古城の風景

戦国期の東日本の山城紹介

信濃国東信

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西城

 西城は、別名薄ヶ尾城あるいは烏帽子形城とも呼ばれ、青木村村松薄ヶ尾にある比高210m程の山城です。当城の東側の尾根に東城があり、この両城へは以前から訪城したいと思っていました。西城へは、尾根先から寺山の砦を経て行けることがわかり、ちっと長い尾根を登るようですが、段毒としては比較的安全と思われるので、行ってきました。                                   訪城日:2018.4.16  晴れ
イメージ 1 城址へは、上田市街より国143号を西に進み、青木村役場を目指します。登城口は、村役場背後の尾根上にあり、役場手前約200mで右折して、500m程で交差点を左折して進み、大きくカーブするところにある鳥居前です。カーブのところが少し開いていて路駐できます。登城口から寺山の砦は、ゆっくり行っても30分ほどで着きます。寺山の砦からは約350mほどの距離で、急坂になりますが20分ほどで着きます。





イメージ 16当城についての史料や伝承は、ほとんど伝わっていないため、城の創築年代、存続年代、築城者及び在城者、また廃城の経緯など、確かなことはわかりませ。ただ、主郭周辺部を全周する石積みや堀切2の規模などからするとかなりの勢力が築いたのではないかと推察されます。

寺山の砦北尾根の防塁から10分ほど尾根を登りると西城南東尾根の出砦に着きます。
イメージ 2↑堀切手前の自然地形の平場です。堀切がないと見過ごしてしまう程度のものでした。


イメージ 12宮阪氏は、上巾4mとしていますが、埋まっているのでかろうじて窪みが感じ取れ、堀切とわかります。

イメージ 3








堀切から10mほど上にある岩で囲まれた平場。自然石を積んだ感じです。イメージ 4

南東尾根出砦と2郭の中間地点にある石塁で囲まれた平場。イメージ 5






イメージ 6


2郭で、9×10m程の広さで、奥に見える主郭から6mほど低い位置にあります。イメージ 7







主郭で、広さは35×15m程で北側に土塁の土塁痕がみられます。明確な虎口は見れませんでした。イメージ 8


主郭西側の切岸です。郭の縁辺より2〜3m下に2段ほどの土止めの石積みイメージ 9が見られ、かなり崩落していますが、全周していたと思われます。
←北辺の土塁痕



イメージ 10

主郭北直下の堀切2です。これほどの規模の堀切は、長野の山城でもあまりなく、久しぶりに見ました。上巾25m、主郭側の壁は17mで右手の高さも14mあります。ホンに下りるのも、登るのも大変でした。
イメージ 11







堀切3で、上巾10mの規模で、堀切2とで二重堀切といえます。
イメージ 13

郭3で、7×4mの広さです。イメージ 14








3郭からの堀切3と堀切2です。二重堀切といえる感じです。イメージ 15


堀切4です。上巾5mです。イメージ 17








4郭で、12×7mの広さで、城内で二番目の規模の堀切4で守られ、搦手の防御拠点と考えられます。イメージ 18



郭北端に馬蹄形の窪みがあり何らかの施設があったのでしょう。そこの左手に堀切4への虎口らしき窪みがあります。イメージ 19





4郭中央部の両端から竪堀が掘りこまれています。写真は西側の竪堀です。イメージ 20




上巾12mの堀切5です。イメージ 21






5郭で、削平はされていませんようで、ほぼ自然地形に近いです。イメージ 22




堀切6です。埋まっていますのでかろうじて判別できます。イメージ 23





搦手で、東側に竪堀がおり、そこを下ると林道に出られるようです。
イメージ 24




搦手を見て戻ろうとしましたら、今看板がイメージ 25目に入りました。「入山禁止」の警告です。信濃の山城は、これがありますからシーズン中は、立ち入らないのが無難です。


西城の見どころは、主郭背後の北尾根にある5条の堀切と、自然石を用いた石積みといえます。青木村には、当城以外にも黒丸城などの見ごたえのある山城があり、上田地区の城々共にぜひ訪れていただきたい山城といえます。

参考文献
『信濃の山城と館 3 上田・小県編』 宮坂武男著 戎光祥出版


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寺山の砦

 寺山の砦は、青木村村松寺山にある比高140m程の山城です。子檀嶺岳から南に延びる尾根上にあり、当砦の北側約400m上にある西城の出砦としてあったものと考えられます。西城へは、以前から訪城したいと思っていましたが、止め山であることから秋にはいきにくく、単独での訪城もどうかな〜と思ったりで、なかなか行く気がしませんでした。今回、ようやっと行く気になり、距離は長いようですが、単独でも行きやすい寺山の砦経由で西城を目指しました。                                   訪城日:2018.4.16  晴れ
 イメージ 1城址へは、上田市街より国143号を西に進み、青木村役場を目指します。登城口は、村役場背後の尾根上にあり、役場手前約200mで右折して、500m程で交差点を左折して進み、大きくカーブするところにある鳥居前です。カーブのところが少し開いていて路駐できます。イメージ 2








村松の集落内にある宝篋印塔(南北朝期)のある所からの寺山の砦と西城の遠景ですが、おおよそのもので定かではありません。イメージ 3








登城口で、目安は鳥居です。撮影位置の右手に車を止められます。
イメージ 4
当砦の築城時期や築城主体については、不明です。ただ、尾根上にある西城の南東尾根を守る出砦と考えられますので、西城を築造した勢力によってに築造されたものと思われます。しかしながら、西城も城歴が不明です。

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登城口から尾根を登ります。なだらかな坂道ですが、結構距離があり(約900m)、この獣除けフェンスのすこしさきでようやっと城域に入ります。イメージ 6


二重堀切の手前に竪堀が2本あり、そのうちの1本です。東側の斜面が緩いため、横移動を制御しているのでしょうかね。イメージ 7






立堀を過ぎて二重堀切手前の斜面になります。緩い斜面で数段の小平場か薄くみられます。イメージ 8




堀切1で、堀中にごらんのような寄与せきが鎮座しています。イメージ 9





堀切2を主郭南下の斜面から撮ったものです。堀切1・2ともにかなり埋まっています。イメージ 10




主郭で、自然地形をならしたような三角形の平場です。イメージ 11






主郭からは、尾根が三方に出ています。これは、南西尾根で、堀切はなく2〜3段の小平場があるようです。イメージ 12



主郭北下の堀切3ですが、ほとんど埋まっているのか窪みがようやっとわかる程度です。イメージ 13






西城へ至る北尾根で、なだらかに登っています。堀切3から100m先に堡塁と思われる小丘があります。イメージ 14



北尾根の小丘で、自然地形に近い平場がみられ、少し大きめの石が一列に並んでいます。城にかかわるものなのか判断に迷います。

い滋養が、寺山の砦です。この先350mに西城があります。西城は、別に書きます。


参考文献
『信濃の山城と館 3 上田・小県編』 宮坂武男著 戎光祥出版




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平尾富士砦

 イメージ 2平尾富士砦は、佐久市平尾にある比高275m(駐車地点より)の砦です。平尾城の東側の尾根の頂上部の平尾富士にあります。ここからの展望はすこぶる良く、北東の軽井沢方面から西の上田・望月や南佐久方面が一望でき、物見の地としては格好の場所といえるでしょう。            
                 イメージ 1訪城日:2017.11.27  晴れ
 



 城址へは、平尾山公園を目指します。高速ですと、佐久平スマートインターで下道を麓に下り、そこから佐久スキーガーデンバラダへの道に入り、登って「市民の森」の標識の所で左折すると展望リフト乗り場の駐車場に着きます。左手のゲートの先を行くと平尾城へ、竜神池へ向かうと白山砦・富士砦への遊歩道になります。白山砦からは、比高で70mほど登ります。
イメージ 3



 当砦がいつ築かれたかは定かではありませんが、平尾城が永正年中(1504-21)に平尾氏三代の信守によって築かれたとされますので、それ以後に造られたと考えられます。白山砦や富士砦は、平井城の東尾根の上にあり、展望の良い事からも平尾城の物見砦あるいは狼煙台として機能したものと考えられます。平尾氏が戦国末に従った依田氏が、天正18年(1590)上野藤岡への転封になったため、平尾氏も当地を去り廃砦になったものと思われます。イメージ 4



白山砦砦から15分ほど登りますと、城域の北側にある3郭に着きます。40×10m程の広さでイメージ 5す。北端に土塁がありますが、見過ごしてあわてて写真を撮ったのがです。



イメージ 6


堀切1と主郭です。堀切1の手前に3郭より一段高い小郭があります。イメージ 7







堀切1で、上巾10m程ですが、埋まってますね。

イメージ 8
主郭手前からで、土塁の中央からイメージ 9入る道がありますが、虎口ではないでしょうね。破壊道と思われます。
(主郭への登城路については後ほど)
イメージ 10
主郭の北側からです。建物は、浅間社の石祠が入っています。北と南側に低い土塁があります。虎口は、南東端ではないかと思います。イメージ 11


南側の土塁でが、かろうじてみられるほどに低いです。


イメージ 12






2郭の南側から主郭です。建物(トイレ)のある所が腰郭で、主郭の周りにある犬走り状の通路とつながっています。3郭からこの通路を通り腰郭の東側から主格にはったのではないかと思います。
イメージ 13腰郭からの2郭ですが、2郭先に林道ができていて主郭南下が破壊されているようです。堀切2は、宮坂氏の縄張り図によると上巾7mほどあるようですが、見当たりません。2郭も形が判別できません。

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2郭の先の林道(?)で、左手にかろうじて往時の道らしきものがみられました。イメージ 15



堀切らしき窪んだところもみられましたが、果たして堀切なのか判別ができませんでした。

物見砦としては、堅固な造りのようです。遺構は、主郭より北側となり、南側は残念な状態です。



参考文献
『信濃の山城と館 1 佐久編』 宮坂武男著 戎公祥出版

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平尾白山砦

 平尾白山砦は、佐久市平尾にある比高200m(駐車地点より)の砦です。平尾富士の西側に張り出した尾根上に平尾白山砦と平尾城があります。平尾城が佐久国衆の平尾氏の主城でその物見砦として平尾白山砦・平尾富士砦か設けられたと思います。標高ですと、平尾城が950m、平尾白山砦が1080m、平尾富士砦が1155mです。この3城砦へは、佐久市民の森(平尾山自然園)の中腹の竜神池のあるリフト乗り場を起点にする遊歩道が整備されていますので、1日で回れ、家族連れのハイキングとしてもベストコースです。
                                                訪城日:2017.11.27  晴れ
 イメージ 1城址へは、平尾山公園を目指します。高速ですと、佐久平スマートインターで下道を麓に下り、そこから佐久スキーガーデンバラダへの道に入り、登って「市民の森」の標識の所で左折すると展望リフト乗り場の駐車場に着きます。左手のゲートの先を行くと平尾城へ、竜神池へ向かうと白山砦・富士砦への遊歩道になります。



イメージ 2

 竜神池にある案内板に登城ルート(赤線)を入れてます。
竜神池ー水辺の小径ーあかまつの小径ーリフト乗り場ー白山砦―郷愁の小径ー富士砦
このルートは平尾山トレッキングの4ルートの中で初心者コースのようで、上り約70分、下り約60分のようです。比高ですと、駐車場880mでしたので、白山砦は比高200m、富士砦は比高275mとなります。
私は、駐車場からこのルートで2砦でを回り約3時間余りで駐車場に戻ってきました。

 平尾氏が、当地に小県郡から移ってきたのが宝徳・享徳(1449-55)のイメージ 3頃といわれ、永正年中(1504-21)に三代信守が平尾城を築いたとされるようです。白山砦や富士砦は、平井城の東尾根の上にあり、展望の良い事からも平尾城の物見砦あるいは狼煙台として機能したものと考えられます。平尾氏が、厳しい戦国の世を生き抜き依田信蕃の配下になり、天正18年に依田(松平)氏の藤岡に移封に伴い当地を去って平尾城が廃城となります。生じ酔うのはい滋養と共に2砦も廃砦となったものと思われます。
 右図は、城友ていびすさんの「長野県の歴史を探し求めて」に掲載されている縄張り図を参考にしています。
イメージ 4
駐車場から見た白山砦と富士砦方向です。右手の竜神池が登城口で、トレッキングコースの出発地点でもあります。平尾城へは、左手にあるゲートの先を進みます。
イメージ 5







白山砦へ向かうあかまつの小径で、さほど急坂ではありませんで、よく整備されています。ただ、途中にある階段の段差がちっと高すぎで、降る際に膝にかかる負担がありますね。イメージ 6
あかまつの小径を15分程進むと白山砦が左手に見えてきます。リフト乗降場の西側にある展望台からいけます。イメージ 7








リフト乗降場は、尾根の鞍部で、平に整地されています。夏場は、リフトが稼働しているようで、ここまでリフトが使えます。浅間山の姿が素晴らしかったです。
イメージ 8午前中でしたので、また雲もかからず素晴らしい朝山が見れました。富士山もそうですが、やはり雪をかぶった姿がいいですね。

イメージ 9






展望台からすぐに堀切1が見えてきます。上巾8〜9m、深さ5m余です。イメージ 10


堀切1から堀切2に向かう細尾根で、自然地形のままのようです。

イメージ 11





堀切2で、上巾7m、深さ4〜5m程ですか。イメージ 13




主郭手前で、岩がむき出しになっていまする南尾根にも巨大な岩があり、これも通路の遮断物として使われたのかな?
イメージ 12




主郭を東がわかり見ています。右手(北側)に幅広の土が盛られています。土塁なのかもしれません。
イメージ 14



主郭の中心部ですが、左手に幅3〜4mの帯状の平場があります。右手が土塁とすると、あまり使える平場は限られています。この辺は比較的削平がなされているようです。イメージ 15



南尾根に向かいます。

イメージ 16






電波塔と巨石のある2郭になります。イメージ 17



細尾根をふさいでいるような巨石です。通路は右手を回り込むようになります。急峻な切岸以上の障害物です。イメージ 18






石の北側に小平場があり、その先の巨堀切3です。上巾6m、深さ5m程です。イメージ 19




堀切3kxgkウ郭です。なだらかに南に傾斜していますが、ほぼ平ら当砦で見た一番広い郭になります。ただ幅は3〜4m程です。イメージ 20





4郭南端から、下を見ています。かなりの急斜面でていびすさん縄張り図では、この下に2つの堀切と比較的広い郭があるようですが、未確認です。

ここで、リフト乗降場に戻り、富士砦へ向かいました。


平尾城から富士砦への城道は、この白山砦を通過していったと思われます。細尾根にいくつもの堀切を構え、かなり堅固な造りで少人数でも守りやすい感じがしました。

参考文献
『信濃の山城と館 1 佐久編』 宮坂武男著 戎公祥出版
『長野県の山城ベスト50を歩く』 河西克造・三島正之・中井均編 サンライズ出版

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平尾城

 平尾城は、佐久市上平尾にある比高180m(守芳院から)ほどの山城です。守芳院から大手道は、あれているようなので、城址とほぼ同じ標高の平尾山公園の上部(佐久スキーガーデンパラダ)の展望リフト乗り場から行くのがいいようです。当城へは、10数年前に一度訪れていましたが、城の見方もあまりなく、藪にも覆われていたこともあって、遺構の確認など十分できませんでした。そのため、再度の訪城をと思っていました。今回、かなりきつい山城(虚空蔵山城や霜台城)に行ったので、筋肉痛や腰痛になり比較的楽目の当城を選んでの訪城でした。 イメージ 1     訪城日:2017.5.6  晴れ
 城址へは、平尾山公園を目指します。高速ですと、佐久平スマートインターで下道を麓に下り、そこから佐久スキーガーデンバラダへの道に入り、登って「市民の森」の標識の所で左折すると展望リフト乗り場の駐車場に着きます。リフト乗り場の左手に車止めのゲートがあり、その先を徒歩で5分ほど行きますと城址入口です。

 



 当城は、永正年間(1504-21)に平尾信守によって築城されたといわれています。平尾氏は、小県郡の依田氏が宝徳・享徳(1449-55)の頃、佐久の大井氏と争い敗れ、大井氏に下った依田一族の一人為泰が上平尾に移り、平尾氏と名乗り館(白岩城)を構えたといわれます。イメージ 3
 文明16年(1484)に村上政清により大井宗家が滅ぼされることなどで、佐久地方も村上・伴野・大井庶家などが入り乱れる戦国の様相だったと思われます。その中で、平尾氏も永正年間に三代信守が白岩城の詰め城として当城を築いたと考えられます。
 その後、武田氏の佐久侵攻の早い時期に下り、一時平尾を退去したようですが、永禄年間(1558-70)の中頃武田氏に仕え戻ったようです。天正10年の天正壬午の乱後、依田信蕃に下り、天正18年(1590)小諸城主松平(依田)康勝の上野藤岡への転封に伴い、平尾氏も当地を離れ、廃城となった。
イメージ 2 
 リフト乗り場の横の車止めゲートの先の林道を5分ほど行き、カーブミラーのある手前が登城口です。

イメージ 4







林道から入ると、すぐに左手に長く南下に伸びる竪堀(竪土塁)が見えます。

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竪堀から35mほど先の堀切ア(上巾5m)です。その間は、自然地形の尾根ですね。ただ、南斜面に数段の削平地があるようです。(未確認)

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上巾6mの堀切イです。右手が郭4ですが、そこへの壁が二段になり堀底から4m上に小郭を設けて、そこから10m上に4郭があります。

イメージ 7郭4から西側の郭3を見ています。郭4の方が1mほど高くなっていますが同一の郭なのかもしれません。3・4郭で12×50mほどの広さ。東から南にかけて低い土塁がある。
 
イメージ 8





3郭と4郭の境目の南端に南下の道につながる虎口があります。

イメージ 9

2郭と3郭の間の上巾8mの堀切アです。

イメージ 10







主郭(奥の一段高い所)から6m下にある郭2です。15×15mの方形。南に枡形虎口がみられ、石積みされていますので、主郭部の大手虎口と考えられます。

イメージ 11郭2からの窪みで、上辺部に石積みが見られます。角度を変えてみますとはっきりします。イメージ 12








イメージ 13

郭南下からの虎口です。虎口両面に石積みが見られ、特に右側は一段と高くなり櫓台のように見えます。イメージ 14









イメージ 15
この虎口が大手虎口とすると、左図のような感じで大手道から堀切ウの堀底を通り、この虎口から郭2に入り、主格北側の虎口に行ったのではないかと推定できるのではないでしょうか?イメージ 16




主郭で、2520m程の長方形をしており、北・西側に土塁がみられますが、かっては全周していたのではないかと思われます。











イメージ 17

主郭北側にある虎口です。下から見るとイメージ 18
現在は、西尾根からの道が直接ここに繋がっていますが、これは主郭にある秋葉社の参道になったものと思われます。往古は、西尾根の道は堀切ウに繋がったのではと。イメージ 19

 主郭南下の壁にみられる石積みです。かなり崩落していますが、もしかすると往古は、主郭の壁に石積みが全周していたのかもしれません。


 十数年前とは打って変わって、下草や藪がかられとても見やすくなっていました。これほど整備されていたとは思いもよりませんでした。きっとこれは、地元の方が、整備していただいているものと思われ、頭の下がる思いです。
 西尾根や南西尾根をまだ見ていませんし、支砦の白山砦・平尾富士砦も訪れみたいと思いますので、この秋口に再訪したいと思っています。

参考文献
『信濃の山城と館 1 佐久編』 宮坂武男著
『長野の山城 ベスト50を歩く』 河西克造・三島正之・中井均編

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