全体表示

[ リスト ]

[萬葉集楢の杣] (上田秋成、寛政十二年[1800])
やさしと云は已に云君を優美(やさし)みと云より來て、こゝは世は憂きものゝさてもやさしとも頼まるゝものとおもへども、老朽ては都にいかでなりのぼらばやと思ふも、鳥にしあらねば飛たちて行べきやうもなきぞと、帥の許又誰にもあれ、昇階を打たのむ人に見すべく、此問答歌はよみし歟、さらばやさしとは今も心のやさしき人ぞと頼まるゝ人を指て云也。 

[万葉集攷証] (岸田由豆流、文政十一年[1828])
宇之等夜佐之等 [ウシトヤサシト]
夜佐之 [ヤサシ] は恥しき意也。上「攷證此卷四丁」に出たり。

「攷證此卷四丁に出たり」とあるので、その歌を引く
先日「夜佐之」で調べた、大伴旅人の一首のことだが、この攷證では、次のように解説している

夜佐之 [ヤサシ] は、此卷〔卅觝〕に、世間乎宇之等夜佐之等於母倍杼母 [ヨノナカヲウシトヤサシトオモヘドモ] 云々ともありて、恥かしき意也。古今集誹諧歌に、〔よみ人しらず〕なにをして身のいたづらに老ぬらん、年の思はんことぞやさしき。竹取物語に、あまたの人の心ざし、おろかならざりしを、むなしくなして、きのふけん帝のたまはん事につかん、人ぎゝやさしといへば云々。源氏物語槇柱卷に、心わろくて、そひものし給はんも、人ぎゝやさしかるべし云々。枕草子に、けしきばみ、やさしがりて、しらずともいひ、きゝもいれで云々などあるも、同じ意也。一首の意は、この玉島の川のほとりに家はあれども、恥かしさに、先に問給ひしをりに、あらはさずありけりと也。(頭書、靈異記下卷訓釋に、「夜左斯」。) 

[万葉集古義] (鹿持雅澄、天保十三年[1842]成)
宇之等夜佐之等 [ウシトヤサシト] は、厭 [ウルサ] しと思ひ、耻 [ハヅカ] しと思へどもの意なり、

[口訳万葉集] (折口信夫、1916〜17年成)
この世界は、いやなものだと思ひ、又肩身の狹い恥しいものだと、思うてはゐますが、さて飛び立つて、餘處へも行つてしまふことが出來ないでゐます。鳥でございませんから。

ここで「狭い」と語を用いたのは、「とや・さし」とも併せて解釈したのだろうか

[万葉集新考] (井上通泰、大正4〜昭和2年成) 
略解に「ウシト思ヒハヅカシト思ヘドモといふ也」といへる如く

[万葉集全釈] (鴻巣盛広、昭和5〜10年成)
宇之等夜佐之等――ヤサシは恥かしいこと。八五四參照。(私注:前述大伴旅人一首)
〔評〕 ここに反歌とありさうなところであるが、何とも記してない。併しかういふ例は他にもあるから、特に理由があるのではあるまいと思はれる。この歌は反歌として見れば、極貧者の答の方についてゐるが、長歌ほどの深刻さがない。古義に次の老身重病經年辛苦及思兒等歌七首の中から、冨人能 [トミヒトノ] と麁妙能 [アラタヘノ] の二首を割いて、この歌の次に入れたのは、甚だしい獨斷である

確かに「古義」の配列には面食らったものだが、その意味を、もっと考えてみたい。

[万葉集総釈第三 森本治吉、新村出] (楽浪書院各巻分担、昭和10〜11年成)
耻(やさ)し はづかしい、の意。八五四に既出。

この歌の後記が、なかなか他ではみられないものなので、ここに書き出してみる
 【後記】
 この歌については、萬葉集全講會で曾て解説したことがある。その手控への内から左の文(私注:以下の文)を抄出しておく。
 この歌は文字通り貧に窮する即ち貧しくて困窮する事を中心として二人の人(貧者とより一層の貧者と)が問答する形に作つた歌である。それで題して「問答歌」と云ふのである。つまり貧を主題とした文芸と云ふ事が出来る。今日貧乏といふものの性質を問題にする事は大変意味が深い。日本の過去のいかなる時代よりも意味が深いと思ふ。何故かといへば、つまり」今日の人々の生活にとつて貧富と云ふ事が非常に重大であるからである。或る意味ではこの問題が今日程顕著になつた事は、日本史に無いとは云へぬか知れぬが極めて稀である。例へば戦国時代を考へると、秀吉は貧乏人からなり上つたが、彼は個人的な才能によつて浮び上つたと思うはれる。実は明治時代までは貧困もそれに似た様に考へられてゐて、貧乏はなまけるものにつき物の様に思はれてゐた。一面の真理はある。併し現代には貧乏をさう個人的に考へる人はいないだらう。だから今日に於て貧困の問題は実に重大である。昔は己の才能によつて上になる事が出来たが現代ではそれが出来ないと云ふ意味に於いて。一体貨幣は奈良朝以前に出来た。併し貨幣が社会を支配した所謂貨幣経済の時代は室町以後である。その前を土地経済時代、その前を奴隷経済時代と呼ぶ事が出来る。故に、この歌は土地経済時代の最初頃の作である。この時代の通貨は貨幣でなくて稻であつた。稻何束を以て布幾許かと取り代へると云ふ風のが当時の制度であつた。故に、稻を産する土地が、経済の中心となる。奴隷も残つてゐたが、経済の大体は既に土地であつた。(補説−この初期土地経済時代に、盛に私有の土地を兼併して、上は朝廷及び国家の収入を脅し、下は中流・下層の生活を窮迫せしめたのが、藤原氏以下の大氏族・大貴族であつた。故にこの作は、大氏族・大貴族の暴富に苦しんだ社会の所産と解せねばならぬ。さう云ふ社会を背景として生まれた文学と解せねばならぬ。さうでないと誤解を来す恐れがある。一例を云へば、末尾に里長のことが出てゐるから、此等貧民は為政者−その直接の執行者としての下級役員の類の為に、苦しんだと考へる錯覚に陥るが如き誤解を惹き起す。)
 さて、この「貧窮問答歌」は、問の部と答の部とに分かれるがその構成を考へると、此は憶良の独特の形である。普通の長歌も一段二段と意味が分かれてゐるのが多いが、其はそこで意味だけが切れるのである。この歌は特別の形で「汝が世は渡る」のところで、意味のみならず、形式に於いても切断してゐる。即ち、「・・・此の時は、如何にしつつか、汝が世は渡る」迄が問の部。以下が答の部であるが、その問部の最後は、五・七・七の形で終つてゐる。普通の長歌は、
 ・・・五・七・五・七(以上第一段)』 五・七・五・七・・・
の形で段落が切れるが、此の歌は、
 ・・・五・七・五・七・七(以上第一段)』 五・五・七・・・
の形で終つてゐる。萬葉の長歌は、五・七を重ねて来て、その最後を、五・七・七の形で結ぶのが慣であるから、この歌は、中途に於いて一ぺん終結してゐる。第一部問の部は問の部で独立した歌の如くに終結し、第二部答の部は改めて説き起こされてゐるのである。
 斯かる形の歌は、萬葉に他に四個ある。
 一つは、同じく憶良の巻五の第八首目の「父母を云々」の作(「汝が名告らさね」で一段落)。他は巻十三第七十五首の「うち日さつ」の歌(「通はすも吾子」迄)。巻十三第八十九首の「物思はず」の歌(「汝は如何に思ふや」迄)。巻十六第九十首の「琴酒を」の歌(「道に逢はぬかも」迄)。何れも作者不明の口誦的歌謡で記載文学ではない。記載文学や、著名歌人の作では、右の憶良の二首に同じく対話体の表現をとつた為であらうが、兎も角、憶良の技巧を伺ふに足る一證である。
 次に、この「貧窮問答歌」は憶良の歌の中でのみならず、日本の文学史上に於いて著名である。即ち、明治に入つては兎に角、徳川以前には貧乏を主題とした和歌はない。徳川時代木下幸文の貧窮百首も有名であるが、それはこれをまねたものである。それでこの歌の価値はどこにあるかといふ事は従来非常に論議された。賞める人はこんな材料を文芸に取り入れた事その事が既に偉大であるといふ。殊に五六年前の無産文芸が盛んな時にはこの歌は、吾が国家最初のプロレタリヤ文芸などと考へられて非常に注目された。これに対して純文芸家殊に歌人(例へば島木赤彦)には、これの価値を認めない人がある。その相違はどこから来るかといふに、此は非常に重大な問題である。
 一体芸術の見方に美だけを対象にする立場と美以外を対象にする立場とある。直接に創作をしてゐる人は美しくさへあれば良いので美の内容・目的等を多く問題にしない。谷崎潤一郎の悪魔や痴人の愛には醜悪と言ふべき官能の美が書いてある。それは美だけを問題にしたのであつて、この点から見れば醜悪美の文学の如きも立派に或る一定の価値を持つてゐる。デカダン的美であつても兎に角何か美しい所があるからである。所謂、唯美主義の立場が此処にに生まれる。
 それに対して別な立場は、芸術は美だけではいけないといふ見解。トルストイの晩年の作に宗教に近付いてそこから出たものは非常にクリスチャン的で「吹雪」等にはよくそれが現れてゐる。美しい美であると共に人道的人生的な美である。トルストイの寓話も「復活」も同じ性質のもので、トルストイは芸術を通じて道徳を現はさうとしたのである。芸術は芸術の為には存在しない。神なら神と云つた高いもの、人生の意義と云つた道徳的なもの、其等を現す時に、芸術は価値があると見る。
 この事は、作家の側から丈でなく、享受者、批評家の側からも伝へるのである。美でさへあれば他は問題にしない、と云ふ、唯美主義的立場、或はそれに近く素材の性質よりも表現の佳・醜を重視して価値を定める立場があると同時に、別な立場は、「美以前」「文芸以前」を問題にする。人生全部を問題にする。そこで、この貧窮問答歌は美なりや美ならずやと云ふ事になる。
 今の万葉学者は此の作を集中の他の「美しい」文学と差別を置かずに扱つてゐるが、これは美の文学とは別物である。どんなに考へても所謂美しさは少ない。人麿の近江の荒都の長歌は、読めばいかにも美しい幻想が湧いて来る。つまり、芸術美をめざしそこに主力を注いだ作と云へる。それには人生批判は乏しい。社会的意味は殆どない。ただ一種醉つぱらつてゐる。作者も読者も、幻想的な美に引き込まれて作り・味つてゐる。人麿の作品はみんなそんな幻想的な(但、幻想的で同時に現実性を持つのだが) 美を含んでゐる。
 それに対して、この歌の如きは一つの覚醒した作品である。快い幻想の美から覚め、それを棄てて、且、素材の性質を重く観て作つた歌である。(補説−但、憶良が自覚して美の文学を斥けたのか無意識的に自然的にそこに到つたのかは、不明である。) だから、これをよんで人麿的の美しさを感ずる人はない。形が第一ごてごてしてゐる。これは憶良が散文的作家であつた事を現してゐる。平安朝以後に彼が生まれたならば枕草紙の様な随筆か、或は愚管抄の様な論文かを書いてゐたらう。詩人であるより一人の思索家であつた。
 それでここには、文学美が全然無いか? といふに、さうでもない。これを美的に見れば或る表現の美しさがある。これは全く私一個の考へだが、第二行の「糟湯酒、うち啜ろひて、喉ぶかひ、鼻ひしびしに、しかとあらぬ、鬚かき撫でて」の邊に一つのリアルステツクな描写があつてそこに一つの現実的美が現れてゐる。文学は必ずしも人麿風・潤一郎風の美しさだけに限らぬ。要は我々に現実世界の再現と見得るまぼろしを与へてくれればよい。而して右の六句には貧乏人のまぼろしが浮かんで来る。自然主義的な独歩の作品にある様な姿が出てゐる。そこには一つの広い意味での芸術がある。芸術を真・善・美の芸術と云ふが、すると貧窮問答歌は真又は善の芸術といへる。貧しい者の為に嘆き悲しんでゐる様な善的意義と、貧者の真実の姿をとらへた真の性質とを、併せ有してゐる。善と真とのあいのこみたいな作品である。ただ本当に良き芸術であつたら善の芸術であると共に、真の芸術であり両者が融合して高い境地に至り得る。復活がそれである。この歌は惜しいかなリアルステツクな色彩は、右の四句の如き小部分にのみ在つて、他の部分の観念的色彩(善的色彩)を押し倒す程に全篇にみなぎつてはゐない。全部がかうあつてくれれば真実の真の芸術となれるのに、それが足りない。尚、「直土に、藁解き敷きて、父母は、枕の方に、妻子どもは、足の方に、囲み居て、憂ひ吟ひ・・・」の處にも一つの写実がある。つまり問者の風貌、答者の生活の両方には写実的な所があつてそこから芸術的なものが湧いてゐるが、惜しいかなそれが一首全体に足りないのである。
 扨、一体この作品から受ける感銘はどういふ性質のものであるか、この作品があらはすのは何であるか。普通はこれは、怒の文学であると考へられてゐる。殊に無産文学などとみる時さうである。併しそれはこの歌を見ると分かるが、作者は怒つてはゐない。「いとのきて、短き物を・・・」の處だけに僅かに怒が見える位で、全体としては怒つてゐない。もつと根本的に怒れば却つて良い文学になつたか知れないが怒つてゐない。これは云ふならば寧ろ悲みの文学である。だから消極的な處しかない。それがこの作の徹底しない所以である。芸術的に微温的に低い作品であるといふ事になる。それは外の作品と比較すると分かる。例へばユーゴーのレ・ミゼラブルであるが、ヂヤンバルヂヤンは作者が怒つて彼を社会と戦はせてゐるのである。復活でも当時のロシヤ貴族の不道徳生活に対する基督主義の挑戦が現されてをり、同時に後者の勝利が描かれてゐる。トルストイのいきどほりが出てゐる。それがこの歌にはない。そこが作品の低い所以である。それが出てゐれば、いかに美の批評家でも感動せざるを得ない迫力が出て来たであらう。積極的に怒の内容を強めるか、写実的な表現が拡大されるかすれば貧窮問答歌は、現在の姿と変つて、より高くなつたであらう。源氏物語は写実的だから良いと云へる。其と比較して云へば、貧窮問答歌は善の文学として憤怒まで踏み入ればより高い作品となつた筈と云へるのである。


随分な寄り道になってしまったが、この評には書かれていない点が多々あると思う
最も大きなところでは、この二首にはふんだんに「漢籍」の下地が見える
以前にも、この「貧窮問答歌」が、そのモデルになった歌が大陸に存在する事を書いた
遣唐使として大陸文化、文学を肌で感じ取った憶良が、単に写実性だけで表現したのではなく、
あるいは万葉当時の実情とは別の世界観を「日本的」にアレンジしたとも考えられる

このことは、追々この二首を味わっていく過程で、どうしても直面する課題となる
無謀にも、引用された可能性のある漢籍類も、このシリーズで調べてみるつもりだ
しかし、今は古注釈のから現代に至る「宇之等夜佐之等」の扱いに止める

ついでに言えば、この歌の社会観というもの、この場合は「貧困」であるのだが、
それとは違う面での現状への問を、怒りをもって窺わせる歌があった
それは、まだ自分の中で燻ぶり続けている、大伴三中の班田使時代の挽歌だ
また取り組まなければならない

[万葉集評釈] (窪田空穂、昭和18〜27年成)
「憂しと」は、つらいと思い。「恥しと」は、はずかしいとで、極貧の状態にいることを、周囲を主として言ったもの。

[万葉集全註釈] (武田祐吉、昭和23年〜25年成)
宇之等夜佐之等 ウシトヤサシト。ヤサシは、既出(卷五、八五四)。恥かしの意。

[評釈万葉集] (佐佐木信綱、昭和23〜29年成)
やさし 恥かし。「八五四」參照。

[万葉集私注] (土屋文明、昭和24〜31年成)
ヤサシト 「853」に見えた語である。世の中を恥づべきものと思ふといふのは、生き居るに堪えないといふ程の意であらう。
 (「853」とあるのは、実際は「854」に出る語句だが、大伴旅人の一連の歌という意味なのだろう)

[日本古典文学大系万葉集] (岩波書店、昭和32〜37年)
 【補注】 やさし
 ヤサシは痩すという動詞の派生語である。アケ(明)→アカシ(明し)、フケ(更け)→フカシ(深し)、アレ(荒れ)→アラシ(荒らし) という形式によって、ヤセ(痩せ)→ヤサシが考えられる。ヤサシとは、つまり、身も細る感じだという意味である。世の中を「憂しとやさしと思へども」というのは、世間に対して、つらくて、身も細るように感じるけれども、という意味になる。身も細るとは、恥かしく感じるのであり、恥かしく感じているような人々は、外から見ても優美だという意味になる。名義抄に、「下写真」をヤサシと訓み、色葉字類抄に、「□(ヌ「の下に厷)」をヤサシ・アテナリとしている。延慶本平家物語には、「此女、一首ヲシタリケルニ聞アヘス返事シタリケルコソヤサシケレ」などの用例がある。日葡辞書には「Homem comedido、bem criado、& amoroso. (節度ある、十分訓育された、そして情味のある人)という説明がつけられている。平家物語の例などには、殊勝だというような、価値評価の気持ちが加えられている。たやすいとか、平易であるという意味は、江戸時代以後になって生じたものである。

イメージ 1

※ 平成十五年版の「新日本古典文学大系」では、「ヤサシ」の解説なし

[万葉集注釈] (澤潟久孝、昭和32〜37年成)
 【訓釈】憂しとやさしと
 世の中を憂く思ひ恥かしく思ふ。「やさし」は恥かし、の意。

[万葉集全注巻五 井村哲夫] (有斐閣各巻分担、巻第五昭和58年)
(【注】にて「涅槃経高貴徳王菩薩品」「涅槃経梵行品」「遺教経」を挙げて)煩悩世間を厭い、恥ずかしいものとして内に反省し、外に懺悔する心を言う。慈円の歌に「物の恥を思ひ知る人はとにかくに心と身とぞ世に有り難き」(拾玉集4・四八一八)。

[万葉集全訳注] (中西進・講談社文庫、昭和58年成)
やさし−仏語「慙愧」による。士としてのあり方に対する恥辱。これを始め全篇「霊異記」(下三八) の景戒の語に類似がある。

興味が湧いて、「日本霊異記」を開いてみた (訓・解釈は、小学館「日本古典文学全集日本霊異記」)
 〔災与善表相先現而後其災善答被縁 第卅八〕
 (災難と吉事との前兆がまず現れて、後にその災難と吉事との結果を受けた話 第三十八話)
−(略)−わたし僧景戒は自分の罪を反省し、恥入り悲しみ嘆いて、「ああ、恥ずかしいことよ、面目ないことよ、この世に生まれて生活しながらも、生き長らえる手立てもない。因果応報の原理のまゝに、愛欲の網にかかり、迷いの心にひかれて、生死の輪廻を繰り返し、生活のため四方八方に奔走して、生きる身を焼き苦しめる。−略−

ここのああ、恥ずかしいことよ、面目ないことよ」を原文では「嗚呼恥哉□(ヌの下が厷)」(下写真)で、
この個所の訓は、「ああ恥(はづか)しきかな、□(やさ:メの下に厷)シきかな」とある
そして頭注で、「やさし」を恥ずかしい、としている

日本古典全集. 狩谷棭齊全集第一 校本日本靈異記 図書  与謝野寛 等編 (日本古典全集刊行会, 1926)
イメージ 2


[新編日本古典文学全集] (小学館、平成8年成)
 【頭注】やさし
 肩身が狭い、恥ずかしい。本来、動詞痩スから派生した形容詞で、きまりが悪くて身が細るように思われる、が原義。

このような現代叢書では、「狭い」とする語意もその原義に含まれているような説明のように思える
すると、「狭い」の古語「さし」にも、少しは関りが見えてくる

[万葉集釈注] (伊藤博、平成7年〜11年成)
−略−、短歌一首は、この貧者と極貧者の問答に対して、憶良自身の感想を披瀝したものと考えられる。二人のこの問答を聞くと、「世の中は厭しと恥し」と、そういう風にしみじみと思われるのですけれども、そうはいっても、この現実から逃れることができません。我々は人間ですから。そういう思いを強く抱かざるを得ません。


以上が古注釈以来一部の注釈書の解釈になるが、すでに「やさし」が定着しており、
僅かに「狭い」の古語「さし」をも含む掛詞的な書も見られる
しかし、「うし・とや・さし」というような解釈は、皆無と言える

少なくとも、「うし・と・やさし」が漢籍の類からの応用であるのなら、
必然として、誰も」異論を唱えることはないだろう
しかし、憶良は漢籍の知識を用いながら、やまとことばである和歌「やまとうた」として詠っている
その事情に思わぬ意図があるようにも思う

「892・893歌」の漢籍の応用される実情を、次にはリストアップしてみたい
そして、それを「和歌」として、詠み込んだ憶良の、心情を知ることが出来れば、と...

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事