古城の風景

戦国期の東日本の山城紹介

岡山県

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備中松山城


 備中松山城は、別名高梁城とも呼ばれ、高梁市内山下・辻巻にある比高120m(市街地からだと320m)の山城です。備中松山城のある臥牛山一帯には、北から大松山、天神丸、小松山、前山のピークに中世から城郭が設けられていました。江戸期になり、小松山から南を現在みられる石垣造りの近世城郭に作りかえた。以前(2005.8)訪城した際に、戦国期の遺構の残る大松山・天神丸まで行きましたが、今回はツアー参加で、行動範囲が限られているので、小松山の松山城と上の太鼓丸になりました。                                    訪城日:2015.910 晴れイメージ 1
 城址へは、高梁市内の案内板に従い、高梁高校(根古屋跡)の横を山に向かう。土・日は城見橋公園に車を留めシャトルバスで鞴(ふいご)峠駐車場へ、後は徒歩(20分)となる。平日は、直接鞴峠の駐車場までいけます。









 イメージ 2鎌倉時代の延応二年(1240)に有漢郷(現在の上房郡有漢町)の地頭に任じられた秋庭三郎重信により臥牛山のうちの大松山に砦が築かれたことに始まりました。その後、小松山に移り、城の縄張りは時代とともに変化しますが、中でも天正二年(1574)に起こった「備中兵乱」時は、「砦二十一丸」と呼ばれた出丸が築かれていたことが記録と残っており、臥牛山全域が一大要塞しなっていたことがうかがえます。当時の城主であった三村氏が滅んだ後も、毛利氏の東方進出の拠点として、またさらに毛利氏が防長二国に退いてからも、備中国奉行として赴任していた小堀正次・政一(遠州)父子により修改築がなされるなど備中の要衝としての役割をになっていたようです。以降、池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏と城主がかわり明治維新をむかえますが、現存する天守などは天和三年(1683)に水谷勝宗により修築されたものと伝えられている。       備中松山城入城パンフレットより
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縄張図は、『中世城郭事典Ⅲ』所収の図面(村田修三氏作図)の一部を拝借しています。 
イメージ 4 車で登れる最終地点のふいご峠の駐車場です。駐車場南の小山が下の太鼓丸です。行きたかったですが、ツアーではちっと無理でした。ここから本丸まで比高120mほどありますが、散策路があり、意外と楽に登れました。途中に上の太鼓丸が見られます。イメージ 5





 高石垣の上の太鼓丸です。史跡指定地外ですが、遺構の残り具合はいいようですイメージ 7
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 左図は、城址リーフレットに掲載されている図を借用しています。
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大手門脇の高石垣です。高さ5mを超す巨石を巧みに使い、その上に打込接ぎの高石垣が見上げる者を圧倒します。

大手の導線−3折れの枡形で、寄せ手に対して三の丸やA地点からの横矢がかかる構造です。イメージ 11











イメージ 12 大手口を守る三の丸。左手石垣の上が厩曲輪で奥の白壁は、永年の風雪に耐えて残る現存土塀です。イメージ 13





イメージ 14 三の丸から右手に曲がる所にある黒門跡です。


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上からの黒門跡

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 二の丸虎口の鉄門跡です。虎口を入ると正面に本丸の建物群が見え、実にいい感じです。イメージ 17



 二の丸からの本丸建物群です。天守は現存ですが、あとある五の平櫓、六の平櫓、路地門、土塀は復元です。イメージ 18








 本丸虎口で、石段を上がると現在は料金所になっています。右に曲がると本丸です。イメージ 19
 天守は、山頂の岩盤の上に2〜3mの石垣を積んだ上に築かれています。高さ12mの二層土蔵造りの櫓で、屋根は入母屋で下段に大型の唐破風出格子窓があり、二層天守といえども厳めしく風格のある姿に見えますね。左手に天守入口の平櫓が併設されています。
↓天守方面からの本丸虎口です。イメージ 20




 
本丸縄張図 イメージ 22






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 天守背後にある、現存二重櫓で、国指定重要文化財です。右の写真は、水の手曲輪から撮ったものです。イメージ 24



 水の手曲輪手前にある搦手門跡です。石垣が組まれ、微妙に婉曲しています。これも防備の工夫てすかね。イメージ 25







本丸最北端に北の大松山・天神丸に連絡する水の手門跡があります。小松山を改修して石垣造りの近世城郭にしましたが、水の便が悪かったようで、大松山と天神丸の間に石造りの大井戸を造り、この門の先の橋を渡った先の井戸まで引水をしたようです。この先まで行きたかったのですが、残念ながらいけませんでした。また、行けるかどうかわかりませんが、行きましたらまた大松山まで行ってみたいものです。

参考文献
『中世城郭事典 Ⅲ』 1987年7月刊
『日本名城図鑑』 1993年12月刊

 当城も、竹田城に続く「天空の城」として多くの方が訪れています。雲海に浮かぶ城址が見れる場所として紹介されているパンフレットをもらいましたので載せておきます。
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