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「廻国供養塔にみる六十六部」
大宮市郷土史研究会創立四十周年記念講演会
上記の講演会に行ってまいりました。
講演は、目白大学の有本修一先生です。
法華経を写経し、それを全国の主な寺社に笈を背負いながら奉納する聖たち。
その昔、13世紀ごろからその行為は文書にあらわれ
それこそ、明治に至るまで彼らは存在しました。
皆様の町にも、お寺の墓地の中や、街道筋に、何やら文字を刻んだ
様々な形の石塔がひっそりと佇んではいませんか?
室町時代には、幕府の庇護を受けた聖もいたようですが
近世に入ると、寛永寺や仁和寺などから、廻国を保証された手形を受け
多くの人の代参として、全国を巡っていたようです。
実はこの供養塔、ひとつひとつ、実に様々なものがあり
また数も多いことや、きちんとしたデータベースがないため
その内容を把握することがなかなか難しいそうです。
悉皆調査が県内で完了しているのが確認できるのは、兵庫、岡山県ぐらい、
そんな中、広島ノートルダム女子大の小島先生は
この作業を地道に行われ、現時点でのデータベースの分析を発表されております。
この地道な作業。
実は、これが地域の歴史を把握する第一歩です。
小島先生の分析では、廻国成就の供養塔から、死没廻国者の供養唐
それに形も様々。
奉納者の立場も様々。
供養塔だけでなく「六十六部大願行列絵巻」まで作られている。
祈りは仏に届いたでしょうか?
明治以降、もちろん国の宗教政策にもよりますが
こういった宗教行為はやがて消えていきます。
人々が見えない力を純粋に信じていた時代。
その心の一端を表す廻国供養塔。
ひとつ、ひとつ、人々の心が詰まっています。
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大正3年の「此花」第18号に「六十六部順礼」「納札・千社札」等を取り上げていますが、「順礼納札」という目で見たらまた違った着眼点が生れるかもしれませんね。
2009/9/27(日) 午後 9:57 [ 多町の人 ]
多町の人様、廻国聖をはじめ、一般の人々の順礼のなど、多くの人の軌跡が様々な形でのこされていますね。
その心を私達は受け継いでいきたいと思います。
2009/9/27(日) 午後 11:41 [ ししまるさん ]