= 自我の源泉 近代的アイデンティティの形成 =
チャールズ・テイラー著
評・片山社秀(音楽評論家・日本思想研究者)
「人命は地球より重い」 。 かつて福田赳夫首相はそう述べた。
日本国憲法も個人の尊厳と人格の絶対を基調としている
福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず」という名言を残した。
とにかく人間は人間様なのだ
みんなが等しくものすごく偉い。日本に限らず近代世界の常識だ。
誰がそんな常識をこしらえたか。本書によればデカルトやロックやカントという
人間には等しく偉大な理性がある。道徳律にしたがい、善悪を判断できる
ひとりひとりが神にも匹敵する知性だ、だから偉い。
この常識に著者は異を唱える。
デカルトの『精神指導の規則』やロックの『人間知性論』は、 人間を機械になぞらえすぎていないか。 扱い方を誤らねば誰しも理性を万遍なく発揮できる? そんなことがあるか。
著者は考える。
人間精神は機械のように、最初から出来上がってはいない
説明書通りにすれば一丁あがりではない。 大切なのは時間だ。
長い人生に様々な経験を重ねて迷い続け、ついに真の理性に触れられるかどうか、
人間なんてその程度。
そこで著者の共感するのは
ルソーの『エミール』やモンテーニュの『エセー』やプルーストの『失われた時を求めて』
どの本にも明快な結論がない。
自己査察や観想が続くばかり。 ああ言えばこう言う。
人間の真実はマニュアルにはならない自我の源泉は道徳や善を求め彷徨するところにある。
ところが、デカルトらには彷徨し成長する時間の思想がない。
人間を完璧な神になぞらえ、最初から充分な理性があって当然と思っている。 間違いだ。
人間には、彷徨の経験の度合いによって、上下貴賎がある
そして魂を賎から貴へと常に鍛錬してゆく義務もある
その義務を放棄している人間に権利も尊厳もへちまもない
人間は、はなから人間様ではない。錯覚しては駄目だよ
自由主義と個人主義の上に居直り、奢り高ぶった現代人への警告の書。とある
名古屋大学出版会 9500円 (読みたいけどちょっと高いお値段である・・・) 杏樹
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