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離婚届に、お互いにサインをした。
僕は新居を確保し、順番に家具を搬入した。
離婚届は、僕が手元に保管した。
平日日中、市役所に持って行ける日がなかった。
「いつ、出すの?」
妻は物憂げな顔で、僕に尋ねた。
「近いうち、平日に行けるとき、あったら」
僕は答えた。
「そう…。ひとりでいいの?」
自分も仕事を休んで、一緒に行くつもりだろうか?
「書類出すだけだもん。離婚する夫婦が、雁首揃えて窓口に行く必要なんかない」
しょせん、紙切れ1枚なのだ、夫婦の関係は。
「なんか、悲しいわね…」
妻は、ため息をつく。
僕は、黙っている。
黙っていないと、攻撃的な口調になりそうだった。
☆
それでも、僕たちは、よく話すようになった。
別れると決めてから、話すようになるなんて、おかしな夫婦だ。
多くは、深夜、ふたりだけのリビングでだった。
ワインを、あるいは日本酒を、飲みながら話した。
別に世間話をするわけではない。
会話の内容は、これまでの二人の関係、これからのこと。
「お互いに、意固地になりすぎていたよね?」
「そうね、私は負けず嫌いだし、あなたは頑固だし」
「離婚届にサインしてもらうとき、お義母さんになんて言ったの?」
「私が悪いの、と言っただけで、察してくれたみたいで、それ以上聞かなかった」
「僕は、これでも、いい夫であろうと努力はしてきたんだよ」
「そうね、あなたは優しいいい夫だった、できすぎくらいに」
「でも、君には不満だったわけだね」
「私が愚かだったのよ、それだけ」
「もらった慰謝料は、全部、このマンションのローンの繰り上げ返済に充てたから」
「私は繰り上げ返済するお金、なくなっちゃった」君は自嘲気味に笑う。
「どう?なんとか、やっていけそうかい?」
「残っているローンとか、管理費とか、電話代とか…。新聞も止めようかしら」
「家を出るまでに、全部の名義変更はできないと思うけど、よろしく」
「本来は、私が出なきゃいけないのに…。ごめんなさい」
謝罪を口にして、そのあとに、妻は僕に尋ねる。
「お父さん、これから、どうするの?」
「どうするって…、別に?ひとりで暮らすよ、適当に」
僕は、そんな風に答えるしかない。
「私は…、私は、どうなるの…?」
妻は、顔をゆがめて、うつむく。
「どうなるのって、何も変わらないさ。ここで暮らす。夫がいなくなるだけだ」
僕は、突き放すようにしか答えられない。
「どうなるの…?、私は…」
妻は、自分の不安を、夫に向けて訴える。
僕は、少し苛々して、意地悪く答える。
「Mくんに、相談してみたら?」
夫に依存的に訴えていた妻は、虚を突かれたように真顔に戻り、答える。
「あの人は…、ダメよ…」
「Hにとっては、一番今、親密に相談に乗ってくれるべき人なんじゃないの?」
絶対にそうはなり得ない、と僕はわかっていながら、妻に話す。
「あの人は…、今はわたしと距離をとろうとしているから…」
あの人は、という言葉に、妻の未練と期待が入り混じっている。
「彼の慰謝料も、Hが立て替えて振り込みしたんでしょう?彼、払う気、あんの?」
たぶん、妻が立て替え払いするんだろうなとは、僕も思っていた。
「今は、ちょっと、すぐには用立てできないからって…。
でも、ちゃんと返済はしてくれることになってる…。約束したし…」
愚かだね…、約160万円の、そのお金は、絶対に戻ってこないよ…。
僕は、妻に言うべき言葉を、自分で飲み込んだ。
いつも、夫婦の会話の終わりは、僕が持ち出すMの名前だった。
Mの名前が出ると、妻の顔は真顔になり、奥歯を噛みしめていた。
【つづく】
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奥さんは生きていく力の弱い人なんだな〜。。負けず嫌いのわりに。。育ちがいいがためにへんな意地がなく育ってきたのね。
誰かに寄りかからないと一人で立っていられない人なのね。
これから息子君たちに過剰に寄りかからないといいけどね。りゅうちゃんの次は、優しい長男君へ感情の矛先が行っちゃうかもなぁ。
2011/8/25(木) 午前 9:49 [ MEME ]
しっかし、Mさんも、いい歳こいて、たかだか160万の金も用意できないなんてね〜。。ちっちゃいなぁ〜。。
2011/8/25(木) 午前 9:52 [ MEME ]
事が動くときの独特なココロの変動がまるで見えるかのよう。。。りゅうさんが飲み込んだコトバの重みも、いつか分かってくれるときがくるのかな?そのとき、奥様がはにかみながらも笑顔だといいな。。
2011/8/25(木) 午前 11:14