95歳ブログ「紫蘭の部屋」

2019年1月3日、馬齢を重ねて95歳となり、来訪者も51万名を越えました。老いの一徹であと少し頑張るつもりです。よろしく。。

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      (270)  コレラ菌を飲んだ男   「10月7日」

  戦前は法定伝染病が決められていて、伝染力が強くて死亡率が高い病気にかかると、義務的に届け出て「避病院」に隔離されて治療を受けねばなりませんでした。赤痢、腸チブス、ジフテリア、ペスト、日本脳炎など11種類でしたが、その中に「コレラ」も含まれていました。
 もともとコレラは古くからインドのガンジス河のデルタ地帯に発生したらしいですが、東西交通の発達につれて1817年以来、次第にアジア全域からヨーロッパにまで広がりました。このコレラ菌は1883年にコッホによって発見されました。

   〇 「コレラ菌を飲んだ男」  
 
 イメージ 1「R・コッホ」はゲッティング大学で医学を修めたのち、顕微鏡による病理研究に専念し、さまざまな伝染病は細菌の感染によることを力説しました。1882年には結核菌を発見、そのあとツベルクリンを発明して細菌学の権威として1905年には「ノーベル賞」を受賞しました。

 結核菌に続いて「コッホ」が分離に成功したのがコレラ菌です。彼は1883年にエジプトでコレラが流行したとき、その病原菌をつきとめたのです。

  ← ロベルト・コッホ
 

 ところが衛生学者の「マックス・フォン・ベッテンコーファー」は、病気の原因は環境汚染であり、公衆衛生の重要性を第一に考えていたので、コッホの細菌学説を心よしとせず、度々細菌学者と論争を繰り返し、細菌による感染などありえないと断言して、1892年10月7日に自分でコレラ菌を飲ん出みせたのです。

 イメージ 2コッホとの論争で次第に劣勢になっていたペッテンコッファーは、コレラ菌を飲んでも発症しないという証拠を示すことで、コッホの提唱したコレラ菌病因論を否定して自説の正しさを実証しようと試みたのでした。 

 実験は10月7日から行われ、「もし私の考えが間違っていてこの実験によって命を落としても自分は死を恐れない。なぜなら学問のために死ぬのだから」と高らかに宣言して、 コッホの目の前でコレラ菌を飲み干しました。
 その翌日にはペッテンコーファーには何の異常も現れなかったのですが、9日午後から下痢の症状があらわれ、13日まで水様便が続いた後に15日になって正常に戻りました。

 ↑ペッテンコッファー

 イメージ 3その後、ペッテンコーファーの弟子のルドルフ・エメリッヒが同じ様に自飲実験を志願して行い、今度はコレラによる脱水症状で危篤状態に陥ってその後一命だけはとりとめました。

  また、20世紀初頭にロシアの免疫学者「イリヤ・メチニコフ」が行った自飲実験ではペッテンコーファー同様に下痢をしただけでコレラは発症しませんでした。このように、同じ実験でもその結果がまちまちだつたので、コレラ病因論は対立するこの二説の間で明確な結論が出ないまま、再び紛糾することとなったのです。
   ←イリヤ・メチニコフ

 しかし、ペッテンコッファーのコレラ菌自飲行為は医学者として誠に無謀で、不名誉な所業でした。彼はこのことも手伝って翌1893年にはミュンヘン大学教授の職を辞し、さらにうつ病を発症して7年後の1901年2月9日にピストル自殺を遂げています。

 余談ですが、細菌を飲んだ男に「太宰治」がいます。彼は結核療養所の下水を飲んで結核に感染しようとしましたが、すでに体内に抗体があったのか、ついに結核になれませんでした。
 さて、幸か不幸か???

 ところで、コッホが1882年コレラ菌を発見する前に、日本でも幕末の安政年間にコレラが大流行しました。

     〇 「安政のコレラの話」

 1858年(安政五年)、長崎に≪トンコロリン≫という疫病が流行りました。コレラです。コレラはその前、1822年(文政五年)にも大流行して「三日参り」として恐れられていましたが、このコレラは忽ち日本全国に広がりました。6,7月には佐賀平野の広瀬村にも流行り始めました。
 当時の肥前「野口家日記」には次にような記述があります。

 イメージ 4・・・人々は恐れおののき、夫々に衣装を着けて、笛、鐘、太鼓を打ち鳴らし、花火を上げてコレラを追いだそうとしたとか。。そして佐賀市郊外の金立山の裏手に出る水を飲むとコレラから逃れられると、大勢が参詣したといいます。また、麝香,木香、甘草を調合して飲んだり、病除けに芋、南天、唐辛子の三つを鉢植えにして玄関に置いて居た家もあったそうです。・・・
                                                                        金立山 →

 当時の長州藩豊浦郡(今の下関市)の町医者「古谷道庵」の日記によると、人々は「この恐ろしい病気は異人たちが海中に毒を流したせいだ、と思っていたようです。 ・・・・

 「8月16日」 
長崎平戸にて近日,虎狼痢(ころり)大伝染、一日二百或いは三百、下関また死人おびただし、これ,夷人海中に毒を流し、魚類これを食して人に伝わる。
 「8月18日」
 二見村、往診して診る。吐瀉後衰弱大いに加わる。
 「9月11日」
 夜、村人鐘、太鼓を打ち鳴らし、ほら貝を吹き大念仏、一同来たりて曰く、「悪疫を払う」、妻、女中みなこれと共に行く。

 イメージ 57月に長崎に入港した米艦・ミシシッピー号の乗組員の中に、上海で感染したコレラ患者がいるという。漁夫の妻たちはコレラ除けの神符を貰い、八幡宮で悪疫退散を祈った。また、八幡、権現の二社の神輿をかついで村中を回り、大般若教を念唱したという。
     ← ミシシッピー号


 「道庵」は往診に明け暮れたが、諸薬功を奏さず,死者を見送るばかりだったという。・・・

 毎日、毎日トンコロリと次々に死んでいくので、科学の発達していない当時の人々のコレラに対する恐怖と恐慌ぶりが偲ばれますね。


     ・・・・・    ・・・・・

  *今日も快晴・・
 昨日、1日から5日間、佐賀市嘉瀬川河川敷では、例年通りインターナショナルバルーン大会(国際熱気球大会)が開かれています。
 世界各国から参加した101機の色とりどりのバルーンが、刈り入れの済んだ初冬の佐賀平野の青空をを明るく彩っています。今日はキッズデー、可愛い子供たちがバルーン近くに集まって歓声を揚げています。

イメージ 7    

 
イメージ 6

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