金沢城石垣めぐりの続きです。
⑧二の丸北面石垣
寛永8年(1631)頃に造られ、寛文8年(1668)に改修されています。
二の丸裏門があった場所で、この左手に二の丸北面石垣が続きます。
形や大きさをそろえた粗加工石で積まれ姿は、なんと表現したらよいものなのか…。
⑨菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓石垣
手前が3層3階の菱櫓と奥に見えるのが2層2階の橋爪門続櫓で、その間をつなぐのが五十間長屋です。
菱櫓から二の丸北面石垣です。案内
約5000個の石が使われているようで、モザイクアートのような色違いが、また素晴らしいです。一度バラバラにして同じところに積みなおしているわけですが、現代の石積み職人さんの技もすごいものですな〜。
橋爪門は、寛永8年(1631)の大火後に整備された二の丸の正門で、高麗門の「一の門」です。
枡形内に入ると、右手に櫓門形式の「二の門」がある。ここの石垣は、切石積みです。橋爪門の枡形は、城内最大の規模で、石川門、河北門とともに「三御門」と呼ばれているようです。
枡形の南西背後の鶴の丸から撮ったもので、城内側からの枡形の構造がわかります。
⑩戌亥櫓・本丸石垣
戌亥櫓は、本丸の北西隅(戌亥の方角)に位置していた櫓です。
粗加工石積みですが、石の隙間に平らな石をはめ込み、切石積みにように見せる技法が用いられていたようです。ただ、隙間の石が抜け落ちてしまっています。
本丸付段西端の石垣ですが、奥に本丸石垣の戌亥櫓下の石垣が見えます。ちょうど石垣の崩壊を防ぐ草取りが行われていました。これだけの広い金沢城の整備には膨大な費用がかかるると思います。なのに、無料なのです。金沢市に感謝です。
本丸北面石垣で、粗加工石積みです。石垣の中にレンガ造りのトンネルがみられます。
旧陸軍が、弾薬庫への通路として明治から大正期に造ったもののようです。
⑪三十間長屋
説明板に、「切石積みの技法ですが、表面の縁取りだけをきれいにそろえ、内側をあらいままにしておく「金場取り残し積み」という技法が用いられている。」とあります。
⑫鉄門石垣から本丸
本丸内は、うっそうとした木々が茂り、植物園といった感じです。金沢御堂があった場所と伝わり、利家が入城したのもここだったのでしょう。寛永の大火(1631)まで本丸御殿があり、それ以後は二ノ丸に御殿が建てられたようです。
東の丸へ入る付段門があった場所だと思います。奥の高い石垣の上が本丸で、上からの横矢がかかるようで、鉄門方面と比べると、防御力はこちらの方が強固のようです。
結構ここまで歩いてきましたので、鶴の丸休憩館で一休みしました。
まだ、続きます。 |
この記事に