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人生の展開は、 |
穏やかに生きたい
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ぱふぇです
ぱふぇは、いわゆるDVの家庭で育ち、
父が母を殴る蹴る・・・という光景を見ながら幼少期を過ごし
父を憎みながら人生を生きてきました。
穏やかに、平凡に暮らすことを願い
結婚し
二人の男の子の母親になりました。
子供たちは可愛く❤
すくすくと育ちましたが
( 次男に脳障害がある。事実をしりませんでした。 )
普通の子供にできる事が・・・できない。という
次男の異変に気づきはじめ、小学校時代は、
スパルタで勉強を強要し
虐待をしながら育ててしまいました。
平日は 毎日、塾。
かけもちの日もありました。
土日は、スポーツ
( あらゆるスポーツを できる限り体験させました )
その ご褒美にと、月に1度は
ディズニーランドや遊園地へ・・・
そして、中1の終業式の日に、
『 先天性の脳障害 (脳の一部がない) 』 という事が発覚。
普通の子。から 『 障害児 』 に・・・
一番疑っていた 私自身が
事実を受け止める事ができず。
2年ほど 心が泣き叫び続けました。
次男とは、ホントに。。。
『 一心同体 』 状態でした。
時間と手間とお金と愛情を、ひと一倍かけてきました。
そして
長男を愛している気持ちに変わりはなく
でも、長男は、いつも 『 愛 』 に飢えている子供でした。
次男は、私のスパルタのせい(おかげ?)で
知能指数が ギリギリ 標準に達してしまっていて
障害者としては扱ってもらえず
リハビリもなく。。。
『 普通の人 』 として生きていかなくてはいけません。
その次男は、ひと一倍勉強し
今は 『 警察官 』 を目指して
専門学校へ通っています。
私自身は・・・というと
自分の人生を35歳を過ぎた頃から
人生で 初めて 『 楽しい 』 と
感じる事ができるようになっていました。
『 うつ 』 になる前の
今年6月はじめ、興味本位でうけた
『 カラーセラピー 』 で
悩み事は・・・色々あるけれど・・・
悩み事はさておき!
一番・・・『 望んでいる事 』 は
次男の脳障害が 今 治る。という事でした
さすがに、それは現実的に無理なので
最終的には、次男が警察官になる。
警察官になれなくても。
普通に就職をし
悩みながらも穏やかに暮らしてくれたら
そして自分は、穏やかに 『 死 』 を迎える。
それが、ぱふぇの最終的な
夢・希望・奇跡・・・でした
( カラーセラピーによって導き出されたものです )
そして、可愛いわが子の、
夢の実現を 切に願っていた ぱふぇ
思い入れが強すぎるのかもしれない。
ぱふぇにとって 一番の夢。
大切な夢。
それが五大満足に産んであげられなかった
という負い目を背負った・・・
次男の夢。。。。。。。。。。。。
それが、ぱふぇにとって すべて。
といっても過言ではないのです
そんな今年の、6月24日。母からの電話。。
『 お兄ちゃん(私の兄)を殺すからねっ!!
もうどうなってもいいのよっ!!! 』
と叫びながら 切られた電話。。。
私にとっての事件が起きた。
その時の記事がこれ
↓ ぱふぇにとって、起きてはいけない事件だった
母が兄を殺す。。。という事より、
身内に犯罪者が出る
イコール 次男の夢が泡となって消える・・・
その日から眠る事ができず
食事がとれず
遺書を書き・・・
母と心中しようと思いつめました。
二日後の26日
長男から 「 嫁が浮気してたんだ!別れるっ! 」
と電話があり、
泥酔し 泣き叫んでいる長男宅にかけつけ
「サチコを殺すんだぁ〜〜〜っ!!!」
と暴れる大男をおさえつけ・・・
2時間、格闘・・・
なんとか長男をなだめ
岐路につき
家にたどりつき・・・
同じく。。。身内に犯罪者がでたら。。。
と・・・立て続けに起きた
この出来事によって
ぱふぇの心が、崩壊してしまった。
一生懸命生きてきた。。。
『 異常な家庭環境 』 を 克服しようともがき・・・
障害のある次男に、持てる力をすべて注ぎ・・・
でも。。。自分のような人間が、結婚すること自体
自分の存在自体が、
『 間違い 』
だったとしか思えず
『 死にたい 』 と・・・
そして
時間の経過とともに
落ち着きを取り戻しつつ
現在に至っています。
『 せっかくの人生 楽しんだもん勝ちっ! 』
『 怒ってても。泣いてても。笑ってても
同じ時間なら
笑ってた方が いいじゃんっ! 』
が モットーだった
元気なころの
ぱふぇに完全復活するために
日々・・・
努力はせず。。。 (◔‿ˇ◔。)プッ !
ヒョウヒョウと過ごす
そんな ぱふぇの日記です。
以上っ!
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