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塩江史跡案内板設置<三> 平成26年度ゆめづくり推進事業

しおのえの自然・歴史・文化の魅力を再認識して、後世へ継承していきたいと、塩江地区コミュニティ協議会により、地区内の歴史・文化・史跡を調査し、案内板の設置が行われました。
第三回目の紹介です。

旧安原中学校跡地
太平洋戦争後、教育制度の改革に伴い、昭和二十二年五月一日安原青年学校(安原小学校運動場北側)の校舎を仮校舎として開校、当時の生徒数は五学級に編成し百三十二名、職員は校長以下10名であった。
中学校教育には支障が多かったので、新校舎の建築が急がれ昭和二十五年十一月に新校舎が落成した。
校地全面積四千七百五十八平方メートル、校舎八百十八平方メートル、講堂百八十一平方メートル、工事費は三百五十七万円であった。現在も、校門等は残されており、当時を懐かしく偲ぶことができる。
昭和三十六年四月一日に統合し、塩江中学校が設立された。
しかし、新校舎完成まで旧安原中学校は第一教場として教育を続け、昭和三十八年四月一日統合中学が完成し歴史の幕を閉じた。    塩江町史より


                場所 マピオン緑の矢印のところ

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釿淵(ちょうなぶち)及び、嫁ヶ淵(よめがぶち)と姫石 伝説
この橋から下を見ると滝が見える。ここが釿淵と呼ばれているところである。
昔、若い大工が奥野から帰る途中、この滝に手斧を落としてしまった。そこで、その大工は、その手斧を手を使わずに無精して足で取ろうとしたしたところ、誤って滝の中に落ち込んでしまった。
また、一説では不思議な力で滝つぼの中に引きずりこまれたともいわれている。
ここから少し奥野方面に行ったところの淵を、嫁ヶ淵という。
昔、この淵で髪を洗っている美しい娘さんを見た若者がいたずらをしょうとして手を出した瞬間、娘は牙をむいた恐ろしい鬼に変わった。嫁ヶ淵の上に姫石があったが、おそらくこの娘は姫石の主だろうといわれている。今も嫁ヶ淵は人々に恐れられているが、この姫石は道路の拡張でなくなっている。
                                           塩江町史より

釿淵(ちょうなぶち)   場所 マピオン緑の矢印のところ
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嫁ヶ淵(よめがぶち)    場所 マピオン緑の矢印のところ
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奥野千本桜
奥野地域内にあって、沿道に植えられた吉野桜、また見渡す山一面に咲き乱れる山桜は千本桜にふさわしい光景であった。
塩江温泉鉄道が昭和四年十一月十二日に営業を開始した。それにより奥野の千本桜として宣伝され、春から初夏にかけて花見客や、新緑を楽しむ行楽客で当時は大いににぎわっていた。しかし、昭和十年ごろを頂点に、昭和十六年四月戦争激化のため軌道を資材として徴収され、ガソリンカーが全線廃止となった影響もあり、次第に花見客も減少したが昭和三十年頃まではにぎわいがあった。
今は当時の面影を感じることはできなくなったが、近年安原小学校卒業生がこの地区に桜の記念植樹をしている。
この安原小学校も平成二十七年三月に三小学校の統合により閉校される。
                                                          塩江町史より


             場所 マピオン緑の矢印のところ

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    奥野地域では桜が有名だったんですね。
    時代と共に変わっていったのは悲しい出来事ですよね。
    今でもこの地域には桜沢山見ることはできるのでしょうか? ナイス!

    Kittychan

    2015/4/14(火) 午後 5:26

    返信する
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    > Kittychanさん
    昔の桜はだいぶ枯れて少なくなりましたが、現在植樹されて少しづつ増えてきています。
    しかし、山桜は多く、関あたりから山を見るときれいですよ。(もう山桜は散って新緑に包まれています)

    [ 塩江つれづれ ]

    2015/4/15(水) 午前 4:32

    返信する

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