95歳ブログ「紫蘭の部屋」

2019年1月3日、馬齢を重ねて95歳となり、来訪者も51万名を越えました。老いの一徹であと少し頑張るつもりです。よろしく。。

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花だより「ホウの花」

      花だより 「ホウの花」

 今日は例のごとく、農協直売所「街かど畑」からイオンへの買い出し行事。
    郊外は、もうすっかり麦秋の風景が広がっています。

      麦の秋さもなき雨にぬれにけり      久保田万太郎


                           

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                      【葉も大きい華麗なホウの花】   


 
 朴(ホオ)の木は、日本・中国にに布するモクレン科の植物で、30センチ以上もある大きな葉が特徴です。
 古代はホウの葉に食べ物を盛ったり包んだりしたそうで、食べ物を「包む葉」の木という意味で「包の木」となったと言う説もあります。 昔の女の子は、この大きな葉で皿を作ってままごと遊びをしました。

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 大きな白い花は遠くからでもよく目立ちますが、20m近い高い木の上に、花も上を向いた皿状なので、下からではなかなかうまく撮れません。

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 花は香りが強く、花びらは9枚、わずかに黄色味を帯びた白い大きな花を開きます。 ホウの花ははじ雌めしべが開き、次の日に雄しべが開いて自家受粉を避けています。
自然の摂理ですね。

        朴(ホウ)の花なお青雲の志      川端茅舎 


 *朴(ほう)の木材は柔らかくて締まりがあるので、刀の鞘や版木、下駄の歯、マッチの軸木などに使われていますし、火にも強いので金庫の内側の板にも使われています。。

 昔の学生は太い鼻緒の「朴歯(ホウバ)の下駄」をはいて街中を闊歩したものです。
 若き日の司馬遼太郎が、コンクリートの学校の階段を下駄履きのまま下りていて、運悪く生徒監の教授にみつかりました。頬っぺたをなぐられて、自慢のあの黒ぶちめがねが落ちて、割れてしまったのを覚えています。
 
  私も柄にもなくバンカラ風に下駄履きで登校していました。
 下校時に、大阪の上町の台地から日本橋の方へ、長い石段をカランコロンと音をたてながら、降りて行った日々のことを今でも思いだします。

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  途中のお寺の境内に、谷崎潤一郎の「春琴抄」のヒロイン「お琴」の墓がひっそりと立っていました。

 あのころの朴歯の下駄の音が忘れられません。
 はるかむかし、奏でていた懐かしい青春の下駄の音です。  
  
     
   朴(ほう)散華 即ち知れぬ 行方かな    川端茅舎 



   *ヤフーブログもそろそろ散会ですね。
   みんなホウの花びらのように散りぢりばらばら・・行方知らずになってしまうんですね、
   人生の秋のようで、何だか名残り惜しい。。
 
                                                                                    ・・・・・・・

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                          花だより  「ヤマボウシ」

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  初夏の里山を歩いていると、よく「山ぼうし」の白い花に出会います。
というか、最近は街中でも公園や街路樹によくこの山ボウシの白い花が目につきます。

「ヤマボウシ」は九州から本州までの山地に自生している落葉高木で、高さ5〜10m。枝を横いっぱいに開いて花を咲かせいるので、下からはなかなか写真が撮れません。


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  白く大きな白い花は、実は総苞片で、ほんとの花は薄黄色のごく小さい花が真ん中にいっぱいついています。  ヤマボウシの名前は「山法師」という意味で、小さいつぼみを取り囲んだ白い総苞片を、法師の頭巾に見立てて名づけたのでしょう。
 ハナミズキと同じミズキ科の植物ですが、ハナミズキは花びら(実は総苞片)の先端がへこんでいますが、山ボウシのは先がとがっているので、見分けがつきます。


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 * アメーバーブログに引っ越しのつもりですが、ヤフーさんの準備がなかなか整いません。
  掲示板は、teacupに「昭和は遠くなりにけり」を立ち上げていますが、こちらでもしばらく、花だよりでもお送りしましょう。 ↑は今のところ才媛4人にとり囲まれて老兵はアップ、アップです。。(^_-)-☆


                                    しらん

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                                            (初夏の堀端)

 

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   五月九日から他ブログへの移行開始ののはずだったのに・・ 
   なんじゃこりゃ・・!?
   今生の名残に、無駄な鉄砲でもいま少し書いてみるか。。


    花だより  「花しょうぶ」

 
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 ハナショウブはあやめ科の多年草で、花が地味な「サトイモ科の菖蒲によく似ていて、美しい花をつけるので「花菖蒲」の名がついています。もともと山野に咲いている野花菖蒲を改良した日本特産の植物です。

 江戸時代の旗本「松平小金吾」が花しょうぶの改良、栽培に熱心で「菖翁」と言われていましたが、この株が熊本の細川公に所望されて「肥後菖蒲」になっています。また、三重県の花菖蒲も有名で、江戸系、肥後系、伊勢系に分かれて多くの品種が出来ました。

 
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                       紫のさほど濃からず花しょうぶ      久保田万太郎


            ・・・・・・

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           ///////                                           //////


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      (50) 端午の節句

 
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 今日は5月5日、五節句の一つ、端午の節句ですね。 それも令和初の節句です。めでたし、めでたし。。
 でも、最近の少子化の影響で、街中で鯉のぼりを見ることが少なくなりました。もちろんビルが乱立する都会では長尺の丸太を立てる場所も余裕もないだろうし、田舎でも毎朝立てたり下ろしたり出来る若者が少ないこんにちでは没法子、仕方がないでしょうね。。

  「こいのぼり」        https://youtu.be/N2u7gdbPieU

      やねよりたかい こいのぼり
      おおきいまごいは おとうさん
      ちいさいひごいは こどもたち
      おもしろそうに およいでる

 イメージ 1もともとこの「端午の節句」は古代中国ではこの日に汨羅(べきら)の河に身を投じた憂国の詩人「屈原」を弔い、遺体を魚に食べられないために「粽・ちまき」を魚に与えたことが始まりとされている。

 日本でも平安時代にこの風習が伝えられ、宮中でもこの節句の行事が行われるようになった。端午の節句には強壮解毒の作用がある菖蒲が邪気除けとして使われたので「菖蒲の節句」とも言われ、武家社会では武を尊ぶ「尚武・しょうぶ」にも通じる事から、この日を男の子のお祝いの日になった。

     ♪ 汨羅の淵に 波さわぎ
      巫山の雲は 乱れ飛ぶ
      混濁の世に 我立てば
      義憤に燃えて 血潮湧く
                                                           (屈原)
 
 
 昔は「かしら息子」が生まれて初めて迎える五月五日の「初節句」には、母親の実家や叔父や叔母たちがお祝いの幟旗を贈る風習があった。そこで端午の節句を「幟祝い」とも言い、初節句の幟を「初幟・はつのぼり」と言う。

 戦前の旧民法では長男が家督を相続して戸主になり、財産は殆ど独り占めする。親の方は老後をこの長男に見てもらうのだから、長男は「かかり息子」として、次男三男や女の子よりも格段に、大事に大事に育てる。だから長男のほかは、幟祝いも桃の節句もお祝いをして貰えない。せいぜい赤飯か紅白のお餅と大根のナマスを二段重箱に入れて配るだけである。

 配るのは子供に決まっていて、子供が紫色の袱紗(ふくさ)を掛けた重箱を隣近所に持って行くと、五銭とか十銭とか、なにがしかのお駄賃をその重箱に入れて返してくれる。だからひがんだ次男たちの間に「かしら息子」のことを「惣領の甚六」と言う陰口が生まれるのも当然の成り行きだろう。


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 端午の節句に幟(のぼり)を立てる風習は江戸時代に始まった。
昔は紙で作った紙幟に武者絵を描いて家の外に立てる「外幟・そとのぼり」が広く行われたが、その後、定紋をつけたり、鍾馗さんの絵も使われるようになった。これを小さくして家の中に飾るようにしたのを、「座敷幟」とか「内幟」と言う。
  武者絵の幟は今は布地になっているが、都市に多いのは「鯉幟」である。鯉のぼりも初めは紙製だったが、今は布製となり中にはビニール製もあるようだ。

 節句の幟は高さ22尺(約7m)もあり、幟竿は生の杉丸太である。
 幟は少ない家でも四、五本あり、多いところは10本ほどもあるので立てるのも一苦労である。よく八幡様などには、お祭りの時に立てる国家安穏、五穀豊穣などの幟のために、普段から石の支柱が建っているが、それと同じくらいの角材をしっかりと地面に打ち込んでおかねばならない。
 その幟は四月初めから立てるが、夜はいちいち仕舞わねばならないので、立てたり倒したりするのに、大人三人がかりである。まだ今のように竿の先端に滑車をつけて簡単に揚げ下ろしが出来るような時代ではなかったのである。

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                        (武者絵ののぼり旗)

 青空高く風にはためく幟は、武者絵が多い。勇ましく元気な子に育って貰いたい、との願いであろう。江戸時代から「鯉のぼり」は関東地方、「旗幟」は関西以西に限られていて、関東では「鯉幟、日本男子ここにあり」とか「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し」と言う俳句や川柳も作られたようだが、鯉のぼりなど見たこともない西国の人には、なかなかピンと来なかったのである。たが、戦後は全国的に鯉のぼりが普及し、これに矢車、吹き流しも加わるようになった。鯉は出世魚である。風をはらんで大空を泳ぐ鯉幟の姿はいかにも元気が良くて、まことに男の子の節句にふさわしい。

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「幟祝い」はよばれた親類一同の前で、紋付きはかま姿の坊やが床柱の前に座らされ、鯛の尾頭付きのご膳につくと、一門総出で目出度い謡曲とともに祝い酒を飲んで、惣領息子の無事息災と出世を祈るのである。
 それに引き換え、ほかの子供はせいぜいヨモギの草団子にありつけるだけで、遠方から駆け付けた親類の者たちが目出度い「端午の節句」と言いっているのが、「団子の節句」のように聞こえるだけである。(^^♪
                                    紫蘭

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令和元年・初日の出

 

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                            令和元年、あけましておめでとうございます。

  おかげさまで、紫蘭も大正、昭和、平成、令和と4時代を生きることになりました。
  これからもよろしくお願いいたします。


         あらたまの時代(とき)の始めの初日の出
         いや重け(しけ)吉事(よごと)と祈る朝かな

                                        紫蘭


  

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