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6月27日
童男山・犬尾城保存会から草刈りです。
九州オルレコース認定から、結構訪れて下さるお客様が増えてこんな看板が設置されてました。
ここは犬尾城の登り口です。
こんな藪の中を切ります。
だいたい切り終って一休み。
ここのお城は木造の山城(小屋みたいな簡単なものだったらしい)で、井戸の跡、城壁の跡など一切ありません。
本丸はこれより少し降りた土地に屋敷があったらしく、現在はきのこ工場となっています。
犬尾城は猫尾城の城主「黒木助能」の嫡男「河崎貞景」が建久2年(1191年)築城したものです。
なぜ嫡男(正妻の長男)なのに猫尾城を出なければならなかったのか?
猫尾城には黒木助能の正妻(春日の局)にまつわる悲話があります。
黒木助能は京都の後鳥羽天皇住居の警護する大番役で3年間出立しています。
助能は笛の名手で、ある日後鳥羽天皇から御殿に招かれ横笛を所望されました。
「これは名誉な事」と心をこめて笛を吹くと、帝も大層満足され「褒美をとらす」と、「調」という姓とひと振りの剣、「待宵小侍従」という美しい女性が下げ渡されました。
助能は任務を終え、喜び勇んで待宵を連れ国へ帰ります。
それを知らされた正妻の春日、嫉妬のあまり観音像を抱き、矢部川へ身を投げます。
その後を12人の侍女が次々と身を投げました。
これが猫尾城にまつわるお話。
しかしここでは違う話があります。
助能が待宵を連れて戻り1年後男の子が生まれ、この子を後継者に指名した為お家騒動になりました。
正妻は子供を連れ家を出て、犬尾城を築城したとのお話です。
身を投げる悲話と地元で伝えられているのは、お家騒動を隠す為?というお話も…
どちらが本当のお話なのでしょう?
だれか御存じの方教えて下さい。
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なんといっても人間のすること、
いろいろと人間臭い出来事が怒りますよね。
2015/7/2(木) 午後 3:10
春待ち草さんへ
本当に!
この猫尾城の悲話はその後にも沢山尾ひれがついています。
正妻「春日」が身を投げた矢部川は正に梅雨時、大洪水の日で、まるで川の水が龍が口を開けて怒りまくっている様子だったと。
助能は春日と12人の侍女達が次々と身を投げたのを悔み嘆き悲しみ、益々ひどくなる龍の口に帝からいただいた劔を投げ入れた所が「剱ヶ淵」と呼ばれる場所となっています。
春日が抱いて身を投げた観音像は、下流のあめがた屋さんが拾い上げ「川流れ観音」としてお祭りした所たいそうそのお店は繁盛した等です。
色々調べるとこれだから歴史は面白いですね。
2015/7/3(金) 午後 10:13