古城の風景

戦国期の東日本の山城紹介

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大仙山城

 大仙山城は、函南町畑毛字岩山にある比高100m(駐車地点から)の山城です。当城については、『静岡県の中世城館跡』(1981年刊)や『ふるさと古城の旅』(水野茂る著1998年刊)に掲載されていますが、両書とも「遺構は明確ではない」あるいは「明確な遺構はない」という記述になっていました。
 ところが、平塚在住の八丁堀さんが昨年の12月に大仙山周辺に城郭遺構があることを認め、今年の6月に再度訪れて大仙山を中心に広い範囲に城郭遺構がある事を確認されました。このたび、八丁堀さんの御案内で訪城してきました。        訪城日:2013.7.10  晴れ
イメージ 1城址へは、三島市街より国136号を南下して、熱函道路入口信号を左折して熱函道路を東に2km程進み町役場のある交差点を右折します。県道136号を1.9km進んだ地点で左折して、直進しますと正法院前につきます。北砦は正法院駐車場右手から山中に入ります。(正法院駐車場は避けていただき、地図のP辺りに駐車してください。)
大仙山へは、正法院へ向かう道の最初の交差点を右折して、進みますと案内表示の標柱が左手にあります。とても狭い道ですが、2000CCのワゴン車がぎりぎりに通ります。進みますとY字路になり右手に進みますと駐車場に到ります。車止めの先の遊歩道(ゆうに車が通れる幅)を15分ほど行くますと大仙山(西砦)につきます。
 
 
 当城の城主や築城時期等についは、明確な史料がなく不明といえます。なお、『増訂豆州志稿』に畠山重忠の子畠山六郎重保の城跡という伝承が残されているようです。(、『静岡県の中世城館跡』)
 ただ、当城に関わる思われる古文書があります。
永禄13年5月22日付西原源太宛の北条氏忠判物です。(「戦国遺文後北条編2巻1419号)
 「 此度西原小屋へ敵取詰候處、彼地ニ籠走廻候、無比類候、
  彌於相稼者、御本城様申上、可引立者也、仍状如件、」
この文書は、永禄13年に信玄が4度目の駿河侵攻を行い、5月14日に吉原・沼津で北条勢と合戦となった際に、西原小屋辺りも攻められ、西原源太の過分の働きを示して云いて、翌年4月に恩賞をうけています。(戦北1472号)
 ここに出ている「西原小屋」が大仙山城の一角だったのではないかと思われます。当地は、西原氏の本貫地だったようで『北条氏所領役帳』には小田原衆「百貫文 豆州畠郷 西原善右衛門」とあり、西原善右衛門は氏康の近侍小番衆だったようです。西原源太は、西原善右衛門の一族で同心として前年に掛川城に逃れた早川殿(北条氏康の娘で今川氏真の室)のお供をした善右衛門に従い、掛川城や本宮山城での戦いで氏真より感状を得るほどの武士だったようです。源太が、戦闘面では善右衛門に代わって西原一門を率いて戦ったていた感じです。
 西原勢は、「敵取詰候處」とありますから、武田勢に攻め込まれ小屋に籠ったと思われます。西原小屋に籠った軍勢は、『北条氏所領役帳』から推定しますと一門の推定総所領か150〜200貫文ほども思われ、天正9年の池田孫左衛門尉の軍役では191.6貫文で26人(馬上6、鑓12、鉄砲1、弓1、歩者3、旗2、指物1)となっています。(戦北2258号)これは出陣の際の人数ですから、本拠地での籠城戦となれば倍の50人ほどは籠ったのではないかと思われます。50〜60人がこもるスペースからしますと、北郭と山頂部辺りだったのではないかと思われます。
 永禄12〜13年段階では、伊豆口の韮山城の北の防衛線の一角として機能していと思われ、天正期に入り豊臣勢の来襲に備えての韮山城の改修や山中城の構築にともなう防衛線の再構築の中で、韮山城と山中城のつなぎの城として使われたのではないかと思われます。
イメージ 7
 大仙山城の概念図です。おおよその位置を示しているだけで正確なものではありません。
イメージ 3
  駐車場から10分?ほど登った 南砦への入り口です。
イメージ 4 途中に遊歩道方面を見渡す監視所のような小郭があります。南砦は、尾根先の削平の甘い単郭です。
 
イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 南郭北端から頂上の主廓部に向かいます。
イメージ 6
 
 
 いまいちよく撮れていませんで、主郭部です。右手が削り残しの幅広の土塁です。東西に細長い50×10mほどの広さです。南東下に腰郭があり、その先に堀切となります。
イメージ 8
 
 
 
 
 見晴らしはとてもよく、韮山城との狼煙等でのつなぎは十分できそうです。
イメージ 9
 
 
 
 
 
 主郭西側の堀切です。
 
イメージ 10
 
 
 
 
 西側の細尾根上にある土塁ラインの西端の起点地点です。甘く削平された尾根の中央に土盛られ、長さは150m程です。使用目的が考えつきませんで、不思議な土塁です。
イメージ 2
 
 
 
 土塁の写真です。土塁右手にも2〜3mの平地が続いています。
イメージ 11
 
 
 
 
 
 
 主郭部西端の堀切(現在遊歩道の終点)で、奥が西砦です。
イメージ 12
 
 
 
 金比羅宮のある西砦で、15×9mの卵形の単郭です。西側の物見に使われたのでしようか?
 
 明確な遺構がないこともありましたが、へたな写真撮りで分かりにくい画面になっています。再度訪城して遺構の確認と分かりやすい写真をとってこようと思います。
 
参考サイト

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馬念さん、ご無沙汰いたしております。
相変わらず夏でも活動されているとは流石でございますなあー。

静岡もまだ未発見の城址が多そうで羨ましい限りです。宮坂本をトレースする信州の山城には無い楽しみ(というか苦しみ?)がありそうですね。

先日余湖さんとご一緒させていただきました。まさか同じ歳だったとは・・(笑)秋口にまたご案内させていただく予定となりましたので、千見城を含めたツアーでご一緒出来ればいいですね。
また、ご連絡します。

2013/8/1(木) 午前 8:56 [ らんまる ] 返信する

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らんまるさん、こんにちは。
パソコンの買え替えや孫をツァーに連れて行ったり、城郭セミナーに行ったりで、あれこれありましてお返事遅れました。

余湖さんといかれたようで、余湖さんのHPを見ました。結構いかれたようですね。1日で回ったんですかね。お二人の馬力、やはり大したものです!
秋口の千見城への訪城、よろしくお願いします。

昨日、城郭セミナーで戎光祥出版の方に宮坂本の山梨県版の出版の予定はあるかとお聞きしたところ、2冊に分けて出版するとのことで、さらに長野県周辺部についても出すとのことでした。いままでの販売が好調のようで、続編もスムーズに決まったようで、とてもうれしいです。

2013/8/5(月) 午後 1:49 [ 馬念 ] 返信する

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