古城の風景

戦国期の東日本の山城紹介

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南出羽の城

19日から山形方面に来ています。
19日   s 桑折西山城、a 前川本城
20日   b愛宕山城、片平館(途中断念)
21日   s小国城、b砂越城、b松山城

Sランクの城址は、誠に素晴らしく御紹介していきたいと思います。

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関川関所

 関川の関所は、新潟県妙高市大字関川にある江戸時代の関所跡です。左図の様に、信越国境を流れる関川のすぐ左岸の旧国18号線沿いにあります。現在は、国18号の信濃大橋ができ、交通量もあまりない所ですが、古代・中世においてイメージ 1もつかわれ、上杉謙信も信濃出兵の際には通ったのでしよう。北国街道は、江戸幕府によって北陸道と中山道を結ぶ五街道に次ぐ脇往還として整備されました。それは、この街道が佐渡金山の金を江戸に運ぶ輸送路として重視されたためで、別名御金荷(おかねに)街道とも呼ばれています。そのため、「重き関所」として関川関所が設けられた。(延享2年(1745)には全国に53の関所があった中でも特に重要な20の関所を「重き関所」とし、越後国内にある5関ある中で「重き関所」はこの関川関所だけです。)また、加賀藩及びその支藩富山藩・大聖寺藩の前田家中の参勤交代の道でもあるため、その出入りの監察も重要な業務だったようです。
 
 戦国期、上杉氏もこのあたりに関所を設けて関銭を徴収していたようです。また、対岸の信濃側に戦国期にあったと思われる赤川城があり、境目としての信越国境の重要さが感じ取れます。イメージ 2
 江戸期の関所としては、慶長・元和年間(1596∼1623)から寛永元年(1624)の間に設けられたようで、関所の管理と整備は、高田藩がその領地に付属した役割とされています。御番所には高田藩から派遣された藩士2名(上番)と足軽数人(下番)、人見女1人(関川村百姓の妻から選ぶ)掃除人夫数人が常時詰め、大名行列などの臨時用に郷足軽(近隣の百姓)も10人決められていたようです。関所は、明け六つ(午前6時)に開き、暮れ六つ(午後6時)に閉じられ、いかなることがあってもそれ以外の開閉はなかったようです。
イメージ 3
 
 関所の大事な役割は、通行手形と人改めで、端的に表しているのが「入鉄砲と出女」です。
関所を通るには、男は通行手形は必ずしも必要ではなかった問ことを知りまして驚きましたね。関所通行の際は、手形は必ずいるものと思っていましたから。ですが、無用なトラブルやわずらわしさを避けることもあって持参したようです。「出女」「手負(傷ついた人)」「死人」「不審者」は手形が必ず必要だったようです。イメージ 4特に厳しかったのが「出女」のようですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
             専用駐車場からの関所遠景です。イメージ 5
 
 
関川に架かる一ノ橋(長寿橋)と御門。イメージ 6
  関所に入る手前の急坂で「うば坂」と呼ばれています。勾配が急で人足が五文の駄賃で荷物を運んだことから「五文坂」とも。五文が現在の尾根かねするといくらになるかですが、どうも一文が18円ぐらいだったようですから、18×5=90円ほどになりますか。短い坂の手間賃として高いか安いかわかりませんが、利用者がどれほどいたのかわかりませんね。私だったら頼みませんが、最近腰を痛めていますからもしかしたら頼むのかな〜?イメージ 7
 
関所御門と道の歴史情報館です。妙高市が運営しています。
☎ 0255-86-3280
入館料 高校生以上500円小・中学生300円
開館時間 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
営業期間 4月10日〜11月30日
ただし、冬季休業(12月〜4月中旬)があります。
関所のしくみや街道の歴史、宿場の様子が学べ、貴重な文献資料やジオラマの展示しています。
イメージ 8
 
 復元された御番所。
 
 食事処「御宿せきかわ」が隣にあり、開田高原産のそば粉を使った二八そばの手打ちそばを食べられます。ですが、行ったのが夕方で、営業時間が11時〜15時で向えのおばあさんが「もう帰ってしまったよ」とのことで食せませんでした。水曜定休で、ざるそば=700円/天ぷら盛り合わせ=500円/天ざる=1200円のようです。
 
 

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上田城の桜

上田城の桜を見に行ってきました。4月10日でしたが、山さくらは満開で本丸内のソメイヨシノはちらほらといったとこでした。イメージ 1
 尼ヶ淵の大断崖で、現在は駐車場・公園になっています。しかし、真田昌幸が徳川の力を借りて築城した天正11年(1583)の頃は、城跡の南側に千曲川の支流の内側が流れていました。この内川を堀代わりにしたものでしょうね。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2現在、本丸には隅櫓が3基残っています。駐車場から本丸へ向う坂道の右手にあるのが西櫓です。桜は、ピンク色が濃い山桜だそうです。満開でしたね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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本丸大手門南にある南櫓です。尼ヶ淵の大断崖は、崖の上部は堅い火山泥流層ですが、下部は柔らかい河床礫層のため石垣で補修されています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 4
 内濠沿いからの大手門(東虎口櫓門)と南櫓(左手)北櫓(右手)です。
 上田城は、真田昌幸が築城したとされていましたが、最近の研究によると、徳川の対上杉を目的にした戦略的拠点として築城されたものを徳川から真田が譲り受けたものと理解されるようです。で、現在ある上田城は、寛永3年(1626)に仙石忠政が復元したものです。イメージ 5
 
 
 本丸の鬼門に当たる北東隅の「隅欠(すみおとし)」
 
 紅葉の時期も素晴らしい景色が見られますが、桜の時期も良かったですね。

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松島の牡蠣小屋

11月18日〜26日に東北から上信越を回ってきました。この旅の目当ては、焼カキを食べ、肘折でのプチ湯治と丸子宅の冬支度でした。行った先は、松島・鳴子の川渡温泉・肘折温泉・弥彦神社・上田丸子・甲府でした。
 一度焼カキを食べてみたいということで、いろいろ調べましたら松島に手ごろなところがあるとのことで、旅の初日に行くことにしました。11/17の深夜に自宅を出まして、460余kmをかけて朝9時頃に松島にあるカキ小屋に着きました。
 カキ小屋で焼カキを食べるコースには二つあり、A)予約しての50分殻付き牡蠣焼き食べ放題・かき飯セット付き3千円と、B)40分殻付き牡蠣焼き食べ放題2千円があり、予約なしのBコースを目指し早々の到着でした。
 到着が早いのかカキ小屋には人もまばらでしたが、Bコース向けの書き込みの紙にはすでに2組の名があり、早速当方も書いた次第です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 開店が10:30とのことで近くの松島遊覧船乗り場あたりまでの散策をしまして戻りましたら、人だかりができ予約表にも続々という感じで、カイメージ 2キも入口に運び込まれ準備もいいようです。
 
 
 
 
 
 
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1テーブルに6〜8名が取り囲み、係りのおばさんが鉄板の周りに汁取りのタオルを巻きますと準備OK!シャベルでカキが運ばれてきます。
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 ふたをして10分ほど待ちますと食べ頃になります。食べ放題40分ということでちっ〜と時間が短いかな〜と思っていましたが、焼き上がりから40分で、結構充分にに満喫できる時間でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 当テーブルは7名で、私を含めてみなさんかなりのペースで食べていて、カキの追加がシャベル2杯で、終わりごろには「も〜食べれませんわ」という感じで、どの方も満足げなお顔をしていました。当然私もそうでしたね。
 
 
 
 
 
 
 
 
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 カキの大きさは大小ありましたが、結構大きいカキが多く甘みのあるおいしいカキでした。食べた数を数えてはいませんが、50を優に超えていたと思いますよ。これで2千円ですから、とてもお安いと思います。連れ合いも満足なのようで、味を占めたのか「またきたい」と言っていました。
 
 
 
 
 
 松島でしたが、ほかの観光名所はもうすでに見飽きていますので、食べ終わりましたら、次の目的地に向けて…でした。

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山形のお城

 ここ数年、この時期に山形・肘折温泉に泊まりながらお城めぐりをしていまして、今年も今週初めから行ってきました。訪城先は、
福島郡山の高玉城
山形最上地方の金山城・庭月楯・小十朗楯・鮭延城・差首鍋楯・熊野楯・源治楯
山形村山の楯岡城
山形米沢の舘山城
栃木の鶴淵城
 合計11楯・城になりました。 Aランクとしては、やはり差首鍋楯と舘山城でしたね。
 この時期ですので、草が茂ってきていますが、印象に残った遺構を紹介しておきます。詳しい紹介は後ほど掲載していきたいと思います。
イメージ 1秋田との県境に位置します、金山城です。
3郭が右手切岸(7〜8m)の上にあり、3郭からの横矢が常にかかる城道を登りますと虎口(左手の凹)です。とてもいい感じの景色でした。城址近くにイメージ 2、廃城時の大手門・搦手門が残っています。
 
 
 
イメージ 3鮭延城北東にある、三条の堀切と土塁。さらに写真中ほどの土塁の先に四条の畝状竪堀が見られます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                            イメージ 4
 差首鍋楯で、「さすなべ」と読みます。広い郭が2つあるいたってシンプルな造りですが、副郭から主郭への虎口がものすごかったです。松岡氏は、この虎口を「内桝形状の区画の外にL字形の土塁を二重に振り出して外枡形と食い違いを形成し、さらに一文字土居で遮断した連続虎口」と説明してます。副郭から主郭虎口までに5折の導線になっています。写真で4折りでさらに主郭虎口でもう一回折れます。さらにこの写真の左手下に三重竪堀が見せれます。
イメージ 5
 米沢の舘山城で、伊達政宗が天正18年に築城したことが文献から分かる貴重な城址のようです。ここにも、主郭西北(写真左)と南中央(写真右)に内桝形虎口が造られています。遺構の残りがとてもよく見ごたえのある虎口でした。
 

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