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今日はジュバまで戻る予定で、ジョングレイの滞在時間は約3時間しかない。PWJの事業地のひとつである首都から40キロほど南のPariak村(Boma)に案内していただく。
村役場のチーフが不在なので、小学校から視察。ここでは、JPFの資金により、PWJが学校の敷地に立派なトイレを建設し、「衛生クラブ」などのソフト面も合わせて支援していると言う。
子供たちによりきれいに掃除されているのだというが、完成してから2年も経過する割にはあまりにきれいすぎる感じがする。
校長先生の説明が嘘だというつもりはないが、現実に、アフリカでは管理強化を申し入れるとトイレをロックして生徒に使わせないようするところが多く、僕もそういう場所を数多く見てきた。
他団体が昨年支援して建設したという新しい校舎に入り、校長先生の説明を受ける。
校長先生自身も1993年からSPLA兵士とし手内戦に参加したが、2003年からは教師に戻り、2008年からこの学校の校長に就任している。彼は「教育は平和の証だ」と情熱的に語る。
「8学年あり、1800人ほどの生徒がいるが、教室は3つだけで、5学年は木の下で授業をしており、夕方は成人教育を行っているという。この学校も他と同様、5年生以降の女子生徒が極端に少ない。12,13歳頃になると結婚する生徒が多いためらしい。ここでは特に女子教育に関する特別な取り組みをやっていない。PWJは早い時期から支援してくれたNo.1のNGOだ。感謝している」との言葉が述べられた。
次は村役場に戻り、村の会計責任者のジャコブさんに、軒下でお話を伺った。
「内戦中はボーは政府軍が駐留しており、幹線道路を兵士がパトロールしていたため、移動は不自由で、多くの人は国外へ脱出して限られて人数だけが残った。自分は、年老いた両親が村に残っていたので、内戦が終わる前の1999年に避難先のウガンダから戻って来た。当然家畜も失っており、白ナイル川の魚を食べたり、貴のみを食べて飢えをしのいだ。2005年に内戦が終わってしばらくした、2007年頃から人々が沢山戻ってくるようになった。」
「その当時の問題は、①医療施設がない、②井戸が足りない、③治安が悪い、の3つぐらいだったと思う。(牛はなかったが、)WFPから食糧援助を受け取ることが出来た。今現在の村の課題は、①もっと近代的な医療施設、②村内の道路、③農機具の支援、④学校が不足している。ただ、こうした課題はあるものの一度戻って来た帰還民がまたウガンダなどに戻るケースはそう多くない。」
とのことだった。
このあと、PWJが支援した保健所を視察する予定であったが、あまりの豪雨に断念して、ボーに戻った。
空港に向かう前に、PWJの皆さんと調査団で記念撮影。皆さん、これからも頑張って下さい!
このあと、無事飛行機は飛び、午後5時半にはジュバに戻ることが出来た。
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