表紙
車椅子の歌 車椅子の歌
生きるために 生きるんだよと
赤坂さんの この言葉
固く心に 刻み込み
何かある 何かある 何かある
闇で手探り していたら
寝言を言うなと 笑われて
涙で濡らした 車椅子
やんちゃばかり していたけれど
いつか仕事も 独り立ち
夢に描いて 生きてたが
神様を 神様を 神様を
信じなかった 罰なのか
それとも運命(さだめ)と 言うものか
おふくろ泣かせた 車椅子
恋もしたよ 一度や二度は
胸のアルバム 開いたら
愛にあふれる 受けた恩
想い出に 想い出に 想い出に
生きる力に なりました
感謝しながら 明日の日へ
今日も旅する 車椅子
昭和43年4月、転落事故により全身マヒ状態で、内陸の病院に転院しました。まったく動けない状態で、天気のいい日の窓の外に見えたのは、映画のチョンシーのようにピョンピョンと飛び上がる頭と、土の庭に倒れては起き上がる松葉杖の人でした。
看護婦さんが、近いうちに社会復帰するために運動している人と教えてくれました。
それから約2ヵ月後、その人赤坂さんは、ベッドで寝たきりの私の部屋にきて
『○○、生きるために生きてろよ。必ず何かが見えてくるから』って、言って社会へ出ていきました。
私は、何も見えない明日に何度涙を流し、何度諦めたことだろう。
約10年の闘病生活の後、社会復帰は諦めて施設暮らしになりました。
その施設での生活が、諦めていたはずの社会へ出るきっかけを与えてもらい24年間ぶりに社会へ出られました。
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