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結婚したら、新婚旅行。
離婚するんだから、離婚旅行。
そんな、単純な発想だった。
他人が聞いたら、馬鹿げているかも知れないが。
もう、僕と妻が離婚することは決まっている。
双方の署名した離婚届は、僕の手元にあった。
いつ、役所に届けを出すか。
離婚旅行が済んだらと、僕は勝手に決めていた。
☆
ふたりで車で、福島に向かった。
結婚前の独身時代、一回だけふたりで旅行した福島へ。
東北道には、あちこち亀裂が入り、震災の激しさを痛感した。
北に向うにつれて、ブルーシートの掛けられた民家が目立った。
僕が運転し、妻は助手席に座っている。
ふたりで並んで座り、車に乗ったのは約1年ぶりだった。
昨年末から、僕の座る場所には、いつもあの男がいた。
車のハンドルは、妻の体を弄んだあの男の指と手で握られていた。
妻は、あまりしゃべらない。
僕も、あまりしゃべらない。
妻は「CDかけていい?」と言い、ケミストリーのCDをセットする。
「いい歌なの。聞けば聞くほど、奥深いなぁって思う」
妻は、いつも寝室のベッドサイドで、ひとりで聞いていた。
僕が、その曲を聞くのは初めてだと思っている。
愛しすぎて〜♪…という聞きなれた曲が、耳に飛び込んでくる。
いつも妻が、深夜に男と電話でひそひそ話すとき、必ず流していた曲だ。
その曲は、盗聴したICレコーダーで何回も聞いていた。
レコーダーを再生して、耳を澄ませて、僕は妻の会話をパソコンで打っていた。
妻同様に、いやそれ以上に、僕はこの曲を聴いているかも知れない。
胸の奥に抑えつけている嫌悪感が、むくむくと湧き起ってくる。
妻は、そのことを知らない。
盗聴していた事実は、妻にも告げたが、曲のことまで話していない。
「この曲…、僕は、嫌いだ」
僕のひとことに、妻は「え?」と怪訝な顔を向ける。
「いつも聞いていたでしょう?Mと電話で話すとき」
「…?!!」
「Hにとっては、愛しい曲かも知れないけどね?
夫である僕にとっては、一番聞きたくない曲だ」
「……ごめんなさい、無神経で…」
妻は、CDを取り出そうとする。
「いいよ、そのままで。
もう聞きなれているから、大丈夫だ」
「……」
ケミストリーの曲が、ずっと車内で鳴り響く。
「Mとは、連絡とってるの?」
「……」
「別に、連絡とっていいんだよ、今後のこととか。
携帯で、時々電話してるんじゃないの?」
「メールはしてるけど、向こうからはかけてこない。
私が電話すると、出ないか、出てもすぐ切ろうとする」
「Mの慰謝料、Hが立て替えて払ったでしょう?
Mは払う気あんのかね?戻ってこないんじゃない?」
「払うとは言ってるけど…。
借用書までは、書いてもらってないけど」
「どちらでもいいけどね、僕は。
ただ、あいつが無罪放免のようになるのは、許しがたい」
「後悔はしてるし、あなたには申し訳ないと言ってる」
妻は、男を弁護する。
「どうすんの?これから?
君たちは、付き合い続けていけるのかな?」
「彼は、あまり私と会う気はないみたい…」
「君は、彼に会いたいんだね?」
「……」
妻は黙る。
僕は、いまだ残る疑問な点を、妻に尋ねる。
昔の携帯いじりの激しかった時のことや、メモに残されていたM以外の男のこと。
妻は「知らない」「そんなことない」「淋しい私の妄想世界」と否定する。
もう、妻の心の中では上書き記憶されて、データは残っていないらしい。
静かな声での、棘を含んだ言葉のやりとりが続く。
離婚する夫婦の会話だから、こんなものかも知れないが…。
☆
離婚旅行。
結婚生活にピリオドを打つ旅。
銀婚式目前の24年間。
人生の半分近くを、一緒に過ごした結婚生活。
もう少し、なんとかなったのかも知れない。
もしかしたら、添い遂げられたのかも知れない。
でも、お互いに、不器用だった。
お互いに、意地を張りあった。
コミュニケーションが不足していた。
身体接触が、本当に少なかった。
僕が、妻に求めていたもの。
妻が、僕に求めていたもの。
言葉はすれ違い、愛情は空振りに終わった。
数えきれない努力は、実を結ぶことはなかった。
それでも、今は、まだ夫婦だから…。
伝えなければならない、伝えたい言葉が、まだあるから…。
1泊2日の、離婚旅行。
僕たちは、24年間の生活に、上手にピリオドを打てるだろうか…。
(つづく)
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