弘法大師(空海)の秘宝を追え(別館)

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仏教

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女人禁制の話

仏教と「女人」(こういう書き方をすると
既に誤解されやすいですが)についてはいろいろ
誤解されていることが多いのでちょっと書きたいと思います。

まず「女人結界」については、現在残っているのが
女人結界だけなので、女性が差別されていると感じる方も
いるのではないかと思います。
ところが尼寺は男子が入ることが禁じられていましたので、
基本的には戒律上の問題です。

つまり、異性が修行の妨げになるということです。
現在でも真言宗では行中は異性とは接しません。

もう一つ女性が仏教で差別されているかどうかの問題があります。
確かに戒は僧が250戒に対し僧尼は348戒と多いですし、
女性は「五障」がある(梵天、帝釈天、仏などになれない)
といわれています。

このことを見ると確かに女性は差別されているように見えます。
ところが、日本ではあまり考えられていないことがあります。
それは輪廻の思想です。

つまり、人間は死んでも直ぐに(49日間)何かに生まれ変わる
という考え方です。
次に生まれ変わるのは必ずしも人間とは限りませんので、
仏教の不殺生戒(生き物を殺してはいけない)もこれに
由来していると言われています。

すなわち、男性として生まれてきているのは、前世までの行いに
よってたまたまそうなっているに過ぎないことになります。
女性についても他の生き物もそうです。
恐ろしく長い時間の中で考えた場合、今男か女かということは、
ほんの一瞬の出来事でしかありません。
ですから、女性差別とは考えられなかったのではないでしょうか?

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法然教団の行方

法然上人の弟子の中には不思議な最後を遂げた人がいます。
法力房蓮生は「口から光を放ち、異臭が漂い音楽が聞こえ
紫雲がたなびき」といった最後を遂げ

津戸三郎為守は早く阿弥陀仏が迎えにきてほしいと念仏を
唱えながら腹を切り内臓を切って捨てたが苦痛はなく
2ヶ月近く生きながらえた後に息絶えた。

これが事実とは考えがたいのですが、少なくともその当時は
これが事実と考えられる要素があった。
すなわち、法然教団はそのようなことが起きても不思議ではないと
思われる位の厳しい行をしていたのではないでしょうか。

しかし、それゆえにか、法然教団が弾圧されます。
この話について梅原氏の指摘によれば直接の原因とされる
安楽・住蓮事件については冤罪とのことです。

そして、その根底にあったのは「女犯と肉食」と
「選択念仏」の問題です。

「女犯と肉食」については、法然上人がそれを認めていたわけ
ではありませんが、法然教団につながる者の中に一部の
不心得もの(現在ではそういえなくなっていますが)
がいたようです。

法然上人はたとえそのようなものであっても、
極楽に往生できると考えて黙認していたのでしょう。
ところが、それが標的になったようです。

この話について「女犯と肉食」についてはどれ位重い罪か、
私にははっきり言ってよく分かりません。
しかし、現在でも大峰山のみ残る「女人結界」
(かつては日本の霊山のほとんどにありました)と
関係があることは確かです。

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法然上人の実像

法然上人は不思議な夢を見ています。

それは極楽の観想の夢です。つまり、法然上人は自らが否定した観仏を

完成させていたのです。

研究者の中にこの体験を否定する人がいるそうですが、

否定すべきものではありません。

法然上人は明らかに観仏にも通達していたのです。

それにもかかわらず、法然上人は念仏にこだわったのです。

また、法然上人は上西門院、後白河法皇、九条兼実といった

天皇・貴族に戒を授ける一方で庶民にも説法を行っています。

「一百四十五箇条問答」「にんにくや肉を食べても7日たったら仏事を

してもよいか」

とか「子供を生んで百日の間は神や仏にお参りするのを

はばかったほうがよいとおもわれますがどうですか」

などの素朴な疑問に丁寧に答えています。

これは現代の僧侶にとっても多いに参考になるもので、法然上人の

暖かい人柄がしのばれる僧侶のあるべき姿を示したものともいえます

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易行の道

昨日の続きです。何故易行なのか?

これはまず行というものを理解しなければいけません。

ところで、私は30過ぎてから、仏門に入りました。別に実家がお寺というわけではありませんので、

何で?とよく理由を聞かれます。でもよく分かりません。

あえて言わしてもらえれば、俗には「行きがかり上」仏教的には「仏縁」があったと

言うことでしょうか。

つまり、自分の意思よりも、何か他の力によって引かれていたのです。

何のためにこの話をしたかというと、実は行も同じなのです。

行も自分の力で行うというよりも、何か別の力に導かれて行うものなのです。

ですから、傍から見るよりも大変ではありませんし、楽しく感じることさえあります。

法然上人も大変なことをしているという感じは無く、むしろ行を楽しんでいたのではないでしょうか?

そうでなければ、毎日6万回の念仏を続けることは出来ないのではないでしょうか。

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法然上人と行

法然上人は比叡山で師である叡空上人と激しく対立した。

まずは戒体についての考え方である。

戒体というのは戒を授かった時、その授かった人の中に

生まれるもののことである。

後に浄土教団が破戒を理由にして弾圧されたことを考えると

かなり重要かとも思う。

さらに、問題であったのは観仏と念仏のことである。

現在では念仏といえば、「南無阿弥陀仏」と唱えることであるが、

当時はそうではなく「仏を念ずること」でありその中心は

「仏を観想すること」であった。

この「仏を観想すること」は大変な行である。

極楽浄土をありありと思い浮かべなければならない。

これは極めて難しいので口で南無阿弥陀仏と唱えるように法然上人は

主張したのである。

ところで、法然上人は比叡山を去ったあとどのような行をしていたか。

じつは毎日6万回、死期が近づいたら7万回の念仏というすざましい行を

していたのである。

いったいどれ位の時間がかかるのか。

私は虚空蔵菩薩の真言を毎日2万回唱える行をしたことがありますが、

それですら平均12時間位かかっています。

虚空蔵菩薩の真言のほうが念仏より長いことを割り引いても

これより短いとは思えません。

仏教書には法然上人は易行の道を開いたといわれていますが、

普通の人にとっては苦行とは思えても、とても易行とはいえないと

思われます。ところが、これは易行なのです。

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