古城の風景

戦国期の東日本の山城紹介

城址現説・講演会や情報

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全9ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]

[ 次のページ ]

 柏木城の現地説明会が11/6(日)と7(月)開催されるようです。
 柏木城は、喜多方市の東側の北塩原村にある戦国時代の山城です。たまたま、9月に訪城してその素晴らしさを見てきました。ブルーシートがいたるところにあり、まさに発掘調査中といった感じしたので、その調査報告がなされるのでしょう。
 柏木城は、東北の戦国末期を代表する素晴らしい城郭の一つといえます。もしご都合がよければ現地説明会参加されてみてください。

HP:福島県白河市の福島県文化財センター白河館まほろん

現地説明会要項

なお、柏木城訪城記もよければご覧ください。

この記事に

開く コメント(0)

諏訪原城整備状況

 諏訪原城が、今までの発掘調査に基づいて整備を進め、さらに発掘しているとのお知らせを得ましたので、見に行ってきました。
 イメージ 1駐車場(現在整備中)からお勧めコースの入口に当たる、大手北外堀の辺りに城址碑と説明板が、新たに設置されていました。左手にある大手北外堀も木々が伐採され見やすくなっています。また、奥に見える二の曲輪中馬出や三日月堀もきれいに植栽が刈り取られていて馬出・堀の形態がよくわかるようになりました。

イメージ 2

          
 城内に設置されている案内表示も新しくなり、その表示の名称も発掘調査内容を反映したものになっているようです。

今回の訪城で見られたのは、以下の地点でした。
発掘調査地点ー二の曲輪南側の「二の曲輪東内馬出」「二の曲輪南馬出」
整備地点ー「二の曲輪中馬出」「二の曲輪北馬出」とその周辺の堀
新たに設置された案内板の図で位置を示しておきます。イメージ 3



















 まず、発掘地点の二の曲輪南側です。
 島田市博物館HPに掲載されている「諏訪原城整備基本計画」の中で、二の曲輪南側について加藤理文氏が次のように述べています。
「城の構造を全体的に見た場合、明らかに本曲輪と二の曲輪南側端部までが同一構造で、二の曲輪南が端部を除いた北側とその西側が異なる構造を示している。」

「武田段階の城は、本曲輪と二の曲輪南端部のみの範囲で、城内で唯一の小規模で異質な現在の二の曲輪南馬出が武田段階唯一の丸馬出ということも想定されよう。」

「武田段階の城の堀幅を広げ、さらに長大な二の曲輪北側を造成し、前面に巨大な二ヶ所の馬出を付設したのが天正10 年(1582)までの造成という可能性も指摘しておきたい。さらに、大手曲輪については、対豊臣を意識した天正10 年以降の付設ということも想定の範囲である。」(P98)

この加藤氏の推測に沿えば、この南馬出は武田氏時代のものとなりますので、発掘調査の内容をぜひ知りたいものです。ですが、「本曲輪と二の曲輪南側端部までが同一構造」となりますと、この二つの曲輪が水の手曲輪の谷間を間にしてあったことになり、かなりいびつな構造になるのではないかと思います。
イメージ 4
東内馬出から見た南馬出です。イメージ 5









南馬出東側の駐車滋養から撮ったものです。堀底に石敷きが見られます。なんなんでしょうかね?
イメージ 6








イメージ 7二の曲輪東内馬出
イメージ 8








二の曲輪からの中馬出と北馬出で、まさかこのような景観が見えるとは思ってもいませんでした。素晴らしい景色でした!イメージ 9
土橋からの北馬出と二の曲輪の間の堀です。かなり堀をほりこんで斜面に崩落防止の吹き付け(奥の色の濃い箇所)ているようです。イメージ 10








 中馬出から北馬出への通路です。徳川氏時代に造成されたのではないかとされているところです。イメージ 11
北馬出からの通路です。中央の窪みの箇所が橋で、、下部に石積みが見つかっています。






イメージ 12↓中馬出を西側から見たものです。巨大な馬出の全貌がこれぞとばかりに見られました。









イメージ 13
  諏訪原城へ数えきれないほど訪城させていただいていますが、行くたびにその変わりように驚き、感激しています。このたびの発掘や整備が終了後に現地説明会が開かれるかと思いますので、その際は参加したいと思っています。駐車場もよりよく整備されますので、ますます見学しやすい環境になりますので、是非一度訪れいただければ幸いです。近くに喫茶店や食事処もあります。


この記事に

開く コメント(0)

長野県立歴史館で戦国の特別展が行われています。
イメージ 1

信濃武士の決断 〜信長・秀吉・家康の時代〜

天正壬午の乱を中心にした企画展のようです。天正壬午の乱については、平山優氏の著作があり、とても興味深く読みましたので、ぜひ行ってみたいと思いますね。
平成19年度秋季企画展「武田・上杉・信濃武士」の図録も良かったので、今回の企画展の図録もゲットしたいですな〜。
ついでに、こんな企画展もあるようなので行きたいと思いますね。
 
安曇野氏市豊科郷土博物館ー秋季特別展「安曇野のいくさ〜いのちを守る戦国の知恵〜」
 
会期:10月4日(土)〜11月24日(月祝)
開館時間:午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
入館料:100円(中学生以下、70歳以上の方無料)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)・祝日の翌日
お問い合わせ:安曇野市豊科郷土博物館
       TEL:0263-72-5672 FAX:0263-72-7772

この記事に

開く コメント(0)

 小田原城御用米曲輪現説が今日あり、行ってきました。今回は、小田原城御用米曲輪の発掘調査が一応終わり、総まとめの現地説明会になるようです。今回の目玉は、庭園跡に続く建物跡が発掘されたことです。この後、ここは遺跡保護のため埋め戻しされるようです。
イメージ 1
現地説明会配布資料にある発掘地点概要図です。少し薄いはご容赦願います。
左から、池→掘立柱建物→切り石敷き庭園(切り石敷き井戸)→礎石建物群となります。左の池から写真を載せます。
イメージ 2
イメージ 3
 池から井戸2の少し左側までの写真です。井戸は、切石敷き井戸で三か所出ています。また、建物は、礎石建物跡が5棟、掘立柱建物跡が3棟のようです。最も大きい礎石建物は、7間以上の規模のようです。
 
イメージ 4
                   イメージ 5                                              更に右側の建物跡です。礎石建物跡の周囲には、溝や石組水路、石列が整然と配置それていて、雨落ち溝、屋敷の区画として用いられていたようです。
また、このあたりに焼土がかなりあり、係りの方に聞きましたら、建物が焼け落ちたものではなく、何かをや鋳物のようですと。もしかすると、小田原城開城時に、北条氏が受領文書を焼いた跡なのかもと、下手な邪推をしてしまいました。このような施設がある所で「たき火」はしないでしょうから…。
 
まことに大雑把で、要領を得ませんが、とりあえずご紹介しておきます。
 

この記事に

開く コメント(2)

長野市立博物館で、
第56回特別展 川中島の戦い開戦460周年 山村に生きた武将たち〜東の真田 西の大日方〜」
が開かれるようです。
 
真田は、有名ですから結構見る機会も多かとは思いますが、大日方氏が取り上げられるのは珍しいです。
境目の国衆として戦国期を乗り切った武士一族でして、北信の市河氏とともに気になる一族です。
 
期間中に見に行ってみたいと思います。

この記事に

開く コメント(2)

全9ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]

[ 次のページ ]


.


みんなの更新記事