古城の風景

戦国期の東日本の山城紹介

近江国

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佐生城

 佐生城は、別名佐野山城、佐生日吉城とも呼ばれ、東近江市佐生町・五箇荘日吉町にある比高65mの山城です。                                                                                             訪城日:2018.5.27  晴れ
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 城址へは、東海道本線能登川駅近くから県道52号を東に約1.3kmwで右折し、すぐ先の橋(新浄土橋か?)を無目指します。橋の西詰に「佐宗日吉城」の案内標識があり、そこが登城口です。
 車は、登城口近くの広い歩道に駐車できます。

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イメージ 3佐生城の築城時期は定かではありませんが、主郭に「後藤但馬守城跡」と記された碑があり、観音寺城主六角氏の重臣の後藤氏が城主であったようです。碑にある後藤但馬守は、後藤但馬守賢豊(かたとよ)と思われ、永禄6年(1563)六角義治に観音寺城内において子の壱岐守共に謀殺されています。佐々木六角氏の家中内紛の観音寺騒動の発端となったものです。
 後藤氏の居館が当城から南方約12kmも離れていることからすると、居館の詰城とは言えず、当城が観音寺城のある繖山(きぬがさやま)から派生する尾根先にあることから、観音寺城の北方を守護する出城として築かれたものと考えられるため、城主というより城将的ものだったのではないかと思われます。
※縄張り図は、『図説 近畿中世城郭事典』にある中井均氏の図を借用しています。
イメージ 4道路から少し入るとね墓地があり、その横から登城路になります。

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道は、多少坂のあるなだらかな山道で、15分ほどてⅡ郭に着きます。イメージ 6

Ⅱ郭の虎口と思われます。Ⅱ郭内部は削平が甘く、なんとなく通り過ぎてしまい、改めて縄張り図を見てⅡ郭だと知りました。したがって、この虎口も、虎口っぽいとは思いましたが、何気なく通り過ぎてしまいましたね。イメージ 7






虎口からのⅡ郭です。途中の山道の感じですよね。Ⅰ郭の虎口について、Ⅱ郭というのがわかった次第です。()
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Ⅰ郭東虎口で、食違い虎口のようです。形状が定かではないのですが、食違い虎口のようです。

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東虎口からのⅠ郭です。Ⅱ郭が郭かどうかちっと疑問ですが、基本的には単郭構造の城といえます。手前が少し低く碑のあるあたりが少し高くなっています。

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周囲に低い幅広の土塁がまわっています。イメージ 11
「後藤但馬守城跡」の碑






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西虎口を西尾根から撮った所です。平虎口のようです。

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西虎口から観音寺城に至る西尾根で、堀切状の遺構があるとのことでしたが、見つかりませんでした。イメージ 14

奥までは行っていませんが、なだらかな山道のようで、こちらを警戒している感じはないです。イメージ 15









北尾根で、自然地形のままの感じでした。


さて、当城最大の遺構の石垣です。まずは、南面の石垣。イメージ 18
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Ⅰ郭南面の石垣です。高さは最大で4mほどあり、長さ45mです。西側は張り出しがあり横矢がかかるようになっています。結構な高石垣ですが、隅部は稜線のすっきりしない算木積みです。かなり古い段階の石垣です。この造りは、観音寺城の石垣に類似するイメージ 17ようで、中井氏は、観音寺城の石垣を手掛けた技術者集団が関与したものと推察しています。








西面の石垣 西側の二か所 10m程の石垣です。
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当城は、基本的には単郭の規模の小さい城ですが、石垣が見事に残り、しかも訪れやすいのがいいですね。お勧めの城址です。

参考文献
『図説 近畿中世城郭事典』 城郭談話会 2004
『近江の山城ベスト50を歩く』 中井 均編 サンライズ出版

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  男鬼入谷城は、別名高取山城・男鬼城とも呼ばれ彦根市男鬼・多賀町入谷にある比高60m(駐車地点から。麓の男鬼町からは290m)の山城です。2000年に見つかった山城で、以前から湖東山中の山奥に素晴らしい山城があると聞いていましたので、ぜひ訪城してみたいと思っていました。今回、近江の城友のぶんさんのご案内で訪城できました。普通車が1台ようやっと通れる細い山道で、しかも片側が崖といった具合の道をかなりの距離行きませんと登城口の比婆神社に着きません。かなり難儀な山城でした。 
                                          訪城日:2017.10.14  曇りのち晴れ
イメージ 1  城址へは、比婆神社を目指していきます。ルートは2つあります。
①国8号の佐和山トンネルの鳥居本側近くに比婆神社への案内板がります。案内板に従って細い山道を進むと比婆神社鳥居に着きます。
②鳥居本から県道239号を6km南下して、県道17号の交差点を左折して河内の風穴方面に進み、6km先(落合神社)を左折して林道に入り、男鬼村(廃村)を通ると比婆神社鳥居に着きます。
 比婆神社鳥居から片側が崖の細く急な山道を2km程で比婆神社前の駐車場に着きます。
今回は、行きを②、帰りが①でした。どちらかというと①のルートの方がいいようです。ただ、対向車が来ますと、すれ違いスペースもありませんのでかなりの難儀するかと思います。くれぐれも細心の注意をしていかれるといいと思います。また、携帯の圏外です。イメージ 11
 当城に関する史料や伝承などは一切なく、築城時期や築城主体は、不明です。ただ、中井均氏が、戦国後半期の当地方の様相を推察して、次のように述べています。
「平地を浅井氏に席巻された京極高広・高吉らが、山間部に立て籠もった際に根拠地として築いたと考えられ。」「天文から永禄年間の初めに山間部の城を築き、平野部への寝室を虎視眈々と狙っていたのではないだろうか。」
じつにわかりやすい見解だと思えます。イメージ 2





とても立派な比婆神社の鳥居でした。ここまで来るのも大変でしたが、ここからもさらに厳しい山道でした。ただ、舗装されていましたので、通常の林道の道(わだちで凸凹しています)よりは運転しやすかったです。
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比婆神社駐車場のすく奥に灯篭が立っています。登城口は、この灯篭の左手を進んでいきます。イメージ 4



灯篭の先を進みます。




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意外と真新しい社でした。なぜ真新しいかというと、7〜8年前に玉垣の屋根を覆っていた銅板が盗まれて、地域の元住人の方々修復と聞かされました。不届きな者がいることにも驚きますが、それ以上に廃村になってこの地を離れても大切にここを守る人々の気持ちに敬意を持ちました。イメージ 6


灯篭のある所から約10分ほど(比高で40m程)で標高669mの比婆山頂上に着きます。


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頂上部の平場の奥に三角点の柱石があります。男鬼入谷城へはこれを目印にして、左手(東)に降りていきます。イメージ 8



男鬼入谷城への登城路の途中に見られた竪堀状の凹みですが、城にかかわる遺構とは取られていないようです。イメージ 9





城域の西端の堀切Aです。ここからが城域になり比婆山から約10分ほどで着きます。上から堀切を見ていますが、埋まっているので薄くかろうじて確認できる程度です。イメージ 10


郭3で、18×20m程のほぼ方形の形をしていて、西側の尾根筋に向かって高2m弱程の土塁がある。この郭の南下の尾根に二重堀切があるようですが、未確認です。イメージ 12






郭2の西側の一段低い郭からの郭2です。

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郭2です。10×12m程の広さでです。郭1と郭2ともピークにあり、どちらが主郭か判断に迷いますが、城域の最奥(大手が西側と考えると)にあることや周囲の防御の堅さからすると、郭1を主郭としておきます。※1イメージ 14




郭2の南尾根には、小規模な平場が階段状にあり、先端部に二重堀切があるようですが、未確認です。
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郭2から北東に伸びる尾根上の郭で、この先に郭1があります。

郭1を南西方向から撮ったものです。北側の堀切面に土塁を設けています。


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土塁の城内側裾部に石積みが見られます。
イメージ 17









イメージ 18郭1の北側下にある三重堀切を土塁上から見ています。

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東側から見ています。
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郭1の東下の尾根上の郭の一つです。北側に土塁を設けています。この下に食違いの堀切と、畝状竪堀があるようですが、未確認です。
郭1の土塁や三重堀切とともに、この郭の土塁を見ると、この城が北側に厳重な防御をしていることがわかります。

※1
当城の解説をしている中井均氏は、主郭について「規模が小さいものの城域のほぼ中央に位置している郭2」としておくとしています。また、郭1・2を中心とする一城別郭の可能性もあるとしています。

 以上が男鬼入谷城です。山奥にこれだけの規模の城を構築した主体の執念が感じ取れます。また、山奥だからこそこれだけの遺構が完存の形で残ったのだともいえるようです。

 登城口の比婆神社までの狭い山道や携帯がつながらないことや、更に城址までの案内板も全くないので、単独での訪城はとても危険です。熊もいないと思いますが、念のため熊ベルなども用意して万全な装備でお出かけください。

参考文献
『近畿の名城を歩く 滋賀・京都・奈良編』 仁木宏・福島克彦編 吉川弘文館
(※掲載の男鬼入谷城跡概要図の方位が180度違っていますので、ご注意ください。)
中井均「湖東山中に眠る城塞 近江高取山城」(『歴史群像』93) 


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賤ヶ岳砦

 賤ヶ岳砦は、長浜市木之本町大字大音にある比高270m程の山城です。けっこうな比高ですが、賤ヶ岳リフト(往復800円)があり、リフトを降りて比高70m登りますと城址に着きます。2回目の訪城になりますが、前回は家族と一緒の観光でしたのでほとんど以降らしきものは見ていません。景色がとてもよかったということぐらいでしたかね。そのため、今回は、縄張図も用意し、隅々まで見てきました。    訪城日:2017.4.16  晴れ
イメージ 1 城址へは、北陸道木之本ICを降り、国8号を敦賀方面に進み、800m先の大音交差点を右折し、すぐに左折して進むと賤ヶ岳リフトの案内がありますので、それに従ってリフト乗り場の駐車場を目指します。
 徒歩でも行けますが、リフト利用がいいと思います。リフトを降りて5分ほどで頂上の城址に着きます。





 『信長公記』によると、賤ヶ岳合戦以前の天正元年8月に、浅井朝倉方の賤ヶイメージ 2岳布陣の記録が見える。また、『領家文書』には、天正元年9月に「しつかたけの城」とあり、賤ヶ岳合戦以前の賤ヶ岳城が確認出来る。天正11年(1583)、羽柴秀吉と柴田勝家が覇権を争った賤ヶ岳合戦を記した『余呉庄合戦覚書」によると、天正11年3月19日条には「賤ヶ岳ノ城ハ、桑山修理亮、羽田長門守、浅野弥兵衛三人ヲ籠メ置レ」とあり、標高421mに賤ヶ岳合戦の陣城として改築されたと推定される。戦前の兵員は2千と推定され、賤ヶ岳本戦で秀吉の指揮所となる。近年、中世城郭の特徴、切岸と多数の竪掘りが、周囲に確認され、城域は、長辺約200m、短辺約50m、余呉湖方面に腰郭を設け、城の周囲を囲む、犬走りや、帯郭が取り巻いている。
余呉町観光協会 2011/9 解説長谷川博美氏 
                      現地案内板より
 賤ヶ岳の合戦の際に羽柴軍によって築かれた陣城群の中でも、田上山砦と共に中心的な役割を担っていたようです。高田徹氏は、「指揮系統から考えると田上山砦が羽柴軍のより中心的な砦であり、賤ヶ岳砦は余呉湖畔の山上部を守備し、かつ岩崎山・大岩山砦を管轄する役割を担っていたと考えられる。」と書いておられます。そのためか、遺構を見てもかなり陣城としてはかなり厳重な造りがされていたと思われます。秀吉方の隙をついての柴田勢・佐久間盛政の大岩山砦への奇襲攻撃も、守りの堅い賤ヶ岳砦をさけて防御施設の貧弱な大岩山砦・岩崎山砦を選んだことからもわかるようです。
※右図は、鈴木眞哉著『戦国15大合戦の真相』(平凡社新書)から借用しています。イメージ 6















   









※現地案内板を改変しています。
イメージ 4リフト乗り場手前にある徒歩での登城口です。標柱には、「山頂まで1550m」とあります。比高270mですから小一時間かかるかと思います。道は、リフトから見えましたが、かなりしっかりした道のようです。登る方は見かけませんでしたが、降る方はちらほらいました。イメージ 3






リフトを降りてから山頂へ向かう道です。比較的なだらかな道です。イメージ 5



南郭手前にある堀切Cです。巾5m程で浅いです。高田氏は、「敵を迎え撃つ一種の塹壕と考えられる。」としています。イメージ 7





堀切Cから西郭への道です。一見すると西郭への城道のようにも見えますが、上部の入口は分厚い土塁を削った感じですので、違うか〜名?イメージ 8



西郭・主郭南下の帯郭とのようですが、東郭に繋がる犬走かもしれません。イメージ 9






現在の西郭入口です。右手に行くと主郭になりますが、往時は、主郭手前の分厚い土塁で遮断されていたと思われます。この唐するし、ここが西郭の虎口とは思えません。

↓西郭を北西から見た所です。
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イメージ 11西郭に繋がる北西尾根を遮断する堀切Aです。しっかりと残っています。イメージ 12
堀切Aから西郭へはかなりの急斜面になっています。
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主郭を北西から見ています。左手下が説明板にある横矢枡形のところです。横矢枡形というのがいまいちよくわかりません。虎口というのではなく、射撃空間?イメージ 14







東側からは、こんな感じです。


↓主郭から南方面です。いい景色です。
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イメージ 16北方面で、賤ヶ岳合戦の両軍の布陣した箇所が見渡せます。











イメージ 17
東郭から主郭方面を見た所で、主郭のイメージ 18方が少し高くなっていた、右手を見ると竪堀(↓)あります。ここに堀切があったと思われます。

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主郭方向から東郭を見ています。左手奥に外枡形状の虎口があります。イメージ 20







東郭の虎口を下から見ています。手前と奥に竪堀があり、登城路からの斜面への侵入を防ぐようで、なかなか堅固な虎口です。イメージ 21

東郭の虎口を少し下った所にある堀切Bです。高田徹氏は、「尾根筋を断ち切る堀切というよりも、尾根筋を侵攻する敵を迎え撃つ一イメージ 22種の塹壕と考えられる。」としています。
堀を見ると、うなづける指摘だと思います。




賤ヶ岳山頂は、リフトで容易に行けることもあって、多くの方が訪れていました。ここが、砦跡だったということはあまり知られていないのではと思います。以前に訪れた際は、さらっと見ていましたが、よく見ると以外にも遺構がよく残っていました。他の豊臣の陣城のからするとよくできた陣城の言えます。長浜にいかれた際には、小谷城などともにいかれるといい城址です。

参考文献

『近江の山城ベスト50を歩く』 中井均編 サンライズ出版

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山本山城

 山本山城は、別名阿閉城とも呼ばれ、長浜市湖北町山本にある比高235mの山城です。近くの小谷城へは何度か訪れていましたが、山本山城や虎御前山砦へは未訪城でしたので、今回この2城をメーンにして湖北の山城巡りをした来ました。                                 訪城日:2017.4,16  晴れ
 イメージ 1城址へは、長浜市街より国8号を北上し、旧湖北町役場先の速水北信号で左折し、2km先の山本信号を右折して300mで左折して、朝日小・朝日山神社を目指します。
①朝日山神社からの登城 主郭まで40〜50分
②宇賀神社からの登城 主郭まで30〜40分
①の方が道が緩やかで、②はかなりの急坂とのことで、①で行きました。ですが、なかなか結構な坂道でしたね。
駐車場 ①は朝日山神社の駐車場
      ②は宇賀神社の駐車場
 

 平安時代末期に以仁王の平家追討の令旨に応じた山下(山本)義経が拠っイメージ 2た「近江山下城」が、当城だったのではないかと考えられています。戦国期になると、京極氏の被官である阿閉氏が本拠としていた。(城の東麓に阿閉の地名がある)永正年間(1501-21)には、京極氏有力被官の浅見氏の尾上城の詰城として用いてたとされます。大永3年(1523)京極氏の内訌で台頭した浅井氏が浅見氏を勢力下に組み込み、再び阿閉氏を当城に配備して、小谷城の重要支城として守らせた。
 浅井氏は、元亀元年(1570)4月の信長の朝倉攻めで、信長に反旗を翻し織田軍の背後を襲い、信長と対立するようになると、山本山城も織田勢の攻撃にさらされます。元亀3年(1572)7月信長が江北に侵攻して虎御前山砦を築くとともに、木下秀吉が山本山城を攻撃しています。この時は、阿閉勢も「城中の足軽百騎ばかり罷り出て、相支へ候」と『信長公記』に書かれるほどの交戦ぶりをしています。しかし、翌天正元年(1573)8月に阿閉氏は織田方に降り、小谷城は裸城同然となり、9月1日に浅井長政が自刃して小谷城は落城しました。
 浅井氏滅亡後、阿閉氏は山本山城と伊香郡内の本領と安堵されています。天正10年(1582)の本能寺の変で、明智氏に味方したため一族全てが処刑され、滅亡しています。城も、阿閉氏の滅亡と共に廃城となったようです。

※右の縄張り図は、『近江の山城ベスト50を歩く』(中井均編、2006年)ー中井均氏作図ーより引用・加筆しています。

イメージ 3イメージ 4








  小谷城からの虎御前山砦             賤ヶ岳砦からの小谷城・虎御前山砦・山本山城
 小谷城・虎御前山砦・山本山城の位置関係を見ると、信長が虎御前山砦を築いた意味が分かりますし、ここに付城を築かれた段階で小谷城の運命は決まったといえるようです。イメージ 5
 登城口の朝日山神社です。神社の駐車場を借用して車を止めました。すぐ左手が朝日小学校です。イメージ 6                     
 ここは、幕末に山形から移封された水野氏(天保の改革の水野忠邦の系統)の陣屋があった所です。


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 主郭東下の3郭の入口です。ここから城域に入ります。朝日山神社からの道が、大手道と考えられますので、3郭は大手を守る重要な曲輪といえ、更に東麓を通る北国街道を監視するところでもあったといえます。イメージ 7



 3郭は、周囲を土塁で囲まれています。
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 3郭西側で、堀切ではないかと思いますが定かではないです。
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 3郭から道を登って行きますと2郭に至ります。その取っ付きの虎口1です。ですが、ハイキングコースでの破壊道なのかもしれません。虎口2辺りが一段さけた平場がありますから、そこへ取り付いたとする方が自然な感じがします。
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 2郭で、40×70mほどの広さで、東辺に低い土塁があります。ただ、重機で破壊されたため往時の姿ではないようです。イメージ 12





 虎口2のある平場です。主郭・2郭の面より3mほど低く、細長い郭です。
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 主郭を穂北西から見ています。周囲に土塁を巡らせ、25×40mほどの広さです。虎口は、南・東・北西の三か所です。東虎口が大手虎口ではないかと。




イメージ 14イメージ 15イメージ 16






 
      主郭南虎口             主郭東虎口                 主郭北西虎口
イメージ 17 主郭の北側を遮断する堀切A。イメージ 18









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 主郭北側の細い尾根筋に設けられている最初の郭で、  4郭です。東西に土塁が設けられています。「一番馬場跡」の表示があります。

この北方続きに、堀切と郭を交互に設けて防備を固めています。写真に撮ってきましたが、どの堀切・郭かが判別できませんので、いくつか載せておきます。
郭は、比較的小規模で、堀切には土橋がかかっています。


郭6                                 堀切C                                  
イメージ 22
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郭7                                 堀切D                     
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郭9                                 堀切F
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 登城するにはちっときつい登坂でしたが、郭・虎口・土塁・堀切がはっきりとわかり、見やすい城址といえるようです。見た感じからしますと、主郭・2郭・4郭・5郭と6郭以北の郭群の造りがちっと違う感じを受けました。中井氏、元亀元年の小谷城攻防戦に伴って改修されたもの」と推定されています。この推定どうりならば、主郭周辺が阿閉氏が籠城した時期のもので、北方の郭群はその後の織田方による改修ともいえるのかな〜と。

参考文献
『近江の山城ベスト50を歩く』 サンライズ出版 

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水口岡山城―その弐ー

滋賀県甲賀市にある水口岡山城の続きです。
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石垣が主郭北側の切岸に残っています。上部付近は崩壊して部分的にしか見れません。石は、三雲城や大溝城から持ち込まれたものもあるようで、その後水口城が築城の際には今度は、ここから持ち出されたようです。石垣の見学コースが設けられていて、下のような門までありました。
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 主郭西側の曲輪群は、主郭とは堀切で遮断されています。現在は遊歩道(ピンク)で西郭群へは行けますが破壊道です。西郭群から主郭方面への虎口・導線は不明のようです
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西1曲輪です。郭の標柱には「伝西の丸跡」の表示があります。下の曲輪へは、西の桝形状の虎口(下の写真)を左に出て急な切岸を下ったようです。この切岸は高10m以上あるものです。
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西2郭の虎口です。虎口は、掘り込め式のようで、虎口の先が少し低い平場になっていて、虎口受けの平場のようで、左図の感じて虎口に入る仕組みのようです。織豊系の初期の虎口の感じです。(「織豊系城郭の形成」にある「品野城タイプ」に類似するかな?)
 
 
 
 
 
  
 
主郭から東側の曲輪群です。主郭を取り巻く帯曲輪には、南北に食い違い虎口が設けられています。
イメージ 16イメージ 3
北側 ☛北側  
 
 
 
 
 
 
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 上記の食い違い虎口が、東曲輪群からの導線を遮断しています。主曲輪との間に箱堀状の大空堀がありますが、南北端部は土塁になっています。2〜4曲輪は、南の帯郭で繋がっています。それぞれの曲輪はかなり広いです。ただ、大手筋からは外れている曲輪群のようで、防御の曲輪というより居住区の曲輪のような感じですかね。
イメージ 5イメージ 6
☚大空堀
☛2曲輪
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 7イメージ 8
☚3曲輪
☛4曲輪

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