換されてゆくのです。

 生きているから毎日変化してゆきます。肉体の死は、肉体が原子と電子に帰ってゆくことです。原子と電子は永遠不滅の存在で、死はないのです。

 死んだ肉体が永遠に残るなら、死はあることになりますが、死体は三日後には変化してゆきます。そして朽ち果ててゆきますが、それは肉体が物質から、その物質を構成している本源要素である原子と電子に戻ってゆくだけなのです。

 葬式を荼毘(だび)と言いますが、インドでは火葬の意味です。荼毘は火で焼いて急激な変化をとげさせる事になります。目に見えていた形が、目に見えないものに変化しただけです。肉体は水蒸気や気体に変化したのですが、質料やエネルギーはなくならずに残っているのです。

 肉体が固体から気体に変化しただけなのです。その肉体は生命の宿る衣装ですか、肉体から生命が離れた状態が肉体の死であって、生命は永遠ですから、生命という魂は死ぬことはないのです。

 釈迦は、生命が脱ぎ捨てた肉体という死体には何の価値もありませんから、「死体は火で焼いて、その灰はガンジス川に流しなさい」と言われたのです。

 私、知花の心は、固体が気体になっただけで、死ぬことは無いと知っていますから、私の心は平安で平和、宇宙大そのものなのです。
 人間には七十兆の細胞があると言われていますが、その一つ一つの細胞は全体の代表なのです。

 人間は宇宙全体の一つの細胞にすぎないのです。その一つが宇宙を代表しているのです。全体は宇宙生命そのものなのです。今あなたは、宇宙生命という神の内にいるのです。あなたが肉体を去ってから、神の国にはいるのではないのです。

 多くの人は自分のいる場所を知らないのです。現代の宗教は、肉体が死んでから、み国に帰ると教えています。
 このことをイエスは、「盲の者が盲を導く」と言っているのです。人間が言っているところの死とは、一つの形の変換にしか過ぎないのです。
 
 宗教家は死があると思っていますが、その姿・形に死があるだけで、その生命、魂には死は存在しないのです。その生命は宇宙生命で、無限生命ですから、そのことを悟ると、あなたとわたしの区別はなく、全一体、唯一の生命があるのみなのです。

 これは神を象徴したものです。本源は一つとして我れは一にして多なるもの。生命、光は一つなのですが、その表現である姿・形は違って、無数にあります。

 神が万象万物に宿っている現象を表現したものが千手観音像なのです。
 千本の手は、生命が様々な姿・形に宿っている様を現しているのです。

 人間には無限の表現があります。しかし、人間は神から分離して、自ら個別の存在があると誤解するようになってしまっったのです。このことをイエスは、放蕩息子と言ったのです。

 人は神と一体であり、神そのものなのですが、人間はそのことを理解していませんから、自分は人間なりと思っています。その人間が神と人間の関係を理解したレベルでしか、人間を表現出来ないのです。

 人間は自ら自分の存在を理解していないのです。人間が神を創ったのではなく、神が人間を創ったのです。人間が神を創ったとすれば、空想の産物にすぎません。

 悟りのない者は、救われることはないのです。自分がなぜ生きて、この肉体は誰が創ったかも解らない。自分が生かされていることも解らない。

 この人は迷い人です。迷いの内には、安らぎ、平安がありません。自分は地獄に行きはしないか、病にかかりはしないか、死にはしないかと不安と恐怖の内にいます。

 それは自分が勝手に生命、神から分離したことで、人間の無智がこの迷いを創ったのです。自分の理解力を高め、自分の意識を高揚させることが一番大切です。

 あなたは今、即天にいるのです。天とは、あなたが初めからいた所なのです。悟りとは理解力のことです。釈迦とイエスの説く言葉をよく理解して下さい。
 あなたが働いているのではなく、神があなたの内で働いていることを認めるだけで良いのです。神を認めると、神が創造し、語り、働いてくれるのです。

 このことを皆さん方に気づいてもらうために、イエスも釈迦も、そして私もノックしているだけなのです。
 イエスは「天より下るパンを食せよ」と言われているではありませんか。

 天の神があなたの内に働いていることを認めることだけが大切なのです。外側に救いや、エネルギーを求めるものではないのです。
 内から生かされている存在なのです。

 このことを釈迦は「四六時中内観せよ」「外を意識するな、内を観よ」と言われているのです。

 イエスは「私はあなたの内に永遠にあなたとともにおるもの」と言われたのです。イエスが「汝の見るものをすべて受け継がん」と言われたのは、あなたが外を観れば偽ものを受け継ぎ、内を観れば神を受け継ぐからです。

 これがキリストであり、神であり、生命であり、み魂であり、愛なのです。我が内なる生命は、神は、外にいるのではなく、内に在るのです。

「私を受け入れる者は、神そのものをすべて彼、彼女に受け継がれるだろう」、これが「無限の富を受け入れる」ことなのです。

 I am' 私は、 I am God であり、我れは神なりなのです。
 
 この悟りを得るために何万回も生まれ変わる必要などないのです。
 今、即生まれ変わる事が出来るのです。それは、今の今しかないのです。

 まさに、「過去に生きず、未来に生きず」なのです。
 釈迦は「我即宇宙」「今即天」と言われたのです。

「仏性汝の内におわず」と言われたのです。すべてのものは、一からスタートしています。二からは始まらないのです。
 一つは全体であり、帰るべき所へたどり着いたら、一に帰ったことになり、これが神へ到達した事になるのです。

 これが昇天であり、成仏なのです。
 人生の最高目的とは、天という原点に帰ることにあります。
 そのことを釈迦とイエスは色々な言葉を尽くして説かれたのです。



「悟りとは神の愛を受け、神の愛を現す能力」です

 ある、有名な言葉に次のようなものがあります。
『悟りとは神の愛を受け、神の愛を現す能力である』と。

 まず最初には、皆さん方は愛そのものであることが大切です。
『神への霊拝』とは、神そのものになる、愛そのものであることが肝心です。実感することであって、それ以上に必要はありませんという意味です。

 あなたが悟ったなら、愛そのものです。そうなりますと愛そのものとは、光そのものですから、あなたの全細胞から光が放流・放射されます。

 そうなりますと、あなたが電車に乗っていても清めて歩いていることになります。光を放射していますから、電車の中も明るくなります。

 その電車はエネルギーに満たされます。光はエネルギーですから、エネルギーに満たされます。これを無言の奉仕というのです。ものをいう必要がありません。何かをする必要もありません。


肉体は愛を外に顕現する媒体であり道具です

 愛の光を放射するならば、その人の行くところは全部愛が放射されますので、皆が喜ぶわけです。電車に乗っても光が放射されますし、飛行機で旅をしている時も、どこに行っても光を置いていきますので、

皆から「また、是非来て下さい、今お待ちしています」と言われるわけです。

 皆さんがどこかに行ったら「お待ちしています」と言うと思いますか。
「もう来ないで下さい」と言われるかもしれません。

 それは人間意識の肉体を持って行ったとするならば、口先だけは「どうぞまたいらっしゃい」と言われるかもしれませんが、本心はもう二度と来てほしくないと思うかもしれません。

 私達は姿・形ではなく内なる愛を外に顕現する媒体であり道具ですから、思う存分に使わねばなりません。

内なる愛を外なる肉を通して外に顕現する、神我顕現の為の目的』であって、そのために肉体は存在しています。その内なる愛を受けて、放射体とならねばなりません。

 この愛を受け入れた時、その人間は光体となりまます。本当に光となります。これは光の世界で、光の放射体となるのです。

 これを皆さん方はオーラとか、後光というのです。愛に満たされることと、光に満たされることとは同じ意味です。

 では、「私は人間です」とか、「私は肉体です」といって愛が出ますか、光が出ますか。出ません。それは光エネルギーといって、光を放射することとは同じことです。


人間はなぜ愛か  神の意志について

 神の意志というのは「愛」の事です。
 
 本来、私たちは神の愛を受け継ぐものですが、なかなかその愛というものを受け継いでおりません。神の意志とは何かと問われた時「愛だ」と答えればいいのです。神の愛です。そして愛は光です。

 本来は私達も光ですが、その本性である意志である愛を自らが曇らせているのです。愛に反するものは闇です。怒りとか、憎しみとか、そしりとか、嫉妬というのは闇で、その本性である光を曇らせているのです。

 常に光の中にいるならば、神の意志の中にいるならば、私たちは愛でなくてはならないのですが、愛に反するものの中に生きることによって、悩み、苦しみ、そして病気というものを造っているのです。
 
 それは本性ではありません。神の意志に反することを行っているからです。それは罪、汚れです。あるいは業(ごう)というわけです。

 ですから、私達が常に神と共にいたいのなら、神の意志を行わなければならないのです。神の御心の如く生きなくてはならないのです。

 神の御心とはすべてを愛することです。この世に存在するものは愛しかないのです。その愛に反するものを私たちは行っているのです。それは神に逆らっている状態、自分の本性を曇らせている状態です。だから、神に近づくということは、その愛を通してしか神に近づくことは出来ないのです。

 皆さん方はよく「天上界に帰りたい」とか、「成仏したい」とかいいますが、天上界に還るのも、成仏するのも、愛を通さずして、神の意志を通さずして、何者も御国に入ることは出来ないのです。

 常に私達が愛に満たされる。朝起きて愛に始まり、そして一日を愛で過ごし、その一日が愛で終わる日常生活であったなら、あなたは光の中の住者となるのです。
 悩みも苦しみもないのです。そこは光そのものであり、自分の本性であると同時に神の意志を行っているからです。

 イエス様はこう言われたのです。「我が御心を行う者は、我が御国に入るであろう」と。これが『神の意志、明らかなる愛の御心』です。

 これに相反するのは私達の悩み苦しみです。人間は愛でなければならないのです。
 私達の根源は愛であるからです。その愛は何かというと神であるからです。
 神の御国に入るには、愛を通さずにして何者も御国に入れないのです。

 なぜ、そんなにまで愛が実行できないのでしょうか。
 以前私は非常に疑問を持ったことがありました。〈なぜ人を憎んだり、謗(そし)ったり、裁いたり、中傷したり、色々なものがあるのだろうか〉と。

 自分の正体が、自分の実態が何であるか分からなかったからです。自分が何処から出てきた者で、何処に還るべきかを知らないから、人々が色々な妬みや、謗りや、怒りや、そういうものを行っているのです。

 自分は何から誕生して何に還るべきか、何処から出てきて何処に還るべきか。ということを知っていたならば、自分の本性、実態を知ったわけですから、自分の根源は愛であった。自分は神の意志そのものを受け継ぐ者であった。と、そのことが分かってくるのです。

 そして、その神の意志を受け継ぐ者が、神の息子となって神の娘となるのです。神の跡継ぎ者となるのです。

 その時皆さん方は「神のものは私のもの、私のものは神のもの」といえるような状態となるのです。

 今の私、この知花の心の状態がそうなのです。
「神のものは私のもの、私のものは神のもの」と、実感としてそう想っているのです。

 そして、神の意志というものは愛であった。この世で何者も憎んではならない。憎むということは神への反逆であり、神から遠ざかることであり、罪であり、汚れであり、それが苦しみの原因であることを私は知っているからです。
 常に皆さん方の心の中に本当に愛が満たされているならば、皆さん方も神の意志を受け継ぐ者となるのです。

 神の意志を受け継ぎたいのなら、愛に反するものを想わないこと、語らないことです。皆さん方が人を裁くことは神は決してお喜びにはなられない。人を怒ることもお喜びにはなられない。しかし、その神の望まれないものを私達は平気で行っているのです。神が一番お望みになっていることは愛し合うことです。

 お互いにこの世に存在するのはみんな神の子であり、神の創造物であるのです。
 神がお造りになったのです。造り主は神であるのです。その造られた全ての物は、神ご自身がお造りになりましたので、神の意志はこの世に現れている一人びとりを、ありとあらゆる生きとし生けるものを、万象万物を愛してくださっているのです。

 そうであるならば私達も万象万物を愛さなくてはならない。これが神の意志です。
そして私達が万象万物を愛し、人々を愛し、分かち合うことが、神の意志を受け継ぐものとなるのです。

 それ以外、この愛を通さずにして、何人も御国に入ることは出来ないのです。それなのに、今までは偽りの指導者によって騙されてきたのです。

 「主よ、主よ」と主の名を唱えれば天上界行きだとか、お経を何万回あげれば極楽行きだとか、神の御国に入れると言われてきたのです。しかし、彼等は現実的には愛し合ってもいない。同胞愛をなしてはいないのです。

 神は善人にも悪人にも、平等に愛を注いで下さっているのです。その神の愛は無差別の愛です。無所得の愛です。
 ですから、神の御国に入るには、神のような愛でなくてはならないのです。本当に自分という我を忘れて、愛だけに満たされるという状態になることです。

 皆さん方は、まず今日一日、明日からでもよろしいから愛だけに満たして下さい。そうすれば、あなたにどんなことが起きるのでしょうか。

 あなたのこころにこれっぽっちも憎しみがない。怒りがない。嫉妬がない。本当に何処を見ても愛おしく全てに愛を満たしている。それは人間だけではなく動物、植物、鉱物全てにです。

 そうなっているとき、もう皆さん方は神に波長が合っているのです。
 神に波長を合わすということは、すべてが愛でなければならないのです。

 神の愛に満たされているとき、私たちは光明人間になるのです。だから、イエス様は愛に満たされているとき「我は世の光なり」といわれたのです。

 光明人間。すなわち世の光です。愛は光です。愛に満たされている時は光明人間です。曇りがないのです。だから愛は光なり。光は愛であるということが分かるのです。

 皆さん方は本来光です。皆さん方一人びとりはみんな光なのですが、その光に相反することを、愛に相反することを行うことによってその光を曇らせているのです。
 
 憎しみの多い人は真っ黒くしているのです。怒りの多い人は真っ黒くしているのです。憎しみも、怒りも闇ですから、自分の本性である光を曇らせているのです。これは自らが曇らせているのです。

 本来、人間は光そのものです。霊体というものは光体です。光姿体です。
私達の魂というものは光そのものです。神の意志そのままなのです。
神の意志を引き継いで、私達はこの世に存在しているのです。
 これを真の我「神我」といっているのです。



無我の境地とは何か

人を苦しめていることは自分を苦しめているようなものなんです。
この細胞がこの細胞を苦しめれば自分を苦しめておりますね。
それと同じようなものなんです。

それを皆さん方は一体観念という、
一体、全一体が神理でございます。
分離は非真実、迷いそのものなんです。

あなた方が神理の中に生きて、神理を知っていたならば、
誰を憎みましょう。誰も憎まないはずですよ。
そこには愛しかないはずです。

ね、ひとつの存在ですから、対立するものがないはずですから、
迷いの中にこそ、対立はあるんですよ。
今まで個人と思っていた自分がなくなって、全我という一体感。

あ〜あ、な〜るほど、
一つの宇宙生命の中に、みんな一つの体の中にいるんだな、
一つの生命をみんな宿しているんだな。
そして同一の神々のみ中にいらっしゃるんだな。

という事が分かれば、そしたら、あなたは誰をけなしましょうか。
そこにはもう調和と愛しかしか無いと思います。
であるがゆえに神は愛なんです。
私達はまだ、悟りという神理の中の境地に入っておりません。

無我の境地というものは、今まで迷っていた自分がなくなって、
全我という全一体感の中に神の中に入ることが、無我の境地でございます。

そこには無限なる自分、全体なる自分しか無い。今まで個人だと思っていた自分はなくなっています。

迷っていた自分がなくなって、
悟りの自分、全一体なる大いなる無限なる自分しか残らない。
それが、無我の境地でございます。

そういった時、みなさんがどのようなことが起こるといいますと、
あなたが個人、分離でいる間は、迷い苦しまなくちゃならない。

分離でいる間は、迷いなんです、苦悩なんです。
自分の無知で自分を傷つけます、
しかし、悟りという境地、無我の境地に到達したならば、
傷つけるものがありませんから、傷つくことがないのです。

人を苦しめませんので、苦しむことがないのです。
そこにはもう平安と安らぎしか無いのです、
これが神の境地なんです。光悦感といいます。

あなた方が一番この世に生きてる間に、その一番克服しなくちゃならないことは、分離感で御座います。

どこにも分離はございません。分離というのは皆さん方の無智の中に、迷いの中にのみ存在致します。これは実在ではありません。非実在なんです。

勝手に人間が分離してはないけれども、
分離して勝手に争っているだけ、勝手に対立しているだけなんです。
どこにも分離はありません。

それがなくなって対立するものがなくなれば、あなた方は苦しむでしょうか。
悲しむでしょうか。恐怖するでしょうか。

今日の話は、皆さん方を最高の神に到達する神理でございます。

それをあなた方は観念でとらえて、自力でとらえては何にもなりません。
あなた方が意識的にその全一体感になることを無我の境地というので御座います。

意識的にその全一体感に自分が到達。
そして皆さん方が、その無限と一体であることによって、皆さん方は無限の智恵と力と愛をあなたのものとすることが出来ます。

なぜなら、あなたは今、分離している間は、一滴の海水のようなものなんです。
一滴の海水を海から持ってくると、使い道がない、無力、ね、何の価値もないけれども、その一滴の海水を全体に大海に返してみて下さい。

その一滴の海水も全一体となったから、全体の知恵と力をその一滴の海水を、我がものとすることが出来る。

あなた方の今、分離の中に、対立の中に、いくら神の知恵と力をあなたが得ようと思っても、得ることはありません。

ね、無限宇宙とあなたが一体となって、全一体、どこにも分離のない状態、宇宙即我という境地にあなたは無限宇宙の中に今いますよね、皆さんがね。

そうすると、無限宇宙があなたでなくてなんでしょうか。
あなたから無限宇宙から分離することが出来ますか。

あなたそのものなんです。だから、あなたは無限者なんです。
その自分が、無限の中に留まり、無限者があなたの中に留まり、あなたは無限者と一体となる。そのことの境地に到達した時、あなた方は無限の知恵と力と愛をあなたのものとする事が出来る。

あなたを通して無限を表現することが出来る。
これが釈迦の偉大な力、宇宙力、天と地を支配する力を得た秘訣。

イエスが天にある言葉を語られた秘訣、彼を通して無限の知恵と力が、言葉を通して現れたのでございます。



おまけです

 一つのものの中に生きているからです。
心は一つの心、神の心の中で生きているからです。

人を苦しめていることは自分を苦しめているのと一緒。
一体ですから、神から見れば1個の細胞体です。分離はございません。

悟りとは何かというと、全一体。全ては一つの体ということを悟る。

無限宇宙からすれば全一体なる大いなる自分。全一体が真理。そこには愛しか無い。
そこには愛と調和しか無い。

迷いの中にしか対立はない。 



輪廻転生とは不成仏を繰り返している者たちをいいます

 皆さん方が輪廻転生をなぜ繰り返すかご存知でしょうか。あなたが無限に帰らないからであって、無限に帰らない限りは不成仏として輪廻転生せねばなりません。

 あなたが無限に帰るまでに、個人としてならば何万回もこの地上界に生まれ変わらねばなりません。

 個人意識を克服しないかぎりは、個人という社会に何回でも生まれ変わるのです。では、皆さん方が過去世において、無限に帰っていたら、現在この世に生まれていますか。

 では、今生も帰りませんか。今生も帰らなかったら、また来世がありますよといえます。人間だと、肉体だと思ったままこの世を去りますと、再び肉の世界に生まれなければなりません。

 完全に肉体もなく、個人でもない、人間でもなく無限だと思えば、その無限という天国に帰った暁には、個人として再びこの地に舞い戻ることはありません。


イエス・キリストは輪廻転生を否定されました。

 イエス・キリストは輪廻転生を頭ごなしに否定されました。
『汝、再び生まれてはならない』という名言を言われました。ですから、あまり輪廻転生のことを説き過ぎますと、これは神理ではなくなります。

 迷った人が輪廻を繰り返すのであって、解脱している人は繰り返しません。これを輪廻の克服といいます。

輪廻の克服をするためには自我を克服せねばなりません』。個人意識を克服せねばなりません。あなた方のいう自我とは個人のことを言うのであって、神我は無限をいいます。

 神我の我に帰るとは、無限の我に帰るという意味です。それ故に、まだ皆さん方が個人という思い、即ち自我があるならば、それは神が創った自分ではなく、自らが作ったとなります。これを自我といいます。

 そして、神我は神なる我(われ)と書きまして、神我(しんが)といいます。

 自我という個人は皆さんが作ります。これを自らが作った獄壁といいます。ですから、皆さん方はあまり、過去世にとらわれてはなりません。

「私は誰の生まれ変わりだ」とか、「あなたは誰の生まれ変わりですか」と話すのではありません。

『皆さんは神の生まれ変わり』であり、『神の化身』です。



宇宙に愛は1つしかありません

 人間は実在していないから、全く存在していない事を知らねばなりません。実在しているのは愛であって、これを大愛、または愛とも言いますし、神ともいっているものです。

 それを神は愛なりといいます。なぜ神は愛なのかといいますと、エネルギーと質量のバランスを大調和といいまして、このエネルギーと質量の調和でもって人間が創り出されているからです。

 あなたは人間ではありません。人間とは何かといいますと、愛の仮の姿です。即ちエネルギーと質量の仮の姿です。

 ですから、形という世界は仮相の世界といいます。影の世界です。エネルギーと質量が様々な形を写し出しています。エネルギーと質量のバランスがなくて物が存在すると思いますか。存在しません。

 大愛が人を創り、大愛が人の中に必ず宿っているといえます。人の中に愛は宿っていますか、宿っていませんか。あなたは人間ですか、愛ですか。愛です。

 ではどこに人間がいますか、あなたはその愛の仮の姿を見て、それに人間という名前を付けているだけです。あなたの本性は愛です。この世に愛を宿さないものは一物もありません。

 そして、この愛は宇宙にいくつあるといいますと、1つしかありません。これは無限大の愛であり、限りなき愛です。この愛には初めがないし、終わりもありません。空間がありません。時間がありません。永遠です。

 あなたの形は崩れても、愛は崩れません。愛は永遠になくなる事はありません。これが『不老不死の原理』です。あるいは健康になる秘訣です。

 しかし、皆さん方はまだまだ、自分の姿・形が何であるかや、自分の本性を見ていません。この大愛を皆さん方は神性といいます。

 そして、エネルギーと質量のバランスの事を意味します。そこで、神のことを中性というわけです。中性と神性は同じでありますし、愛というのも同じです。

 では、あなたは人間でしょうか、大愛でしょうか、愛はいくつありますか。愛には所得がありません。私の愛とか、誰彼の愛という愛は存在していません。


無限世界から觀ますとすべてが丸見えです

 私、知花は無限の我から、実在の我から、非実在の仮相の世界をいつも眺めているわけです。

 あの人はどうしているのだろうかと、この人はどうしているのだろうかと、無限から觀るのですから、上の世界から下を見下ろしているわけですから、実相世界から仮相を見下ろすわけですから、丸見えです。

 それは面白いものです。面白いと言いますと御幣があるかもしれませんが、例えば、その神我という無限の世界から、形という世界をも下ろすことが出来ますから、すべてが丸見えです。誰が何をしているか、見えると思いますか、見えないとおもますか。

 なぜ、皆さんには見えないのでしょうか。私の悪口を言っているのも、何もかもが丸見えです。隠れて話していても、私には隠れるものは1つもありません。

 神我に隠し通せるものが1つでもありましょうか。ありません。このやすらぎの郷で、こんな話を聞きながらでも、私の悪口をいう人はいっぱいいますが、「あの知花先生は何とかかんとかといって」という人たちは私は分かっていないと思いますか。残念ながら分かります。

 どこに隠れていてもどこにいても分かります。なぜならばあなたと私は本質に繋がっているからです。本質的には1つですから、家族ぐるみで知花の悪口を言ったって、全部が筒抜けです。

 仮相の世界にいる限りは分かりませんが、この本質という全一体の世界にいるならば、全一体ではありませんか。あなたは私であり、私はあなたですから。全一体の世界ですからわからないはずがありません。

 そんなところを皆さん方も知るためにはどうすればいいかといいますと、この実相に生きることです。実相においてはすべては1つですから、全ては一つになります。


あなたは宇宙そのもの

 無限宇宙そのものが、一つなる神の御神体です。
そして、私たちは無限宇宙の中の1個、即ち、一つなる神の一部です。

 あなた方の肉体には、約70兆余りの生命体が存在しています。
その生命体とは、神という生命が、1個1個に個別化されている細胞のことを言います。

 その1個1個が総計されたものが、あなた方の肉体です。

 だから、あなた方の肉体は神の御神体であって、そのあなたという細胞1個1個1個が、宇宙全体を構成する役割を果たしているのです。
 
 あなた方は神と一体、即ち、神と一つの体であって、決して、2つの体というものはなく、無限宇宙という神の御神体一つしか存在しないのです。

 だから、あなた方は、今の今、神と一体であって、神の中に生きているということです。

 そのことを、イエス様は「私は常に宇宙なる神と一体である」と、
お釈迦様は「宇宙即我」即ち「宇宙は私である」と言われたのです。

 そのように、あなた方という個別化された1個の存在も、イエス様や、お釈迦様と同じように、宇宙なる神の中に存在しているのです。

 宇宙は無限であって、そこに、あなた方を含む1個1個が存在し、その全ての1個1個が全体を構成している。即ち、無限宇宙全体という、神なる一体を構成しているのです。

 だから、神とあなた方は一体、即ち、同じ一つの体である、即ち、あなた方は無限宇宙という、神の御神体を構成しているということです。

 人間というもの。それは細胞70兆あまりを総計したものを言います。細胞の寄り集まりと言って、その70兆余りの細胞、その1個1個の全に、神という生命が、意識が宿っているのです。


知花敏彦先生の総まとめ記事 第1回目


オススメスピリチュアルサイトをご紹介♪
高次元ブログ悟空の郷 瞑想は大切だけど、でも…
様から引用させて頂きました。


上江洲先生の質疑応答や、まりこさんの体験談等、
良質な覚醒へ役立つお話がご観覧頂けます♪




明想の最高のコツを簡潔に記載している
  魂を一気に覚醒へ導く深いお話をご紹介

 明想の極意を書いている素晴らしい記事を見つけちゃいましたので、ご紹介させて頂きます。前もご紹介した「悟空の郷」様の記事なのですが、こちらの管理人さんは、もう遙かなる境地まで到達しているそうです。

 最近私も、覚醒へかなりの飛躍と遂げたのですが、そんな私よりも、きっと遥かなる高みにまで到達されている方だろうなぁって観じるぐらい…素晴らしい深い内容だと思った次第です。

 私自身、こちらのブログから、高貴で光輝な波動(ダジャレ笑)を感じましたし、本物ならではの、気品がある文章を記載されていて、読んでいて心が清々しくなっちゃいました。素敵なお人柄が感じられます。こんな素敵な人間になりたいものです。

 それにしても、今回思ったのが、絶対の絶対に……知花先生知ってるわぁ…って(笑)、心の底から叫びたいぐらいに思いました♪

 言葉のチョイスっぷりからしましても、もう間違いないよね…っていう、確信しました。ええ、あえて言いましょう。100%知花先生の教えを知っているでしょうと。ええ、断言して言っちゃいます…100%です♪

 知花先生を知らずに、ここまで書けたなら、もう覚者級のとんでもない人材でしょうね。まさに、無名の覚者みたいな♪

 今回のお話に付け加えますと「父なる神と私は常に一体である」と意識するのもいいかもしれません。それともう一つ、こちらの瞑想(明想)を深めるのにより役立つのは、真理の深い理解でございます。

 ぜひ真理の深い理解の為にも、下のリンク先の記事をご観覧下さいませ。
 貴方の明想がもっと進化し、深い深淵なる叡智であられる真我キリスト(宇宙生命・根源・空・神)と貴方が繋がるのを、サポートしてくれる事でありましょう。


知花敏彦先生の総まとめ記事 第1回目

知花敏彦先生の総まとめ記事 第2回目




明想は大切だけど、でも……(悟空の郷様の記事♪)

瞑想について、お話ししてみたいと思います。

最近では、経営者やアスリートなども積極的に瞑想を取り入れている人も増えています。これはとても良い傾向だと思います。

精神世界とかスピ系の人たちは普通にやっておりますが、昔から瞑想をしても悟りを開けない人が多いのですね。

それはなぜか?

その辺も含めて、説明してみたいと思います^^

まず、瞑想という言葉の意味ですが、辞書には「目を閉じて深く静かに思いをめぐらすこと。」と書かれています。

瞑想中に、何かを見ようとしたり、啓示を受けようとする人もいますが、やめた方が良いです(^_^;) 少し違う所と繋がって、悟りから遠のいてしまいますので。厄介なのが、天上界のような雰囲気を醸し出すので、あたかも悟りを開いた感覚にされてしまうんですσ^_^;) これは勘違いですので。

軽く目を閉じて、深く静かに呼吸を繰り返し、思いをめぐらす。呼吸については、鼻から吸って口から吐く。姿勢はリラックスできれば、普通に椅子に座って瞑想しても大丈夫です。ゆったりとした呼吸でまずはリラックスしましょう。

瞑想の時間は、最初は3分程度で構いません。長くすれば良いというものでもありませんので。1度に長くするより、3分を1日のうちで何回もする方が、効果的です。その理由も後述します。

瞑想は悟りを開くためには欠かせません。特に現代人は、忙しい日々を過ごし、見えるものにしがみつき、しがみつかれてますので、そこから離れる時間を作ることが重要になってきます。

ただ、瞑想を長年やってる人でも、一向に悟りの境地に至ることはないのです。それは、「思いをめぐらす」という部分で間違ってるからです。

人間がいくら瞑想しても、人間以上にはなりません(・∀・)b

過去の記事を読まれている方は、この時点でお分かり頂けたと思います。自分のことを肉体や人間だと思ってる人は、その枠内から出れないのです。それを迷い人とも言います。

本当の自分を、まずは知る。自分が生命であり、空であり、神であると思ってる人が瞑想をするから、瞑想中にそうなるだけであって、人間は人間です。

瞑想(明想)とは、自分が生命・神であることを想う時間なのです。

ですので、瞑想の初めに、リラックスしたあと、想いをめぐらすのです。

私は今、神の中に存在し、神は私の中に存在している。私は宇宙に無限に遍満する生命で、その生命である私が宇宙一切の万象万物を生かしている。我、生命なり。我、空なり。我、神なり」と。

フレーズはこの通りでなくても大丈夫ですからね^^ あくまでも、自分は人間だと思って瞑想をしても、何の意味もないということが言いたいだけです。無限の生命との一体感を得ることが瞑想の目的です。

世の中には色々な瞑想法が提唱されていますが、その形式にこだわるのは迷い人です。表面にとらわれ過ぎているからです。

何秒吸ってとか、蓮華座で座ってとか、手の位置はここでとか…。
どうでもいいことです。悟り人は歩いてても瞑想してますので(笑) 

神であるあなたが瞑想するから神が顕現するだけということを忘れないでくださいね。

スピ系の指導者も、自分のことを人間だと思ってます。そういう人からセッションを受けたりすると、そういうエネルギーがへばり付いて、あとで取るのが大変になります。これも、他力本願な自分が引き寄せてますので、自分の責任ではありますが。

天は自ら助くるものを助く。汝の救いは汝自身なり。
すべては自力本願ということです。

自分の意識を変えなさい!とよく言われます。意識とは想いです。
自分を人間だと思うその想いを変えなさいというのが、意識を変えるという意味です。

瞑想の初めに、ゆっくりと心の中で想いをめぐらせ、今、想ってるこの意識が本当の自分で、これが生命で、空で、神なんだと。肉体はただの表現媒体なんだと。そうすると、ふわっとした感覚になります。その感覚に浸ってたら良いのですね^^

感じてる最中は、日本語が走らないようにします。
これ、雑念と言いますが、別名「やかましいシンバル」とも言います。

雑念が出てきたら、「やかましいシンバル」と優しく想ってみてください。
静かになります。

そして、眉間に意識を集中させます。眉間に集中すると、精妙なバイブレーションが起こり、それが間脳・脳幹に伝わります。脳幹にスピリチュアル性が集まってますので、眉間に集中すると良いわけです。

シンバルがジャンジャン鳴らなくなった人は、時間を延ばしていけば良いですが、最初のうちは細切れ時間を活用して、何度もやった方が良いです。

理由は、自分を人間だと思う癖があるからです。朝に一度だけ瞑想をしても、日中は人間だと嘘を付きながらずっと過ごします。これだと意味がないのです。

瞑想は、自分を生命・空・神だと想う時間ですので、神の自覚ができるまでは、何度も何度も訂正する必要があるということです。

汝、嘘付くなかれ。

自分を人間だ、肉体だと思ってる人は、皆、嘘つきです。それをやめなさいと、遥か昔から、釈迦やイエスも言われたわけです^^

神としての自覚が出来るまでは、瞑想は欠かせない習慣の1つになります。自覚ができれば、歩いてても瞑想状態でいれますので、それまでは、何度も繰り返してみると良いですよ(o^-')b

最後までお読み頂いて、感謝しております。


追伸:
神の自覚は良いのですが、周りの人に言う必要はありませんからね^^ 精神科に連れていかれますので(笑)


悟空の郷様の素敵な記事へのリンクです♪
     





 明想は、私達が根源の世界に到達するための手段であり、目的地に辿り着くための地図、「黄金の梯子(はしご)」です。現象という結果の世界から根源という本質(愛の王国・内なる神の国)へつながる天国への梯子なのです。

 また明想は真理という海底にある永久不滅の美しい宝物を探るための手段であり、本来、それ自体は決して目的ではありません。海底の宝物を探すためには息を整え、海面から垂直に潜っていく事をはじめ様々な技術が必要です。

 そうした技術は指導者の元、訓練によって徐々に学習していかなければ身に付くものではありません。真理に至るためには難行苦行は必要ないとはいえ、明想によって「我、神なり」という境地、無限という根源に至るには経験や試行錯誤が必要な事も事実です。

 人はともすれば肉体の感覚に振り回されがちですが、そうした偽我の殻を打ち破り、曇った膜を剥がしていくことが必要で、明想は静かな環境の中で自然体で額に光を意識して次第に深く入っていく方法がふさわしいのです。

 弛緩(しかん)の中で集中という方法が明想の要諦(ようてい)といえます。明想を始める時に額に意識を集中させるのは一つには睡魔に勝つためです。

 明想を続けると副交感神経が優位になり、脳波が安定してきますが、日常生活においても「静心」の状態を保つ事で不安がなくなり、物事が円滑に回ってゆくのです。

 私は今でこそ短い時間で深い明想に入っていく事が出来、明想がある段階に達すると様々な能力を発揮出来るようになりますが、明想を始めたばかりの方、そして熟練途上にいる方は一定の境地になるまでには多少の時間がかかるものです。

 明想の果実として得られる境地は文字や言葉では表現出来ないものですが、神が命として全てのものの中に生きている事を心から悟るようになり、意識の拡張が進んでゆくのです。
 一人でも多くの方がその果実を得られる事を心から願っています。

 明想がより深い段階になりますと、目の前の現象の因果、すなわち原因と結果の関係性が瞬時に理解できるようになり、中には肉体意識が希薄になり、

「宇宙即我」「父なる神と一体」という悟りの境地に近づく方も出てくるようになります。
 そして、原因と結果の関係性を理解できるようになる事で、日常の身口意、つまり原因なるものをより正しい方向に整えていきやすくなるのです。

 明想の極地とは、明想の形をとることなく瞬時にして「我神なり」の境地に達し、その状態が持続する事であり、その時、神の技が滞(とどこお)りなく発揮できるようになるのです。

 明想は単に精神を集中することではなく、真理へと導く黄金の梯子(はしご)となり、さらには現実をも変えていく有力な手段となります。

 このような段階になりますと、明想そのものが真理へ到達する手段というレベルを超えて、自らや周囲への癒やしに繋がり、明想することで最高のカルマ(功徳・陰徳)を積み上げていくことになるのです。

 明想の目的は根源の世界との合一、融合ですが、本来は日常生活そのものも、そして明想と日々の生活の調和を図ろうとする事も広義の明想と言えるのです。

 この世は様々なレベルの方々が同じ次元で生きている場であり、日々生起する出来事にいかに冷静に対処出来るかが問われています。

 社会生活という荒い波動の中にあって。しっかりと根源に舵を下ろして生活する事が出来るかを日々試されていると言っても宜しいかと思います。

 何度か前の人生において既に覚醒に至っていた私ですが、今生に於いても長きに渡って人知れず努力を重ねた結果、現在に至っております。
 生来備わっている能力、境地にさらに磨きをかけ続けてゆく事は大切な事ではないでしょうか。

 私は自ら望んで努力もしてきましたが、一般的には災いと思われることも経験してきました。災いと思われる現象にも意味があり、全ては宇宙の仕組みの中で精妙にはたらいている事を知って頂きたいと思います。

 無限との合一はある意味厳しいものですが、心を尽くし、内なる神(宇宙生命・神我キリスト)との合一を目指して頂きたいと思います。

 たとえ今生で本質への到達、無限との合一に至れなかったとしても、宇宙の真理に近づく努力と成果は次の段階につながる代えがたい宝となる事は、覚醒に至った私の目からはっきりと見えるのです。


神癒の真言(マントラ)

 人はこの世に生を受け、時には悩み苦しみ、病を背負い立ち止まります。その時、ここに記された真言(マントラ)に触れることで悩み苦しみから脱し、癒やされるようにとの思いで綴(つづ)りました。
 多忙な方、急を要する方はこの節を繰り返しお読みくださり、癒やされてゆく事を願うものです。

 我 神なり。我 命なり。我 愛なり。我 光なり。


我 神なり。

 真理という名の絶対法則である神は全てのものの中に生き続けます。神我一体の境地の中で霊魂体の一致がなされれば、天の実相の光が降り注ぎ、その身は黄金に輝き、内なる神性が花開いて本質を顕現させるのです。

 その時、知恵の泉が開かれて、全てを天使の囁(ささや)きと聞けば、神が命として無限の力を携(たずさ)えて生きているのを悟るのです。

我 命なり

 命は久遠常在永遠不滅。宇宙で失われるものは何一つとしてなく、ただ変化しているのみ。可視と不可視は表裏一体(色即是空)。
見えないもの(宇宙に遍満する大霊・大生命)こそが命をまとった本質。

 一命一体、自他一体、全一体こそが不変の真理。無限の知恵、愛、光は内在する命そのものであり、全てを活かし、一瞬たりとも休まず、途切れる事はありません。命を養い、命を変えうるのは命自身、久遠の光に照らされて我神と共に歩む時、神こそ命と知るのです。

我 愛なり

 愛は命、そして力。愛は生かし、結び、支え、守り癒やすもの。愛する事は愛されるよりも尊く、真実の愛は見返りを求めません。
カルマは神の愛。人は縁により出会い、※その全てを赦し、愛すことによって焼き尽くされて灰になるのです。

創造主様からのメッセージ♪から一部引用ですが……♬


 一番大事なのは、愛の実践です。愛し合う事です。全てを許し合う事です
許して下さい。許し合えたらあなたは、許されるのです。あなたが許さなければ、あなたも許されません。

 まず、自分の罪を許して貰いたかったら、人々の罪を許しなさい。そしたら、自ずから、あなたの罪は許されます。あなたは、人の罪を裁きながら、あなたの罪だけを免れたいと思うのを止めなさい。

 あなたが人を裁かず、怒らず、謗らず、嫉妬をしなかったら、あなたは誰からも、怒りも、裁きも受けません。全ての人の罪を、許してあげなさい

そうすれば、あなたは全てから、許されます。私、神から許されます

 罪を犯す者を、愛しなさい。そうすれば、私もあなたを愛します。
 人を愛さない者は、私も愛しません。

神から愛されたいのなら、どうか、世の隣人、全ての者を、愛さなければなりません。その愛の実践が、真の信仰、神に至る道であるという事を知りなさい。

 
  自らを愛する事なくして全てを愛せず。久遠の愛の中にあって我愛なりと生きる時、そこには恐れも災いもなく、無限の至福の中、喜びが尽きる事はありません。

我 光なり。

 光に満ちた全一体の調和の中にいて人は病むことはありません。苦は幻と知れば苦は消え去るもの。
 現象は真我権限のためにあり、その中にこそ己を磨く宝があり、全ての責任は己自身にありと心に定め、身口意を正し、我神なりと命を輝かし、全てを愛し尽くした時、人は己の中に神を見、この世を照らす光となるのです。

 人は、無形無相では知りえない真理と調和を学ぶため、肉体をまとってこの世に生まれてきました。今を生きる事は永遠の中に生きる事、一瞬の閃光の中に悟りへの真理があります。
 
 病は苦から、苦は欲、無知、恐れから生じるもの。肉体船を操るのは心。行いも思いから生じ、心を正す事なくして何も変わらず。久遠常在永遠不滅の真理への気づきにより時空の扉が開かれて過去未来が変わり、病さえも消え去るのです。

 無限の根源に不可能はなく、思いは権限の母。正しき思いは無限に飛び立つ美しき天使となって自らを癒しに癒し、無限向上を目指してゆくのです。


エドガー・ケイシーが語る解脱の真理♪から名場面の引用ですが……♬


 エドガー・ケイシーは常に惑星上に受肉(転生)した魂としての人間の存在が一つの目的を持つこと、その目的とは個々の魂と神との関係(全ては神ご自身・全ては一つ)を悟ることに集約される事を訴えています。

 ケイシーは、神の栄光は全創造物の中に現されている(全ての全ては神の現れ・神の他には何も存在しない)のだと繰り返し語っています。

 人間性の全体、体と心とが神の現れであるという明快な言い方を採るエドガー・ケイシーのリーディングを引用して、魂の論に結論を出してみましょう。

汝の体、汝の心、汝の魂が地上での神の現れであり、他のどの魂もそうであること、汝の体は現実に生ける神の宮なることを知れ。

 あなたの知る善の全て神の全ては、他人の考えること、他人の行うことではなく、あなた自身を通して、あなた自身の中に現されているのである」

イエス様の名言♪
「我は汝らに告げる。汝の隣人を愛せよ。の仇(かたき)を愛し、汝らを責める者の為に祈れ。これ天(内・潜在意識の最奥)にいます汝らの父(キリスト)の子とならんため(※神我キリストへの覚醒めの為)なり。

 人は異質の統一を見、不和の調和を見ます。自分とは違う人々との接触に神の光(大愛・宇宙生命・神)を観ます、その時にのみ「汝の隣人を愛せ」という戒めの真意を理解できるでしょう。



問「キリスト意識とは、心の上にかたどられ意志力による目覚めを持つ、魂と神との一体の自覚(無限・宇宙との一体感)と述べて宜しいでしょうか。」

答「その通りである。それが正しい考え方である。」

 
キリスト意識に覚醒めた)人は凡人には見えない、奥にある一体と本質と調和(宇宙生命・神我キリスト)を観ます。人はただ愛するのみになります

 キリスト意識に覚醒めると、(全ては神であり自分そのものですから)憎む事はできなくなり、羨(うらや)む事もなく、悩まされもせず、拒まれもせず、挫折も、恐怖も持つ事はありません。

 (悟り)人は自分自身の魂と万物を一つと観ているため、あらゆるものの中にキリスト(神我)を観ます。これが覚醒めであります。
 これがキリスト意識、クリシュナ意識、神意識であり、これが天国に招かれる真の改心なのです。

 愛という言葉ほど大きく誤解された言葉はないでしょう。この真意は、自分の中にも他人の中にもある愛の光(キリスト)を見つめる事にあります。

 聖なる愛(大愛・宇宙エネルギー)が神から来るように、愛は個人の魂から放たれます。人が明想を通して神にその魂を同調させる時に聖なる愛はあらゆる憎しみや嫉妬に打ち勝つ力と共に、流れ出てきます

 「汝の敵を愛せ」という言葉には何ら論理的な矛盾も心理的なパラドックスもありません。愛なる語(全ては一つの悟り)が強められれば、敵は自動的に敵は無くなるからです。

ケイシー・リーディングから……♬
己の生命とは、すなわち神である。何となれば、汝の兄弟に為したるその事は汝の内にまします神に為したればなり。
貴方の兄弟のためにする事はあなたの内に内在する神にする事です

隣人との接しを通じての神の愛は終日の作業です。我々は神がどのような形で自らを示されるかを知る由(よし)もありません。(全ては神の具現)

 それはタクシーの運転手かもしれず、店員かも、学生かも、今日しかも、患者、医者かもしれません。
 だからこそ、我々は荒い言葉、怒った顔を慎み、非難を愛に変えて常に、あらゆる人との接触で(全ての全てであられる)神を崇めるのです。

 求道者がこの段階に至ってなければ、聖なる愛を自ら実践することによって明想(全てに神を観る・我神なりの自覚)を続けなければなりません。

 神への、我らが家(久遠のホーム)への、本源への、我らがの目標(神我顕現・神との合一)への探求は、こうして全的な働きとなります。

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。このキリストの与えた言葉が法則の全てである。それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は来る日も来る日も明想し、祈りゆくうちに到来するあの目覚めによって、主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識をあの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」


上江洲義秀先生・至高の名言    上江洲義秀先生の記事♪   
 
 全ての全てのあってあるものの中に、神が我として実在している事を(理解して実感して、全てに神を観る状態を)「悟り」といいます。

 目に映し見ている、すべてのすべてのあってあるもののに「愛を見」「愛を感じ」「愛そのもの」で対処できる己であって、そこに悟りがあること。
                                                  明想の記事♪


自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・神我キリストによって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、中身は全て神、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一・我神なり、神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、我即大霊の境地、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・我即実在・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪



オススメスピリチュアルサイトをご紹介♪




滅私、自分を捨て、全ての存在を100%愛する悟りで
内なる神との直通の光の通路が完成したお話

 今回は、私が2日ほど前に体験した、大幅に魂の覚醒がした、皆様の魂の成長に役立てるかもしれない、覚醒秘話をご紹介させて頂きます。

 この文章を書いている現在、胸のあたりのアナハタチャクラの背中の部分辺りが、ポカポカじゃなくて、アッチッチみたいな(笑)、そんな表現でも適切かな…っていうぐらいに、ポッカポカの状態であります。

 詳しくは、全文を見て頂くとして、覚醒した時の体験からご紹介しちゃいます♪

 許し尽くして尽くして全ての全てを平等に愛する様になった時に、心の中の宇宙が見えたのです。それから私の意識(心)と内なる神との直通の光の通路が出来上がった感覚がありました。

 それから心の中に「空(くう)」の空間が出来たようなフィーリングがずっと続いております。心に想い(雑念)が溜まらない状態といいましょうか…、
 心が愛そのもの、許しそのもの、になって、神様と私をさえぎっていたスモッグが取り払われた…そんな感覚が続いております。


 今回のお話をご紹介するに際しまして、誤解されないように、先にお断りしておきますが、私は中国人の方に対して、個人的に関わった事がある印象からしても、好印象を持っております。特に嫌いという感情も御座いません。

 良い人もいっぱいいらっしゃる事もよく存じております。それが基本前提です……これが基本前提ですからね(笑)くれぐれも誤解なさらないように……^^;

 ではお話にまいります。
神の御心である愛と、人間の分離意識の愛との違い、について考えてみましょう。

 お母さんは親だから100%愛するけど、あの人は悪人だから、許されないような事をしているひどい人間だから、
まあ…許してあげるけど、20%しか愛さない…ではダメなのですね。

 それは神の愛ではなく、分離意識の愛なのです。
神の御心は、常に、無差別の愛、太陽のように、全ての存在に対して別け隔てなく、無条件の愛を100%降り注ぐ太陽の光の如き、深い愛なのです。

 人だけじゃなくて、国に対しても同じなんです。

 現在、中国という問題を起こしまくっている国がありますが、技術泥棒と言われているのは実際そうらしいですし、
 侵略欲むき出しの独裁国家で、民族浄化をしている、正直…とんでもない悪逆非道な国なわけです。その様な国でさえ、愛さなくてはならないのです。

 渦中のファーウェイという企業も、深田萌絵さんの書籍を見て頂いたら、よくお分かり頂けますが、実際にスパイして技術泥棒はしているようです。

「【産業スパイ】明らかになったファーウェイの盗み方 競争力を得るための手段と倫理観の境界線があいまいな企業文化」 で検索して頂ければ、よくお分かり位頂けます。

こちらの深田萌絵さんの記事がより詳しく理解できます

 
 任正非社長さんは、良い人っぽいですが、産業スパイは見て見ぬふりで済ましてますからね、スパイがバレた時に、無表情で「偶然だ」だそうです(笑)

 ちなみに中国は、リニアも新幹線も、全部スパイして、技術泥棒をして開発しています。日本の産業はもう盗まれまくりです。今回、アメリカが立ち上がらなかったら、日本の産業は壊滅してもおかしくなかったというのが現状です。

 私も日本を愛する人間ですから、結構悩みました。敵味方はないとはいっても、中国みたいに、侵略する気満々な国が日本を民族浄化してきたらどうしたらいんだろう…って。

 そんな敵意剥き出しの存在も、全て許して愛してあげるって、果たして出来るのだろうかって……果たして私に悪のような中国を100%の愛で愛せるんだろうか…って。

 実際、ちょっと前まで、中国無双でしたからね。考えるのも何だか辛くて、
 もう∩(´・ω・`)つ―*'``*:.。. .。.:*・゜゚・* もうどうにでもな〜れ…って思ってましたし(笑)。天上界の皆様も放置されているんでしたら、私が考えても、もうどうしようもないよね…っていう。

 ですが、トランプ大統領が世界の救世主として突如現れてくれたお蔭で、世界がまさに…ギリギリセーフで救われてしまったという訳であります。もちろん、日本民族が滅ぼされずに済んだ訳ですから、私としてもほっと胸をなでおろした次第です。

 今回の悟りを語るには、どうしてもこの件が複雑に絡んでいる関係で、珍しく政治の話を書いております。

 何も知らない内は、中国って安く買える国で、Amazon様で安く中国の業者から購入したりして、何となく好印象を持つぐらいでしたが、

ネットで中国のあまりの非道っぷり、無法っぷりを知れば知るほど、中国という国を手放しで愛せなくなる自分になってしまったのでした。

 それから、どうしても中国関連の事を穿った目線で捉えるようになってしまいました。それで中国に悪い事があっても、自業自得じゃないの…って、それで世界が救われるんだしいいんじゃないの…って、絶対愛から離れてしまったのです。

 中国が散々行ってきた悪行のカルマが跳ね返って、国がサンドバッグフルボッコ状態を見て、さすがに○○あみろ、とまでは思いませんが、まあ自業自得よね…と、愛のない見方をしてしまったのでした。

 そんな中、中国で野菜の値段が高騰しているニュースをみて、苦しむのも自業自得と責める思いを持ってしまったのが原因で、後々、私の心の中で何回も響いて大いに苦しむ事になりました。

  本来でしたら、慈悲と愛で見なければいけなかったのですが…‥お恥ずかしい限りです。その間違った思いの波動がしばらくして私に跳ね返ってきたのです。

 いつも絶好調だった意識状態が、責める想いが心の中で反射して、山びこの様に反射して、苦しくてしょうがない状態になりました。ここまで苦しいのは本当に久しぶりでした。

 愛から離れることがこんなに苦しいのかと…、人を攻めるという事がどれだけいけない事なのかと理解させるような、胸を締め付けられるような痛みを感じました。

 初めに、神様に中国の一般庶民の方に対して、自業自得だと責める思いになって、神の愛から離れてしまった事を神に心の底から、涙を流しながら反省したのでした。

 するとどうでしょう。私の頭上にピカーッと光る愛の光を感じまして、それから私の心の中で、反復していた責める思いがやっと止んだのです。これで何とか地獄の状態からは何とか脱出出来ました。偉大なる神の御業に心から感謝致しました。

「悩み苦しみは魂の促進剤」という知花先生の教えが今回この苦しさを乗り越えるのに大いに助け舟となった事をここに述べ伝えておきます。知花先生に心から感謝申し上げます。

 私が日々安らぎと平安なのは、神の御業あればこそなんだと、改めて再認識すると共に、より神への深い愛と感謝を忘れない様に生きようと決意したのでした。

 ですが、それでもまだ完全な状態ではなく、完全な愛の状態に戻るためには、どうしても悪逆非道な国でも、100%の愛で愛さなくてはならないのだと、ふと気づかせていただいたのです。

 そのような何万回転生しても許されないような罪を犯している存在でさえも、無限の許しで包んであげて、無条件の愛で愛してあげなければならないのだと……。
 
 これは守護の神霊の後押しの気づきだと何となく分かりました。
日々洗心に勤しんでおいて本当に助かりました。洗心を習得していると、守護の神霊のアドバイスがスムーズに入るので、大変お役に立ちます。

洗心習得はこういった時にも役立ちますので、大変お勧めしたいです♪

 この苦しさを乗り越えるためには、どうしても完全な愛を習得しなくてはならないと気づき、悪の様な現れ(中国)をどうしたら愛せるのか、徹底的に追求してゆきました。

 日本を愛するよりも、自分身の安全よりも、所属する組織という分離意識……日本人としての意識でさえも…捨てるしかない……滅私…私を滅する、私という自我意識を捨てるしか、中国という国を、愛せないという結論に達したのです。

 愛国心と、敵味方の分離意識の克服に、葛藤されている方もいらっしゃるでしょうから、私の体験をぜひご参考にして頂ければ幸いで御座います。

 滅私‥私という分離感を克服して、すべてを愛する我、全てを平等に100%愛する我、一切の区別も差別もしない…どんな存在にも常に出し尽くす100%の愛でありたい……と全身全霊で願い……

全てを愛するために滅私……自分を捨てますと、心から神に祈ったのでした。

 滅私…私というものを捨てきる、神の化身としての自覚、神の御心が全てを愛する我なら、神の化身としての自分も、神の御心の如く、全てを愛する我でありたい、
 たとえこの身が滅びようとも、神の御心の様に生きたい…全てのすべてを愛し尽くそうと…そう願い祈ったのです。

 その祈りの瞬間、私の心の内に、宇宙の姿が見えたのです。
それから、今までの100%どころか、今までに体験したことのない、心に思い(雑念)がたまらない、心が空になったような、心がより光に満ち溢れている……愛に満ち溢れた清々しい境地に到達したのであります。

 もう私と神とをさえぎるものは何もない…そんな心境と言いましょうか…内なる神の無限の光り輝く愛が、猛烈な勢いでハートから輝きだしている…そんな感覚を感じております。浄化力が今までに体験したことのないレベルの境地です。

 「愛は天と地の架け橋」…イエス様の御言葉ですが、まさにこの通りだったのです。
 全ての全てを100%の愛で愛し尽くした時、ついに…神(天)と表現体である私(地)が、愛という光の架け橋で繋がる事が出来たのであります。

 心に雑念がたまらない程度が、今まででもかなりのモノでしたが、現在では、さらに光の水圧が大幅アップといった感じで、那智の滝が、ナイアガラの滝になったみたいな(笑)、流石にそれは大げさかもしれませんが……。

 私自身、この変化に大いに驚きました。この「心が空・雑念が溜まらない」状態は、知花先生のお弟子さんであられる大村さんの体験談に似ていたからです。


大村さんの体験談から抜粋ですが……♪

 それ以来、私の意識、私の心というものが、完全に「空」という状態になったのです。

心の中に雑念というものが溜まらないのです。
自分の中に無限という「全くの空間」とでもいいますか、常にそれが内在するようになり……


 現在では、「我神なり」「我、慈悲と愛なり」と心から力強く断言出来ます。全ての存在を平等に100%愛しているからです。
 この境地に到達して、初めて、我神なり、の意味が理解できた気がしました。今までの理解はまだ浅かったのね…と。

 ついに、ついに…自分が納得できるレベルで、やっと100%、全ての存在を愛する慈悲と愛が出来るようになりました♪

 慈悲と愛…それが神の御心だと深く理解して、真理の理解を自分にフィードバック(改善して体得)していって、自分の意識の進化(慈悲と愛)につなげていく作業は必要なのかな…と、今回の体験から学ばせて頂きました。

 「我神なり」…とは、言い換えれば、「我、慈悲と愛なり」、とも言えるわけです。「慈悲と愛」は「神の御心そのもの」だからです。

「慈悲と愛」を完結にご説明申し上げますと、上江洲義秀先生の、

『 全体の幸せ・全体の幸福・全体の喜びを 願う心 』
『 すべてのものから、悩みや・苦しみ・悲しみが 取り除かれますように』
『 すべての幸せ・すべての喜び・すべての幸福を 願う心 』

『どんなに、都合良かろうが、都合悪かろうが…
その人を、「愛し生きる心・いたわり思いやる心」』

という意味に集約されてまいります。

 つまり、どんな存在に対しても、常に出し惜しみしない無限の愛で、上記の様な「慈悲と愛」がにじみ出るようになってこそ、神の化身としての自分を全うしているという訳なのです。

簡潔に申し上げますと、下の内容でご説明できます。

慈悲…全てを慈しむ心、許して愛して幸せを祈ってあげれる意識状態


 最新の悟り覚醒体験を記載してみましたが、いかがだったでしょうか。

 今回の米中貿易の戦いは、アメリカが完勝するのは間違いないと言われております。日本は何の心配もしなくてよさそうです。世界の平和と秩序は守られました。アメリカさん有難うございましたm(_ _)m♪

 誤解のないように付け加えますと、中国が、著作権を守って、侵略欲をなくして、平和な中国になって、中国が水がめ座の時代にふさわしい平和国家となって、中国全体が幸せになってほしいと思っております。

 私は神様に、自分の悟りのレベルが成長しましたら、その知識を人類に出し尽くします、出し惜しみは致しません、と神様と約束しております。今回も、その覚悟において記載させて頂きました。

 人類の魂の覚醒に役立つ事こそが最も有意義で価値がある事だと理解しているからこそ、ボランディアでこのブログもさせて頂いている訳ですし。

 神様と繋がる鍵は、真理の深い理解と、全ての存在を平等に愛する境地に到達する事、「愛は天と地の架け橋」、その愛とは全てを平等に100%、

無差別の愛で愛する愛、その愛を体現するためにどうしても必要なのは、「滅私」だという事、これを理解する事が非常に重要かもしれません。

 悪人まで平等に愛するなんてそんな理不尽だ…という方々のお気持ちもよく理解できます。でも、絶対に出来るはずです。

 私という克服者が、細かい部分まで克服法を記載していますから(笑)絶対大丈夫♪愛で全てを克服する人間、それが「克服者キリスト」です♪

 ライオンに追い込まれた崖っぷちの状態だと意識して、100%の愛で慈悲と愛を発揮する以外に生き残る道はないのだと、自覚して、命がけの覚悟で愛に生きるんだと、強く言い聞かせて下さい。

 愛以外に覚醒への道はないのだと、神と繋がる唯一の方法は「愛のみ」なのだと、愛ほど尊いものはないのだと、この世界を超越する唯一の方法は、「慈悲と愛」なのだと、強く言い聞かせて欲しいのです。

 神はすべてを超越する力であり無限者であられます。なぜすべてを超越する力なのかと申し上げますと、それは神の御心が「慈悲と愛」だからなのです。愛はフォースです。愛こそが全てのエネルギーなのです。

 神の御心は「全てを活かす愛」ですから、この無限宇宙は、この神の無償の愛によって成り立っている…という事は、この物質宇宙は、神の愛によって生かされているのであり、存在しているとも言えましょう。

 私って…ひょっとすると…このままいけば、完全覚醒までいけちゃいそうですね(笑)より一層覚醒へ向かって、真剣に取り組んでまいりいます。

 ただ、もう少し「感情の制御」「分離意識の克服の基礎」の部分をしっかり習得しないと、この境地の到達は難しいかもしれません。また次の機会に記載する予定でおります。乞うご期待下さいませ。

 ぜひ、私の体験をご参考にして頂いて、皆様も、私と同じ境地まで到達されますよう、心からご祈念申し上げます。゚゚゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚



『 全体の幸せ・全体の幸福・全体の喜びを 願う心 』
これを、『愛心』・『慈悲心』 というんです。

慈悲の「悲」の心とは…
『 すべてのものから、悩みや・苦しみ・悲しみが 取り除かれます ように。』
これが、慈悲の「悲」の心。

慈悲の「慈」の心とは…
『 すべての幸せ・すべての喜び・すべての幸福を 願う心 』
これが、慈悲の「慈」の心。


どんなに、都合良かろうが、都合悪かろうが…
その人を、「愛し生きる心・いたわり思いやる心」を、
『 慈悲心・愛心 』というんです。


神我顕現への道から引用させて頂きました
知花敏彦さんの(多分)一番弟子と思われる
大村さんの神我一体への悟りを開いた体験記をご紹介させて頂きます♪
きっと皆様の悟りの良いお手本になれると思います♫〜♬
良かったらご参考にして下さいませ
ちなみに、記事に出てくる上江洲さんとは覚者上江洲義秀先生の事です。


大村さんの体験

清里での、別の研修会の時の体験を話してみます。
私と、上江洲さんと他に四人で清里に来ました。
五、六十名の方が集まって、あるペンションの貸し切りの二泊三日の日程で、講話と瞑想という内容でした。

二日目に、知花先生が講演をしながらバイブレーションを上げられました。
瞑想をしながらバイブレーションが上がっていき、在る女性がその強烈なバイブレーションの中で、ある種の指導霊の光を見せられたのです。

ですが、そのことにその女性の意識がついていかないものですから、ちょっとした興奮状態になった。
そんな中で、皆はバイブレーションが上がってきているのに、私は上がれないのですね。

「なぜ、私だけが上がれないのか」
私は自分自身に問うたのです。

「私(神)に祈る前に、全てのものと和解してから祈りなさい」
私の内側からその言葉が出てきたのです。
その時の私には、以前から一人だけ違和感のある人がいました。でも、その人との違和感をなくす方法が、それまでわからなかったのです。

 ですが、この言葉が出てきてから、瞑想の中で一人ひとりをビジョン化しながら「愛の放射」を行っていったのです。七番目か八番目に、その男性が出てきました。
 その時もまだその人に違和感があったのですが、それでも私は心を改めて「愛の放射」をしたのです。

 その瞬間です。
私の中に強烈なバイブレーションが起きて、もう肉体が爆発するのではないか、と思われるほどの、強烈な振動の中に置かれたのでした。

 テーブルを囲んで振動をおさえていましたが、肉体のレベルまでエネルギーが充満しました。私はその時が初めての体験でしたので、掴んだテーブルまでも揺り動かしているのです。

 このままでは肉体が爆発するのではないかと、自分ではこのエネルギーをどうすることも出来なかったのです。
知花先生が講話の途中で「皆でオームを唱えましょう」と言われ、オームを唱えてくれました。
私も一緒にオームを唱えようとしました。
でも、どうしても声が出ないのです。

 先生が三度唱えられた時、私はようやく声を出すことが出来ました。
瞑想の中で「オーム」と唱えているのです。

そのオームの声で物質的なバイブレーションを上げることが出来たのですが、その声に唱えた声は、自分でも聞いたことのない極端な高い声(ハイオクターブの、まるでハイソプラノ歌手のような声)で、オームのバイブレーションが出てきたのです。
 
 それを唱えることによって、私自身に充満していたエネルギーが表現されて、外に流れ出ていったのです。
高いバイブレーションになればなるほど、1点の曇りもあってはいけないということでした。

私の場合は先程も話しましたように、私自身が「神一元瞑想」に集中している状態でなければ、なかなか言葉も出てこないのです。

 対面した人に対して、個人的レベルでもそうでしょうし、瞑想の話もそうでしょうし、自分自身がある一定上のバイブレーションにならないかぎり、言葉が出てこないのです。

 これまでに学ばせてもらったのは、相手と話をする時、相手の形態とか心の状態をみるのではなく「常に相手の神我を見る」ということ。

 その中からお互いの答えが出てくるように思います。
だから、相手の根源との一体という意識、この私がどこまで集中出来るかということです。

その状態から「お互いよい答えを求め合う」、そいういうものを求めるとそれが出てくる感じなのです。

その現象の中の、問題の部分だけに意識を向けるのではなく、一度無限意識の中に入り一体となった状態で、小極というか、形を意識するといいますか、そうすれば無限の中から、対極の中から見ていますから、「それが何であるか」を即座に知ることが出来るのです。
 
 直接問題点の「小極」に意識を向けるのではなく、いったん、太極の上に立って小極を見つめてみる。

そうすると、バイブレーションの高いところから見ていますから、表現界の知識とか理屈ではなくて、太極に立つことによって「物事がよく理解できるようになる」「正しい判断ができるようになる」ということを教えられました。

 物事に意識を、頭を突っ込むのではなく、一旦、無限という意識と一体化するということを通じてのみ、小極を見つめてみるということです。

 沖縄の研究所に泊まり込んでいた時期のことです。
他の場所での伝導瞑想の集いを終え、夜の十二時す過ぎに戻ったのですが、その日は二時頃床に入りました。

「愛一元」を、四六時中意識していた時でした。
眠りについた時、突然、私のハートにものすごい大砲が打ち込まれたのです。
それが私のハートの中で、強烈に爆発しました。
びっくりして飛び起きたのですが、ハートチャクラの痛みに耐え切れず、七転八倒して研究所の中を転がりまわっていました。

 やがて痛みが消えると、私のハートがしっかりと開いているのです。
その時の一つの刺激というか、エネルギーによってハートのチャクラが開かれたとでもいうのでしょうか。

それ以来、私の意識、私の心というものが、完全に「空」という状態になったのです。

心の中に雑念というものが溜まらないのです。
自分の中に無限という「全くの空間」とでもいいますか、常にそれが内在するようになり、それ以来、先生の説法をより深く素直に吸収する事が出来るようになったのです。

 その後、しばらくしてから瞑想の最中に、額がものすごく痛くなってきました。
これは額のチャクラが刺激を受けているのです。
私はわたしなりに「神一元」という世界を、思いっきり意識してみました。

そうすると、痛みはなくなり額のチャクラが開かれていったのです。
その時、上江洲さんに額を霊視してもらいましたが、「こんな綺麗に眉間のチャクラが輝いているのをみたことがない」と言ってもらいました。

 知花先生にお会いできてからというもの、私は非常に短期間で全ての意識を外し、その神理に集中し、それを「神一元」という形で強く求めてきたのです。その結果、それはどのようにいい表したらいいでしょうか。かなり肉体の変化が短期間に現れたのです。

そして、私が色々な現象と遭遇する中で、私のハートの中に、いかに神が着座しているかどうかを、自分なりに確認したいと思ったのです。

 ですから「寝ても覚めても神意識」という、先生の講話の中の教えが理解できましたので、常に、自分の意識が「神」の方向に向いているかどうか、自分で自分自身を注目していました。

「寝ても覚めても神」
「夢の中でも神」
宇宙意識を着座させるということです。

眠っていても、夜中に目が覚めます。
その瞬間(何を意識しているか)、常に自分は「神一元」を意識しているかどうかと、意識をチェックしたのです。
そのチェックをどんどん行っていきました。

 その後三日間、四六時中「我は神なり」を唱えさせれた事がありました。3日の間、それを続けさせれたのです。
そして、三日目で、二段階も三段階も、強烈に意識が上がる状態が起きました。

「すべてが神」という、あれもこれもすべてが神というものを見つめる状態が、三日目になって、バイブレーションが二段階も三段階も上がったということなのです。

 私は、先生の事務所に寝泊まりするという、その環境に大変恵まれておりましたので、先生の神理の教えを学ぶことに対して、世俗的な影響を受けることはありませんでした。

 先生が講話をされている時、「あなたは一番恵まれていました」と私にそう言われたことがありました。

私は非常に貧乏で、お金もなく、身体も病んでいまして、肉体的に考えると「なぜ、そんな大村が恵まれているのか」という思いが周りの皆さんにあったようですが、私自身は自分が恵まれていることに感謝していましたしそれについてはある程度は理解する事が出来ていました。

お金とか物とかは一切ありませんでしたので、それらに捕らわれることもなく、全くの自分の時間を与えられていましたので、先生とお会いしてからというものは、真理の追求に入っていけるその恵みが、私には与えられていたのです。

 お互いに瞑想していく中で、「瞑想を通じて理解を高め表現する」ということを教わりました。

今日も、こういった過去の体験の話をする中で、その体験を過去の思い出という状態で語っていまいますと、「天の知恵」を、単なる知識として記憶してしまうのではないかと、そのように思っています。

 言葉はバイブレーションであり、意識もバイブレーションですから、意識を一元意識から外さず表現していけば、そのバイブレーションが言葉を通じて表現されていくると思います。

 そして、これが文章化され本として出版された時も、この魂の奥底のものを世の中の人に読んで頂き、きっとご理解頂けるのではないかと思っています。

宇宙創造の神が勧める霊性を高める方法 洗心

いつももつべき正しい心(=常の心)
強く     明るく
正しく    我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ

心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)

憎しみ  不満
妬み   疑い
猜み   迷い
羨み   心配心
呪い   咎めの心
怒り   いらいらする心
不平   せかせかする心


■四句御箴言(しくごしんげん)

与えられたことを感謝して受けよ
与えられぬことを感謝して受けよ

与えられたことを拒むこれ欲なり
与えられぬことを欲するこれ欲なり


知花敏彦先生の総まとめ記事 第1回目

知花敏彦先生の総まとめ記事 第2回目

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

知花敏彦先生の記事総まとめ1/3♪
から一部引用させて頂きました



無我の境地とは何か

 無我とは何かについて語りたいと思います。無我とは自分がないという意味です。本来の自分は存在していないのですが、私達は自分が存在していると感じて生きてるわけです。
 
 しかし、本来の自分はありません。自分があるならば、自分に負けていますので、自負となります。自負とは自らに負けているという意味です。本来の自分はありません。

 悟った方である、覚者の方々は自分は存在していないことを知っていますから、無我の境地になれます。では、自分がなくて何であるかといいますと、神がおわします。即ち、神一元です。大霊という神が、大生命という神が、全ての形体を作って全ての中に宿っています

 我々は形体は大霊が創って、大霊が宿っています。ですから自分は即大霊ですから、自分があるのではありません。
 その大霊とは神です。「人間即大霊」「人間即神」です。人間とは人間の姿を取った神です。人間と神とは一つです

 そうなりますと、神のみが独存するということで、神の他には絶対に何もないことが分かります。これを何かといいますと、全(また)き神といいます。またき神とは全ては神という意味です


「神は全ての全て、ありてあらゆるもの」

イエス様は、「神は全ての全て、ありてあらゆるもの」とい言われました。我々の肉の目で見ているすべての形体の実体はみな神でありまして、草花の中にも神が宿っているし、砂浜の砂一粒にも神が宿っています。
そして、神のものであるとは、神の他には絶対に何もないということです

 私にもいて神もいるとはいえません。そのようにいう人ならば、その人は迷いの真っ最中です。
 大霊のみが実在しています。神のみが実在しています。大霊のことを皆さん方は大神様といいます。大霊と大神様はイコールです。即ち神霊です。大霊即大神様です。

我は神なりの意味

自分即神です。ですから「我は神なり」であって、「我は人間なり」ではありません。人間の実体は神です。私達は仮相に目がくらんで、その見えるものの実相・実体を見ていません。全ては神によってなれりです

 その神がすべての形体をお作りになり、すべての形体に神が宿っていますので、神の他には絶対に何もありません。ですから神が絶対者であり、絶対神です。
 
 神一元という意味は、神の他には何もないといえます。これが理解出来た時に、神の自覚となります。神の自覚とは、自らが神だと悟ったという意味です。迷った人のみに人間はあるのであって、悟った時には人間は存在しません。

 人間は実在ではありません。神のみが実在です。あなたの肉体はあなたがお作りになったのです。あなたは神です。


目隠しされていたものが落ちることを、目から鱗が落ちたという

 神の他には何もないのに、私達は形に目がくらまされているのです。目隠しされてしまって、本質的なものを見失わされていました。形で目隠しされていました。

 その見えるもので目隠しされていたものが、落ちること目から鱗が落ちたと言います。それを真実を観たといいまして、実相を観たという意味です。宇宙に遍満する大霊が、普遍的なものが、その個人、個人の全部の中に普遍が宿っているわけです。

 大霊の中に人間がいて、人間の中に大霊が宿っています。全ての万生万物は大霊の中にどとまり、大霊は万物の中にとどまっています。

 その大霊の中においての個人の存在ですから、私達は大霊の中におり、大霊は私達の中にいることになります。形の実体はみな大霊であり、神であるといえるわけです

霊道が開かれた人
 
 霊一元・神一元とは、神の他に絶対に何もないという悟りを得た者、自分、自らが神であることを悟った者は、神の自覚の出来た人といえます。人間は形の世界で生きていますので、どうしても自分を神だと認めるわけにはいかないようです。
 
 あなた方は神信者を見たことがありますか。世の中には沢山の神信者がおりますが、ほとんどの方々は神信者ではありません。
 神信者とは神を受け入れた人のことで、入信状態とは、自分は神の中におり、神は自分の中にいるという状態をいいます。

 自らが神であることを悟られた人間は入信状態です。霊道の開かれた状態です。自分と大霊とが一体であるという境地になった人は霊道の開かれた人です。
 
 ですから、あなた方は今から大霊になるのではなく、初めから神であったし、今も神であるし、未来永劫神です。その他の何者でもありません。その他の何者であるか、考えることを迷妄というわけです。


「神がおわすが故に私はおわすのである」

 イエス様は、「神おわすが故に私がおわすのである」と言われました。神がいなかったら、あなたはおりますか。かみはまたき神ということですから、神は全ての全て、ありとあらゆるものです。

 ですから、我々がこの肉で見ているものは、神の化身です。すなわち、人間一人一人はみな神の化身であって、他の何者でもありません。
 
 ですから、「人間は何か」と言われた時は、「人間の形をとった神」と言って下さい。

 動物とは、動物の形をとった神です。動物をお作りになったのも大霊で、動物の中に生きて働いているのです。唯一不二の大霊、唯一不二の神しかおりません。

 宇宙に霊はいくつありますか。ひとつしかありません。神霊・大霊・神の他は何もありません。この肉体をつくったのも神であり、肉の中に神が宿っていることを知っていて、大霊が肉体を作って、大霊が肉の中に宿っていると自覚の出来た人は精霊の下った人です


あなたは宇宙に遍満する普遍的大霊である

仏教から言えば、霊道の開かれた人という意味で、霊との繋がりの出来た人です。すなわち神との繋がりが出来た人という意味です。それをあなたが認めた時、神が皆さんを通して働きたもうのです。

 なぜ、神が皆さんを通して動かないかといいますと、あなたが神と自分は別だと分離感を持っているからです。

 あなた方は宇宙に遍満する普遍的大霊です。「我は普遍にして無限」です。無限は宇宙大ですから、宇宙我です。そして普遍ですから普遍我です。大霊は普遍的大霊ですから普遍我となるわけです。

 あなたは大きい存在です。普遍的存在です。自分が普遍であるという自覚の出来ている人を、普遍意識といいます。大霊は宇宙霊ですから宇宙大です。宇宙我になります。

 そうなりますと、宇宙我、宇宙即我、我即宇宙となるわけです。ですからお釈迦様は宇宙即我という境地に到達されまして、全てが大霊であることを悟られて、不滅の仏陀、不滅の霊となられました。

神は一様(ひとさま)です。神々が様々な表現をしているだけです。我々は表現を見て、表現者を見なかったのです。即ち神理を見なかったと、神を見なかったことになります。
 この、神理を見なくて現象にとりつかれている人間を、盲目の指導者といいます。


「汝、嘘つくなかれ」「汝、盗むなかれ」

イエス様は「神は全ての全て、ありとあらゆるもの」と言われました。神は万物の親、万物の作り主です。

 万生万物を神が作って、万生万物の中に神が宿っているわけですから、世の中に神の他に何があるのでしょうか。この世の中に神を宿していないものが一物としてあるのかと言いたいのです。

 ですから、神こそ我々の父といえます。この肉体は作られたものであり、大霊は作り主です。作られたものの中に、必ず作り主である大霊が生きて働いておられます。

 神のみが生きています。「神生きるがゆえに私は生きるのである」。ではあなたが働いているのですか、神が働いているのか、どちらですか。

 神のみが働いています。ですから、私が働いた、私がやったといって嘘をつかないで下さい。「汝、嘘つくなかれ」「汝、盗むなかれ」です。

 人間が人間を産むことはありません。神が人間の生みの親です。霊によらないで、神によらないでこの世に人間が生まれる事はありません。神は万物の親です。万物の作り主です。全存在の本源です


 皆さん方働いている。それを自分が働いていると思ったら大きな間違いです。働いているのは、あなたの中の神がお働きになっておられるのです。

 だから「神は偉大なる僕の方である。神は偉大なる働き手である。神は偉大なる農夫である」と聖書に訴えられているのです。

 働いておられるのは、活動しておられるのは神であって私達ではないのです。

 皆さん方の中に命という、あるいは御霊(みたま)という力が存在しなければ、皆さんはここに集まることは出来ないのです。

 ここに足を運んでこられたのも神のお蔭であって、あなた方のお蔭ではないのです。神がいなかったならば皆さん方はここに来る事が出来ないのです

 こうして皆さん方がいろいろと学びを得るために、ここに集まりましたのも神のお陰なのです。ですから全て感謝の念の中に私達は生きなくてはならないのです。

 そのことがわかりますと何をやっても無所得です。自らは無である(無我)ということが、自分の御業が無いということが分かって、働き手は全て神であられると分かった時、

神が私の中に生きておられるのだ。そして神が生きていればこそ御業が為し得るのだ。これは神の働きで神の御業なのだ

と悟ることが出来た時、皆さん方は無所得(無我の境地)となるのです。

 皆さん方がそういう気持ちを、本当に謙虚というものが何であるかということが分かるようになりますと、偉大な悟りに到達しているのです。


 あなた方の為している御業は、常に神が為している御業であるということが自覚できるようになりますと、そしてそこに自己限定がなくなりますと、

 偉大なる知恵と力があなたを通して、無限大の人間の想像を超えるような知恵と力が、皆さん方の肉体を通して働くようになるのです。

 これが「神我に生きる」ということです。あるいは「神我顕現」ということなのです。

神我というのは「神の我」あるいは「真の我」ということで、
私達は実相に於(おい)て神であった。命であった」ということが分かるのです。


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪


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