古城の風景

戦国期の東日本の山城紹介

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 専門家の本や論文を読んでいますと、気になる参考文献が註に書かれています。と、いってもそれらを素人の身としてはなかなか入手できる物ではありませんね。ですが、助ける方々がいられるもので、最近入手できた論文の中で以前から疑念に思っていた事の幾つかが解けました。ほんに、疑念が解けたか分かりませんが、ちょこっとご紹介します。
①北信濃国人衆 市河氏に抱く疑問
②杉山城の評価は?
③山本菅助の実在は?
まずは、①北信濃国人衆 市河氏に抱く疑問です。―景勝に優遇されたのはどうしてか?ー
「越後守護上杉家年寄の領主的展開―越後・信濃の市川氏を中心にー」 片桐明彦 『新潟史学』63 2010年
市河氏は、鎌倉期から戦国末期まで、北信濃の国人衆としてはかなり独自の歩みをした一族です。私がこの市河氏に興味を持ったのは、信越国境の栄村にある仙当城に出会ったことからです。仙当城は、市河氏の領地内の志久見郷にあり、大規模な空堀や長大な竪堀など目を見張る程の山城です。優れた遺構を残す信濃の山城の中にあっても第一級の山城で、このような規模の山城を市河氏が単独で築城・改修したとは思われませんが、何らかの関与をしたものと思っています。また、市河氏と中野氏の残した文書の中から、伝説的軍師「山本勘助」の実在を証明すると思われる文書が見つかったことでも有名な一族です。
 この市河氏は、「甲斐国市河荘出身で鎌倉時代に信濃国志久見郷(栄村)に所領を得た。南北朝時代は守護小笠原氏とともに各地を転戦した。戦国時代にははやく武田家に臣従した。(中略)信玄の死後もひきつづき勝頼に仕えた。勝頼氏後は、信長の代官森長可により所領安堵された。本能寺以後は上杉景勝により信房の所領が安堵され、市河氏は上杉家臣となった。」(『平成19年度秋季企画展武田・上杉・信濃武士』長野県立歴史館)とされるのが一般的な理解のようです。
 簡単に市河氏の紹介をしてきましたが、市河氏が早い時期から武田氏に臣従して上杉氏に敵対してきたにもかかわらず、越後時代の文録3年の家臣団序列が12位(3349石)、会津時代の慶長3年では序列16位(6700石)、米沢時代の寛永年間では序列17位(2273石)と、かなり優遇され、上杉謙信時代より活躍してきた須田氏・島津氏・芋川氏・岩井氏などの北信濃衆と肩を並べるほどの知行を、とうして得たのか不思議に思っていました。
 片桐明彦氏の論文よりますと、市河信房に長尾政景の妹(景勝の叔母)が嫁います。信房は、景勝にとって叔父にあたるためでしょうか、、景勝が武田家滅亡時に、わざわざ信房に書状を送り、「其方事、元来来当方入魂筋目之儀候間、何篇之儀被申越、不可有別儀候」(『上越市史別編2』2302)と述べているのも納得がいきます。信房は、その当時森長可に従い飯山城に入っていましたが、森長可が退去と共に上杉家への従属を条件として6月2日の信長横死後の6月16日の景勝朱印状で武田家時代からの所領をそのまま認められます。((『上越市史別編2』2404)景勝が北信濃への侵攻に伴っての早期の取り込みとしても、こんな関係から上杉家中において重く用いられていったのではないかと思いました。
16世紀前半において、市河氏が上田長尾氏と連携して府中長尾氏と敵対関係を持ったのは、越後永正の乱で市河氏の庶子家で守護上杉家年寄にまでなっていた越後市河氏(鎌倉時代中期に越後国物部郷内の所領を譲られた市河氏の庶子家)が没落されたことや隣接の高梨氏が府中長尾氏と姻戚関係で対立していることが複雑にからんでいたものと思われます。ですから、市河氏が早い時期に武田氏に臣従したのも上田長尾氏が天文20年に景虎(謙信、府中長尾氏)と和議を結んだためとしています。
 
以下、続きます。
②杉山城の評価は?
「その後の「杉山城問題」―諸説に接してー」 竹井英文 『千葉史学』第60号
③山本菅助の実在は?
「武田家臣山本菅助の実像―「真下家所蔵文書」と「山本家文書」の発見ー」 平山優 『安中市の中世文書』
 

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市河氏は、信玄が勘助を使いとして出した手紙のあて先、、、ぐらいの認識しかなかったんですが、そうだったんですね。勉強になります。

2012/7/7(土) 午後 9:15 [ にすけ ] 返信する

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☆にすけさん
市河氏は、北信の国衆の中でもかなり独自の歩みをした武家だったようです。さらに、この北信濃の国衆が越後にも所領を持ち信越両属の関係が言われています。どうも、この地域理解においては、信越国境の歴史的関係を解き明かさないといけないようです。
「やまもとかんすけ」については、市河家文書でその存在が表面化し、最近見つかった真下家文書で、ほぼ決定的になりましたが、それについてちっと書きたいと思いましたが、能力不足で一時中断しています。
ただ、この市河氏のありようは、鎌倉期から続き、戦国期の武田・上杉のはざまに生き、その後の戦乱の中で家存続を図った確かな武家の生きざまを知る貴重な歴史と思います。

2012/7/8(日) 午前 0:16 [ 馬念 ] 返信する

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