奥さまのため息・・・・・本当にもう・・・・・

この災害が続く昨今、国民の税金の使われ方を今一度見直し本当に必要なのかを考えて欲しい。ちょっとやり過ぎでしょう!

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芸名 羽田健太郎


フリガナ ハネダケンタロウ
誕生日 1949年1月12日
星座 やぎ座
出身地 東京
性別 男
血液型 B型
ジャンル 司会者・MC/声優・ナレーター/歌手・アーティスト/作・編曲家/ピアニスト
デビュー年 1971年
デビューのきっかけ 「ある愛の歌」レコーディング
家族 妻 娘2人
親戚タレント 羽田 紋子(長女)
ペット 犬
好きな色 青 緑
代表作品 ・交響曲・宇宙戦艦ヤマト (アルバム・作曲・演奏)(1977)
・ガーシュウィン・プロムナード (アルバム・演奏・指揮)(1998)
・四季 (アルバム・演奏)(2004)
ジャンル別作品 CDアルバム
ハネケンランド 想い出の夏
CM
BOSE オールジャパン・メガネチェーン
テレビ
題名のない音楽会21 ニュースステーション (音楽)西部警察II 渡る世間は鬼ばかり
著書
新ハネケンの音楽は愉快だ

出典:日本タレント名鑑(VIPタイムズ社




1949年東京都生まれのピアニスト、編曲家、作曲家。東京音楽大学客員教授。桐朋学園高等部から桐朋学園大学音楽学部ピアノ科卒業。有賀和子、故井口基成、柴沼尚子など、業界では特にスパルタで知られる高名な教育者たちに師事。

幼くして父を亡くし、母親と祖父によって育てられた。

中学3年のときには師匠の有賀和子に「これで(桐朋高校受験は)間に合うかしら」と心配させた。当時練習していたチェルニー50番をチェルニー30番へと戻され、基礎から学びなおすことになった。高校入学後は一日16時間もの猛練習でライバルとの差を一気に縮め、急速に実力を伸ばし、大学生時代には音大生のトップレベルに上り詰めていた。羽田が『徹子の部屋』で語ったところによれば、「片手ずつゆっくりさらい、完全に出来るようになったら片手ずつ速くさらい、それが出来たら今度は両手でゆっくりさらい、それが完全に出来るようになったら、最後に両手で速くさらう」という地道なものであったが、これを実際に実行すると長い練習時間を必要とする。

なお、桐朋音楽大学への進学は羽田自身が希望したわけではなく、当時(現在も)の習慣どおり師事した師匠の母校へ進学する、という慣例のため。羽田は自伝でその点について記している。

第39回日本音楽コンクールピアノ部門第3位入賞。入賞曲はベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。演奏後に羽田は自分が優勝するかもしれない、と思っていたが3位という結果に落胆したわけではなかった。現在は日本音楽コンクールの価値が当時よりは下がっているが、当時としては瞠目すべき成果であり、日本音楽コンクールで入賞すること自体が一流ピアニストとしての出発点と目されていた。そして羽田もクラシック演奏家として出発すると期待されていた。

しかし羽田は大学生の頃から、ピアノを弾いてバイトすることを既に始めており、クラシック演奏家になることだけが唯一の道である、という考えは持っていなかった。桐朋音楽大学卒業後はクラシック演奏家の道を進まずにスタジオ・ミュージシャンを経て編曲家・作曲家として活躍。本人の意向としては外車に乗り、一戸建ての家を買い、家庭を築きたいという現実的な夢をかなえることに興味があった(本人の著作による)。

スタジオ・ミュージシャンとしては、クラシック出身で指が確実に高いレベルでよく動く人材が当時は乏しかったため、非常に重宝され、朝から晩までスタジオにこもり、次から次へと録音をこなしていった(そしてこなせるだけの高い技術があった)。著書によれば、当時のサラリーマンの月給を一日で稼げるほど売れっ子だった。羽田の回想によれば、金は要らないから休ませて欲しいと思うほど、当時は仕事が次から次へと回ってきた。スタジオ録音全盛期の時代と、羽田の活躍の時期が重なったことは幸運であった。

1978年〜1980年頃はシンガーソングライター渡辺真知子のバックバンドのリーダーを務めていたことがある。ちなみに彼女の初期のアルバムでピアノを弾いているのは羽田その人である。

当時収録されたレコードの謳い文句には、羽田はクラシック出身であるがポピュラーにも強い、というプロフィールが書かれており、現在のプロフィール(桐朋音楽大学出身で、クラシックに造詣が非常に深い)とは正反対の売り方をしており、若き日の羽田は現在とは違う営業方針をとっていた。それは上記のスタジオ・ミュージシャンとしての活躍のためだったと推察される。

師匠である有賀和子に対して、このような行動はおそらく不快であろうという羽田の配慮から長年、羽田の側からの有賀への接触を遠慮していたが、有賀は「羽田を破門した覚えはない」という意思を表明し、羽田の一方的な思い込みによる誤解は解けた(羽田は破門されたと思い込んでいた)。

羽田はNHK交響楽団からリヒャルト・シュトラウスのピアノと管弦楽の協奏曲『ブルレスケ』のソリストを依頼されたとき、有賀和子へレッスンを申し込んで師弟関係を戻している。羽田の言葉によれば、楽譜を渡された時点で弾けるだろう、と高をくくっていたが、N響との公式リハーサルの時にまだ暗譜が出来ておらず、楽譜を見ながらリハーサルをしていた、それくらいに切羽詰まったものだった。

30代後半にはN響とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のソリストも務めている。

40代にはいってからは服部克久の『ピアノでポップスを』(NHK教育)をはじめとする音楽バラエティ番組に出演を増やすようになり、スムーズにポピュラー音楽奏者へとシフトしていった。『タモリの音楽は世界だ!』ではかつらを被り、ベートーヴェンの役を演じてピアノを弾いたり、クラシック分野からの出題を担当するなど、クラシックとポップスの橋渡し的役目を果たした。またCDの製作にも意欲的で、『フックト・オン・シリーズ』を手がけ、クラシックを気楽に聴けるように編曲・録音にも力を入れた。

『ニュースステーション』では富士山山頂からの中継や、自然豊かな森林、風情のある寺、夜桜中継など映像と音楽を調和させる演出の中で、情緒あるポピュラーピアノ曲(自作)の演奏を行うようになり、視聴率の高いこの番組で一般人にも知られるところとなった。

この頃から純粋なピアノ演奏以外のトークを交えた仕事も引き受けるようになる。『おもいっきりテレビ』でコメンテーターとしての出演、舞台(ピアニスト役、実際舞台でピアノを弾く)も出演した。この頃の羽田はテレビへの露出を多くし、知名度を上げることでさらに仕事が増えるというパターンをとっており、結果としてコンサートなどの演奏機会を増やすことに成功した。

近年は慢性的な飲酒がたたって体調を崩し、療養と称して『ニュースステーション』を降板した時期があった。『新 ハネケンの音楽は愉快だ』によれば、朝、昼、晩と飲酒を繰り返し、ある朝突然倒れて病院に搬送され、血液透析を1週間繰り返してなんとか一命を取り留めたという。その後は飲酒は一切やめたが、体調不良のため不定期にコンサートのキャンセルなどを余儀なくされている。療養後は色白だった顔がやや色黒に見えている。

音楽家生活35周年コンサートでは、長年の飲酒によって障害を起こした肝臓により、コンサート直前に入院を余儀なくされたが、病室に電子ピアノを持ち込んで練習を重ね(ガーシュウィンのピアノ協奏曲へ調)、コンサート当日に高熱を押して、見事コンサートを最後まで持ちこたえた。

また、以前はピアノ独奏・トリプルピアノ主体の演奏会を開いていたが、近年は指揮者へと傾向を変えている。ピアノ演奏は多少するが、難度の低い曲にとどまっている(雨だれの前奏曲やノクターン第2番など)。英雄ポロネーズなどの難度の高い曲を取り上げるときもある(羽田の自主公演では無い)。最近は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番やラヴェルのピアノ協奏曲など、羽田個人が演奏しておきたい曲(必ずしも有名曲とは限らない)を積極的に企画し、オーケストラと交渉して演奏会を実現させている。

晩年は、ソロコンサートと同時にジョイントコンサート、指揮者としての出演が多く、また長女(声楽家)とのジョイントコンサートも多かった。

プロ野球東京ヤクルトスワローズのファンであり、何度か神宮球場で『東京音頭』を演奏したことがある。


[編集] 主な作品

[編集] アニメ
宝島 (1978年)
宇宙戦士バルディオス (1980年)
ムーの白鯨 (1980年)
恐怖伝説怪奇! フランケンシュタイン (1981年)
夏への扉(1981年)
まんが 水戸黄門 (1981年)
科学救助隊テクノボイジャー (1982年)
スペースコブラ (1982年)
超時空要塞マクロス (1982年) - 日本アニメ大賞音楽賞
BGM、主題歌のみならず、多数の挿入歌やイメージ音楽も。
超時空世紀オーガス (1983年)
宇宙戦艦ヤマト 完結編 (1983年)
後に『交響曲宇宙戦艦ヤマト』としての「作曲」および独奏ピアニストを担当。詳細は宇宙戦艦ヤマトを参照。(『交響組曲宇宙戦艦ヤマト』とは別物)
はだしのゲン(1983年)
ゴッドマジンガー (1984年)
大自然の魔獣 バギ (1984年)
名探偵ホームズ (1984年)
超時空要塞マクロス(映画版) (1984年)
書き下ろし多数。ただし、挿入歌とエンディングのみ別
オーディーン 光子帆船スターライト (1985年)
おねがい!サミアどん (1985年)
銀河探査2100年ボーダープラネット (1986年)
続名探偵ホームズ2 ドーバーの白い崖 (1986年)
機甲戦記ドラグナー (1987年)
プロジェクトA子 完結篇 (1989年)
三丁目の夕日 (1990年)
おにいさまへ… (1991年)
ドラえもん のび太の太陽王伝説 (2000年)

[編集] ゲーム
ウィザードリィ
幻想水滸伝

[編集] テレビ
TBS『渡る世間は鬼ばかり』
NTV『キッド』
西部警察 PART-II
西部警察 PART-III
NTV『事件記者チャボ!』
NTV『気分は名探偵』
NTV『瑠璃色ゼネレーション』
NTV『刑事物語'85』
爆竜戦隊アバレンジャー(羽田健太郎 with Healthy Wings名義)
NHK連続テレビ小説『青春家族』
NHK月曜ドラマ『風子のラーメン』
ただいま絶好調!
久米宏のTVスクランブル|日本テレビ『番組テーマ曲』

[編集] 映画
戦国自衛隊 (1979年12月5日)
薔薇の標的 (1980年4月19日) - 第四回日本アカデミー賞優秀音楽賞
復活の日 (1980年06月26) - 第四回日本アカデミー賞優秀音楽賞
積木くずし (1983年11月03日)
さよならジュピター (1984年03月17日)
F2グランプリ (1984年04月14日)
子象物語 地上に降りた天使 (1986年07月26日)

[編集] CM
メガネの相沢
崎陽軒(シウマイ弁当など)
富士メガネ(北海道ローカルで放送)
キクチメガネ(東海、関東地区ならびに新潟県に店舗を持つメガネチェーン店。逝去直前まで放映。)

[編集] 外部リンク
羽田健太郎オフィシャルホームページ

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チェルニー50番まで勉強されていて、30番からやり直しとは凄い精神ですね〜普通なら屈辱ですよね〜羽田さんの頑張りが伺えますね〜

2007/6/5(火) 午後 6:34 sirorin2005 返信する

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題名のない音楽会で羽田さんの独奏が聞けて運が良かったです。惜しい方をなくしました。

2007/6/5(火) 午後 6:39 sirorin2005 返信する

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