ししまるさん日記

しあわせのひととき、、、♪ 備忘録のため、ただいま過去から更新中❣

ししまるたび日記

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又兵衛の「野々宮図」

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いかん、おわっちゃう、、、。

歯医者に行って、だんな様を見送って(どこへ!?)

わたくしは、出光美術館へやっとこさ、行ってまいりました。

すみません、これも終了してしまったネタです。



「やまと絵の系譜」出光美術館

「唐絵」に対抗して生まれてきた絵を「やまと絵」とよび

平安時代ごろから、日本の姿をうつして来ました。

土佐派に代表される「やまと絵」の技術をしっかりと身に付けた絵師達から

やがて、浮世絵へと発展していく絵画の展示が大変見ごたえがありました。


でも、何がししまるを一番ひきつけたかと言えば

それは又兵衛の「野々宮図」でしょうか。

年上の教養深き素敵な女性「六条御息所」が、娘の斎宮の潔斎のため居住する

嵯峨野の一角。

都の中心から、やっとの思いで駆けつけたその鳥居の前で

源氏は昂揚した頬を紅く染め、気体と不安の混じったなんともいえない

初々しい顔をしています。

こんなお顔を見せられた、お姉さん、喜んで迎えちゃいますよねえ、、、。

直衣をちょっと持ち上げた両手は、そのまま前進したい気持ちを

自分ではなんともしきれない様子をもあらわしているのではないでしょうか。

源氏物語のワンシーン、岩佐又兵衛はモノクロームの世界で表現しています。


閉館ぎりぎりまで、又兵衛に見入ってしまいました。

一緒に描かれている小姓も子も、なんともいえぬ笑顔

私も一緒に微笑みます。


やっぱりちょっと変なおばさん状態になりましたが

真夏のさなか、気持ちの良いときをすごすことができました。

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人間文化研究機構ってのがあります。

名前を挙げるのも面倒ですが、国立歴史民俗博物館をはじめ

5つの私達の文化、歴史を研究する機関を、まあ仲立ちするような組織でございます。

現在、その歴博と国文学研究資料館で共同展示企画となっている

「百鬼夜行の世界」の公開講演会およびシンポジウムに行ってまいりました。

といっても先週のお話ですみません。


世の中は妖怪ブームとかで、とても歴博のシンポジウムに来るような雰囲気じゃない人とか

(絶対アニメ好きアキバ系!?って感じ)

招待席にいらっしゃいました怪しげにおじさん(失礼!!)は

おそらく京極夏彦先生!?

すでに客席が妖怪状態です。


基調講演は日文研の小松和彦先生や、京博から絵巻スペシャリストの若杉氏

中世説話、お伽草子のお話を中心に学習院の徳田先生

小松先生と同じ日文研から山田先生は情報学の立場から百鬼夜行を紐解かれて

なかなかユニークです。

京都の葵祭や時代祭を、妖怪が行進している様子を想像してみてください!!

それも夜中、どうしても行かなくてはならない用事ができて

真っ暗な中歩いていたら、なんと妖怪の行進に出会ってしまった!!!

ししまるは京都にて銭湯へ行った帰り、自転車でふらふらしていて気がついたこと

京都には闇があるということでした。

歴史を知れば知るほど、そこで何があったかは承知の事実ですよね

そして、繁華街の喧騒をよそにぽっかりとある漆黒の空間、、、。

この百鬼夜行に触れるたびに、その時のなんとも、ぞっとした瞬間を

思い出してしまいます。


今回のお話の目玉の一つ、『真珠庵本』が、その百鬼夜行の代表格として扱われてきましたが

(模写年代が最も古いといわれています)

それに出てこない絵柄で構成されているものが発見され

日文研に所蔵され、小松先生たちによって研究されてきました。

『百鬼夜行絵巻の謎』小松和彦著 集英社新書

まだまだ謎の多い絵巻ではありますが、親しみを持てる絵柄が

絵巻入門者にはとっても楽しめること請け合いです。


さて、今回の講演会でも先生方が注意されていたこと

よく日本のアニメの原点といわれる絵巻ですが

怖いのは、この観点は現在の私達から見た視点でもあること。

あの有名な『鳥獣戯画』も、このようにいわれるようになったのは

明治になってから、

様々の資料を通して、私達は当時の人々の心に近づきたいものですね。

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雨がざんざんぶりでした。

どうなるかなあ、、、。と思いつつ、秩父を目指しました。

秩父巡礼も中盤となりました。

本日は大野原駅から19番から、始めさせていただきました。

大野原の駅に着いたら、なんと雨が上がっている♪

日頃の行いのおかげ!?

山道渇望症におちいっていたししまると山仲間は

本日江戸古道を歩いていくことにしました。

19〜22番までは比較的、静かな里をゆったり歩く感じ。

さて、これからは比較的高い場所にあるお寺さんが中心となります。

音楽寺までは小鹿坂峠を使って、順調に進みます。

次は24番法泉寺への道ですが、これが難しかった!!

地図はあるのですが、昔の馬頭観音や、江戸時代の道しるべを中心にいきますが

どこかで何故か違ってしまっている!!

こんなとこでないよね〜

といいながら、結局歩きたい道を途中で見失ってしまいました(涙

24〜25番の道も、とっても迷いました、、、。

そのたびに、目印の道標に登ったり、降りたりの繰り返し!

途中地元の方に聞いて、やっと目的の道にたどり着き、ほっとしたのもつかの間

女性一人じゃ絶対通りたくないようなぐちゃぐちゃ山道に

マムシさん、クマさん、出てこないでねえ、と祈りつつ

無事に本日目的最後の25番久昌寺にたどり着くことができました!!


本日も思い出深い出会いがたくさん。

秩父錦さん、酒樽のお酒、おいしゅうございました。

五臓六腑にしみわたり、元気に歩くことが(?)できました。


途中で度々お会いした、歩きの巡礼さんたち。

最後に「観音和讃」の巻物をいただき、ありがとうございました。

これからはこちらも携帯し、奉納していきたいと思います。


さあ、これからも、がんばらねば♪

今回もいろんなものを戴いた巡礼の旅でした♪

上野の熱い闘い!?

阿修羅を求めて(だけではないと思いますが)

ひたすら東博を目指します。

博物館の携帯サイトには、なんと、待ち時間が表示されてます。

この大雨のなか、約60分待ち!!

私も待ちました。こんなに多くの人を待たせるなんて、

なんて罪深いんでしょうと、畏れ多くも思いつつ

我先に目指す人たちを、興福寺を中心とした仏像その他が

温かく迎えてくれました。

それにしても、すっごい行列でしたね、日本人は行列好きなのかしらねえ。


「阿修羅」の感想。

お顔の事を言うまでもありませんが、ライティングでなんか白っぽく見えてしまいました、、、。

腰のラインが美しい!!

裳を纏う腰が、なんともいえない曲線美を出しているのではないかと

思ってしまうのは、私だけでしょうか!?

丁度云いくびれ、色っぽくはないけど、いい感じでヒップがあります。

しかし、ものすごい人だかりで、それ以上よく見えず。

本物を拝した満足感で、阿修羅のお部屋を後にしました。


後半は興福寺の再建を担った、康慶、運慶の作品が、、!

いいじゃありませんか、運慶のお父さん康慶の「四天王」

力強くて、覇気が溢れかえっています。

治承四年のあの兵火、東大寺を含めた再建に関わった、運慶たち仏師軍団。

阿修羅などの像たちとは、まるで正反対の世界に、圧倒される思いも致しました。


年々豪華本になる図録に背を向け

本日なんと平常展も20時まで観覧できること!!

こちらも見たいところを、充分に楽しませていただきました。

何気に楽しみにしているのが、「能と歌舞伎」コーナーです。

今のテーマは能「兼平」

そう、あの木曽義仲の家臣「今井兼平」です。

義仲が討たれたと知るや、のどに刀を差し、馬から落ち、自刃した忠義な家来として

その壮絶な最後と共に、有名ですよね。

これを書いてるだけで、泣けてしまいます、、、。

「兼平」を拝見した事はないのですが、前と後シテの衣装と面がとても丁寧に展示されています。

後シテの面は「平太」

勇猛果敢な青年を表すのに、ぴったりの面。

そして衣装は、泥まみれの最後を想像もさせない、美しいお衣装。

兼平を上演している場面を描いた絵巻も展示され

しばし、「修羅」の世界に浮遊してしまいました。


修羅道、それは決して死した後、行きたい場所ではありません。

いまだ修羅道で苦しむ武将達の姿をこの世に現した能の世界。

そして美しい、修羅とはまるで縁のないようなお顔の興福寺の「阿修羅像」

苦しみを越えたところに、真の美がみえてくるのかしら、、、。


どうか、そんな先人の思いを少しでも汲めたらと、思わずにいられない展示でした。

青梅住吉祭礼

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日本のお祭りにいろんな意味で興味を持ったのは

京都の祇園祭が最初でした。

どこを見ても、歴史の厚みを感じるお祭りに

歴史も日本の芸能も何にもわからなかったししまるを

この世界に引きずり込んでいったのでした。

山車祭りの原点は様々な形で日本中に広がり、この青梅の地にも根付いているわけですね。


現在では「青梅大祭」といわれておりますが

もともとは「青梅住吉祭礼」といわれておりました。

青梅に地に「住吉神社」?

勿論、もともと関東の地になかった神様の多くも歴史の中で勧請されていきますが

「住吉」は珍しいですよね!?

資料が乏しいのではっきりとよくわからないのですが、

600年ほど前に「延命寺」の僧「季龍禅師」によって奉遷されたとのことです。
(青梅住吉祭礼 斉藤愼一氏文 百水社刊)

こういった経緯にはとっても興味がわきますが

青梅の街は多くの関東の街(秩父、川越などなど)などと同じように

織物で盛んになってまいりました。

明治になって、きっとますます栄えていったのことでしょう。

神社に奉納されているものに、江戸の三井とも関わりを示す物もあるそうです。


そして、現在、小さな担い手達が順々に育ちながら

祭りは次の時代へと継承されていきます。

古い町の残る街道筋は、普段でもとても風情がありますね。

また、訪れたい、青梅のお祭りでした。

お世話になりました方、本当にありがとうございました♪


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