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昨日の続きです。何故易行なのか?
これはまず行というものを理解しなければいけません。
ところで、私は30過ぎてから、仏門に入りました。別に実家がお寺というわけではありませんので、
何で?とよく理由を聞かれます。でもよく分かりません。
あえて言わしてもらえれば、俗には「行きがかり上」仏教的には「仏縁」があったと
言うことでしょうか。
つまり、自分の意思よりも、何か他の力によって引かれていたのです。
何のためにこの話をしたかというと、実は行も同じなのです。
行も自分の力で行うというよりも、何か別の力に導かれて行うものなのです。
ですから、傍から見るよりも大変ではありませんし、楽しく感じることさえあります。
法然上人も大変なことをしているという感じは無く、むしろ行を楽しんでいたのではないでしょうか?
そうでなければ、毎日6万回の念仏を続けることは出来ないのではないでしょうか。
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