古城の風景

戦国期の東日本の山城紹介

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白水城

白水城は、南伊豆町長津呂字鍋浦山にある比高60mほどの山城です。伊豆半島の先端石廊崎の東側にある長津呂湾を見下ろす小高い山(鍋浦山)の頂上にあります。
訪問日:2015.5.25  晴れイメージ 2
城址へは、下田市街より国136号を南伊豆町に進み、日野信号を左折して県道16号に入り、約10km先の石室トンネル手前の信号で左折して石廊崎漁港を目指します。遊覧船の有料駐車場の手前左手に赤い欄干の小さな橋が登城口です。車は、有料駐車場に停めました。(500円)

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 白水城は、初代鎌倉公方足利基氏の頃長津呂・御簾三河守の城と伝えられています。基氏が鎌倉公方であったのが14世紀半ばですが、その基氏の書状が土肥神社にあります。「延元丁丑8月」に西伊豆・南伊豆之船手衆11人に宛てた回し文です。この延元丁丑が延元2年(1337)ですが、まだ基氏が生まれていませんのでこの回し文は偽文書のようです。永岡氏は、偽文書でもすべてがでたらめとは言えず、船手衆=海賊の大半は実在したものと思われるとしています。その中に「長津呂白水城主 御簾三河守」がいます。時期は、15世紀後半から16世紀初頭と推定しています。イメージ 3
 15世紀後半から16世紀初頭といいますと、伊豆で一大事件が起こっています。明応2年(1493)伊勢宗瑞が堀越公方足利茶々丸を攻め、伊豆守護である関東管領山内顕定とも戦闘状態になります。右図は、宗瑞が伊豆侵攻時の伊豆の諸氏と城です。
 宗瑞は、侵攻早々に北・西伊豆を制圧したようですが、山間部の狩野荘や東・南伊豆は敵対する勢力が残り、茶々丸も追撃の手を逃れて伊豆諸島・甲斐へ落ち延びます。御簾氏は、足利茶々丸・山内上杉氏方として頑強に伊勢氏に抵抗したと思われます。
  明応7年(1498)8月25日に宗瑞は、茶々丸のいる深根城を攻め、茶々丸が敗死します。この深根城落城で関氏とは滅び、御簾氏も滅亡あるいは逃亡したと思われます。
なお後に、宗瑞によって三浦道寸が滅亡した際に道寸方に「三須三河守」がいますので、長津呂の御簾氏がその一族ではないかと思われます。茶々丸滅亡後は、北条氏の持ち城となり、伊豆半島先端の海上交通の要所として使われたと思われますが、定かではありません。また、小田原合戦では、水軍のすべてを下田城に集めましたので、そのころ廃城となったと思われます。イメージ 7
 登城口から井戸を経て4郭南端に至る道は、大手ではないと思いますね。イメージ 4









 石積みの立派な井戸てす。戦国期ならば後期のものでしょうかね。イメージ 5

 4郭を南端から見た所で、巾5mほどの北側に高い土塁を設けて湾曲した郭です。子の西下にもう一段の帯郭があります。イメージ 6








 土塁の高さは、4郭から3〜4mほどあり、長さは25mほどです。イメージ 8

 土塁上で、右手に3郭の竪土塁があり、土塁がここで途切れていますので、虎口ではないかと思います。大手道が見つかりませんが、どうも東側の谷から斜面を登った可能性が高いと思います。イメージ 9






 5郭からの2・3郭虎口です。3郭に入ってすぐに2郭へも入れますが、この辺の構造はもう少し違っていたのかもしれません。
↓2・3郭の虎口と3郭北側土塁に石積み(3段ほど)がみられ、それも内側に積まれています。内側というのも奇妙で、なんなんでしょうかね。
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 3郭で、北側から東・南にかけ土塁・竪土塁がまわっています。イメージ 12


      



 2郭です。3郭から少し高く、本来は3郭と一体の郭なのかもしれません。イメージ 13
 主郭への切岸を登る道です。主郭の切岸が15mほどあり、登城路を探しましたがどうもこの道辺りが最適のようで、整備の際本来の道の上に造ったのかも?
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 主郭で、明確な虎口は確認できません。自然地形を造成したようで、形がいびつです。イメージ 15






 東から南にかけて巾広の土塁?があります。郭内を狭くすると思うのですが、海側に面していますから見張り台なのかもしれませんね。
イメージ 16機器が茂り展望はよくないですが、地元では「高見」と呼ばれ遠くの島々まで一望できるようです。

イメージ 17  主郭の東側下に堀切に土橋でつながる土塁囲みの6郭があります。そのまま進めば鷲ヶ岬に至り、古い時代の遺構があるとのことで行ってみましたが遺構はありませんでしたので、ここが城域の端に当たるようです。

 以前に一度訪城していますが、藪に覆われいたことや見る目がないこともあって要領をつかめませんでした。今回の訪城でほぼ城の全容をつかめました。意外によく遺構が残り、海賊城の様を見ることができました。
 感想としては、主郭と2・3郭の造りが違う事から、古い時代(主郭)のものに新たに増築・改修したものではないかと考えます。御簾氏時代は、主郭あたりに見張り程度の砦があり、北条氏時代に改修されたものではと。
 石廊崎に行くついでに訪れてみるのもいいかな〜と思います。
参考文献
『伊豆水軍』 永岡 治著 静新新書
「北条早雲研究の最前線」 家永遵嗣 (『奔る雲のごとく』)



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