古城の風景

戦国期の東日本の山城紹介

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吉沢城

 イメージ 2吉沢城は、上田市古安曽吉沢入にある比高180mの山城です。塩田平の南部にある独鈷山系には、西から女神山城、塩田城で、吉沢城が東端になります。                  訪城日:2019.3.13  晴れ
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城址へは、上田市街より生島足島じんしろをかまえたものを目指します。そこから県道65号をやく1.5km南下した所の信号を右折して県道82号に入り、約600m先で左折して進むと二幸園に着きます。二幸園の先の大きく曲がるカーブの辺りに車を止め、100mほど歩くと「安曽岡山登山道」の看板があります。そこが登城口です。

イメージ 3当城についての史料は、ほとんど伝わっていないため、城の創築年代、存続年代、築城者及び在城者、また廃城の経緯など、確かなことはわかりません。ただ、塩田五族の一つ中沢氏の居城で、その伝説として「石神の鶏いわが吉沢城を救った話」があるようです。
※塩田五族とは、鎌倉期の塩田北条氏が福沢氏、工藤氏、吉沢氏、宮沢氏、幸田氏に分かれたものといわれるようです。武田氏侵攻時に滅ぼされたといわれています。
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二幸園で、この辺りから下の辺りが居館部のようだす。車は、写真左手に止めています。
イメージ 5登城口で、「「安曽岡山登山道」登山イメージ 6道」の看板があります。これは、地元の小学生が登山するためにPTAが整備されているものです。ですが、ここから安曽岡山まで、比高で400mで、しかもほぼ直登の急坂です。私は、半分の吉沢城で十分でした。




イメージ 7イメージ 82郭東下にある3段の小郭。ここまでほぼ30分で、ほぼ直登でした。イメージ 9






2郭で、20×6m程の広さです。主郭よりに土塁と堀切1があります。
イメージ 102郭先端からの眺め






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塩田平を望む北側の遠景で、眺めは素晴らしいてす。向えの山々には場所は特定できませんが多くの山城があります。さらに幹手には和合城や葛山城が見えます。
雪雲が迫ってきましたので、少し急ぎました。イメージ 12





2郭西端の土塁ですが、倒木でよくわかりません。

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上巾6mほどの堀切1です。

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主郭で、23×7m程の広さです。北東端に虎口が有ります。イメージ 15





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主郭西下の小郭


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小郭の先、両側を竪堀で落とした土橋。

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西が橋の堀切2ですが、宮坂氏は鞍部としています。

安曽岡山から派生する細尾根の中腹に位置し、二つの郭とも規模か小さく物見程度の役割だったのでしょうか。ただ、背後の備えは十分で、それなりに使われた城だったと思われます。
登城は、かなりの急坂を直登します。帰路の下りがかなり危なかったです。
 

参考文献
『信濃の山城と館3上田・小県編』 宮坂武男著
「吉沢城をめぐる謎」  尾見智志 『千曲』第163号(2017年)
※尾身氏は、上記の中で、「吉沢城は塩田城より規模が大きく、堀切などを配置し防御力を高めていることからわかります。特に、山城部分には堀針や竪堀などの戦国期に多く見られる防御施設を設けています。また、城の立地を見ると、吉沢城は鎌倉道とも呼ばれている別所街道・諏訪道・海野道・上田道などの街道が交差する交通の要衝を押さえています。それに対して塩田城は別所道が通るのみです。こうしたことから、戦国期の塩田平の中心となる城館は吉沢城と見ることができます。」と。傾聴すべき説だと思いますが、いろいろ検討すべき点もあるようです。

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